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「今日はありがとね、リンくん」


 マリちゃんは心からの感謝を微笑みに乗せた。


「やっぱり男の子は凄いね。あっという間に終わっちゃったよ」


「別に大したことないよ、あのくらい」


「大したことあるよ。わたしだったら一日かけても終わらない自信あるもん」


「マリちゃんは大げさだな」


 尊敬を瞳に浮かべたマリちゃんを見ると、こちらが嬉しくなってしまう。


 今日は杉宮家にお邪魔していた。遊びにきたわけではない。ノートパソコンひとつ所持していなかったマリちゃんがこの度、デスクトップパソコンを導入したのだ。設置から環境構築の手伝いに来ていた。


 マリちゃんは両腕で小さなガッツポーズをした。


「これからはあのマシンで、リンくんのために一杯絵を描くね」


「ありがとう。マリちゃんにはいつも、ほんと助けられてるよ」


 リンくんのために、という台詞の面映ゆさについ口端が上がってしまった。


 マリちゃんは昔から絵を描くのが好きだったようだ。少なくとも僕らが出会った頃には、既にタブレットでデジタルイラストを描いていた。そうやって培ってきた腕を、僕のゲーム配信のために使ってくれているのだ。


 神は細部に宿る。配信を飾る小道具の力は侮れない。そろそろ登録者数一万人に達そうとしているが、マリちゃんの力添えがあってここまで伸びたのだ。


 そんなマリちゃんもそろそろ、タブレットで満足できなくなってきたらしい。本格的にデジタルイラストを描くため、今回の環境を導入したというわけだ。


「はい、おつかれさまー」


 ニコニコ顔のユリちゃんが、トレイを手にしながら現れた。ダイニングテーブルで向かいあう弟妹に、コーヒーとモンブランを配膳してくれる。


「リンくんったら凄いよね。マリの部屋をあっという間に、宇宙船のコクピットみたいにしちゃって」


 独特の感性を口にしながら、ユリちゃんは妹の隣に座った。自分の分で用意したのは、どうやらコーヒーだけのようだ。


「これで今日からマリも、リンくんみたいなことするんだねー」


「違う違う、お姉ちゃん。わたしは配信とかしないから」


「あれ、そうなの?」


 手を振って否定するマリちゃんに、ユリちゃんは不思議そうに首を傾げる。


 僕はそんなふたりの会話に口を挟む。


「あれは本格的に絵を描くために揃えた環境だよ」


「あ、そうだったんだ。てっきりリンくんと同じことやりたいから、呼んだのかと思っちゃった」


「無理無理無理無理。わたし、リンくんみたいなことできないから」


 両手とかぶりをマリちゃんは振った。


 目立つのが本当に苦手なのだろう。それでもマリちゃんに配信というワードを結びつけ、思いついたことがあった。


「でも、お絵かき配信とかならありなんじゃない? 雑談として完全に割り切ってさ」


「もうリンくんまで……」


 マリちゃんは眉尻を下げた。


 僕は更に思いついて、ポンと手を叩いた。


「それこそほら、セルフ受肉してさ」


「リンくんはわたしをどうしたいのさ」


「イラストレーターになる夢を応援したいだけだよ」


「わたしが受肉するくらいなら、リンくんにしてもらいたいよ」


「うーん……折角順調に伸びてるから、変に方針変えるのもな。一発ネタならいいけど、手間とコストがかかりすぎる」


「一発ネタでも受肉してくれるなら、わたし頑張るよ。Live2Dも覚えるからさ。あ、それこそバ美肉しようよ」


「いやー、一発ネタのために流石にそれは……」


 ノリノリのマリちゃんだが、こちらとしては申し訳なさすぎる。ただでさえ好意に甘えさせてもらっているとはいえ、一発ネタのために大掛かりなやりがい搾取はしたくない。


 ふとユリちゃんが、視界の端で手を上げていた。


「あのー、ちょっといい?」


「なに、ユリちゃん?」


「ふたりが口にしてる、受肉ってどういうこと?」


 異国の会話を聞かされたように、ユリちゃんは不思議な顔をしている。


 たしかに今の会話は、一般女子大生にとって専門過ぎたかもしれない。もっといえばオタクの会話であった。


「Vチューバーになるってことだよ。……あれ、わかるかなこれで?」


「あ、うん。わかるわかる」


 口にしてから不安そうにすると、ユリちゃんはポンと手を叩いた。


「アヤが今なろうとしているものだよね」


「ユリちゃんにまで言ってたのかよ……」


 呆れて肩を落としていると、マリちゃんが驚いたように手を口に当てた。


「え、アヤちゃんVチューバーになるの!?」


「ならないならない。赤スパに塗れたVチューバーを見て、これで食べていきたいと思っただけの世迷い言だよ」


「あー、なるほどー」


 納得したようにマリちゃんは何度も頷いた。


「アヤちゃんは基本、浅はかだからさ」


「でもアヤちゃんなら、なんか上手くいきそうな気がするけどなー」


「マリちゃん……本人を前にして、そうやっておだてるのだけは止めてよ。絶対調子に乗るから」


「けどほら、アヤちゃん売れっ子のモデルさんだから」


「おばさんにおんぶに抱っこのね」


 口にしたモンブランをコーヒーで流すと、頬杖をついた。


「今のアヤちゃんはさ、凄い恵まれた環境なんだよ。綺麗になる努力はしてるだろうけど、自分を売り出す努力はまったくしてない。そんな環境であぐらをかくのに慣れきったアヤちゃんが、一番の取り柄を隠してVチューバーで食っていく? 無理に決まってるよ」


 この界隈はただ配信さえしていればいいわけではない。配信外での発信も重要である。広大な砂漠の中から、一人でも多くの人に一粒(じぶん)を見つけてもらう。その大事さは嫌というほど身にしみている。


 売れっ子モデルのアヤちゃん。そのSNSの使い道は、アカウントに鍵をかけて今日はなになにを食べただけだ。SNSでも精力的に活動していれば、インフルエンサーになれたかもしれないのに。


 配信しているだけで人が来ると思っているアヤちゃんに、Vチューバーなんて無理に決まってる。


「しかもどんなキャラでやっていこうとしたと思う? 高二のときに書いたクソ小説のキャラだよ」


「あー、あれねー」


 マリちゃんは思い出したように天井を見た。あの恥知らずは、どうやらマリちゃんにも教えていたようだ。


「でもアヤちゃんは、今のキャラのままのほうが人気出るんじゃないかな?」


「今のキャラって?」


「リンくんのお姉ちゃんとしてのキャラ」


「一人称がお姉ちゃんって?」


「そうそう。アヤちゃんの弟になりたい人続出だよ、絶対」


 自ら口にしたアイディアに、マリちゃんは目を輝かした。


「Vチューバー、若神子綾音。愛称はお姉ちゃん。ファンネームは弟たち。どうかな?」


「絶対アヤちゃんに提案するの止めてよ」


 悪戯っぽい笑みを向けられても、こちらは苦い顔しか見せられない。


 ふと、マリちゃんの笑みは消えると、


「あれ、そういえばリンくんって、最初からアヤちゃんって呼んでたっけ?」


 不思議そうに首を傾げた。


「前はお姉ちゃんって呼んでたような気がするんだけど」


「あー、そうそう。昔はお姉ちゃんって呼んでくれてたのにって、アヤ、寂しがってたよ」


 ユリちゃんもまた思い出したように、両手を合わせた。


 お姉ちゃん。


 たしかにかつて、僕はアヤちゃんをそう呼んでいた。それこそ幼いときだけではない。取り違え子であると知ってからも、しばらく呼び続けていた。


「なんでアヤのこと、お姉ちゃんって呼んであげないの?」


「よりにもよって、ユリちゃんがそれを聞くのか……」


「え?」


「あれはまさに自業自得。アヤちゃんも悪かったけど、ユリちゃんも同じくらい悪かったからね」


「えー……」


 思い至るフシがないのか、ユリちゃんは狼狽えている。



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