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箱庭調査局  作者: 唯月湊
1/2

兄妹と魔法使いの双子

 終わりの日は唐突にやってきた。

 年に一度、満天の空に星が降りそそぐ流星の日。

 そんな祭りの日に、町の中央に開いた大穴は、自分たちを飲み込みに来たのだった。


 妹の手を引いて恐慌の町を駆け抜ける。まだ幼い八つの子どもの手を引いたままでは逃げ切れない。妹を抱えてまた駆ける。

 あの穴に連れ込まれたら、一体どういうものになってしまうのか。それは大人たちがいくら考えても答えが出なかった。

 もっと時間があればわかったことかもしれない。けれど、その前にみんなその穴へ飲み込まれてしまった。残った大人たちは自分の命のほうが真実よりも大事だった。


 誰も彼もが己を信じて逃げ惑う。少しでも安心できるその場所へ。少しでも命が助かる可能性の高い場所へ。

 けれど、どこにも逃げ場などないのではないか。そんな真実を認められなくて、ただ逃げることにだけ注力しているような狂乱の中、少年だけは少し意識が違った。

 少年の視界の先、その道にはぽつりぽつりと蒼く光る石が落ちている。ともすれば誰かに蹴飛ばされそうな小さな石。

 その石が彼らにとって「安全な場所」へ続いていることを、少年は知っていた。

 ひどい風が少年と少女の身体を捕まえに来る。大穴まで引きずり込もうとその手を伸ばしている。抱えた妹の悲鳴を聞かないようにして、少年はそのまま駆ける。


*****


 始まりは、町の真ん中に小さな穴が開いたことだった。地盤がゆるくなった陥没か、と町の大人たちは塞ぐ手立てを考え始めた。

 土で埋めたり、木で塞いだり、様々手をつくしはしたが、その穴は塞ぐこともできずに段々と大きくなった。

 その穴は次第に飲み込む量は増えていった。周りの土が崩れるだけでなく、引き込むような風も強くなっていった。土地だけでなく人も吸い込まれていくようになった。

 一つであった穴も増え繋がって拡大を続けた。

 兄妹の家もとうに飲み込まれてしまい、逃げ場所を転々としながら生きながらえていた。


*****


 たどり着いた先は、崩れかけの民家。外壁は剥がれ、いつ倒壊してもおかしくないようなその家を前にして、入るのをためらった。

 それでも、このあたりに隠れられそうな場所も他にない。ぎゅ、としがみつく妹を抱えたまま、少年はその家の中へと入った。

 中はまだそれほど荒れてもいなかった。なるべく風が吹き込まない場所に妹を座らせた。これからどうするかを考えなくてはならない。このままここで隠れていたところで、いつかは飲み込まれて終わりだろう。

 建物の軋む音に混じって、外からは狂騒の声が響いてくる。怯える妹の手をにぎる。


 その時だ。強い力で扉が叩かれた。

 はじめは風によって吹き荒れる瓦礫でもあたったかと思ったが、それにしてはひどく規則的だった。

 開けるかを迷っているうちに、その扉は勝手に開かれた。

「こんにちは~。あ、でも外暗いしこんばんは、かな?」

 黒髪のショートカットの少女がそこにいた。歳は十五~六。少年よりも三つほど上だ。

 開いた拍子に扉が風で吹き飛んだ。部屋の中に暴風が吹き荒れる。

「姉さん。もう人がいるわけない」

 吹き荒れる風の音に負けないように、声を張り上げたのはもうひとりの少年。その顔は来訪者の少女と瓜二つ。

 そのふたりと、目が合った。双子の姉はひどく嬉しそうにニッコリと、弟は驚きに目を丸くしていた。

「や~~粘った甲斐があったねぇあったねぇ!」

「それはそうだけど、時間がないよ」

 少年は背負った鞄を前に回すと、がさごそと中をあさる。取り出したのは万年筆と紙。どうにか床へ押し付けると、何かをガリガリと書き連ねた。インクに沿って紙が光に満ちていく。


 異変はすぐに始まった。吹き飛んだ壁が、屋根が、扉が『戻ってくる』。

 映像を逆再生したかのように、継ぎ目なく元通りに修復されていく。


 兄妹たちがやってきた時よりもしっかりとした佇まいの家となったこの場所に満足したのか、双子の弟はひとつ息をついた。

「時間稼ぎにしかならないよ。姉さん、どうするつもり?」

 双子の弟はこちらを一瞥した後そう問いかけていた。こちらの意を介すつもりはないらしい。

「あんたたち、一体何なんだ」

「うん、やっぱり君たちには見えてるね」

 質問の答えは返ってこない。

 今まで彼らの顔を見た覚えはない。それほど大きな町ではないし、双子は特に珍しい。町の人間だったら見覚えくらいはあるものだ。

 けれど、この町に「知らない人間」がいきなり現れることは決して無いはずだった。

「お姉ちゃんとお兄ちゃん、お部屋を直してくれたの?」

 周囲をきょろきょろと見回して、妹はそう問いかける。双子は同時にこちらを見て、先に口を開くのは弟の方だった。

「そうだよ。一時しのぎだけどね」

「はじめまして~。お近づきのお花をどうぞ」

 妹の前にしゃがみこんで、双子の姉は握った手を差し出した。くるりと一度手首を翻せばそこには色とりどりの花をあわせた花束がある。

「きれいなお花!」

「そうでしょ。歌うお花は好きかしら」

 花束にそっと息を吹きかければ、ささやかながら陽気な歌が流れはじめた。それは明らかに花束から聞こえている。目を輝かせる妹を引き剥がすように後ろへ下がらせた。

 双子の弟が頭を抱えるようにため息を付いていた。少年からのあからさまな警戒に、ようやく双子の姉は、自分たちが警戒されていることに気づいたらしい。妹さんはせっかく喜んでくれたのに、と彼女は不満そうに口をとがらせた。

 その頃には、彼女の手の中にあった歌う花束は光の塵となって霧散していた。

「私達は『魔法使い』なんだ。そして、きっときみたちもね」

「詳しいことは、落ち着いてからでいいかな。時間がない」

 双子の弟は鞄の中から大量の紙を取り出した。姉の方はといえば、どうしようかなぁ、などと言いながら部屋の中をウロウロと歩きまわり始めた。

「うん、お花が好きみたいだから、花束を届けるお話がいいかな?」

 双子の姉は深く息を吸い込んだ。

 そして歌うように舞うように、語る。


【時は夜】


 ざわり、と空気が波立つ。

 あれだけうるさかった風の音が聞こえない。周囲が闇に閉ざされる。


【月のない漆黒の空には星が瞬き、遠くどこかで夜鳥の鳴く声が響く、静かな夏の夜である】


 夜空にはちかちかと星がきらめきはじめ、耳を澄まさずとも遠くから夜鳥の鈍い声が反響して聞こえてくる。夜になりたてなのか、ほのかに大地にはまだ熱が残っていて、それでも空気は少し冷たい、そう、それはたしかに初夏の夜。


【森へとつながる道持つ小さな田舎町。ぽつりぽつりと暗くなる町のなかで、まだ明かりの灯る部屋がある】


 夜闇の情景が空へ収まり、目の前の光景は小さな木造の家々が立ち並ぶ町に変わる。

 星の光は家々の明かりに。けれどそれも少しずつ消えてゆき、視点はまだ明かりの残る一軒の家へ。


【少女がひとり、灯したランプを机へおいて、せっせと手紙を書いていた】

【森向こうへ住む友達へ。湖に浮かぶ国の道具屋の娘へ宛てた手紙だ。行商にやってきた折に知り合った】

【少女は宿屋の看板娘。小さい身体ながらよく働く孝行な娘。なかなか遊びにも出られない少女にとって、手紙のやり取りは何よりの楽しみだった】


 語る少女の声は脳にこだまして、その裏側でかすかに物を綴る音が重なる。


【やってきた風変わりな旅人の話を書いた。ヒトでない幻想が泊まりに来ることだってあった。酔っ払ったオジサンの不可思議な笑い話、詩人の歌う異国の話、ヒトには理解し得ぬ夢物語。宿屋の娘は聞いた端から手紙に書いて、湖の友人へと送り続けた】

【湖の国の娘は、その手紙を楽しみにしていた。彼女は行商へついていくことも少ない。森に囲まれた湖の上に浮かぶ、湖城の町に住む少女にとっての唯一の娯楽であった】

【湖の娘は代わりに自分の国に伝わる物語を綴って返した。かの湖の国は、泉の精霊の加護を受け、城下町ごと湖の上に浮かぶ、その名の通り湖上の国だった】


 物語は止まらない。

 目まぐるしく眼前の景色は移り変わっていく。まさしくそれは、物語の中に入り込んだような感覚。五感すべてで物語を味わう、奇妙ながら抗えないその力に押し流される。


【湖の国中央に建つ荘厳な城には、厳格ながら年老いた国王とその后、そしてふたりの兄妹が住んでいた。兄は十八、妹は十六。どちらも聡明で心優しい若者だった】

【その国では近々戴冠式が行われるという。国ぐるみで行われる祭りを、その少女は楽しみにしていると手紙には書かれていた。こうした手紙のやり取りが、いつまでも続くと宿屋の娘は思っていた】

【けれど、戴冠式のその日を堺に、湖の国からの手紙が届かなくなった。聞けば、湖の国をはじめに周りの森一体が凍りついて、湖の国はその底へ沈んでしまったのだという】

【宿屋の娘は一晩泣いて、一日かけて手紙を書いた。町のはずれの小さな花屋で花を買う。少ない小遣いで精一杯きれいに見える花束を】

【夏の盛りにもかかわらず、その凍りついた森は静謐な寒さで満ちていた。行商人の通る道は凍りついても残っていて、それをたどってたどり着いた凍れる湖。吸い込む息が肺を凍てつかせる極寒の氷湖。そのほとりに、宿屋の娘は最後の手紙と花束を供えた】


 どこか遠くで、少女の語る声がする。

 視界の隅に、書き散らされる紙片がかすかに見える。


【語り綴った物語は終わる。それはまさに一夜の夢】

【物語は裏返り、ここには現が還ってくる。つづきはそう、また次の夢で】


*****


 締めくくるその頃には、辺りには少年が書き散らした物語が辺りを埋め尽くし、その紙片の一歩先には漆黒の闇が広がっていた。自分たちが逃げ込んだ家も、住んでいた町も、あの何もかも飲み込む大穴も、全てが消え失せていた。

「深呼吸、したほうがいいよ。物語酔い、してるんだろうし」

 双子の弟の声だった。その声でようやく、少年は自分がほとんど息を止めていたことに気がついた。

 長い永い、夢を見ていたようだった。

 双子の姉はごきげんにまだ何かを話しているが、彼女の言葉に導かれて目の前の光景が移り変わることもない。

 聞き入るうちに眠り込んだ妹を抱えなおす。

「……もう一度聞くぞ。あんたたち、一体何なんだ」

 その問いかけに、双子は同時にこちらを見た。少女は天真爛漫な印象そのままの笑顔を見せた。

「私達は『箱庭調査局』。点在する世界から、私達や君達のような『魔法使い』を探しているの」

「話は長くなるから、ひとまずここから出ない? きみも、もうココがだめなのはわかるだろ」

「出るったって……どこへ」

「世界はね。きみが思っているよりも、うんとずっと広いんだよ」

 双子の弟は背負ったかばんの中からまた新しい紙を出す。さんざん書き散らしたその紙の上に置いて、再びペンを取る。

「『読』む?」

「いいよ。姉さん、帰り道つくるの苦手だろ」

 彼はペンを走らせる。彼の綴る文字は、少年の見覚えのないものだった。

「ははは。バレたか」

「姉さんの冒険癖にどれだけ巻き込まれてると思ってるのさ」

 紙片へ綴られたインクが次第に純白の光を帯び、ふわりと文字が浮かび上がる。戯れるような所作で宙を舞った文字は、じきに紙片の島の外に広がる虚空へ連なって静止する。

 出来上がったのは、光る文字の階段。そしてその頂点にはひとつの扉が見えた。

 その扉には見覚えがあった。かつて、自分たちが暮らしたあの家の玄関だった。

どうしてこんなところでそんな物が見えるのか。起きているつもりだったが本当は夢でも見ているのか。少年はしばらくその扉を見上げていた。

「別に、頭の中を覗いたりはできないしやってないから安心して。あの「入口」は、その人にとって馴染み深い「入口を示すモノ」に見えるようになってる」

 僕にも姉にも、別々のものが見えてるんだよ。彼はそう付け加えた。

 まだ眠り込んだままの妹を背負う。正面に文字の階段を見た。

 その階段には、蒼く光る石が転々と落ちていた。


*****


 扉を抜けたそこは、円形の大きな部屋の中だった。特に調度品も何もない、殺風景な部屋。置いてあるのはそう、ただひとつの扉だけ。自分たちが今通ってきた扉。

 普通、扉というのはその先に部屋が続いているはずだ。けれど、その扉はどこへも通じていない。本当に扉だけがそこに自立しているのだった。

「ようこそ! 歓迎するよ」

 双子の姉はそう兄妹を迎えた。双子の弟は突然でごめんね、と笑う。

「ひとまず、ここの責任者の人たちのところへ案内するよ。姉さんは報告書の準備」

「ラトウィッジはずるいなぁ」

「適材適所。ほら、よろしくね」

 渋々、という感じではあったが、それじゃあまたね、と双子の姉はこの部屋から出ていった。

 ちょうどその頃、背中の妹が目を覚ます。きょろきょろとあたりを見回しているのが背に伝わる振動でわかる。

「お兄ちゃん、お家どうなったの?」

 眠り込んだ場所と違うことに不思議そうな妹へ、返す言葉を少年は持たない。

「これからここが君たちのおうちだよ。急なお引越しでごめんね」

 助け舟を出したのはこの場に残った双子の弟だった。帰る場所がなくなった自分たちの境遇を「引越し」なんて言葉で片付けられるとは思っていなかった。

「平気! お引越しは慣れちゃったわ」

 少年の背からひょいと器用に着地すると、そうだよね、と言わんばかりの笑顔をこちらへ向けてきた。妹の言にぎこちない笑みを返す。

 その様子を見て、特に指摘することもなく「それは頼もしい」としゃがみこんで妹の頭を撫でた。


*****


 のっぺりとした壁が続く、ゆるい円形の廊下をラトウィッジに続いて歩いていく。ここへ来た人間が皆はじめに挨拶をする相手。今は右も左もわからないだろうが、ある程度の説明をしてくれるだろう。彼はそういった。

 そうしていくらか階段を降りて行き着いた一室。軽くノックをして、ラトウィッジが扉を開く。

 ふわり、と紙の香りがした。古い書庫に立ち入ったような感覚に包まれる。

「先生、ヴィル先生。ただ今戻りました」

 その部屋には、本と紙の海が広がっていた。

 備え付けなのであろう本棚には書物と紙が積み重ねられ、壁にはメモらしき何かが書き殴られた紙が貼ってある。床一面に広がる紙は、規則性を持って積み重ねてあるようにも、ただ雑然と積み重なってしまったようにも見えた。

 その部屋に、兄はしばし言葉を失った。

「ほら先生!」

 その声に、奥の紙の山がガサリと少し動いた。間をおかずガバリと起き上がった人影に、とっさに兄は妹を後ろへ下がらせた。

 古ぼけた紙色のコートを羽織った男性は、丸いメガネを鼻へ乗せるようにかけた。年齢は五十代半ば、といった感じだ。白髪混じりの髪を麻紐でひとつに束ねたその男性は、初めて見る自分たちとしっかりと目を合わせた後にっこりと笑った。人好きのする笑顔、というのはこういうのを言うのだと思った。

「ラトウィッジくん。案内ありがとう。あとは私が引き受けましょう。リデルくんの方を手伝ってあげてください」

 きっと面白い報告書になってしまっています、とヴィルヘルムはよくわからない言葉を付け加える。ただ、ラトウィッジはその言葉にひとつ疲れたように頷いて、妹へ別れの挨拶に手を振って部屋から立ち去った。

「はじめまして。私はヴィルヘルムと言います。名前を伺っても?」

「グレーテル! 私、グレーテルというの」

「僕はヘンゼル」

 ヴィルヘルムがガサガサと本をどければソファが現れる。かけるように勧められたが、ずいぶんとホコリが積もっていそうなそこへ腰掛ける気にはならなかった。隣の妹はといえば、そわそわと周囲を見回している。

「おじさん、ほうきはどこ? 私、お掃除とお料理が得意よ。このお部屋、お掃除のしがいがありそう!」

 彼女の言葉に、ヴィルヘルムは苦笑するばかりだ。

「妹さんが得意だという掃除は、いつか「魔法」になるかもしれませんね」

「……魔法?」

「きみたちは、きっとリデルくんとラトウィッジくんの「魔法」を見たでしょう。彼女らが紡いだ「魔法」は、奇妙なものだったとは思いますが」

 ついさっき見た、荒唐無稽でありながら美しい「世界」を思い出す。リデルが詠う通りに世界は目まぐるしく姿を変えて、ラトウィッジの綴る文字が実体を持ち階段となる、あの光景。

「……ここへ連れてこられる前、手品を見せられた」

 「魔法」という言葉は、使いたくなかった。

 助けられたのだとは思っていたが、あの力をここでは「魔法」とよんでいるらしい。

「世界の条理に当てはまらないものを、人々は「魔法」と呼びました。その力が、リデルくんたちにはあのカタチで顕現しているんです」

 リデルは、モノの「在り方を変える」魔法を、ラトウィッジはその逆で、モノの「在り方を固定する」魔法を扱うのだ、とヴィルヘルムは言ったが、いまいちイメージがし難い。隣の妹もそろそろ話を聞くのに飽きてきたようだった。

 こちらが理解できていないのは、おそらく彼にもわかったのだろう。

「正確さを対価に、簡単さを優先しましょう。リデルくんは自分の想像のままに語ったことが現実世界にあらわれてしまう。ラトウィッジくんはその手で綴ったものが現実になってしまう。そんな「魔法」を操るんですよ」

 彼らはふたりで世界を塗り替えてしまえる力を持つんです。そう彼は付け加えた。


*****


 ラトウィッジの能力は、その手で記したもの、綴ったものの存在確率を操る。それは現実に存在するか否かに関わらない。空想のものであっても、彼が紡げばそれは現実に存在することが許される。

 ただ、無から有を生み出せるとはいえ、その強度は綴るイメージの具体性よりも表現力に寄っているようだった。

 ここに、ラトウィッジひとりでは能力をうまく扱えない理由がある。彼には存在するものならば仔細を即座に書き上げてしまえる力があるが、無から何かを想像するというのは専門外。使う頭の分野が違う。想像を書き起こすよりも前の段階で躓いてしまうのだった。

 ここで、姉のリデルの能力が生きた。

 彼女は、なにもないところから物語を作りあげるのが尋常でなく上手かった。そしてそれを披露する口伝の速さは他者の追随を許さない。


 リデルが語り、ラトウィッジが綴る。

 そうして世界はみるみるうちに書き換わる。

 その世界は彼女らふたりが女王であり王である。彼女らがふたりで物語を綴り続ける限り、その世界は誰にも侵すことの出来ない聖域になる。


 ただ、強すぎる力は制御もまた難しい。

 ラトウィッジは力を持たない文字が書けず、リデルは目の前のものを正しいカタチで認識することができない。

 彼女の目を通す世界は縮尺と形がその日ごとに変化する。ある者は顔だけがやたらと大きなかぼちゃに見え、ある者は大きなドラゴンの尾が生えている。彼女の世界では、空想力が現実を徐々に侵食しつつあった。

 いつか、きっと私は自分の顔も弟の顔も正しく見えなくなって忘れてしまう。そうリデルは覚悟していた。


*****


「リデルくんとラトウィッジくんには、どこであっても自分たちの「王国」にしてしまえる力がある。それを応用して、君たちには「物語」を見せて、町を消失させる力からは君たちが一緒に消えたように見せかける。そんなことをやっていたんですよ」

 ヴィルヘルムは部屋の隅からひとつの小箱を取り出してきた。大人の両手に乗るくらいの小箱だ。

「私達は『箱庭調査局』というものです。きみたちは、自分たちの生きている町の外に、もっと世界は広く広がっていたのだと知っていますか?」

 ヴィルヘルムが小箱を開く。中から色も形も様々な「星」が飛び出した。それらはランダムに宙に浮く形で静止する。

「これが、今私が調べた世界地図。これを私は『箱庭』と呼んでいます」

 惑星ひとつひとつが生物の住む町であり、この間まで自分たちが生きていたあの町も、この星々のひとつであったという。

「本来ならば、町から外へ出ることはできません。そこで生まれたものはすべからくその町で生きて死にゆく定めです。ですが、たまに世界が混じり合ったり、失われたり、増えたりする。世界にある町の数は一定ではない」

 そうした様子が、まるで子どもが好き勝手に人形を増やし減らして遊ぶように感じられた。だからこそ、ヴィルヘルムはこの世界を「箱庭」と称した。

「僕たちの町が壊れたのも、そのせいだって?」

「私が観察を始めてからまだ五年足らずではありますが、珍しいことでもまたありません」

 何の証拠もない、絵空事の物語だと切り捨てても良かった。

 けれど、それがどうしても出来ない。彼は、彼の言っていることが正しいのだとどこかで納得してしまっていた。

「この話を信じることができるなら、確かにあなたは立派な「魔術師」なのでしょう」

 これまでに、ヴィルヘルムの言う「箱庭」を理解した人間には、皆何かしらの異能力が授けられていたらしい。先程見せられた「魔法」というのがそれだ。

「きみにも、他の人には理解されない「なにか」があるのではないですか?」

 促された少年は、少し視線を迷わせた。心当たりが無いわけではなかった。

「……道に石が見える。それだけだ」


*****


 それが見えるようになったのがいつ頃だったのか、ヘンゼルは覚えていない。

 妹とともに買い物へ向かったその帰り道。点々と光る石が落ちているのに気がついた。

「拾うんじゃないぞ」

 妹は変わったものを拾うのが趣味だ。ヘンゼルからすればガラクタにしか見えないような壊れかけのおもちゃ、変わった形の花など、持って帰っては自室に飾っているのだが、それもそろそろ雑多になりつつある。光る石など全部拾って帰りかねない。

「? 拾うの、ないよ?」

 妹はそう首を傾げてきた。珍しいこともあるなとは思ったが、単に興味が向かなかっただけかもしれない。彼は変わらず彼女の手を引く。

「……あの石、お前が落としながら買い物に行ったのか?」

「??」

 その光る石は、ヘンゼルたちの家へと続いていた。


 一度だけなら妹のいたずらかと思ったが、何度も続けば気味が悪い。けれど妹は何も知らないようだし、そもそも妹にはその石が一度も見えたことがなかった。

 その石はヘンゼルならば拾い上げることができた。拾い集めて鞄に詰めた。家についたら改めて調べてみようと思ってのことだったが、家について鞄を開けてみればその石は忽然と姿を消していた。

 光る石は見えるときと見えないときがあり、その条件が妹と一緒に居るときだけ、という事に気づいたのは程なくしてのこと。

 帰り道に現れるその石のルートは日々変わっていった。どうやら、「一番安全なルート」を案内しているらしいということだけは理解した。その石の導く道から外れて帰った日は、大なり小なり何かしらの怪我を負う事が多かった。

 ヘンゼルがその光る石を信じ始めた頃。その石は家を指し示さなくなった。

 家が安全な場所ではなくなった、ということだとヘンゼルは悟った。

 それからはずっと、どこかへ移動しようと思うときには石が見えるようになった。


*****


 ヴィルヘルムはメモを取りながら、ヘンゼルの話を聞いていた。彼はこうして、様々な世界の断片を記録、編纂しつづけて来た。

「君たちさえ良ければ、どうか力を貸してほしいのです」

 いつかこの「箱庭」の全容を解明し、自分たちの「故郷」を取り返す。

 それが、この「箱庭調査局」の目的なのだという。

「望むなら、どこか違う町に「住人」として降ろすこともできますよ」

「……だけどその時は、僕たちがここで聞いた話も、故郷の記憶も、全部「書き換えられ」るんだろ?」

 あの「魔法」を思い出す。

 あれは他者の意識への「侵略」だった。リデルとラトウィッジが許さなければ、自分たちの意識も記憶も、保つことができない。

「聡明なお兄さんですね」

 悪気は全くなさそうな笑みだった。

 どうせどこへも行けないのだ。ヘンゼルに取れる選択肢など、もはやひとつしか残っていないのはよく分かっていた。

「僕の「魔法」は役に立たないと思うけどな」

「すべてのものは使いようです」

 不安げに見上げている妹に気がついた。そっと頭をなでてやる。

「悪いようにはしませんよ」

 ヴィルヘルムはそう右手を差し出した。握手の文化は、ヘンゼルの町にも存在している。

「されてたまるか。僕と妹の安全だけは確保させてもらう」

 差し出されたその手を、パンッと払うように叩いた。

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