第36話 ノースガルドに至る道⑬~生きて欲しい
烈歴98年 6月18日(行軍4日目)シュバルツ帝国 ラインハルツ大橋
ヴィルヘルム率いる本隊がラインハルト軍の背後を突き、絶体絶命かと思われたその瞬間に、皇国軍の援軍がこのラインハルト大橋に間に合った。
そして僕はこの救援を成功させた立役者であろう初めて会ったような気がしないサンディ・ネスターロ中将と言葉を交わした。
「…あなたが…サンディ・ネスターロ中将ですね……『門に帰れ』の一文でこの状況まで見越していたのですね……凄いなぁ……ごふっ……」
僕はまだ肺に残る血を吐き出しながら、サンディ中将に言う。
僕のそんな様子を見たサンディ中将は苦笑いしながら答える。
「……いや俺には、あのロロ・ホウセンと一騎討ちをして生きているお前さんの方が十分怖いんだが…まぁ積もる話は後だ。早くお前さんとあのヒルデガルドとやらを連れて帰らないと、金髪三人組が陣で喚いているだろうからなぁ。ここは一気に引くぜ」
金髪三人組は、リタさんにアウレリオ准将にビーチェのことだな。
凱旋軍と皇国軍はうまく合流できたのか。
それも聞けて一安心だ。
そして救援に来て、明らかにヴィルヘルムに対して優勢な状況でも躊躇なく撤退する判断も見事だ。
その判断に対してレアさんが確認のように質問する。
「あのロロ・ホウセンとヴィルヘルムを討ち取れる好機ですが、いいのですか…?」
それに対してサンディ中将は即答する。
「全く問題ない。むしろあのヴィルヘルムが皇帝になった方がやり易いからなぁ…ぜひとも生き残って帝都を取って欲しいもんだぜ~」
あのヴィルヘルムに対してやり易いと評するのは、大陸広しと言えどもサンディ中将だけだろう。
そしてサンディ中将はレオンハルトさんに向けて助言もした。
「あとラインハルトの坊ちゃんよ。無駄に兵を減らさない方がいいぜ。どうせ逃げられる。それにここで討ち取ってもお前さんにとっても色々面倒だろう?」
「…わ、わかった……全軍、包囲を解け!防御態勢を取り、交戦を避けよ!」
レオンハルトさんも素直にサンディ中将の助言を聞き入れた。
「……自分で言ってて、何だが素直に聞いてくれるなぁ?」
サンディ中将もレオンハルトさんが素直に聞き入れたことに驚いていた。
「……『鬼謀』のサンディ・ネスターロの名は帝国の軍関係者では知らぬものはいまい…あのヴィルヘルム相手に戦線を押し上げている大陸随一の軍師……逆らう方が不自然だろう…」
レオンハルトさんはサンディ中将を警戒するようにして言う。
サンディ中将は帝国相手にノースガルド戦線を押し上げた陸軍の英雄だ。
相対している帝国軍人であるレオンハルトさんからすれば、警戒して図る相手だろう。
そんなレオンハルトさんに対して、サンディ中将は苦笑しながら答える。
「…まぁそんな目で見るなって~ここでは俺達は友軍だ。うちの期待の新人達を救ってくれて礼を言うぜ。じゃあのんびりしてられねぇからここいらでさよならだ。行くぜ、シリュウ准将」
サンディ中将がそう言うと、サンディ中将の周りにいた陸軍の兵士が僕を担いでくれる。
「シリュウ君はこちらへ。さぁ、皇国へ帰りましょう」
レアさんが後ろに騎乗するように手を貸してくれたので、それに従い、レアさんの後ろに騎乗する。
そして最後にレオンハルトさんに別れの挨拶をする。
「レオンハルトさん……本当にありがとうございました…いつかまた…お礼をさせてください。カチヤ将軍にもよろしくお伝えください」
「ああ、君とは必ずまたどこかで会えるだろう。それまで壮健にな」
「はい。ではまた」
「……別れの挨拶は済みましたか?…では帰りましょう。…全軍撤退!本陣まで帰還せよ!」
レオンハルトさんに挨拶をして、僕達皇国軍は氷の橋を渡って撤退を開始した。
遠くには北側へ撤退していくヴィルヘルム軍の姿が見えた。
それを見た僕は、帝都から始まった僕達凱旋軍の退き口が、僕らの方は終わったのだと実感した。
あとはハンブルグに向かったパオっち達が無事に皇国へ帰れるといいのだけど…
僕はパオっち達の無事を願いながらも体が疲弊して眠気が限界だった。
「……すみません…レアさん……僕はもう限界で…」
「え?ちょ、ちょっと待ってください!今帯で固定しますので!」
僕はレアさんが一旦停止して、僕の体とレアさんの体を固定したのを確認して意識を手放した。
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烈歴98年 6月18日(行軍4日目) 20時24分 皇国戦線 皇国軍拠点
ラインハルツ大橋の一戦の後、僕は騎乗した馬の上で意識を手放した後、見慣れない天幕の中で横になっていたようで目を覚ました。
するとすぐ横にいたビーチェが僕の覚醒に気が付いてくれたようだ。
「シ、シリュウや…!大丈夫かや…!?……傷は…痛むかや?」
心配してくれたビーチェの顔がとても愛おしくなって、僕はビーチェにもたれ掛かるようにして抱き着いた。
「…大丈夫だよ…ありがとう……やっぱりこういう時に一番最初に顔を見るのはビーチェの顔だね…」
「当然じゃよ…妾はシリュウの妻にして補佐官…シリュウの隣は誰にもやらぬ…」
「…僕だってそうさ……っ!…いててて……やっぱりまだ傷は痛むよ…」
「……軍医に見てもらったが、立っているのが奇跡…後ろとはいえ騎乗して帰って来たのは正気の沙汰ではない程の傷との診断じゃ……無茶したのう…」
「……いやぁ…ホウセンの強さが想像以上だったよ…全然歯が立たなかった…悔しいなぁ…じいちゃん以外であんなにコテンパンにされたのは初めてだよ…」
「仕方あるまい。向こうは帝国最強の武術師で、戦場での経験も幾千と聞く。むしろ入隊まもないシリュウが一騎討ちで粘るなど大金星じゃよ。胸を張って帰ろうぞ」
「う~ん、僕としては完全にサンディ中将とレオンハルトさんに助けてもらった気持ちで一杯だよ。自分の未熟さを痛感したね。早く傷を治してまた修業しなきゃ」
「…む、無理するでないぞ…?この任務が終わって皇国に帰れば、1月ほどの結婚休暇をもらえるのじゃ。もちろん結婚式もあるが、たまにはゆっくり過ごそう…?」
「まぁそれもいいね。でもシルベリオさんとの約束で、武術大会に出て優勝しないと…」
「そんなものどうでもいいのじゃ!万全の状態で出ればシリュウ優勝の間違いなしの大会など!どうせサザンガルド家の権威高揚のためだけなのじゃ。そんなのに付き合う必要はありんせん!」
ビーチェがぷりぷりと怒りながら言うが、その様子はとても可愛らしかった。
「はは…でも武術大会は1月も後だ。傷もすっかり治ると思うよ。それに僕だって出て優勝したい。サザンガルドの皆に知って欲しいんだ。ベアトリーチェ・ブラン・サザンガルドはこんなに強い男を誰よりも早く見つけて捕まえたんだ!ってね」
「…シリュウ……」
僕の言葉に感激して目を潤ませるビーチェ
「…ビーチェ…」
僕もそんなビーチェの顔に吸い込まれるようにして顔を近づける。
そして二人の顔の距離がゼロになる…
「なにイチャついてるのよ……起きたなら早く報告しなさいよ…」
その前にヒルデガルドに乱入された。
「はぁ…(*´Д`)…ヒルデガルド……空気読もうよ…そういうところだよ…アウレリオ准将も苦労するよ?」
僕はやれやれと言った感じでヒルデガルドに言う。
ビーチェは恥ずかしかったのか顔を手で隠して黙してしまった。
「…言い方がウザいわ……それに……リオ様は……」
ヒルデガルドは俯きながら言う。
その表情は暗かった。
その理由は解せない。
「………?……何かあったの…」
「……あんたには関係ないわ……」
ヒルデガルドはぶっきらぼうに言う。
何だよ、僕とビーチェの甘い時間を邪魔しておいて!
僕はヒルデガルドにぷんぷんと怒りそうになったが、ビーチェが鬱憤を晴らしてくれた。
「…シリュウや……こやつはシリュウの元へ行く直前に、アウレリオ准将にそれはそれは甘い愛の告白をしたのじゃよ。それも死に別れる恋人のようになぁ……しかし無傷で帰ってきてバツが悪くて顔を合わせられていない臆病者なのじゃ…」
へぇ、そうだったんだ。
ちゃんと想いは伝えられたのか。
良かったね、ヒルデガルド
そしてビーチェさんや、煽りすぎでござる。
「…な!……あんた……死にたいの……!?」
案の定顔を真っ赤にして憤慨するヒルデガルド
「お~怖い怖い。これはアウレリオ准将に助けてもらおうかのう?」
こちらは舌戦最強のビーチェさん
それにしても君達仲がいいね。
「…やめておきなよ…ヒルデガルド……こういうことにはビーチェには敵わないって…」
「……くっ…!…」
悔しそうに唇を噛むヒルデガルド
とりあえずリタさんに復活したことを報告しに行こうかな。
ビーチェとヒルデガルドと共に天幕を出て、僕は自分がいるところを改めて確認した。
ここはノースガルドと帝国の間にある皇国戦線の盆地だ。
その盆地に多数の天幕と簡易な砦などの建物を設営して、皇国軍の拠点となっている場所だ。
こんな前線にこんな立派な拠点があるのか。
リタさんの天幕まで歩いて移動するが、兵士の表情はみな一様に明るく、日も沈んでいる時間帯だが、明かりと兵士達の盛り上がりも相まって、さながら夜のお祭りのように賑やかな光景だ。
凱旋軍を救援して、帝国軍に実質的に勝利したのだ。
兵士たちが高揚するのも自然なことだろう。
そして僕達はリタさんがいる天幕に入ると、そこにはリタさん、サルトリオ侯爵、アウレリオ准将、レアさん、サンディ中将、マリオ少将と皇国軍の重鎮達が揃っていた。
「…シリュウ・ドラゴスピア起きました。おはようございます」
僕はなんて挨拶をしていいかわからなかったので、過去一馬鹿な挨拶を放ってしまう。
するとリタさんが僕の方へ駆けだして、僕を抱きしめた。
「…無事に…大任を果たして…!…私達が皆生きてここにいるのは…あなたのおかげ…!本当に…ありがとう……」
リタさんは泣きながら僕にお礼を言う。
僕はリタさんを抱き締め返して、リタさんにしか聞こえない声で応える。
「…あなたのためです…リタさん…いえ…リタ伯母さん…」
「……!?…シ、シリュウちゃん~…うぇえええん…」
ご、号泣してしまった……ど、どうすれば…
僕は助けを求めるように面々を見渡すが、みんな温かい目で見るだけだ。
おいおい…
「…まぁ感動的なところ申し訳ないが、これからのことを少し話させていただいても?」
サンディ中将がそう切りだして、話を進めようとした。
お願いします。
「…ずびっ!……いいわ……みんな揃ったところで、総括とこれからのことについて話そうかしら…」
リタさんが涙を拭い、皇妹の顔を取り戻した。
「改めて、サンディ・ネスターロ中将、レア・ピンロ少将、マリオ・バロテイ少将、窮地の私達を救ってくれてありがとう。大儀でした。この働きは私が皇都に戻れば必ず報います」
「「「はっ」」」
リタさんの言葉に、膝をついて敬礼する3人
いや本当に助かった…
「特にサンディ・ネスターロ中将…あなたの『伝言』のおかげで私達は袋小路の帝都から脱出することができました。その深謀遠慮に改めて深い敬意を表します」
「…いや、俺の策は不十分でした。ヴィルヘルムがホウセンを連れて追手に出るまでは読み通りでしたが、そのヴィルヘルム軍の進軍速度が俺の計算以上だった。シリュウ准将がラインハルツ大橋で食い止めていなかったら、凱旋軍はヴィルヘルム軍に捕まっていたでしょう。真の英雄はシリュウ准将ですよ」
えぇ……あの状況でヴィルヘルムがホウセンを連れて追手に出るところまで読めてたの?
もうこの人の頭の中どうなっているの?
わけがわからないよ
「シリュウ准将の働きももちろん英雄の功績です。それでも私達凱旋軍はサンディ・ネスターロという人間に深い感謝をしています。これからもどうか私達に力を貸してちょうだい」
サンディ中将に感謝を示すと同時に、暗に皇妹派への勧誘をするリタさん
抜け目がないな…
「……私達に……ね……あなたは俺に何を望む?」
「…その智謀を私達の理想の実現に役立てて欲しい」
「…なるほどね…まぁその件は皇都に帰ってからにしましょうぜ。色々と変わってきそうなので」
「…変わってくるのではないわ。私達が変えるの」
「でしょうなぁ…だからこそ俺もあなたに生きて欲しいと思って、この策を無理矢理通した。皇王様の反対も振り切ってな」
「……な……まさか…兄様は…!?」
サンディ中将の発言に驚くリタさん
それをレアさんが説明してくれた。
「…………帝国との外交の日程が迫ると、帝国で内乱の兆しがあるため、帝国内の外交使節団を救援するための軍を出陣することをサンディ中将が皇王様に直訴しました。しかし皇王様は『杞憂である』と一蹴し、取り付く島もありませんでした。なのでサンディ中将は、あくまでインバジオンを攻める拠点の設営という名目で今回の軍を編成してここに来ています。皇軍の私がいるのは、不測の事態に氷の魔術師がいたほうがあらゆる場面に対応できるということと万が一の時に皇軍も共に皇妹殿下を救出したという事実を作り、皇王様の皇軍の面目を保つためです」
もうサンディ中将の凄さに驚くことも疲れたよ。
この人は帝国の状況を読んでいただけでなく、皇国内の状況も読んで、出兵の障壁をも乗り越えてここにいるのか。
しかもレアさんがいなかったらあの氷の橋はできていないから、僕達も助かっていなかった。
「…あなたって人は…」
リタさんが目を見開いて驚いている。
それをサンディ中将が首を凄い勢いで横に振る。
「いやいやいや!そんな目で見ないでくださいよ~それに俺もあの大橋がないなんて状況予想もしてませんって!」
それはその……すいません……
「本当は、ラインハルツハーゲンあたりまで迎えに行きたかったのですが、ヴィルヘルム軍の進軍速度を見誤ってしまいました……いや本当に何もかもがパァになるところにシリュウ准将の武が助けてくれた。やっぱ武術師ってすげぇなぁ。俺がどんだけ頭を使っても乗り越えていく」
「…僕からすればサンディ中将の方がよっぽど凄いですよ…もう何もかも見えている女神様のようです」
「………女神様のよう…ね…」
僕が何気なしにいった『女神様』の言葉に反応したサンディ中将
その目はどこか遠くを見ているような目だった。
「まぁ何にせよここまでこれれば十分でしょう。後はゆっくりセイトまで帰りましょうや。ノースガルドからは凱旋軍全員が馬車でセイトまで帰れるでしょう。」
サンディ中将がそう総括する。
「そうね…あとはハンブルグに向かったパオ少将達さえ無事なら…」
リタさんが心配そうに言う。
そんなリタさんにレアさんがリタさんの方に手を当てて、優しく言う。
「大丈夫です。パオは…あの子はこういう時が一番強いですから。きっとのほほんとした顔でセイトに戻ってきますよ」
パオっちの実の姉であるレアさんが確信したように言う。
僕もそんな気がしている。
だってパオっちは…僕の相棒は…最強の魔術師だからね。
ノースガルドに至る道~完
ハンブルグ海戦に続く




