08
この状況になってようやく、アヤちゃんは部屋着に着替えるのを受け入れた。
マナティのプリントティーシャツにハーフパンツ。その上にカーディガンを羽織って戻ってきたアヤちゃんは、二本目の缶ビールを手にしながら、ローテーブル前に腰を下ろした。
「で、なんだよ話って」
ソファーからアヤちゃんを見下ろしながら聞いた。
「この前話した、お姉ちゃんの将来について覚えてる?」
「ああ、あの世迷い言ね」
うんざりしながら肩をすくめた。
「なに、まだ諦めてないの?」
「リンに言われた後ね、改めてVチューバーのことを調べて反省したんだ。みんな頑張ってやってることを、お姉ちゃん軽く見てたんだって」
「わかったならいい」
アヤちゃんの殊勝な態度に、つい面食らってしまった。
なんの心境の変化があったのか。悔い改めるなんて、アヤちゃんらしかぬ心がけだ。
でも、アヤちゃんだってバカではない。むしろ頭はいいほうである。人気Vチューバーになる絶対的な方法なんて、いくら調べても見つかることはない。でもそれを調べる内に、Vチューバーで食べていく難しさはわかったのだろう。
Vチューバーを軽く見ていた。界隈のファンから見たらブチギレ案件かもしれないが、軽い気持ちでなにかを始めてみたい、という思い自体はあってはならないものではないはずだ。
メジャーリーグで活躍する野球選手を見て、野球を始めてみた。手軽に投稿できる小説サイトから大ヒット作が出て、小説を書いてみた。大好きなゲーム配信を見て、ゲーム配信を始めてみた。
アヤちゃんがVチューバーで食べていこうと思うと言い出した動機は、それらと根っこは変わらない。
ただ今回ばかりは、始めるハードルが高すぎる。始めてからはもっと大変だ。
始まる前から自分で調べてわかっただけでも、アヤちゃんにしては上出来――
「どんなキャラクターで売り出していくかも決めずに、なにがVチューバーで食べていこうと思う、だよね。だからちゃんとね、今回は考えてきたんだ」
「本当に反省してんのか?」
Vチューバーになることを諦めていなかったアヤちゃんに、眉間に深いシワが刻まれた。
「これ」
するとアヤちゃんは、自分のスマホを渡してきた。
受け取り画面を見ると、純正のメモ帳アプリが開かれていた。びっしりと文字で埋め尽くされている。
「お姉ちゃんね、TS設定のキャラでやっていこうと思ってるの。男とかいらない! 可愛い女の子こそが正義! って売り込めば、安心してファンになって赤スパ投げられるでしょ?」
「ほんと見積もり甘いなアヤちゃんは」
ここまでいったら才能である。もちろん、浅はかさのだ。
どんな浅はかな設定なのかと、アヤちゃんが書いた駄文に目を落とした。
・ヒィコ・ナーヴェ
大学三年生、渡辺彦之介はある日目が覚めると、六歳の幼女の身体になっていた。
調べていく内に、ここは中学二年生のときに出会い、今も大好きなゲーム、『昏き虚飾の黎明期』、通称クラトワの世界だと知った。
今の自分は、昏き乙女の実験体。本編では出てこないで無名のキャラクター。このまま実験体として使い潰されて死ぬはずだった存在だった。
彦之介はその豊富なゲームの知識を使って、昏き乙女の実験を成功させた。その手にした力を振るって、この組織を滅ぼした。
なによりも愛したクラトワの世界。
誰よりも愛した魂の嫁キャラ、ユリアがいる。
ただしユリアはクラトワではメインヒロインのライバル。どのルートでも必ず死を迎えるキャラクターである。
それを覆すため、渡辺彦之介改めヒィコ・ナーヴェとして、魂の嫁キャラの最高のハッピーエンドを目指すのだった。
最後まで読み終えると、頬が引きつっているのを自覚した。
ただ、酷いものを見せつけられたからではない。
同じ酷いでも、既視感を覚えたのだ。いや、思い出したのだ。
「アヤちゃんが前になろうで書いてた、小説のキャラじゃないか!」
「昔取った杵柄ってやつだね」
アヤちゃんは誇るように胸を張った。
一週間でエタった小説のネタを引っ張り出して、なぜこんな顔ができるのか。わけがわからなかった。
「よりにもよってランキングにも乗らなかった、クソ小説のネタを使い回すな!」
「リンったら酷い! お姉ちゃん、一生懸命考えて書いた小説なんだよ!」
「なにが一生懸命だ。異世界転生TS百合ものアニメを見て書いた、ただのテンプレ欲ばりセットじゃないか!」
よくもまあ、今になってこのネタを引っ張りだせたものだ。
まさに恥知らずの蛮行である。
そして恥の代わりに詰め込まれたなにかが、アヤちゃんの頬を膨らませていた。
「で、でも……! オリジナリティがあって面白いです、って感想書いてくれた人いたもん!」
「ああ、あれは僕が書いたやつだから」
「……え」
アヤちゃんの目から光が失われた。
当時の僕は中学二年生。厨二病に犯されるがまま、高二の姉が書いた小説が胸に刺さったのだ。マジで神作品だ! 我が家に最高の文豪が生まれた!
というわけではない。
「ブクマ1すらつかずに、可哀想だったからね」
「えーん、そんなこと聞きたくなかったー!」
二年越しに明かされた真実に、アヤちゃんはテーブルに突っ伏し泣き出した。
これで少しは恥というものを覚えてくれればいいのだが。
「わざわざ黒歴史を掘り起こすからこうなるんだ。これに懲りたらVチューバーになるのは諦めろ」
弱ったところにしっかりと釘を刺したのだ。
「Vチューバーを舐めんな!」