07
「くわぁー!」
ソファーで寝転びながらスマホを弄っていると、腹のそこから轟く歓喜が響いた。
スマホから視線をずらす。アヤちゃんがバスタオル一枚で腰に手を当てていた。空いた左手には銀色の缶。美味さに震えるように、白い歯をこぼしていた。
「こんなお姫様の姿を見れば、サークルの人たちも幻滅するだろうな」
風呂上がりにバスタオル一枚で、アヤちゃんはビールを流し込んでいるのだ。淑やかさもなければたおやかさもない。リビングのど真ん中で堂々とする様は、おやじくさいことこの上ない。
「ん、なーに? リンも飲む?」
僕の視線に気づいたアヤちゃんは、ニンマリしながら缶を揺らす。
「飲むわけないだろ」
「あー、そうだった。リンはまだ、飲んだら怒られるお子様だったもんね」
マウントを取るように、アヤちゃんは得意げな顔をする。
「怒られるのはアヤちゃんも一緒だろ」
後ろめたさもなく偉そうにするアヤちゃんに、投げやりに言った。
アヤちゃんは大学一年生の十九歳だ。まだ飲んではいけないお年頃なのに、鼻歌混じりにニヤっとした。
「お姉ちゃんはいいのー。大学生にもなると、色んなお付き合いがあるんだから。大学からは飲むな飲むなと言われてるけど、みーんな堂々と飲みニケーションしてるんだよ」
「うちの姉は不良のようだ」
「どうせリンだって、大学に入った途端しれっと飲むに決まってるんだから」
そう決めつけてくるアヤちゃんに、反論はしなかった。たしかにしれっと飲んでそうな自分の未来が、たやすく目に浮かんだからだ。
「はい、失礼」
アヤちゃんが僕の足を押して、自分の座るスペースを作った。
されるがまま膝を折りながら、渋い顔をアヤちゃんに向けた。
「バスタオルのまま座るな。ちゃんと着替えてからにしろ」
「長風呂した後は、拭いた先から汗が出るんだもん。下から濡れるのは気持ちわるいから、汗が引いたら着替えるの」
「いいからとっとと着替えろ」
「なにー、気になるの?」
ニマニマした横目を送りながら、アヤちゃんはビールに一口つけた。
「まあ、リンもお年頃だもんね。……エッチ」
「なにが悲しくて、アヤちゃんの裸に喜ばなきゃならないんだ」
そんなもの見せつけられたって、眉間のしわが深くなるだけだ。
アヤちゃんは飄々とした表情を浮かべる。
「喜ぶ人はいっぱいいるよー。なにせお姉ちゃんの裸は、一攫千金に値するからね。この前だって街で『君は百年、いいや千年に一度の逸材だ』って名刺渡されたんだから」
「どうせAVの勧誘だろ」
バカバカしいと鼻を鳴らしながら、スマホに目を戻した。
ビールで喉を鳴らす音だけが、リビングに響き渡る。
「ありゃ、美夜宮ミヤが炎上してる」
ツイッターで人気Vチューバーがトレンドに入っていたので、脳死で開いたら炎上記事が上がっていた。
『人気Vチューバー、人気ゲーム配信者とお家デートを誤配信』
「お家デートを誤配信って……どんだけ脇甘いんだよ美夜宮ミヤ」
なにをやったら誤配信するんだか。登録者数百万超えが聞いて呆れる。
美夜宮ミヤはVチューバー界のガチ恋営業の代名詞だ。ファンの怨嗟と絶望、そして憤怒は酷かった。阿鼻叫喚の地獄である。
この騒動はしばらく引きずるな、と思いながら怨嗟の声を眺めていると、
「ねー、リン」
大人しかったアヤちゃんが呼んできた。
スマホから目を逸らすと、ニマっとしたアヤちゃんと目があった。
「なんだよ」
「チラリ」
バスタオルの胸元に人差し指をかけ、引き下げるように深い谷間を覗かせた。ふたつの突起が見えないギリギリを攻めている。
咄嗟に湧いた感情は、ドキッ。ではなく、イラッ、である。
無言でスマホを操作した僕は、カメラを向けてシャッター音を鳴らした。
「きゃー、口では言ってもやっぱりリンも男の子だねー!」
語尾に音符がつきそうなほどに、アヤちゃんははしゃいだ声を上げた。満足そうにうんうん頷きながら、上から目線で物分り顔だ。
「まあまあ、お姉ちゃんは理解あるお姉ちゃんだから。こういうときは、なんて言うんだっけ? あ、そうだそうだ。しょうがないにゃー、いいよ?」
どこでそんなネタを覚えてきたのか、アヤちゃんは猫撫声を鳴らした。
僕はスマホを操作しながら、
「風呂上がりの姉がバスタオル姿で誘惑してくる件について。拡散希望」
「ぎゃー、それはダメー!」
およそ姫と呼ばれる類が上げるとは思えない、ブサイクな低音が響き渡った。
スマホを奪おうと、咄嗟にこちらに手を伸ばしてきたアヤちゃん。僕はそのまま万歳しスマホを引き離しても、更にアヤちゃんは前のめりに迫ってくる。そしてそのまま僕に倒れ込んできた。
「きゃっ!」
顔に押し付けられた柔らかな感触と、鼻腔をくすぐる甘い匂い。
溺れるようにジタバタする動きに合わせて、ふたつの物体は形を変える。
「――ッ!」
自分の身になにが起きているのかわかった瞬間、スマホを手放し顔に当たるそれを押しのける。すくい上げるように掴んだものだから、ハッキリと形を変えた感触が両手に残った。
カッと熱くなりそうな感情を、奥歯を噛みしめるように堪えた。
覗き込むように上目で見ると、アヤちゃんは片腕で胸を隠していた。バスタオルは僕の身体に残ったままだから、まさに真っ裸である。この状況でもビールを離していないのは、呆れたというべきか、はたまたさすがと言うべきか。
「リン……」
アヤちゃんは顔を逸したまま、ポツリと呼んだ。
そんなアヤちゃんから視界を逸しながら、バスタオルを差し出した。
「……言っとくけど、事故だから。アヤちゃんが悪い――」
「それがFカップの感触だよ」
「うるさい!」
バスタオルを投げつけた。
こういうときくらい殊勝な態度は取れないものなのか。カナセといい、僕の周りの女は慎みのない女が多すぎる。
これ以上相手してられるか!
スマホを拾って部屋に戻ろうとすると、
「あーん、ごめんごめん! お姉ちゃんが悪かったから怒らないでー!」
「呆れてるんだ!」
泣きつくようにわめくアヤちゃんに怒鳴りつけた。
そのままリビングの扉に手をかける。
「待って待って。ちょっと聞いてほしい話があるから、ね? ね?」
慌てて追ってきたアヤちゃんは、シャツを掴んで引き止めてくる。舌打ちしながら肩越しで見ると、真っ先に映ったのは缶ビールである。
優先度のおかしいアヤちゃんは、バスタオルを放って追いかけてきたのだ。
「わかったからとっとと服着ろ!」
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