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 その日の夕方。


 僕の帰宅を待っていましたというように、リビングからアヤちゃんが飛び出てきた。


「リーン。焼肉を食べに行こう」


「どうしたのさ急に」


 アヤちゃんが藪から棒を出すのは今更。日常の一部に今更面食らうことなく、靴を脱ぎながら訊ねた。


「今日の撮影終わりのときにね、おばさんからお食事券を貰ったんだ」


 二本指で挟んだお食事券を、アヤちゃんは得意げに見せてきた。


「リンと行ってきなさいってさ」


「なんかそういうの、いつも貰ってきてない? なんか気が引けるっていうか」


 美味しいものを食べられるのは素直に嬉しいが、少し気後れしてしまった。


 若神子家は庶民である。一流企業の高給取りとはいえ、父さんは雇われのサラリーマン。会社のご用命とあらば喜んでと、長期出張に赴かなければいけない立場だ。母さんがそれについていってそろそろ半年が経とうとしていた。


 一方、杉宮家の大黒柱はモデル事務所の二代目社長。早い段階でユーチューバーに目をつけて、ネットクリエイター部門を設立。それが大当たりした分だけ会社も大きくなり、社長としての地位も名誉も高まったのだ。


 つまり杉宮家は金持ち一家。社会的に若神子家が勝てるのは、名字の厳かさだけである。


 アヤちゃんを生んだ家からとはいえ、あれもこれもと頂くのは、やはり気が引けてしまうのだ。施されるようで気が悪い、なんて性格の悪いことは言わない。与えられすぎるゆえの、気分の問題である。


 この感覚は僕だけではなく、ちゃんとアヤちゃんも持っているようだ。


「まあまあ。いつも貰ってるのは、どれも期限が近いものだから」


 安心を促すようにアヤちゃんは口端を上げた。


「私たちのような庶民にとってはありがたいものだけど、おばさんたちにとっては色んなところから降ってくるもの。使う暇がないんだって」


「天下の回りものというわけか。それだったらありがたく頂こう」


 僕たちが使わないのなら、また別の人の手に渡るか、もしくはそのまま期限が切れて使えなくなる。そういうことなら気兼ねなくご馳走になれるというものだ。


 よくよく考えれば向こうは立派な大人である。自分たちのほうがお金持ちなのは承知の上。その上で両家対等であろうとしてくれている。その均衡が崩れるような真似はせず、ちゃんと考えて与えてくれているのだろう。


 気兼ねは必要ない。子供らしく頂けばいいのだろうと思うと、お腹が減ってきた。


「ちなみにその食事券って、お店決まってるの?」


「お姉ちゃんは焼肉が食べたいのです」


「はいはい、わかったわかった」


 決定事項を告げられると、しょうがないなと苦笑が漏れた。




     ◆




「あー、お腹いっぱい。お姉ちゃんは満足だよ」


 お腹を擦りながら、アヤちゃんはこちらにもたれかかってくる。


 鬱陶しいと跳ね除けることはしない。千鳥足とまでは言わないが、真っ直ぐ進んでいるつもりの足元が心もとないからだ。


 調子に乗って右腕に絡みついてくるアヤちゃんに、呆れたため息を漏らした。


「アヤちゃんさ、いつもこんな風に飲んでるわけ?」


「年齢確認されたら諦めたよ?」


 得意げにアヤちゃんは見上げてくる。


 ニタついているのに、いつもより大人びた面持ちだ。これも化粧の効果か。今日は撮影だったから、プロに施してもらったものを落としていないのだろう。


 店員を騙しきったアヤちゃんに、そういうことじゃないと顔をしかめた。


「大学の人たちと、だよ」


「あ、リン。もしかしてお姉ちゃんが、エッチな目にあうんじゃないかって心配してるのー?」


「心配にもなるだろ、こんな有様を見たら」


 からかう口調のアヤちゃんに乗らず、素直に答えた。


 ハッとしたように目を見開いたアヤちゃん。次の瞬間には頬が綻んでいた。


「大丈夫。いつもはこんな風には飲まないから」


「本当に?」


「うんうん。ほんとほんと。今日はリンにお持ち帰りして貰えるから、欲望に忠実になっただけ」


 絡みついた腕をアヤちゃんはギュッとしてくる。


 身体が引っ張られるように重くなった。自分でまともに進む気がないアヤちゃんは、前を見て歩くのを止めたようだ。


 どうしようもない姉だと諦めると、ふと後ろから声が上がった。


「ひ、姫!?」


 動揺がそのまま悲鳴に変わったような声音。


 土曜の夜。電車でやってきた街の繁華街だ。


 賑やかな雑踏から起きる音に、注意を引かれていたらキリがない。


 自分たちとは関係ない。そんな認識すらせずに進もうとすると、腕が引っ張られた。アヤちゃんがその場で止まったのだ。


「あ、やっほーみんなー」


 振り返ったアヤちゃんは、片腕を大きく振った。


 そんなアヤちゃんの視線の先に目を送る。


 僕より年上であり、かといって社会人ではない。そんな八人の男たちがアヤちゃんに目を釘付けにしていた。


 男たち全員が全員、信じられない……いや、信じたくないものを目撃した顔をしていた。中には過呼吸一歩寸前の、泣き出しそうなものすらいた。


 彼らがアヤちゃんとどのような関わりがあるのか。アヤちゃんが振り向くキッカケになった一声ですぐに悟った。


 アヤちゃんを姫に担ぎ上げた、オタサー集団である。


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