俺の天明3
1日にあっという間にして溢れかえった兎達は、あっという間に一面の桃を食い尽くしていく。
暁風は言われた通り、傷んだ桃を拾い、桃花が食べる分の桃も拾って帰っていった。
そうして次の日には、すっかり山の景観は前のように元に戻り、沢山いた兎達も片手の数で収まるぐらいに減っていた。
桃花に聞けば、兎達は役目を終えて瓶の中へ戻ったとの事だった。
そして、その日から一緒に働く仲間ができた。
とは言っても、相手はうさぎで、黙々と働く働き者だ。
ただ、今までと働く内容は変わって、一心不乱に桃を拾う仕事ではなく、基本的に桃は兎達が食べてくれるため、暁風は傷んだ桃を中心に拾い、後は桃花が食べる分の桃を拾って帰るというものになった。
働き者の仕事仲間のおかげで、気づけば仕事の合間に休むことも多くなった。
ぼうっと木に腰かけ、空を見上げる。
揺蕩う雲を見つめ、今日も平和だと思った。
もうすっかり体に馴染んだ生活に、最近は心にも余裕を感じるようになった。
だが、そのせいか、ふと、死ぬ前、というか現世にいた頃のことを思い出す。
正直あまり思い出したくないが、考えようとしなくても自然と思い出してしまう。
あの頃を。ずっと、頭にこびり付いて離れないあの瞬間を。
たまに見るあの夢のせいで最近は寝不足だった。
そのせいだろうか、山の空気の心地良さも相まって、思わずうとうとしてしまう。
草木のさざめきと共に思わず眠ってしまった。
「…ぃ…ぉい、おい!いつまで寝てんだよ!起きろ!」
ハッとして目を覚ます。
重たい体を起こし、体勢を整えながら、瞼をこすって目を覚ます。
ぼーっとしながら、あたりの景色に視線を向ける。はっきりとしない意識で視線を動かせば近くに1匹の兎がいた。
その兎はじっとこちらを見つめている。
「ったく、仕事しろよな。言われただろうが、腐った桃は食べれねぇんだから、お前が片付けろって」
声がした。
夢を見ているのかと一瞬は理解できなかったが、間違いなかった。
この兎が口を動かして喋っていたのだから。
「え!?え?お前喋れるの?」
思わずポカーンとして、兎を見つめる。
兎は全部で4匹いるが、この兎だけは見分けがついていた。
この兎だけは金色の目をしていたから。
その兎は、金の目をこちらへと向け、何だよと言いたげに見ている。
周りを見れば黙々と働いている兎がいる。
「もしかして、他の兎も話せるのか?」
金目兎はモゾモゾと首を振る。
「いや、話せるのは俺だけだ」
「なんで?」と聴けば「さぁ?」と帰ってくる。
また、ポカーンと間抜けな顔で兎を見つめてしまう。
だいぶこの世界にも馴染んだつもりでいたけれど、まだまだ俺の知らないことはあるんだなぁと、あらためて感じる今日この頃だ。
とりあえず、仕事のついでに金目兎を連れて帰って、桃花に話を聞くことにした。
キィと家の扉を開ける。
「桃花様。ただいま戻りました」
と言って中へ入る。
「おかえりなさい。暁風」
桃花がこちらへ視線を向けると、「あら」と小さく呟く。
暁風が抱えて帰ってきた金目兎に気づいたのだ。
「どうかしたの?」
と、小首を傾げるように桃花が問いかける。
「それが、その」
と、暁風が説明をする前に腕の中にいた兎がぴょんと跳んで桃花の元へ歩く。
「お初にお目にかかります。桃花様」
桃花は兎を見つめて気だるげな瞳を瞬かせる。
「あらあなた、話せるようになったの?」
桃花は、上体を起こして長椅子に腰かけると兎を拾い上げてひざの上においた。
「不思議なこともあるものねぇ」
暁風は少しだけ驚いた。
桃花なら何でもわかると思っていたのだ。
「桃花様にも分からないことがあるんですね」
桃花は膝の上のうさぎを撫でながら答える。
「そうねぇ、何でもわかる訳では無いけれど。
きっと、桃を食べたからでしょうね」
「え?桃ですか」
「そう、桃。あの桃には力が籠っているから、あれを食べたことで話せるようになったんでしょうね」
「へぇ」と納得はするが、あの桃がそんなに凄いものとは思わなかった。
いつも何の気なしに拾っていたが、あの桃はそれこそ、物語に出てくるような不老長寿の効果があるのではと何となく考えた。
まぁ、でもそれを食べたところで今の自分には意味の無い物だなぁとしか思わないけれど。
「でも、良かったわね」
「何がですか?」
フフと笑った桃花が兎を抱き上げる。
「うん?暁風の話し相手ができたでしょ。これから一人と一匹、仲良くしてね」
そう言って、兎を抱き上げたままこちらに兎の顔を見せびらかした。
まるで、新しい友達が出来て良かったねと言わんばかりだ。
兎は、まん丸な金色のお目目をこちらに向けて、鼻をヒクヒクと動かしている。
その姿を見て、俺は何とも言えない気持ちになった。
今日も今日とて、うさぎの同僚と共に仕事する。
「おい、この桃腐っているから拾っておいて」
「あ、うん、わかった。今行く」
慣れとは怖いもので、この金目兎と話すことになんの抵抗も無くなっていた。
最近では、世間話をするようになるくらいに気安い仲になっている。
「あ、金目兎、首に草が絡まってる」
そう言って首に絡まった草を解いてやる。
「よし、もういいよ」と言って兎の顔を見ると何やら不満げに見えた。
「何だよ」
「そろそろ、その金目兎って呼び方やめろよ」
と言われた。
そう言えば、話せるようになってからも金目兎と呼び続けていた。
すっかりこの名前に慣れてしまい、ずっと使っていたが、本人_______本兎的には不満だったらしい。
「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」
元は桃花が仕事のために呼び出した白兎だ。呼ぶ名前なんてものは無いため、なんと呼べばいいのか分からない。
「何か適当に名前をつけてくれよ」
と言われた。
「適当にって言われても…」
名前を付けるにしても、そもそもこの兎の主人は桃花である。
勝手に名前をつけるのは如何なものかと考えてしまう。
「いいわよ、名前ぐらいつけても」
振り返ると桃花がいた。
「「桃花様!」」
と、兎と声が被る。
桃花は滅多に外を出歩かないため、思わず珍しげに見てしまう。
そんな彼女は、赤い唇に微笑を浮かべ、煙管を持たない左手を口元に添えた。
「2人とも仲良くしてるみたいで安心した。暁風、その子に名前をつけてあげて」
「いいんですか?」
「えぇ、構わないわよ」
そう言って、木にもたれながら右手に持つ煙管を吹かす。
何の気なしに言われて正直拍子抜けした。
白兎は桃花の化身だと言われたから、こう、軽々しくそう言う事をしてはけないと思っていた。
桃花から目の前の兎に視線を戻す。
(名前、名前かぁ)
いざ付けるとなるとなかなか思いつかなかった。
金目兎からとって、キンメとかうさ太郎とか金太郎とか色々考えてみたが、仮にも桃花の化身なのだ。あまり下手な名前をつけて恨みは買いたくなかった。
そうなると、新しく名前を考えるよりも、もうある名前で考える方が1番手っ取り早いと思った。
(うーん、白兎)
兎といえば長寿の神で、月で金丹を、いわゆる不老長寿の薬を作っているとされる。
そういう月にいる兎の事を『月兎』とか『玉兎』と言う訳だが。
鼻をヒクつかせる兎を見やる。
この兎には何だか勿体ない気がした。
ちなみに、月にいる兎の名が『玉兎』なら、太陽にいる烏を『金烏』という。
そこから、太陽と月の事を『金烏玉兎』と表す。
目の前の兎をもう一度見やる。
金色の眼は陽の光を浴びて、キラキラと輝いている。
金烏は、三本足の黒いカラスで表現されるが、“金“は太陽の方を表している。
「じゃあ、烏兎で」
金烏玉兎を略した言い方を烏兎という。
そこから頂戴した訳だが、付けた理由はそんな高尚な意味だけでなく。
(前々からこいつ疎い奴だなぁって思ってたんだよなぁ)
さっきも首に草を巻き付けてたり、食べている間に尻尾を弄っていたりすると食べ終わってから「何してんだ!」と怒り出したりするのだ。
そんな意味も込めて烏兎とつけた。
「烏兎、ね。いいんじゃない?」
桃花は屈んで、足元の金目兎もとい、烏兎の背中を撫でながらそう言った。
「それじゃあ、烏兎、暁風。おつとめよろしくね」
桃花はそう行って立ち上がり、暁風の籠から桃を1つ取ると家へと戻っていった。
「何しにいらしたんだろう。桃花様」
と烏兎が零す。
桃花様は気まぐれだ。
どれだけ一緒の時間を過ごしても、正直何を考えているのか未だに分からない。
「桃花様、前も急に散歩に行きたいって言って、それに付き添った事があるんだ。その時も唐突で、普通にまぁ、山の頂上に登って帰ってきただけだったんだけど、何か用があるんですか?って聞いたら何か煮え切らない感じで…よく、分からないんだ」
「ふーん。まぁ、桃花様は色々なことを見てるからきっと思うことがあったんだろう。この前も、桃が大量に溢れかえって大変だったし、最近の桃の味も今ひとつだし」
「いや、桃も大変だったけど、てか、そういう話じゃなくて…」
暁風としては、桃花のもっと心情的な事を話したかったけれど、烏兎からの返答は暁風的には的はずれだった。
そんな烏兎のキョトンとした表情を見て、「やっぱり疎だなぁ」と小さく呟いた。