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BEST LIFE!  作者: 市川甲斐
1 小杉太一の話
6/47

(4)

 病院を出ると、快は腕時計を見てから私に尋ねてきた。


「ご飯食べました?」


「まだですけど」


「じゃあ、どこかに食べに行きましょうか」


 昼を過ぎてお腹は空いていたが、求職中の身としては手元のお金が気になってしまう。そこで、「奢っていただけるなら」と丁寧に返すと、彼は笑顔を返したので、喜んでついて行った。


 私は快の商用車のような白いバンの助手席に乗り込んだ。車内は殺風景なほどに何もなく綺麗にされているが、かなり型落ちしてエンジンも古いのか、ゆっくりと加速していく。車はしばらく走ってから、ファミレスの駐車場に入った。昼のピークの時間帯は過ぎていたので、店内はかなり空いていて、私たちは窓際の席に向かって座った。


 快は日替わりのランチセットを注文し、私も迷った挙句、同じものを注文する。


「こういうのが僕達の仕事なんです」


 注文を終えて、ドリンクバーから飲み物を選んで席に戻ってから、快が口を開いた。


「あなたには、今日のあの人の話を整理して文字にしてほしいのです。それも少しでも早く」


「文字に……?」


 尋ねる私を快は正面から見て頷く。


「何か分からないことがありますか」


「分からないことだらけです」


 私は即座に答えた。


「あの人はどういう人なんですか? それに、何の話をしていたんですか? これは単にあの人の話を聞いてあげるという仕事なんですか? 彼の言葉をICレコーダーに録音していたのに、それをどうしてわざわざ文字に起こさないといけないんですか? しかもこれって無料なんですよね?」


 流れるように続けざまに尋ねると、快は唖然とした様子で私の方を見つめた。


「そ、そんなに一度に言われても、答えられないです」


「分かりました……。じゃあ、まずは、あの人は一体どういう人なのか教えてください」


 すると快は頷いて、ポケットからスマホを取り出した。そして、手元で画面をスライドさせていたが、そのスマホをテーブルに置いた。そこには「大丸物産」という会社のホームページが見え、彼はそこから会社概要の画面を開く。そして、そこに記載された役員名簿の中にある「小杉太一」という名前を示し、「あの人はこの大きな商社の役員です」と快は言った。


「でも、あそこは末期ガンの病棟なんです。つまり、あの人はもう近いうちに亡くなると思います」


 私は息を呑んだ。確かに病状は良くなさそうではあったが、あそこまで話ができる人がそう近いうちに亡くなるとは思えない。


「そんな……何を言って……」


「今日は特別なんです。流石に要領よく話してくれましたが、おそらくあの人に残された時間は少ないと思います。だから、少しでも早く、もう一度文字にして、お伝えする必要があります」


 快は真面目な顔をしたまま、落ち着いた声で言った。


「一体、何のために……?」


「死に瀕しているあの人の心を……気持ちを整理してあげるためです」


 ちょうどランチが運ばれてきたので、彼はそこで話をやめた。心。気持ち。ますます分からなくなってきた。店員がいなくなると、再び快は話し始めた。


「文字には力があります。ICレコーダーのような機械の音では駄目です。人間が話した言葉を僕達が文字にして伝えることで、その内容を、その情景を、本当の意味で伝えることができるんです」


「それを伝えることに、何の意味が……?」


「あの人の後悔を、無くすためです」


 思わず「後悔?」と口に出した。快はコップに入れたジンジャーエールを一口飲んでから続ける。


「あの人が話したのは、一種の思い出話だと思ってください。ただ、普通の思い出とは違って、誰かに話すまでははっきりと覚えているのですが、話してしまうとすぐに忘れてしまうのです。だから今あの人は、今日、僕達に何か大切な事を話したのだが、それを思い出せない。このままだと、そういう後悔を持った状態のまま、彼はその命を失うことになります」


「そ、そんな……」


 命を失う、という言葉を聞いて、思わずゾクッと鳥肌が立つ気がした。快は真面目な顔のまま、再びジンジャーエールをごくっと飲む。


「ごめんなさい。非科学的な話に聞こえるかもしれませんので、気を悪くしたら謝ります。ただ、これだけは確かです。小杉さんはあの話を僕達に話してくれたことで、満足だと言っていましたよね。その内容を忘れてしまったとしても、きっと前よりも気持ちが楽になったんです。それに、思わぬ来客もありました」


「来客? ……って、部屋を出るときに会った人達ですか? でも、あの人の親族っていう感じじゃなさそうでしたけど」


「ええ。そう……ですね」


 快はそう言ってジンジャーエールの入ったコップを見つめた。言葉の途中で、やや不自然に間が空いたので、私は不思議に思って彼の次の言葉を待ったが、快は改めて頭を下げただけだった。


「とにかく、大戸さんには、この話を文字で起こす作業を大急ぎでお願いします。できれば明日くらいまでに」


「お願いって……まあパソコン作業は得意ですけど……」


 彼の視線を避けるように私が外を見ると、快は「あっ」と言って、


「言い忘れていました。前にも言ったとおり、しっかり報酬は出します。ところで、今の家賃はどれくらいですか」


「えっと……7万くらい、かな」


「じゃあ、とりあえずひと月の家賃分込みで10万円お渡しします」


 ハア、と思わず声を上げる私の前で、彼はリュックサックから使い古された財布を出すと、「じゃあ前金」と一万円札を10枚、無造作にテーブルの上に置いた。


「え……でもこの仕事、無料なんでしょう?」


「ああ、それは、一応そうなんですけど、後日いろいろと送ってきたりすることもあるんです。最初に断って、それでも送って来るものは、ありがたく頂いています。それに、ウチはあんな場所にあっても意外と由緒ある神社なので、何かと寄付とか神事とかで本業の収入が結構あるんです。ご心配なく」


 そう言って笑う快を見て、思わず唖然としてしまったが、ありがたく目の前の現金10万円は頂いた。




 その日の夜に、ICレコーダーを再生しながら、急いで今日の話を整理した。話の中の登場人物や内容がよくわからないところもあったが、できるだけ細かく忠実に文字にした。快が言うには、「基本、本人の言葉に忠実で、大体が整理されていれば、相手には通じます」ということらしい。


 その日のうちに整理はできたので、夜中であったが快にメールした。もちろん返信は期待していない。


 話を整理する過程で、小杉のことを少しネットで調べてみると、彼が新聞の取材を受けた時の記事に行きついた。それによると、小杉の父は、もともと「小杉工業」と言う会社を経営していて、小杉も高卒でその会社に入って父とともに働いていた。ところが、小杉工業の経営が厳しくなり、折しもその父が病気で急死してしまうと、小杉は24歳で社長にならざるを得なくなった。その時に、小杉工業のある希少性のある部品に目を付け、会社ごと買収を図ったのが大丸物産だった。まだ若い小杉は大丸物産の買収に応じ、大丸物産の社員となったが、なぜかトントン拍子に出世し、常務まで上り詰めた。一方、買収されて以降の小杉工業の話はよく分からない。


(小杉さんのあの話は、何なんだろう?)


 快はそれを思い出話のようなものだと言っていたが、何となくその話が気になっていた。私は自分の作成したメモを改めて見直してみる。その話の中では、小杉がその小杉工業という町工場の社長をしているようだった。それも、彼の話に出てきた子供が社会人だということからすると、かなり前というより、ごく最近の話のような気がした。しかし、元々は小杉の会社だったとしても、年商1千億円を超えるような大きな商社の常務になったような人物が、町工場のような場所に住み込んで直接指揮を取る姿にはかなり違和感がある。死期を前にして、やや記憶も曖昧になった中での思い出話だったのだろうか。それに、なぜ小杉はこのような話をして、気持ちが楽になったと言ったのだろう。見直せば見直すほど、分からないことだらけだ。


(まあ、もうお金も貰ってるし、どうでもいいか)


 私は財布を開いて、快から貰ったお金を確認する。それにしても、まだ会って2回目の私に、ポンと10万円を渡してくれた快の感覚も分からない。私がお金だけ貰って仕事をしなかったらどうするつもりなのだろうか。しかし、既にその仕事は納品したのだから、もうそれ以上考える必要はないだろう。私は自分でそう納得して、ベッドに横になった。


 次の日になり、かなり日が高くなってから目を覚ますと、快からメールが届いていた。内容了解という簡単なもので、振込先口座を教えてほしいと書いてあった。既に10万円はもらっているので、期待はしていなかったが、口座を教えるだけで損するわけでもないので、返信しておいた。

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