動き出す運命1
今日一日は休んでもいいと桃花様から言われた。
暁風は、今まで夜ちゃんと眠れていなかったことと一晩のうちにかなりの疲労が溜まっていたため、桃花の言葉に甘えることにした。
部屋に戻り、布団へ潜れば自然と睡魔が来たため、そのままドアの隙間から零れる木漏れ日を感じながら、深く眠りについていった。
次に目を覚ました時には、もう既に夕方だった。
緊張糸が解けたせいか、思いのほかぐっすりと眠ってしまったようだった。
悪夢を見ずに目覚めたのは何時ぶりだろうとひっそり感動する。
そして、目が覚めると思い出したかのようにお腹が空く。
暁風は、簡単に身支度を整え食堂へ向かった。
食料庫を見ると、溜め込んでいた食料がもう少しで底をつきそうだと言うことに気がついたため、ちょうどいい機会だと思い、街へおりて食材を買いに行くことにした。
山の麓へ降りると、街へ行く道にはちょうど川が通っているため、そこを渡るために飛石の上を歩く。
そうして、渡り終わると目の前には見慣れた街の風景が広がっていた。
大小様々な建物が点在し、木造の建物や垂れ下がった赤提灯からは趣を感じる。
ぽつりぽつりと人もいるようだった。
何らおかしなところは無い、至って普通の街だったが、不思議と近寄り難い雰囲気も感じられた。
それは感覚的なことで言葉では説明できず、その曖昧に感じる違和感から、その町からはどことない妖しさを漂わせていた。
そのため、暁風はいつも必要なことだけに留めてあまり街には居座らず、用事が済めばそうそうに帰るようにしていた。
今日も目的の場所に向かって真っ直ぐ歩いた。
道は既に覚えているため迷うことなく進んでいく。
歩く間には何人かの人とすれ違っていたが、そのすれ違う人達が本当に人間であるのかは分からない。
暁風にとって、曖昧な存在である彼らとは必ず目合わさないようにしていた。
そうして、歩き続け目的の場所に着いた。
目の前の建物には、露店に整然と食材が並べられている。
「周さん!」
と、建物に向かって声を上げる。
数分待っていると中から人が出てくる。
「いやぁ、待たせたね。いらっしゃい」
やや小太りな中年で、髪を結わえた男性が、人の良さそうな顔をして返事をする。
「久しぶりじゃないか、元気そうだねぇ」
と朗らかに笑いながら嗄れた声で言った。
この人は、この店を切り盛りしている周さんという。
唯一この街で気心知れている存在だが、周さんがこの店で働いている以外のことは知らなかった。
この世界の住民なのか、まだ天命を終えていない人なのか、何も知らない。
名前でさえも本名であるか、怪しい。
けれど、それを深く詮索したりはしない。
この世界では、自分の生前のことや自分の天命を、相手には教えないというのが暗黙の了解としてあるのだ。
だから、詮索もしないし相手にもさせない。
「お久しぶりです。最近忙しくて、買い物に行く暇がなくって」
と少しの間、周さんと世間話を交わして必要な食材を買っていく。
店頭に並ぶ食材はもちろん見知った大根や人参などがズラリと並んでいる訳だが、中には見たことの無い食材があり、それらは美味しそうなものもあれば明らかに腐っているものや色味が悪いもの、生き物の形に見えるものまである。
それらが何であるかは分からないため、いつも買うのは自分が見なれた食材だけだった。
選んだ食材を背負ってきた籠に詰める。
そうしてお代として、桃の葉の着いた枝を渡す。
「まいどあり」と言って周さんが受け取る。
暁風はそのまま荷物をまとめて行こうとすると周さんが呼び止める。
「ひとつ、一応伝えといた方がいいと思って。最近、どうも物騒らしくてな、」
と、周さんが話し始めた内容は、どうも最近、ここら一帯でボヤ騒ぎを起こしている輩がいるらしい。
そのボヤ騒ぎが1度や2度ではなく、数回起きているとの事。
本格的に火事が起こった訳では無いが、それなりの被害は出ているらしい。
周さんからは、念の為に気をつけるようにと伝えられた。
一体何なのかと気にはなったが、正直他人事だった。
この世界にも、治安を守るのような者は存在するらしく、その実態については詳しくは知られてはいない。
とはいえ、何れにしてもその事件を起こした者等はじきに、彼らに捕まることだろうと思い、荷物を改めて背負い直して帰路に経つ。
ただ1つ気にかかることといえば、清らかで正しいこの世界でそんな事件を起こす彼らは、一体何の目的でそんなこと行っているのかとだけ疑問に思った。
そうして日常は当たり前のように進む。
桃を拾っては桃花に届ける作業を機械的に行っていく。
けれども、前よりももっと丁寧に。桃に対して労わる気持ちを持って作業に徹していた。
そんな暁風の働きぶりを桃花はどこか嬉しげに見ていたし、烏兎の方も何か勘づいていたのか分からないが、「お前、何か、元気な!」と言われた。
烏兎の言葉に「ありがとう、疎」と笑顔で返答しておいた。
いつも通りの日常。けれども、過ぎ去る1日1日を確かに噛み締めて生きていた。
そうしてようやく平和な日常に身を落ち着けていた頃に、また物騒な話が耳に届いた。
あの時、周さんから聞いたボヤの事件。その事件が、また別の建物でも起きたらしかった。
直ぐに警備隊やらに捕えられるだろうと思っていたけれど、事件は一向に収束する気配はなかった。
一体犯人は何の目的でそんなことを行っているのか。
考えたところで、この世界をよく知りえない暁風には全くわかりそうにもなかった。
ただ、不穏な影が音もなく忍び寄るような、不気味な気配を感じていた。
桃花様なら、あの人ならば、この事件の全てを知っているのだろうか?
彼女もきっと事件が起きていることは知っているはずだ。
けれども、あの人はいつだって変わらない。長椅子に気だるげに寝そべって煙管を咥えて吹かすだけ。
彼女はこの事件のことをどう思っているのだろう。
「今日は天気が悪そうだ。今日はこのぐらいにして切り上げよう」
そう烏兎が指示を出す。
暁風は作業する手を止めて、空を見れば確かに雲行きは悪く、遠くから雷鳴の音が聞こえてきた。
いつ降ってきてもおかしくはない。
「そうだな、そうしよう」
そう言って桃の入った籠を持ち上げ、家へと帰る。
家に戻れば、いつもと変わらず長椅子に寝そべっている桃花がいた。
「ただいま、戻りました」
そう声をかけて桃花の元へと近寄る。
「あら、おかえりなさい」
といつものように桃花から返事は帰ってきたもののいつもよりもどことなく元気がないような気がした。
何となく気にかかり桃花の顔色を伺うが、特に体調が悪そうな様子は見受けられなかった。
どうしたのだろうと不思議には思うが、暁風の気の所為な気もしてそれ以上聞こうとはしなかった。
そうして夜になり、不穏な影は音もなく近づいてきた。
暁風は騒がしい気配に、夢の中から目を覚ます。ぼうっとする頭でキョロキョロと周りを見渡した。
部屋は静かで何らおかしなところは無い。
何だろうと奇妙な感覚に温い布団から出でて、外へとつながる襖の扉を開ける。
外も静かで何か騒がしい様子もない。
けれどもあまりにも静かすぎて逆に違和感さえ感じる。
何だ。一体。
簡単に羽織を着て外に出る。森を歩けば、ようやく騒がしい音が耳に聞こえた。
そして何やら嫌に感じた気配の正体もその時にようやくわかった。
その正体の方へと急いで近寄っていく。
目に映る光景には唖然として声も出なかった。
赤々と燃える、炎の渦。眼前に広がる赤い赤い光景。
風に煽られ火の粉が飛び移り、また隣の木々へと炎が移りゆく。
ごうごうと音を立てて燃える火事の前にただ立ち尽くす他なかった。
なんだって、こんな...。
呆然としながらも、真っ先に思い浮かぶのは彼女の姿だった。
急いで桃花様に伝えないと!
踵を返して走り出そうとすれば、彼女は暁風の後ろで静かに佇んでいた。
「桃花様!」
走り出そうとした身体を慌てて急停止させた。
そうして、驚きの顔で桃花を仰ぎ見る。
彼女は静かにこちらを見据えていた。
桃花の様子に違和感を感じる。後ろの火事に対して何とも思わないのだろうか。
彼女は火事の方を見ずに、こちらを静かに見ていた。
惚けたまま桃花を見つめてしまったが、背後に感じる炎の熱さで我に返る。
「桃花様!木が、桃が...!」
そう焦る暁風の言葉に、彼女はこちらに歩み寄り暁風の隣に佇んだ。
桃花は燃ゆる木々を見つめてゆったりと口を開く。
「今、知らせが届いたの」
この状況に対してのあまりにも落ち着いた桃花の話しぶりに、何の話だと怪訝に見つめる。
「あなたを死後の世界へ送るようにと。暁風、あなたは無事に天命を全うすることが出来たの」
そう言って彼女はこちらを見上げて、赤い唇を僅かに上げる。
「今までお疲れ様。そうして、ありがとう。あなたが無事に天命を全うできた事を、心から祝福するわ」
暁風は桃花の言葉に唖然としてしまう。
もちろん話の内容にも驚きだが、それよりも。
「そ、そんなことより、山が燃えているんですよ!早く何とかしないと!」
火はどんどん燃え広がっていく。
けれども暁風の言葉に桃花が焦る様子はなかった。
彼女は一度、目を伏せてもう一度暁風を見上げる。
「もう貴方には関係のないことなの」
桃花の言葉に「え?」と零す。
そうして彼女は薄く微笑み、トンと暁風の肩を押した。
予想だにしていなかった暁風はそのまま後ろに体勢を崩したが、直ぐに立て直そうとした。
けれども、何故か後ろに出した足は地面につかずに身体は自然と後ろに傾く。
驚く間もなく、身体はどこかに落ちていき、最後に桃花の微笑んだ顔を見ながら強く目を瞑った。