12
「奇遇……って、わけでもないか」
アヤちゃんに腕を引っ張られるがまま、身動きできずにいるオタサー集団の前に出た。
「今日飲みに行くから、って誘ってくれてたもんね。街に出れば出くわすわけか」
いい感じに酔っ払いながらも、アヤちゃんは冷静に分析した。
「ま、まあそういうわけですが……」
一方冷静にいられずにいる集団の代表者、唯一の裸眼の人は苦しげな声音を上げている。
十六個の目玉が、一斉に僕を見た。
一体何者なのか。十中八九で彼らの中に出ているその答え。
「そ、そちらの……方は」
聞きたくないと思いながらも、知らずにはいられないと口が開いた。
よくぞ聞いてくれました。ニンマリとしたアヤちゃんは、恋人を自慢するように絡みつく力を込めた。
「噂のうちの弟だよー」
「弟さんでしたか!」
劣勢をひっくり返した勝利の雄叫びが、集団から轟いた。
死ぬほどホッとしている集団には、もはや絶望の色はない。我らが姫に男はいなかったと安堵を通り越し、希望をその胸に抱いていた。
「はじめまして弟くん。姫にはいつもお世話になってます」
裸眼の人の右手が、僕の肩に乗った。
「はあ、どうも」
振り払いたい衝動を抑えながら曖昧な返事で応じた。
それを無礼と受け取るどころか、陽気な声が返された。
「弟くんはシャイなのかな。固くならなくてもいいんだよ」
「大勢の年上を前にしてるんだ。緊張して当然じゃないか?」
「はっはっは。たしかにそうだな」
彼らは集団内で勝手に自己完結をした。
話が通じないというか、空気を読めないというか、相手をわきまえていないというか。自分たちの異常性を自覚できないのはさすがにどうかと思った。
「姉を姫呼ばわりしていることに戸惑ってるだけです」
内輪ネタとしてわきまえているのならいいが、それを対外的に使っているのはどうかと思う。その弟の前で堂々と姫と呼ぶのは、正直ドン引きだ。
「そもそもなんでアヤちゃん、オタサーで姫やってるのさ」
話が通じなそうな連中は放置して、アヤちゃんに訊ねた。そしてなんのサークルかもわからず、オタサー呼ばわりしてしまったことに口にしてから気づいた。
「姫はな、俺たちを悪夢から覚ましてくれたんだ」
アヤちゃんの代わりに、裸眼の人が答えてくれた。訂正がなかったので、オタサーなのは間違いないだろう。
「悪夢から?」
「うちのサークルには、かつて悪魔のような女がいてね」
裸眼の人は見る見るうちに苦しげな顔になった。他の七人の顔もそれに倣っていった。
「男の子は苦手だけど、君と一緒にいると安心する。君のことが好きだって……隣にいると胸がキュンとするって、それを信じて尽くしてたのに……」
「信じてたのに……」
「尽くしてたのに……」
裸眼の人の悲壮感が伝播するように、集団からは悲しみの音が流れた。
どうやら全員、同じことを言われていたようだ。全員姫を信じて貢ぐていたのは、それだけで伝わってきた。
ただ、過去もその相手を姫と呼んでチヤホヤし続けてきたのだろう。姫をつけあがらせた責任は、祀り上げた男たちにもある。
悲壮感を一通り垂れ流した後、裸眼の人は救われた表情を浮かべ、アヤちゃんを見やった。
「けど、姫が俺たちのサークルに現れたことで、奴は悪魔としての本性を表してな。それで俺たちは目が覚めたんだ」
「あたしの世界を返してー! って叫ばれたときは驚いたねー」
前任者の世界を壊した張本人は、そのときのことを思い出しながら頷いている。そこには一切の悪びれた様子はない。
裸眼の人は歓喜に満ちた眼差しをアヤちゃんに送った。
「こうして悪夢が消え去ったサークルは、かつての健全な形を取り戻した。以来、平和をもたらしてくれた若神子さんを、俺たちは敬意を込めて姫って呼んでるんだ」
オタサーの姫をすげ替えただけじゃねーか!
仮にも相手は年上である。叫びそうになった衝動を、グッと堪えた。
「姫の弟だというのなら、俺たちにとって弟のようなものだ。なにかあったらいつでも頼ってくれ」
「あなたたちのような兄を持った覚えはありません」
「はっはっは。照れてるのかな」
露骨な点数稼ぎをあしらうも、ポジティブに受け止められた。
姉弟の時間を邪魔しても悪いから。そう言い残して集団が去っていくのを見届けると、絡みついたままのアヤちゃんに改めて疑問を呈した。
「そもそもアヤちゃん、なんでオタサーなんかに入ってるんだよ」
「面白そうだったから」
縁遠い活動をしておいて、答えはなんとも簡素である。
「普段はたまに顔出すだけだけど、みんないい人たちだよ。最近はVチューバーになるための相談も乗ってくれてるし」
「どうせ姫なら成功するって、無責任に煽ってるだけだろ」
その様子が目に浮かぶ前に、アヤちゃんはかぶりを振った。
「ううん。姫でもさすがにそれは無謀だ。ネットで成功したいなら、モデルとしての活動をそのまま繋げたほうがいいって、真面目に考えてくれてる」
「なんだ。思いの外、まともなこと言ってるんだ」
ただアヤちゃんを持ち上げるだけの集団だと思ったが違ったようだ。
「やっぱり、私にVチューバーを勧めてくれただけあるね。やっぱりみんな、詳しいよ」
「そうか。あれが余計なことをアヤちゃんに教えたのか」
眼前にいないのなら、諸悪の根源にもはや払う敬意はない。
「私がひとりで好きで始めたところで、難しいのはよくわかった」
どれだけ見込みが甘かったのか、アヤちゃんは反省したようにしみじみと言った。
どうやら火を着けた集団が、そのまま冷水を浴びせてくれたようだ。感謝はしない。マッチポンプにありがとうというほど、脳内はお花畑ではないのだ。
ようやくVチューバー熱が冷めて、安心したのも束の間。
「だからお姉ちゃんね、ユリと一緒にVデビューして、百合営業で食べていこうと思うの。そうしたら安心して、みんなガチ恋できるって教わったから」
「ユリちゃんを巻き込むな!」
それだけは許せないと僕は叫んだ。
クソ、所詮はサークルに姫を祀り上げる集団か。発想が貧弱、見積もりが甘すぎた。
リアルに男はいないですアピールの百合営業で、ガチ恋させて食ってこうなんてVチューバーファンを舐め過ぎだ。そこまでVファンの頭は弱くない。戦略とすら呼べないそんな素人の浅知恵にまんまと引っかかる奴がいるのなら、お目にかかりたいくらいだ。
百合営業を信じてガチ恋するほど頭が弱い奴がいるのなら、美夜宮ミヤのように結局男がいましたという絶望で、そのまま脳が破壊されて来世に希望を託したほうがいい。そのほうが本人のためだ。
それで実際、脳破壊されて来世に希望を託すどころか、タイムリープしてしまった男が主人公の話。
推しの百合カップルの片割れを助けて友達となったが、そんな彼女がまるで恋人のような距離感で接してくる件
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当作品はその外伝小説で本編は完結済みなので、よかったご一読を!