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BEST LIFE!  作者: 市川甲斐
4 大戸美里の話
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エピローグ

 私は気づくと病院のベッドの上にいた。その隣には快がいて、意識のない私を見つけ、病院まで運んでくれたと話してくれた。それからしばらく病院に入院して色々な検査をしたが、睡眠薬を飲んだことで体は衰弱してはいたが、致命的な状況ではなく、2週間ほどで退院した。それから、静養と称して快の自宅に転がり込み、1か月ほどそこで同居人として暮らしていたが、どちらからと言う感じでもなく、そのまま自然に、事実上の結婚生活に入ることになった。


 同居する快のお婆さんに初めて挨拶した時、「久しぶりじゃな。……いや、待ちくたびれたわい」と不思議な事を言われた。確かに、大学生時代に、快の家に泊まらせてもらった時に彼女に会ったような気がするが、「待っていた」というのはどういう意味なのだろうか。単なるお婆さんの勘違いかもしれないと思った。しかし、彼女は当初から「美里ちゃん」と気軽に呼んでくれ、彼女の笑顔を見ていると、気持ちも安らいでいくような感じがして、すぐにこちらの生活にも慣れた。それに私は、大量の睡眠薬の後遺症で、たまに眩暈が来る時もあったが、それを見越したように不思議とお婆さんに助けられたことも多々あった。


 私の両親には、事実上の結婚生活に入ってしばらくしてから、快とのことを伝えた。久々に母親に連絡を取って快と二人で実家に挨拶に行った時は、「そんな田舎の神社の神職と結婚するなんて」と絶対に反対されるとドキドキしていたが、両親の反応は意外に悪くはなかった。というのも、後に分かったことだったが、この神社にはかなりの由緒があったらしい。この地域だけではなく、全国的にも有名な神社であり、あの気軽な感じの快のお婆さんも、実は宮司としては最高位に位置するような業界でも相当に偉い人物だという。実際に、その後、両親が初めてこの神社に来た時も、大手銀行の役員として完全な仕事人間であったあの厳格な父が、お婆さんだけではなく、まだ若い快にも深々と頭を下げて「娘をよろしく」と言っていた姿が印象に残った。


 それにしても、快は神社の仕事は真面目にしているが、それ以外の私生活はだらしないところが多かった。よくモノをなくすし、髪や私服にも気を遣わないので、そのたびに私はイライラすることもあった。ただ、そういう時は、お義母さんの遺影を見ることにしていた。快の母である涼子は、お義父さんと同じく、快が幼い頃に起きた火事で亡くなったということだったが、不思議な程ニコニコした顔で写っているのだ。不思議なことに、その遺影を見ると、昔お世話になった人のような懐かしさが込み上げてきて、写すぐに心を落ち着かせることができた。


 そんな生活が続いているうちに、私は自然に妊娠し、女の子が産まれた。お婆さんは一番喜んで、「涼子が生きていたら」と時折涙を流していた。「未来」と名付けたその子は、よく食べ、良く寝て、すくすくと育っていった。保育園に入ってからは、誰に似たのか、強い女の子というイメージも定着しつつあった。


 そして、その年もまた、春の季節がやってきた。


「行くわよー」


 私は家の中に声をかけてから、車の後部のハッチバックのドアを開けて荷物を積んだ。お弁当は、快の好きなサンドイッチとから揚げを作ってきたほか、この前みんなで取りにいったフキや筍の煮物を入れてきた。その日はうららかな春の日差しが心地よく感じられる日で、花見にはうってつけの日だった。少しだけ風は吹いているが、ちょうど心地よい気温に感じる。私は薄いブルーのワンピースを着たまま、大きく背伸びをした。


 私が車の傍で待っていると、ようやく、未来と快が走って家から出てきた。


「ごめんごめん。未来が急にトイレに行きたいって言って……」


「早くしてよね。一体何やってるのよ」


「はいはい。……さあ、未来乗って」


 快が車の後部座席のドアを開けて促すと、未来は自分でジュニアシートに乗った。今日の彼女は、薄い黄色のワンピースに、白いひだの付いた帽子を被っている。いずれも彼女のお気に入りだ。


「自分でやる」


 私がシートベルトを付けようとすると、未来は嫌がって自分でつけようとする。もう4歳になり、自分で何でもやりたがるので、かなり扱いが難しい。私がやった方が早いとは思いながら、無理にやると機嫌を損ねるので、ただ見守るしかなかった。その間に、快が運転席に乗り込む。


 時間がかかると思った私も、車の反対側に回って、後部座席のドアを開けて車に乗り、シートベルトを付ける。隣では未来がまだシートベルトと格闘中だった。私はため息をついて、まだしばらく出られないなと思いながら、窓を開けて外の景色を見ていた。


 鳥のさえずる声が聞こえてくる。ここに来てもう5年以上経っていたが、この場所は大好きだ。それは、四季の移り変わりがしっかりと感じられることにある。この時期、時折聞こえるウグイスの鳴き声も、少し前よりは次第に上手になってきているように思う。都会で育った私にとって、この自然の中での生活は、不便な面はあっても、心にも体にもずっと優しく感じられる。


 その時、自分のお腹の中でふと何かの感覚があった。


「あ……今、動いた」


「え、本当?」


 快が運転席から振り返った。うん、と頷いて快に答える。もう妊娠8か月を超えていた。産婦人科はこの神社からはかなり離れているが、快に送迎されて昨日も検診を受けたばかりだ。敢えて性別は聞いていないが、元気に動き回っているのを感じて安心する。お婆さんも喜んでいて、「今度は男の子かな。まあどっちでもいいが、まだまだワシも長生きせんとなあ」と元気だ。


 私は、リュックからヘアゴムを出して、自分の髪を後ろで縛り始めた。未来は暑がりで、髪を伸ばすのも好きではないらしいが、私はこの神社に来てからは、常に髪を肩よりは長く伸ばしている。ただ、高冷地とはいえ、これからの夏場の暑い時期は修羅場だ。しかも、予定では、産後の一番忙しい育児時期が夏にあたる。


(さすがに少し髪を切ろうかな)


 そう思ったが、バックミラーで未来がシートベルトを付ける様子をハラハラと気にしている快の姿を見ると、少し苦笑して、やはり思い直す。


 その時、ちょうど、開けていた窓から心地よい風が入ってきた。温かな、柔らかい感触の風だ。その風を受け、髪を縛りながら、想う。


 私と、快と、未来と、そしてこのお腹の子。もちろんお婆さんも。私は自分のお腹を優しく撫でながら、私達の世界を、これからの未来を想う。


 私は、この世界で生きていく。大切な人と、大切な家族とともに。私を取り巻く友人たちとともに。そして、これから出会う、まだ見ぬたくさんの人達とともに。


「できたあ!」


 隣でようやく未来が叫んだ。


「よし、行こうか」


 快がハンドルを握る。車は優しい日差しを浴びながら、動き始めた。

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