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病める月たちよ、踊れ

作者: 佐和ネクロ

「ミスト」というアプリがある。

 男女の出会いを目的とした、いわゆるマッチングアプリだ。

 一見どんなアプリなのか判らないホラー映画染みた抽象的なネットCMと、各種のSNSでの口コミ情報により半ばネットミームと化し、会員数がうなぎ登りに増えていると大手ニュースサイトでも特集された。

 だが、その実、ミストを利用して成立したカップルの話は全くと言って良いほどネット上に転がってはおらず、利用者の「ミストを使ってみた感想」もほぼ検索には引っ掛からない。

 曰く、CMが怖い。ミストに居る異性って謎。噂で聞いたけど匿名同士でギャンブル性が強いらしいよ。そんな口コミだけが一人歩きしており、表出しているのはネタにされている怖いCMだとか、会員数の増加率だとか、上っ面をなぞった情報だけだ。

 ――だが。

 そんなアプリを、夜天の月のように灯りとする男女も居た。

 とおるもそうだった。融にとってはミストは他人と繋がれる最後の綱だった。

 生来の特性で空気を読む事ができず、じっと落ち着いてもいられない融に取って、馴染めないSNSや面白くもない掲示板よりも、ミストは中毒性が高かった。匿名同士の、霧の中から手を伸ばし掴み合うイメージと説明にあったUIはすぐに理解できたし、何よりも、匿名同士なのに何故か空気が優しく、それでいて気兼ねなく気に入る相手と出会うまでマッチと解除を繰り返せる。さらには、小さな広告だけで運営費を賄っているのか、無料だった。

 ――こんな素晴らしいアプリの内容が。

 何故、ネットで語られないのだろう。

 当然と言えば当然な疑問を抱いた事もあった。

 だが、そんな疑問は次から次への新しい出会いとコミュニケーションによってすぐにかき消されていた。

 ――そして。

 融は、「ちはや」というハンドルネームの女性と邂逅した。

 仕事が終わって毎夜メッセージを交換し、時には仕事中にも関わらずスマホからメッセージを送っていた。融は、ちはやに夢中になっていた。

 自分と同じ特性を持ち、生き辛さを抱えている者同士として。

 芸術的なものや海外のマイナーな音楽を愛する者同士として。

 メッセージは、日付を跨ぐごとに情熱的になっていった。

 融の頭の中には最早ちはや以外の女性は無く、融の日常はミスト無くしては成り立たないものと化していった。

 融は、まだ顔も本名も知らないちはやの事を考えながら――自分を慰め続けた。快楽に耽るたび、ちはやのその肉が、暖かさが、匂いが欲しくなって行く。

 ――少し。

 頭が、おかしくなりそうだ。

 日に日に逢った事もないちはやを愛するようになっていた。

 そして、融は勤めていた食品会社を辞めた。普通とはされない特性がある自分をパートとは言え拾ってくれた会社だが、一日中ミストを開き、ちはやからのメッセージを待ち続ける方を優先したかった。

 無趣味ゆえの貯金と、普段からの質素な暮らしから当分生活には困らないと融は当たりをつけていた。

 ――それよりも。

 ――自分よりも。

 ちはやだ。

 ちはやには仕事を辞めた事を伝えてはいない。そもそも、プライベートの話はあまりせず、趣味や――性の話に融は没頭していた。

 ちはやは、恐らく――。

 ――男性経験がある。

 これまでのメッセージから、融はそう推測していた。その事実に涙が滲んだ事もあるが、それ以上に抗いがたい欲望の波に飲まれ――男性の自身を咥えるちはやを想像しながら、融は何度も自分の秘所をまさぐった。

 終わりのない暗夜行路。融はちはやという月を頼りにふらふらと歩いていた。

 融がミスト中毒の半ば廃人と化してどれだけ経っただろうか。

 ある日、いつも昼前には起きてくるちはやからのメッセージが無かった。

 とっくに起きて――いや、寝ずに覚醒したままスマホを握りしめていた融の拍動数は跳ね上がっていた。

 何度もお気に入り登録してあるちはやのアカウントに足跡を残したが、反応はない。ミストではログイン時間は表示されず、ちはやがログインしているのかも知る手立ては無い。

 スマホの画面、ちはやのギターの写真アイコンをタップする。

 ブラウザバックする。

 タップする。

 戻る。

 数時間、この単調なムーヴを繰り返していた。昼が過ぎ、やがて陽が落ちた。

 ちはやからのメッセージは無い。

 ちはやのアカウントは残っているので退会した訳でもない。

 ――ちはや。

 ――ちはや。

 私の――。

 ――ちはや。

 私にはもうちはやしか居ないし、本当に愛しているのに。

 融はかなり痩せてきた自分の胸に手を当てた。心臓がどくどくと脈打っている。

 ――ちはや。

 世間一般が言う「普通」の人間として生きられない者同士、あんなに毎日熱いメッセージを交換していたのに。

 ――私は。

 こらから、どうすればいいの?

 ――ちはや。

 ――ねえ、ちはや。

 いつの間にか頬を伝っている涙がやたら熱い。二十数年生きてきて、こんなに涙が熱かったのは初めてだった。

 ――ちはやを。

 見つけたい。

 どうしても。

 ――夜空からなら、ちはや、探せるかな。

 あの空に行くにはミストをインストールしたスマホだけ持っていけばいい。

 あの夜空。

 あの月。

 ――ちはや。

 そしてこの夜、また一人、ミストの正会員が生まれた。 

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