家へ帰る
私は父のことが嫌いだった。恥ずかしくて人前に出せなかったし。
父と家にいて父が汚したトイレを掃除する日々。父が汚した下着をそのままにしておけなくて、洗濯した日々。
ずっと思い出したくなかったけれど、一緒に暮らしていた最後の方は父は排泄もまともに出来ていなかった。高校生の思春期の私には耐え難かった。でも私は母に褒められたくて、母の為に最低限の父の世話をしていたように思う。
そういった日々の積み重ねがやがて母への恨みへと変わっていったのかも知れない。
母は厳しい人だった。世間体を気にする人だったので、父のことは絶対に秘密だった。
私たちの中に少しでも父に似た部分を見つけると、母は執拗にその部分を攻撃してきた。不安に駆られてのことだろうと今となっては思うが、お陰で私は自己肯定感の低い子供に育ってしまった。
母が嫌っている父。その父に似ている私。母はそんな私を嫌っているのだと子供心に思った。
私は母を喜ばせたくて我慢する癖が身についてしまった。いい子でいようと姉へのライバル心も働いたお陰で、本当に我慢強い子になってしまった。
その結果、母が亡くなって数年経つ今も時々母への怒りが込み上げてくることがある。
「亡くなった人のことを悪く言ってはいけない。」
巷ではよくそう言うけどれど、生きている人の思いはどうなるのだろう。我慢して閉じ込めた思いが行き場を失って心の奥で叫んでいるのだ。行き場のない怒りが自分を攻撃する。
だからこそ思う。人がなんと言おうが、構うものか。私は母のことを怒っているのだ。もっと甘えさせて欲しかった。ダメな私を好きになって欲しかった。父にも私たちにも優しくして欲しかった。
母が抱えていたものを思うとそれが無理だったことがわかってはいても、それでも私は優しい母でいて欲しかった。
そして同時に、父の問題は母と父との2人の人生の課題であったようにも思う。私たち子供に何が出来ただろう。
何かもっとしてあげられたんじゃないだろうか。
後からそうやって後悔する事は誰でも出来る。でもやっぱり、当時はあのようにしか生きれなかった。それが全ての答えなのだ。きっと。
街をぐるっと一巡りした頃にはもう夕暮れが迫っていた。
懐かしくも温かい気持ちになる。
ずっと苦しくて怖くて心に蓋をしてきたけれど、本当は楽しい思い出もたくさんあって、子供の頃の無邪気な感情を思い出した。
今日ここに来て良かったなと思える自分がいた。
共に過ごしたあの日々は決して嫌なことばかりではなかった。楽しいことも所々に散りばめられていて、憎んでいた父も恨んでいた母も、全てではないけど、仕方がなかったと許せる自分がいる。
心の氷が溶けて、小さい頃よく見たあの春の日の雪解け水のようにサラサラと流れていく。
昔の記憶を宿した街は、私をそんな心地にさせてくれた。
子供の頃友達と遊び駆け回っていると、このぐらいの時間になると豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてきて、私はおばちゃん家に駆け込んでお願いする。
「おばちゃん豆腐いる?」
私はボウルかタッパを持って行き豆腐を買うのだ。
豆腐屋さんは10円ガムをくれておまけにラッパを吹かせてくれる。そうこうしているうちに母がお迎えにやってくるのだ。
「トゥルル…。」
携帯が鳴った。
我に帰る。
携帯を見ると娘からの着信だった。
「はい。」
「今どこ?」
携帯の向こうから聞こえる娘の声。
「お腹空いたー。」
はいはい。現実に戻ってきた。
「今から帰るから待っててね。」
「うん。早く帰ってきて。」
「はいよ。」
私はそう言って携帯を切る。
「さてと。」
私は気合いを入れて駐車場へと向かった。
私は家へ帰る。
ありがとうございました。