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「お姉ちゃん、一体なにしたの?」
ジト目をユリちゃんに送りながら、マリちゃんは僕に問いかけた。
「端的にいうと、思春期男子の恥をかかされた結果が、そのまま定着しちゃったんだ」
「恥?」
「中一になったばかりの、ユリちゃんが泊まりに来ていたときの話なんだけどさ」
姉たちの取り違えが発覚し、両家が顔を合わせてからまだ日も浅かった頃。アヤちゃんたちは毎週、順番で両家にお泊りをしていた。血の繋がった家族に馴染むため、一番の当事者たちがそれを選んだのだ。
あの日はユリちゃんが泊まりに来る番だった。
「いつものようにアヤちゃんを、お姉ちゃんって呼んだんだけど……そしたらアヤちゃんが言うわけだ。『ユリ、リンが呼んでるよー』って。そしたらユリちゃん、なんて言ったか覚えてる?」
「はーい、お姉ちゃんですよー」
ユリちゃんは両手を広げて、ニッコリと微笑んだ。
あのときの変わらぬ悪意のない姿に、僕は苦々しい表情を浮かべた。
「こうやってからかわれたのがイラッときたんだ」
「わたしとしては、早くリンくんと打ち解けたかっただけなんだけどなー……」
今になって反省することだったとわかったのか、ユリちゃんは肩をすくめた。
姉たちはお互いの境遇を知ってからも、いつだって前向きだった。だからこそ親たちも、自分たちにはもうひとりの娘がいたくらいの気持ちで、ポジティブに受け入れられたのだ。
僕ら弟妹はそのスピード感についていけなかった。
「あのさ、今だからこそこうしてるけど、あのときはユリちゃんとどう向き合えばいいか。まだまだわからなかった頃だよ? 当時の思春期男子としては、姉が女友達と結託してからかってきた、くらいにしか思えないの。恥をかかされて、内心真っ赤っ赤なわけ」
「ごめんねリンくん……」
ユリちゃんが自責の念を描くように眉尻を下げた。
今更攻めに転じて責めたいわけではないが、それでも最後まで言いたいことはあった。
「思春期男子のプライドにキズをつけられた僕は、同じ過ちを繰り返すまいと意地になったわけ。ややこしいからアヤちゃんって呼ぶようになった。それが今でも続いているだけの話。ほら、アヤちゃんの自業自得だろ?」
同意を求めるようにユリちゃんに顔を向けると、目を伏せられた。それはアヤの自業自得だね、と頷けるふてぶてしさはなかったのだろう。
ジー、と非難の眼差しをマリちゃんは姉へと向けた。お姉ちゃんっ子であるマリちゃんも、擁護するどころか可哀想な僕の味方である。
「それ、わたしも同じことやられたんだけど」
と思ったらただの味方なわけではなさそうだ。
『アヤ、マヤが呼んでるよ』
『はーい、お姉ちゃんだよ』
そんなやり取りをしている姉たちの光景が、目を瞑らなくても浮かんでくる。
「マリちゃんも同じ被害者だったわけか」
「わたし、あのときはわんわん泣いちゃったんだから」
「なんで?」
モンブランを口にしたマリちゃんは、苦いものを口にしたように眉根を引き絞った。
「だってさ、お姉ちゃんがもうわたしのお姉ちゃんじゃない。そう言われたようで、凄い悲しかったんだもん」
ため息混じりに、マリちゃんはかつての悲しみを吐き出した。
そういう受け止め方もあるのかと目を丸くした。
純粋というか、繊細というか。男と女の違いというか。人を疑うことを知らない優しい女の子を泣かすなんて、悪い姉たちである。
「本当にあのときはごめんね、マリ」
胸元で手を合わせながら、ユリちゃんは猛省の意思を見せる。
「流石にあれでこりたから、リンくんにも二度とやらなくなったの」
「そもそも僕は、二度目の隙なんて見せなかったけどね」
鉄壁の守りを誇るようにほくそ笑んだ。
「そもそもさ、いくらふたりが元から友達だったとはいえ、みんな折り合いつけるのが早すぎなんだよ」
「そうそう。お父さんたちもその調子だったから、まったくついていけなかったもんね」
姉を横目で見ながら、ユリちゃんはうんうんと頷いている。
「ほんとそれ。僕たちの心は置いてけぼり。あの頃は人生で一番辛い時期だったから」
「え、そんなにだったの!?」
ユリちゃんのパッチリ開いた目は、僕ら弟妹の間を行き来する。
どうやら僕ら弟妹と、姉たちとの間には深刻な認識の開きがあったようだ。それを今になって知ったマリちゃんは、恨めしそうに唇をすぼめた。
「あー、だからお姉ちゃんたち、あんな心無いことができたんだ」
「うぅ……ごめんなさい」
ただただ反省の色を見せることしかできないユリちゃん。
昔のことを今更蒸し返されて、謝ることしかできない立場は辛いだろう。でも当時のマリちゃんの悲しみを思うと、まったく可哀想ではない。なにせ傷つけられた思春期男子のプライドも乗っかっているのだ。
そんな姉の反省に満足したのか、これ以上引きずることなくマリちゃんは微笑んだ。
「ほんと、リンくんがいてよかった。リンくんがいなかったら、まだアヤちゃんと上手く向き合えなかったかもしれないから」
「それはお互い様だよ。マリちゃんがいなかったら、今頃ユリちゃんとどうしてたか」
本当にどうなっていたのだろうと、その答えを探すように天井を見上げる。でもそこにはなにも書いていない。精々ここまでやってきたマリちゃんとの思い出が浮かぶくらい。
マリちゃんと仲良くなったキッカケは、中一のゴールデンウィークだ。
両家族でグランピングリゾートへ行くことになったが、正直家に残りたかった。ただでさえユリちゃんと向き合えていないのに、向こうの両親、そしてアヤちゃんの本当の妹と顔を突き合わせ続けるのは辛かった。
バーベキューでみんなが盛り上がっている中、腹ごなしにちょっと歩いてくると、逃げるようにしてその場から離れた。
近くの木陰で隠れるように、スマホでゲームをしていた。しばらく熱中していると、ふと人が横切った気配がした。
視線を向けると、丁度向こうもこちらに気づいたのか。
「……え」
「あ……」
肩越しに振り返ったマリちゃんと目があった。
さすがに見なかったことにはできず、マリちゃんは足を止めた。
お互い、なにを話したらいいのかわからず、気まずい空気が流れた。
マリちゃんは共通の話題を求めるように、視線をウロウロさせる。その先に行き着いたのが、僕のスマホ。映し出されている画面であった。
「そのゲーム……やってるんだね」
「し、知ってるの?」
「好きな実況者が、それやってるから」
「へー。誰?」
「あ、えーと……」
咄嗟に口にできなかったマリちゃん。その名前が思い出せないのではなく、口にするのをはばかったのだ。
このときのことを、そういうのを見る人に偏見があるかもしれない。端的にいえばオタクっぽいとバカにされるのを警戒していた、と後に語っていた。でも実況者で意味が通じ、そのゲームをやっている時点で、こっち側だとすぐに気づいたようだ。
マリちゃんが口にした名前は、僕も好きなゲーム実況者であった。そこからぎこちない僕らの会話は、油がさしたようになめらかなものとなり、気づけば家族たちへの不平不満すらも吐き出すようになっていた。
僕らは心が置いてけぼりをくらった仲間同士だとわかったのだ。
以来、仲間であり同好の士でもあるマリちゃんと連絡先を交換し、直接やりとりをするようになった。僕らの嗜好についてはもちろん、お互いの姉についての向き合い方。相談し、ときには愚痴を吐き出している内に、気づけばここまでたどり着いていた。
「心無い発言然り、ほんと僕らは、同じ悩みを抱える被害者の会だね」
「うん。被害者の会だよ」
顔を見合わせて笑い合う弟妹の横で、加害者は肩身が狭そうに縮こまっていた。