第33話 ノースガルドに至る道⑧〜たった1人の防衛戦
烈歴98年6月18日(行軍4日目) 8時15分 シュバルツ帝国 ラインハルツ大橋 近郊
シュバルツスタットを出立してから4日目
今日からいよいよ国境地域の山岳地帯を行軍する。
凱旋軍の士気にも少し陰りが出てきた。
それもそのはず。
皇軍や海軍の普段鍛えている軍人達ならいざ知らず、普段は書類や対人交渉が主な仕事の外交省の文官達や使用人達には過酷な行軍だからだ。
ただ歩くだけではなく、自らを付け狙う刺客から逃走している状況も相まって、彼らの心身の疲弊は限界に近づいていた。
なので今日は夜明けと共に出発するのではなく、起床時間を少し遅らせて、文官達の体力回復を優先させたのであった。
凱旋軍の面々が朝食を取っている間、僕達幹部は集まり、今日の行軍の予定と軍の状況を確認し合った。
「みんな、おはよう。各軍の状況の報告をお願い」
リタさんが各軍の指揮官に問うた。
最初に答えたのは前軍の指揮官ジーナ・フェスタ大尉
「前軍ですが、海軍の兵士達には異常ありません。しかし前軍に続く文官達の脚が少し遅くなっているかと思います。気力はありますが、やはり体力が追いついていないかと…」
続けて報告するのは中央軍の指揮官アウレリオ准将
「中央軍も似たような状況だ。皇軍の兵士には問題はないが、非戦闘員達の疲労の色が隠せない。最初は馬車を使わぬと気丈に振る舞っていた者も馬車を利用している。仕方ないがな」
最後に後軍の指揮官の僕
「後軍は全体的に問題ありません。定期的に背後に馬で斥候を送っていますが、今の所追っ手の気配はありません。ビーチェの進言で念の為、早朝に少し遠い地点まで斥候を送っております。もう少しすれば戻るかと…」
「ちゃんと背後にも気を配ってくれているのね。ありがたいわ。その斥候が戻り次第ここを発ちましょう。今日を乗り越えれば、何とかなるはずよ」
リタさんの最後の言葉は、内容は曖昧だが力強い確信が感じられた。
何だろうな。
その後も行軍の経路をヒルデガルドを中心に地図を眺めながら確認していると、斥候の兵士が戻ってきた。
それも僕達がいるところまで馬で駆けて来た。
かなり慌てた様子だ。
「し、至急のご報告が!」
馬から飛び降りる勢いで下馬した兵士が僕達の前に膝をついた。
「いいわ。話して」
リタさんが報告を促す。
その兵士の様子から僕達は報告の内容が何か確信していた。
「はっ!先程ここよりおおよそ馬で1時間の距離にて、黒色の鎧を装備した騎馬隊約1,000騎を確認しました!発見時は馬を休めて小休止していた様ですが、いずれここに到達するものかと!」
やはり追手の報告か…
それに騎馬だけ1000とは追撃にかなり力を入れている様子だ。
しかし早く追いつかれたものの、数がそこまででもないので僕ら幹部に焦燥はなかった。
「1,000程度なら十傑が1人いてもなんとかなる数とバルター将軍はおっしゃっていたな。このまま進軍して、シリュウ准将とヒルデガルドを中心にラインハルツ大橋にて足止めしてもらえれば問題あるまい」
アウレリオ准将が報告を元に献策した。
概ね僕らも同じことを考えていたので、無言で頷き合う。
ただ1人…ヒルデガルドを除いて
ヒルデガルドの顔を見ると、顔が青く、目を見開いて驚くようにして俯いていた。
「ど、どうした…ヒルデガルド…?」
隣に立っていたアウレリオ准将が心配そうにヒルデガルドに問うた。
「……………し…て…………」
ヒルデガルドの声は小さすぎて聞こえない。
「…なに?どうした?」
再びアウレリオ准将が聞くと、ヒルデガルドは大きな声で叫んだ。
「今すぐ橋を渡るよう全軍に指示して!!逃げるの!まずいわ!!」
出会ってから1番の声量で叫ぶヒルデガルド
その様子は尋常ではない。
「どういうこと?その黒い軍に何か問題でもあるの?」
リタさんがヒルデガルドにその真意を聞く。
「大アリよ!それは『黒備え』!十傑第1位のロロ・ホウセン率いる帝国最強の騎馬隊よ!」
「「「「!?」」」」
ヒルデガルドの説明にこの場にいた全員の顔が驚愕に染まる。
「1000でも万の軍勢を打ち破る軍よ!とにかく!動いて!作戦は後!」
ヒルデガルドが強く促すので、リタさんはそれに呼応するように指示を出した。
「ジーノ大尉、今すぐ前軍と非戦闘員達をまとめて進軍を開始して。後で追いつくわ、行けるところまで行ってちょうだい。」
「は、はっ!」
ジーナ大尉は返事をしてすぐ兵士と非戦闘員達に指示を大声で飛ばした。
「リタも逃げるんだ!ロロ・ホウセンまで出してくるなどリタの首を狙う気だ!すぐに出立の準備を」
アウレリオ准将も声を大きくしてリタさんに撤退を促す。
「わかってるわ!でも…」
しかしリタさんは踏ん切りがつかないでいる。
その理由は優しいリタさんならではのものだろう。
今全軍で撤退しても、向こうが騎馬隊ならすぐに追いつかれる。
だからここで足止めする部隊が必要だ。
帝国最強の騎馬隊相手に。
そうなると普通は生存が絶望的だろう。
だからリタさんはここで誰かに死ねと命じなければならない。
それができずにいる。
まぁ仕方ないよね…
僕は俯くリタさんを無視して、指示を出す。
「アウレリオ准将、皇軍を指揮して、リータ殿下をお連れして撤退してください。ダニエル中尉、後軍の指揮権を渡すよ。リータ殿下を護衛し、必ずやノースガルドまで護衛せよ」
「……!シリュウ准将…すまない!!」
「あっ!ちょっと!シリュウちゃん!!」
アウレリオ准将はリタさんを抱えて、撤退する軍の方向へ走り出した。
「はっ!シリュウ准将も…必ずや無事で…!」
ダニエル中尉は僕の覚悟が、わかったのか、すぐさま兵士達をまとめるために離脱した。
ここに残されたのは僕とビーチェとヒルデガルドだけだ。
「…あなた…正気…?」
ヒルデガルドが僕を見つめて言う。
「本気も本気さ、ヒルデガルドもリタさん達とビーチェをよろしくね」
槍を携えて僕は槍を振るう仕草をした。
「シ、シリュウも逃げよう!さ、山道で戦えば数の利もなかろう!それにこちらの兵士もいるではないか!」
ビーチェが僕にしがみついてそう説くが、僕はそれが意味がないことを感じていた。
「…無駄よ…普通の兵士がホウセンの前に立てば…ただ死体が増えるだけ…こいつはそれがわかっているのよ」
「その通り、僕が橋で1人で防衛するのが1番生存者が多く残る策だ」
「そ、そんな!」
ビーチェが絶望的な顔になる。
僕はそんなビーチェの頭を抱き寄せできる限り優しく言う。
「大丈夫さ。死ぬつもりはないよ。僕に策があって、それは1人じゃないと上手くいかないと思う。ビーチェにはリタさんの側について護衛をして欲しい。あとアウレリオ准将の補佐と非戦闘員達の進軍の補助だ。とても大変な役割だけど、君にしかお願いできない。できるね?」
「…うぅ…うぅ…!…シリュウ准将の…命…必ずや…果たして見せましょう…!」
「いい子だ。ありがとう。絶対に帰るからノースガルドで待っていてね」
「……はい…!」
そう涙ながらに返事をしたビーチェはすでに進軍を開始している軍に追いつくため、駆け足で橋の方へ向かっていった。
ヒルデガルドもビーチェを追うようにして駆けていった。
ここに残っているのは僕だけ
斥候の兵士の報せの通りなら、小一時間もすればその騎馬隊はここに到着する。
それまでに仕込みを完了させないとね。
ラインハルト公には後で謝っておこうか。
いざとなればカール皇帝に泣きつこうかな、孫権限で
僕はそんなことを思いながら、ゆっくりと橋の方へ歩き出した。
さぁ、始めよう。
シリュウ・ドラゴスピアの大立ち回りを




