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イエスへの慟哭

作者: 竹牟禮 基

 僕は、深く、ドス黒い溟渤の上を古ぼけた船に乗って進んでいる。

 闇が渦巻いている。淫らで邪で悪辣な魑魅魍魎どもが僕に集ってくるのだ。

 それでも僕は抗い続ける。僕は僕の英雄であり続け、果てのない、終わりのない、絶望に満ち溢れた人生という名の航海を続けている。

 虚ろなる闇への叛逆を敢々と吠え猛り、業と罪に争い続けてきた自分に泥酔している。

 もう人生で何回、必殺技を放ってきただろう。僕の船は今まで屠ってきた数々の凶悪な魔物たちでいっぱいだ。それに今からでも沈没してしまうかもしれない。


 幼少の頃、まだ船に乗ってない時、周りのもがき苦しむ大人達を見て、いつしか僕も同じ色に染まって忘れようとすることが当たり前になった。


 神様、あなたは汚れたものの気持ちがわからないのですか。

 そんなはずは決してないでしょう。わが神、わが神よ。

 あなたもイエス様もあまりにも清らかすぎて、僕には縁もゆかりもないような言葉で話されます。

 サブカルチャーや発達障害、性的マイノリティ。幼い頃からそういうものにどっぷりと浸かってきた僕のようなものからすると、どうしてもあなた方の言うことが、馴染みの薄いものになってしまいます。


 イエス様、あなたがお生まれになり、生きてきた時代には存在そのものが気づかれなかったようなめくら、足萎え、おしの人々と同じような人々がいます。


 はっきり申し上げましょう。

 イエス様。たとい、あなたが神の御手により奇跡を以て僕の発達障害を治したとしても、それは果たして治すべきものだったのでしょうか?


 例えばあなたは自閉症を抱える人を目の前にして、その人がどういう風に見えますか?


 悪霊に取り憑かれてる?痴呆の者?人生や悪魔に惑いやすい小さきもの?


 いいえどれでもございません。


 僕たちは生まれながらにして、発達障害という個性を抱えています。ですが僕たちにとっては非常に迷惑極まりない個性です。

 他人にも自分にも迷惑をかけない生まれつきの脳機能障害。

 それが発達障害であり、直すことのできない障害です。


 イエス様は勘違いをなさっています。発達障害というものに限って言うならば、これは治すものではなく受け入れるものです。


 あなたの意志を継ぐ、まっとうなクリスチャンから受けた何気ない一言で僕の心は深く傷つきました。


 僕はこういう障害を持っているという風にその人に言うと、「神様の奇跡によって、治るといいね」などとのたまわれました。


 イエス様。あなたは今度僕に合う時に、愚かしくも僕の障害を治そうとお考えですか。

 確かに僕の障害はなくなってくれた方が助かります。


 ですが、本当に神様の奇跡とやらでさっさと直すのが一番いいのでしょうか?


 発達障害は、あなた様が直してきた、おしや、めくらや、足萎えの人と違って、本人に障害があるのではなく、周囲や社会に対して障害があるのです。

 本人が生まれつきそうであることについては全く何の問題もないのです。

 確かに僕から発達障害を取り去ってしまえば、周囲との関係はいっぺんに良好になるでしょう。


 イエス様、あなたがそんなことはなさらないと僕は信じています。

 今は、なぜ発達障害の人があなたが人々にお贈りになったあの聖書に書かれなかったのか。また日本という国が聖書の記述を見渡しても無視されてるのはなぜか。


 そういった理不尽を日本人で発達障害の僕は感じていますが、神様が僕を発達障害になるように産んでくださったのも、神様の御業が僕に現れるためにそうなさったのだと信じています。


 でもひとつだけわがままを言うとするなら、僕の発達障害を治してくださいませんか?


 人の気持ちがわからず無神経な言葉でお互いの心を串刺しにするのも、場違いな行動をしないように周りに対して過剰に気を配り空回りするのも、障害を理由に差別されたり、外国人のような扱いを受けるのはこりごりなんです。


 今まで他人に言われて一番傷ついた言葉があります。


 「へー、知らなかったけど君みたいな人いるんだね。でも発達障害って何の障害?見たところどこも悪そうじゃないけど?」

 これだけならまだいいんです。知らない人がいるのも仕方ありません。


 ただその後、僕のことを取り扱いの外にいる人物として無視する人がたくさんいます。

 流行の曲、ファッションの話、好いた惚れたの惚気話、話に加わってる人のキャラの話、若い人向けの店に行った時の話。

 Twitter Facebook Instagram を見せ合ったり……。

 そういう世俗性にまみれたよくわからない話をできない人がいっぱいいるはずなのに、もちろん僕もその一人なのに、世の中の普通と呼ばれる人々は、平気で僕らは無視します。

 こちらが合わせてもお構いなしです。そういう話ができない、理解の範疇の外にいる、いない人として扱われているからです。


 あの類の人たちは、発達障害を普通の事だと考えてます。

 ある意味それは真実と言います。ですが、誰にでもそうした発達障害的な部分があるからと言って、僕ら発達障害の当事者が全く人生に何も困難を感じていないか、と言うとそういうわけじゃないんです。


 彼らは、身近な福祉関係者にそういう話を聞きかじって曲解します。だけど彼らと上手く付き合ったりしていかないと、何でもじゃないですけど社会でやっていけません。


 職場にそういう人が多いと、人柄が人事で配慮されて左遷もありえるでしょう。

 実際社会では、発達障害をはじめとする障害者の人が許される世の中が続いてます。


 僕はそういう状況を鑑みて教会に救いを求めました。

 牧師先生に直接強く問いかけたことがあります。


 先生、LGBT の方々は、生まれながらにして己が愛することを宿命付けられている人を、愛するだけで罪なのですか、と。


 先生、我ら発達障害の者々は、聖書にほとんど記述のない、神様から無視された障害者なのですか、と。


 イエス様、あなたはむごいことをなさいました。

 今 LGBT の信徒たちがどんな目に遭っているかご存知ですか?


 僕はこんな人を知っています。

 ある日、目が覚めた途端にゲイになっていた男子高校生を僕はネット上で知ってます。


 彼はあなたに希いました。あなたはこの星の隅々に目を届けてらっしゃいますから覚えておいででしょう。

 彼は、今まで何の問題もなくクリスチャンとしてあなたに仕えあなたと結婚したものとして過ごしてきました。


 あなたはなぜ、神が定めたもうた掟に、存在するだけで背いてしまうようなとんでもない人々を生み出したのですか。


 僕は教会の人々の LGBT に対する見解に疑問を抱いてます。


 LGBT であることそのものは罪ではないが、LGBT としての人生を楽しむことは罪である。

 

 こんな屁理屈と理不尽が、堂々と大手を振ってまかり通るような世界をあなたはお作りになったのですか?


 こんなむごたらしい世界はあなたはお望みだったのですか?


 先ほどの彼は、何度もあなたにお祈りをして、今の男を好きになってしまう自分ではなく、元の女の子が好きな自分に戻してください、と何度も何度も毎晩毎晩眠ることもできずに必死で祈ったはずです。


 それでもあなたは叶えてくださいませんでした。


 これほど深く傷ついてる人に、あなたは訪れもしなかったのです。


 あなたが十二使徒たちの前で語った御言葉の一部には LGBT を迫害するような発言が含まれていました。


 あなた性道徳について深く論じられましたが、ではいったい LGBT の方々を何と説明付けるのですか。


 あなたがそのように教えになったお陰で、男は女の格好をしてはならない女は男の格好をしてはならない、あるいは男は男と寝てはならない、女は女と寝てはならないなどとおっしゃったせいで。


 どれほどの LGBT の方々が、どれほどのクリスチャンによって、どれほどの数の言葉によって、苦しめられてきたとお思いですか?


 あなたの御手とあなたの御心は、あの方のようなものたちのためにあるのではないですか。


 あなたが教え、説き、広めた神の律法と LGBT の人たちの存在は矛盾するのではないですか。


 なぜあの人たちが、ただ生きてるだけであそこまで苦しまなければならないのですか。


 彼ら彼女らは望んで同性が好きなわけでもないし、また両方が好きなわけでもありません。


 あなたは何という酷いことをなさったのですか。


 またなぜ発達障害者をことごとく無視するのです。


 世の中には数え切れないほど誰にも知られずにひっそりと苦しんでいるマイノリティの方々がいらっしゃいます。


 あなたはご存知ないでしょうね?あなたが神の奇跡によって作ってきた人なんて、その上澄みでしかないのですよ?


 あなたは身体障害者や、明らかに知的に障害のある人しか御手によってお癒しになりませんでした。


 あなたとしては、たくさんの障害を抱えた人を救ったおつもりでしょうが、それで完全な神の子として君臨するのは浅はかと言わざるを得ません。


 はっきり申し上げましょう。あなたは、いかにも障害者としてわかりやすい人しか救いませんでした。あなたは、一目で障害を持ってると分かるような人しか救わなかったんですよ?


 現代の医学を見渡してみて、一体どれほどマイナーな病気や障害がお有りとお考えですか?


 発達障害なんてその良い例でしょう。一目で障害があるとは誰にも分からない。良くてせいぜい風変わりな人程度に見られるだけ。本人も周りも、自分に障害があるなんてつゆほども思わない。


 そんな目立たない障害や病気というものを、あなたも一度でもを見抜きになりましたか?


 いいえ、そんなことはありません。

 私の中で一度も身体障害者や、見てはっきりとわかる程度の知的障害を持ってる人しかお癒しになりませんでした。


 ですからあなたが十字架につけられ、全人類の罪を肩代わりしてくださった後も、聖徒のつどいの内で、僕たち発達障害者はいない人扱いされてます。


 なぜならイエス様、あなたが一度も発達障害の方をお癒しになったことがないからです。発達障害の方とお話しされたことがないからです。


 僕たち発達障害者に大しての御言葉がひとつもないのです。


 なぜですか、神様。どうして、障害のある人を救われるべき人としながらも、身体障害者や知的障害者ばかりを取り上げるのですか。精神障害者は心病める者としてぎりぎり記述がありますが、なぜ僕たち発達障害者を無視なさるのですか?


 これらがあなたに対して僕が不信感を抱いている理由です。


 あなたが十二使徒やお弟子様に説いた、社会的弱者に対する道徳と神の救いは時代遅れと言わざるを得ません。


 もしあなたの教えの通りにクリスチャンが正義をなしたとしても。

 LGBT の人達の立場はますます危うくなり、僕たち発達障害者は、ますます教会世界から存在感を失っていくことでしょう。


 それが怖くて仕方ないんです。


 あなたも神様も多くの人々が幸せになれるように人々を導いていらっしゃいます。


 ですがそれに漏れはありませんか? あなた方の目の行き届かない人々が犠牲になってませんか?


 障害や、LGBT、あるいはマイノリティの世界。

 これらの分野は良いか悪いかではっきりさばけるほど甘くはないのです。


 僕は常々、日曜の礼拝に出て違和感を感じていました。


 神様の義が絶対であるならば、生まれた瞬間から存在するだけで罪に背いてしまうようなあり方をしている人はどうすればいいのですか?


 考えてもみてください。LGBT やサイコパスの人々が、そう生まれたくて生まれたと、本当にお考えですか?


 サイコパスなんてその良い例です。

 はっきり申し上げましょう。彼らは生まれながらの悪魔です。

 呼吸をするかのように罪を犯します。ですが罪を犯すかどうかの選択は、彼らがコントロールできるものではないのです。


 良識のある愛情深いお母様に育てられた幼いサイコパスの女の子がいました。

 お人形を与えられると、人殺しごっこをして人を殺す練習をするために遊ぶような恐ろしい子でした。

 ですが神様、彼女には悪意がありません。

 この世には、ありとあらゆる障害がございます。

 物事の善悪が一生わからず、悪いことしないと生きていけない人たちがたくさんいるんです。


 でも彼らは、好きでそうなったわけじゃない。


 「悪人としてしか生きられない」という障害がサイコパスという障害なんです。


 はっきり申し上げましょう。それがどんなものであれ障害を背負っていること自体について本人が責められるべきではありません。

 たとえサイコパスのように、悪人としてしか生きられない障害だったとしても。本人が障害を持つことで悪事を成してしまったとしても。


 それは障害のなせる業であって、本人の責任の如何によって問われるべきではないのです。


 この世全ての悪の大部分が、サイコパスや PTSD あるいは後天的な虐待による発達障害などによって引き起こされているものと類推できます。


 あなたは神の御心に背くものを裁くとおっしゃいましたが、まず前提を履き違えてます。


 どんな悪人も、生まれながらにして悪人ということは、サイコパスという事例以外ありえません。

 そうサイコパスでさえ、サイコパスにならないように予防する方法はないのです。

 悪人が悪人になるには、劣悪な環境と悲惨な人生、あるいは周りからの虐待や、差別、迫害、弾圧、その他もろもろの苦しみを受け、人として堕落している必要があります。


 神様や、イエス様は、自らの行いに責任を持たず自堕落な生活を送って人として堕ちたものをさばくとおっしゃっています。

 それについては僕も物言いはありません。


 ですが今言ったように、酸鼻極まりなく、むごたらしい人生を送ってきたものが、どうしてそのまま幸せな人生を送り善人となれるでしょうか?

 生きるために悪人とならざるを得ず、幼い頃から悪人であることが当たり前だった人にとって、あなたの義とは傲慢極まりないのでありませんか。


 悪人の両親のもとに生まれ悪人として育ち悪人として生き残り悪人として捕まり悪人として死んだものが、どうして最後の審判においてまで、あなた方に袋叩きにされねばならないのですか。


 良き行いをし幸せな人生を送る余地のなかった者たちを、どうしてあなたがたが裁く権利があるというのですか。


 返しにしたりやり直す機会が一回もなかったのかというふうに屁理屈をこねるものがいます。


 そして神様は完璧だから一回でもそうした漏れがあったら見逃さない。だから一つでも間違いがあるならそれは悪だと決めつける。


 こんな屁理屈で人が救われると本当にお思いですか?


 サイコパス、LGBT、発達障害者、犯罪者や極貧家庭に生まれたもの、あるいはスラム街に生まれたもの。


 こうした多くの人々をご覧なさい。


 この人々のうち一人でも自分の生まれを自分の責任で選択できたものがいらっしゃいますか?


 そうやって生まれてから、その生まれの通りの人生を送ってきて、それがあなたの定めた神の律法に背くとして、それが罪ですか?


 こうした呪われた者たちは、自力であなた方の教えについて行くことができないのです。


 こうした者たちの中でも特にサイコパスや LGBT といった人たちは、存在自体が罪と言っても過言ではないような人達です。


 一つルールを定めたとしましょう。


 ですがどんなルールにも例外はあります。


 なぜなら神様、あなたがお作りになった世界は、とんでもなく広大で、探せばいくらでも特殊な人々や特殊なものなど見つかるからです。


 LGBT として生まれたことは罪ではないが、LGBT として生きることは罪だ。

 サイコパスとして生まれたことが罪ではないが、サイコパスとして生きることは罪だ。

 発達障害者として生まれたことは罪ではないが、特性の暴走を放置して生きることは罪だ。

 犯罪者の両親を持ってスラム街に生まれたことは罪ではないが、犯罪を犯して生きることは罪だ。


 こんなの……、ぜえぇーーーーんぶ屁理屈じゃないですかッッ!!


 一体わあなたの定めたくだらない神の律法とやらで、どれほどの人が自分のあり方を否定し続けていると思ってるんですか?


 あなたのその清く正しいお利口さんな神の律法とやらで、どれほどの人々か「いい子」になろうと血反吐を吐くような努力をしてると思ってるんですか?


 偽善もいい加減になさい。僕たちマイノリティの苦しみなんてひとっつもわかっていやしないくせに。


 ほとんどのマイノリティが、生きてるだけでその存在そのものが罪の源になるんです。


 自分の生まれや障害病気と言った本人にはどうにもならないことがそのまま罪に繋がるんです。


 あなたも神様も、そうした方々を憐れんではくださらない。


 善も聖さも義も愛も、自分の生まれや障害や病気といった事情によって受け取れない人が多くいるのですよ?


 あなたは聖書の中で、神様の愛を受け取らない愚か者の話をしましたよね?


 ですが、その人達は本当に愚か者だったんでしょうか?


 犯罪が蔓延した地域の生まれのものや、一生人を罪に誘い続ける不治の病に冒されたものが、果たしてあなたの愛や正義を受け取る力があると思いますか?


 確かに表面上で見れば、彼は自分の判断であなたからの愛を拒んでるように見えます。


 ですが別に彼らは、神様の愛を拒絶してるわけではないのです。


 あなたが差し出す愛というものが何か分からないんです。

 そしてそれはあなた方が癒してくださいならない限り一生治らないんです。一生わからないんです。


 いいですか?障害というものは本来、あなたがた神様たちでなければ、ホイホイ気軽に治って簡単に解決できるほど甘いもんじゃないんですよ。


 一生背負い続けていくほどの重みを持ったものなんです。


 あなた達は弱い人の苦しみが何一つわかってない。

 本当の意味では何一つわかってない。

 障害を持った人が、そんなに簡単にあなたは愛や正義を理解できりゃあ、苦労はしませんよ。


 僕たちは人の社会の間では、その他大勢でしかない人間であり、誰よりも固有の世界を持った非常に独自性の高い人間なんです。

 普通なことに苦しんでいる一般人とは、及びもつかないほど固有の人間なんです。

 あまりにも固有性が強すぎて、似たような人間がこの世のどこにもいないんです。


 だから僕たちはどこに行っても何をしていても一人ぼっちです。


 自分と同じような経験をした人が誰もいないから。

 そう神様、イエス様、あなたたちでさえ、僕たちのこの孤独で寂しくそして気高い人生を理解できないんです。

 驕り高ぶってるのでありません。好きで孤高の人生を送りたくて送ってるんじゃないんです。

 ただこの夜の砂漠を歩くかのような人生に、価値を見出すとすれば。

 誰も通らない道をよく一人でここまで歩いてきたな、と誇らしげに思うしかないのです。


 人よりも何倍も何倍も苦しい思いをして、誰も知らない世界に次々足を踏み入れて、誰にもよくわからない人間に育っていって、いつまでもいつまでも宇宙への階段を登り続けて、それを見上げた地上の人々から、宇宙人に会いたがってる変わり者と笑われて指を刺され続けるんです。


 違うんです。それしか歩く道を知らなかっただけです。

 こんな道とすら呼べない、奇妙奇天烈摩訶不思議な階段を、奇々怪々な方法で作り上げて、天にも昇るような道を駆け上がっていくなんて、生まれるまでは思いもしなかったんです。


 地を這う全ての生き物と、天翔ける鳥たちがこの世界を満たす中で。

 宇宙を地面もないのに2本の足で直接歩くような人生を送っている馬鹿がどこにいると思いますか?


 いるんですよここに。そういう馬鹿が、いるんですよ。

 いいえ。僕自身がバカだと言いたいのではありません。

 ただそんな笑い話にもならない、悪質な冗談じみた、滑稽とすら言えもしない人生を送ってきた人たちが、この中にはたくさんいるというだけです。


 この人間社会が作り出したルールや規範の範疇の外にいる人間たちがたくさんいるんです。

 彼は行政の人間の想定外と思える頭のネジが十極本も抜けた奇天烈な人生を送ってます。


 どこに行ってもそうです。僕たちマイノリティはどこに行っても各分野のキャパシティの範囲外なんです。


 だからわざわざ特別枠を設けて、研究をしたり、配慮をしたり、サービスを作ったり、行政が対応したりするんです。


 僕はまさか神様にまで同じことをされると思いませんでした。

 広い聖書の世界や教会の世界を見渡しても、マイノリティについて取り扱った教派が少ないことは、火を見るより明らかです。


 だから僕はあなた方とどう向き合ったらいいかわからないんです。

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[一言] だから、何を言っても、証拠を出しても あなたは「信じない」と言ったでしょ? >脳の構造が物理的に違うなどという物的証拠があるはずがないじゃないですか。 とあなたは言いますが、その物的証拠とや…
[一言] 思い込みの激しいあなたに 何を言っても無駄でしょうが 発達障害なんて障害はこの世に存在しません インチキです 1980年代に世界中の専門家や医者が アメリカのマスコミに発表しました 発達障…
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