ありがとうが軽い
私は、ずいぶんありがとうが言えない人間であった。
私を育てた家族は、皆寡黙で人付き合いを好まないタイプの人であった。
誰かにお礼を言っているところを見たことがない。
病院で診察を済ませてもだんまり。
買い物をしてもだんまり。
誰かにものをもらったら、「すみませんねえ。」
誰かに何かをしてもらっても「すみませんねえ。」
感謝の言葉は、感謝した時に言うものだと決めていたのかもしれない。
おそらく、生きている日々の中で、家族は感謝の念など一度も抱いていなかったのだ。
モノをもらっても、欲しいものじゃなければありがたくない。
買い物は金を出して買ってやっているんだ。
金を払って診察してもらってんだぞ、むしろそっちがお礼を言うべきだ。
できるやつがやるのは当たり前だ、できない俺にやらせるな。
家族内で、ありがとうという言葉を発することなどなかった。
家族にありがとうという言葉を発しても何も返ってこなかった。
―――母の日のプレゼントを渡しましょう!
―――お母さんに、ありがとうって言おうね!
おかあさん、ありがとう。
ふうん、まあまあうまいじゃん。
…次の日ごみ箱に捨てられていた。
―――父の日のプレゼントを渡しましょう!
―――お父さんに、ありがとうって言おうね!
おとうさん、ありがとう。
俺はこういうのをもらっても置いとく場所がねえなあ。
…見せた後、自分でゴミ箱に入れた。
―――敬老の日のプレゼントを渡しましょう!
―――おじいちゃん、おばあちゃんにありがとうって言おうね!
おばあちゃん、ありがとう。
へたくそだねえ、作り直してやるよ。
…ばらばらになったブローチ。
ありがとうが言えない子供になってゆく。
お年玉を親戚からもらっても。
「すみません。」
松葉杖で階段を上っている時助けてもらっても。
「すみません。」
わからない勉強を教えてもらっても。
「すみません。」
誰かに、何かをしてもらうのは、すべて申し訳ないこと。
誰かに何かをしてもらったら、謝らなければならない。
感謝の意味が分からない。
ありがとうの意味が分からない。
感謝の仕方がわからない。
ありがとうの使い時がわからない。
コンビニでアルバイトをすることになった。
「レジを打って、商品を袋に詰めて、お金をもらって、おつりを渡して、最後にお客様にありがとうございましたって言ってね。」
「はい。」
「ありがとうございました」を、習得した。
接客業のスキルとして、必要不可欠なものを習得したのだ。
買い物をしてくれたお客さんに対する、挨拶としての意味合いが強い、「ありがとうございました」。
ずいぶん気持ちのこもっていない「ありがとう」ではあるけれど。
ずいぶん、ありがとうが、身近になったのだ。
「いつも丁寧に入れてくれてありがとうね!」
「いえいえ、こちらこそ!いつもお買い上げありがとうございます!」
コンビニで働くようになって、ふと気が付いた。
買い物の後、ありがとうと言う人が、わりといる。
「このままのお渡しでいいですか?」
「いいよ!ありがと!!」
「袋二つになっちゃいます、ごめんなさい。」
「いいよ、そっちの方がありがたい、ありがとね!」
買い物じゃなくても、ありがとうと言う人がわりといる。
「あの、この辺りに郵便局って。」
「あ、この道を右に曲がってすぐですよ。」
「助かったー!ありがとう!」
世間一般の人は、こんなにも容易く「ありがとう」を口にしている。
いつの間にか、私もありがとうを簡単に口にするようになった。
コンビニで働いている時、レジ袋の補充をしてもらったら「ありがとうございます!」
コンビニで働いている時、フォローしてもらったら「ありがとうございます!」
コンビニで働いている時、ドアを閉めてくれたお客さんに向かって「ありがとうございます!」
コンビニの勤務を終えて店を出る時、お疲れ様、気を付けて帰りなよって言ってくれたお客さんに「お疲れ様です、ありがとう!」
なんだ、ありがとうって、気軽に言っていい言葉だったんだ。
今までありがとうという言葉に飢えていたからなのか。
私はやけに、ありがとうと言いがちな大人に、なっていた。
「あんたのありがとうは軽いねえ。」
娘を連れて、久しぶりに実家に帰った時、祖母がぼそりと、呟いた。
「そんなに連発すると嫌味に聞こえるからやめてくれる。」
お手伝いがしたい盛りの娘に、いろいろと持ってきてもらってはありがとうを連発していたら叱責が飛んできた。
「…はは、ごめんごめん。」
「何の心配もない簡単な人生送ってる子は薄っぺらいねえ。」
大人になってからのもめ事は面倒だ。私が飲み込んでおけば、事は荒立たないのだ。
「おかあさん、これ!」
「ああ、助かったよ、じゃあね、荷物のところで待っててね、もうじき帰るからね。」
「はーい。」
ありがとうの重い、重すぎるこの家には、ありがとうの言葉は必要ないのだ。
私は、軽くても、薄っぺらくても、ありがとうがあふれる場所で生きていきたいと思っているのだ。
ずいぶん長い間、ありがとうを必要としない家から遠ざかっていた。
ずいぶん長い間、軽い、軽すぎるありがとうを好き放題に連発していた。
私は自由にありがとうを振り撒いていた。
私の子どもも自由に軽すぎるありがとうを投げつけるようになった。
私の周りは、軽い、軽すぎるありがとうがあふれていた。
「悪いんだけど、一回こっちに来てくれる。」
自由気ままに暮らしていた日々に、暗雲が立ち込める。
…私は、また。
ありがとうがいえない日々を、送らなければいけないのかも、知れない。
どこかぼんやりとした顔の祖母と対面する。
「・・・。」
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかったけれど。
普通の言葉すらも、存在しなくなっていた。
「わざわざ来てもらって悪かったなあ。」
労いの言葉が、存在していた。
「なんもわかんないからどうにもならん。」
諦めの言葉が、存在していた。
「どうにかならんか。」
押しつけの言葉が、存在していた。
「最後まで迷惑かけて腹立たしい!」
怒りの言葉が、存在していた。
「ちょっと俺たちでは面倒は見れんな。」
拒絶の言葉が、存在していた。
「後は頼むわ。」
依存の言葉が、存在していた。
「ああ、これで一安心だよ。」
安堵の言葉が、存在していた。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
なにを言っても、何も返してこない人を、見送った。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
どこかぼんやりとした顔の母と対面する。
「・・・。」
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかったけれど。
「わざわざ来てもらって悪かったなあ。」
労いの言葉が、存在していた。
「どうにかならんか。」
押しつけの言葉が、存在していた。
「俺では面倒は見れんな。」
拒絶の言葉が、存在していた。
「後は頼むわ。」
安堵の言葉が、存在していた。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
なにを言っても、何も返してこない人を、見送った。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
「すみませんが、どうにかなりませんか。」
遠く離れた地の見知らぬ職員から電話が入った。
「お願いできませんか。」
「何とかなりませんか。」
「ありがとうございます。」
「よろしくお願いします。」
ああ、言葉が、ずいぶん、軽い。
「わかりました、考えておきます。」
ああ、ずいぶん、軽いことを言っている。
私も、軽い人間になってしまったのだな。
薄っぺらい人間だと、言われてたもんな。
ありがとうを必要としない家には、相変わらずありがとうが存在していなかった。
ありがとうを必要としない家には、もう、誰も存在していない。
ありがとうを必要としない家があったことすら。
もう、間もなく。
誰も、知らなく、なる。
私が忘れてしまうまで。
あと、すこし。




