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召喚魔導師

 

 旧帝暦 一六七五年 四月五日  ブラウンベルグ選帝侯国




 春の陽射しが降り注ぐ、昼下がり。

 刈り込まれた庭木が両端に植えられ、芝生が辺り一面に敷かれた中庭。

 その中央には、二人の人影が一〇歩ほど距離を取って対峙していた。


「それではユーリヒト様、お教えした通りに、召喚魔術を行使してみて下さい」


 アレンスの言葉を受けたユーリヒトは、小さく頷いてその一言を口にする。



「――召喚」



 それが引き金となり、額の中央が熱を帯びると、全身から莫大な魔力が噴き上がる。

 すると、放出された魔力と空中の魔力が共鳴するように震えだし、青白い光を帯びた魔方陣が展開された。

 複雑な幾何学的な模様が描かれた円形のそれは、脈動するかのように強烈な光を放ち、視界を真っ白に染め上げる。

 次の瞬間、魔力が光の粒子となって渦巻き始め、ゆっくりと人の姿に形作っていった。


「……――ッ!」


 やがて、眩い発光現象も収まり、徐々に視界が明瞭となっていく。


 まず目に映ったのは、石像のような顔立ちと青銅のような肌。

 全長は一七〇センチ前後で、暗青色なブラウンベルグ近衛兵の軍服を纏っている。


「これが、召喚兵士……」


 前世と今世、二つの世界の最大の相違点。

 目前に顕現したこれこそが、この世界唯一の魔法使いの力を具現化した存在だ。

 この僕を自由に行使する者たちを、人は召喚魔導師と呼ぶ。


「魔術、か……思えば知識としては知っていても、こうして実体験するまで、心のどこかでその存在を信じきれなかったな」


 その感慨深げな呟きは届かなかったのか、対面のアレンスが反応することなく説明を始める。


「顕現した召喚兵士は、術者が無意識のうちにイメージした衣服を着用しております。ユーリヒト様の場合は、兵士という単語に引き摺られ、最も想像し易かった近衛兵の軍服となったのでしょう」

「即ち、これが標準的な召喚兵士の出で立ちではないと?」

「はい。術者により体格も服装も千差万別です」


 曰く、召喚兵士は術者のイメージによって大きく左右されるらしい。


 尤も、一言にイメージといっても無意識の次元であり、人間が持つ先入観や常識の範囲に固く縛られる。それ故に、召喚兵士の体格や衣服も、術者にとって身近な実例に基づくことが多く、逆に術者の常識から逸脱するようなアレンジはされない、とアレンスは説明する。


「さらに、服装以外で武器や防具と成り得る装備品の具現化は不可能ですので、この点もご留意ください」

「……装備品や装飾品も具現化できないのか」


 アレンスから召喚兵士に視線を移し、ユーリヒトは思わず眉をひそめる。

 当初、想像していた自由度の高い魔術とは、少しばかり印象が異なっていた。


「また、召喚魔導師の階級は、三つの階層に分類されます。これについては、以前お教えした筈ですが、覚えていらっしゃいますか?」

「ああ、尉官と佐官、そして将官だろう? 一般兵科の軍組織と異なり、下士官や兵卒の階級がない点が、通常とは異なる点だと聞き及んでいる」


 召喚魔導師の階級は、最初に少尉、中尉、大尉からなる尉官階級。次いで、少佐、大佐からなる佐官階級。最後に将軍という将官階級の三階層六階級で構成されている。


 その事前知識があったからこそ、ユーリヒトの脳裏にある疑問が浮かんだ。


「……そういえば中佐の階級がないな……それに将官の階級が将軍だけなのは何故なのだ?」


 遥か遠い記憶の彼方。

 主観時間で一〇年近く前に、一度だけプレイした【サモンズ・レギオン】の記憶が確かならば、中佐の位階はゲームの時から存在しない仕様であった。しかし、将官の階級については、少将、中将、大将という分類であったはずなのだが。


「その質問にお答えする前に一つご確認したい。召喚魔導師の各階級の総魔力量が具体的にどれほどの物なのかご存知ですね?」

「無論だ、たしか――」


 ――召喚魔導師の総魔力量は、術者が召喚兵士を一度に何体顕現させられるか、という条件で決定される。

 召喚兵士一体を顕現するのに必要な消費魔力を一とした場合。

 尉官の階層は、階級ごとに一ずつ魔力が増え、少尉一、中尉二、大尉三、という形になる。


 ここまでは、どの階級の総魔力量も大した違いは見られない。

 だが、ひとたび佐官ともなれば、変化は劇的だ。何しろ最低の少佐ですら大尉の四倍の魔力量を誇るようになり、大佐だと大尉換算で一二倍にも及ぶ。


 ――将軍の総魔力量ともなると、最終的な倍率は少尉のおよそ一〇〇倍という信じられない値になるそうだ。


「知っているのならお分かりになって頂けると思います。中佐がないのは、将軍と大佐では総魔力量が隔絶し過ぎており、同じ階層にしてはバランス上の問題が浮上するので、中佐の位階は据え置かれたそうです。また、将官が将軍のみなのは、単純にそれ以上の総魔力量を有す階級が過去に確認されていないためです」


 何気なくアレンスが放った一言に、ユーリヒトは首を傾げて問うた。


「ん? 将官の階級が確認されていない、とは、どういうことだ?」

「召喚魔導師は、召喚兵士を使役した戦闘行為を繰り返すことで位階が上昇します。しかし、文明が萌芽する以前の原始的な時代を除いて、国家単位の戦争では、召喚兵士を最前線の戦闘に参加させるということは殆どあり得ません。それ故に、高位の召喚魔導師が生まれるはずもなく、既存の階級以上に昇進可能なのか確かめるすべがないのです」

「なんだと!? なにゆえ召喚魔導師は戦闘に参加できない?」


 驚愕で声を上げたユーリヒトに、アレンスは言葉を探すように答える。


「……幾つか理由はあります。ですが、最初に来るのは、大多数の人間が抱く普遍的な倫理観からでしょう。結局のところ、人間を殺すのは人間だけでなくてはならないという原理的な考え方です」

「それは、まあ……分からなくはない」


 そうした倫理観は、中世や近世どころか、無人兵器の開発競争著しい現代ですら根強く残っていた問題である。

 まして、前世以上に伝統的な勇気と正義に固執する近世的な価値観では召喚兵士に対する嫌悪感も現代の比ではないだろう。


「次いで挙げられるのは、戦争における既得権益の問題です」

「……既得権益」

「召喚兵士の耐久力は生身の人間と変わりません。されど、痛覚がないので痛みを感じることはありませんし、空腹を訴えることもない。まして一度殺しても、術者の魔力が尽きない限り、何度でも復活できる」

「まさに理想的な兵士ではないか?」


 ユーリヒトの言葉に、アレンスは小さくかぶりを振る。


「ですが、いえ、だからこそ、貴族の将校や騎士からすれば、せっかくの武功を稼ぐ機会を失うことを意味します。召喚兵士を捕らえた所で身代金は要求できませんし、殺したところで武功にもなりません。そして、職業軍人の平民にとっても悪夢でしょう。召喚兵士など自分たちのような存在の全否定と同義なのですから」


 絶対君主制が主流の時代において、王侯貴族からすれば戦争とは華であり、騎士的武勇や個人的名誉を掛けた私戦という意味合いが大きかった。それを奴隷どころか人形同然の召喚兵士に奪われるともなれば、反発必至なのも無理はない。


「それ以前に、召喚兵士は戦場で扱いにくいという根本的な問題もあります」

「扱いにくい?」

「そもそも、召喚魔導師はおよそ五〇人に一人という特異存在です。とはいえ、これは身分にかかわらない統計でのことであり、王侯諸侯や聖職者という上流階級の人間に限れば、五人に一人の高確率になりますが……しかし、それを考慮しても生まれながらに殆どの者が少尉、或るいは中尉階級程度の魔力量しか持ち得ていません。この様に絶対数が少なく、最下級の者が大半では、実用性のある佐官階級まで育成するのも一苦労なのです」


 それを聞いたユーリヒトは、目を丸くして疑問を呈す。


「どういうことだ? なぜ召喚魔導師の資質が身分と密接に関わっている? 数字の偏りから偶然とは考えにくいが……」

「さあ? 一介の軍人でしかない私では何とも言い難いですね。有史以来、召喚魔導師は依然として存在していたようですが、召喚兵士のことも含めてまだまだ解明されていない謎は多いですから」


 ――魔力は血に宿り、それが身分社会の一助となったのか。それとも王権神授説のごとく先ずは身分が来て、それから魔力が授けられたのか。


(本来、王権神授説を裏付けるような説は、一見して馬鹿馬鹿しく感じる。だが、【サモンズ・レギオン】というゲームの世界に転生した現実を考慮すれば、創造主クリエイター異能せっていを授けたという説も、あながち間違いだと断言はできないか)


 ユーリヒトは目を伏せて、しばし思案に耽る。


「話を戻しましょう。他に扱いにくい理由としては、多種多様な制約が召喚兵士に課されている点です」

「というと?」

「例えば術者の命令は絶対順守の召喚兵士ですが、いきなり高度な命令を達成することはできません。せっかくですので、実際に体験してみましょうか」


 ちらりと、召喚兵士の方に視線を向け、アレンスは言う。


「では、そうですね……ユーリヒト様の自室にある羽ペンを取ってくるように命じてみて下さい」

「分かった、やってみよう」


 そう返してユーリヒトは、正面の召喚兵士に向き直る。


「召喚兵士よ! 自室にある羽ペンをここまで持ってくるのだ!」

「……」


 焦点の合わない瞳をこちらに向けたまま、その場から動かない召喚兵士。

 ユーリヒトの下した命令は聞こえているようだが、それを遂行する様子は一向に見せなかった。

 訝しげな顔をするユーリヒトに、アレンスが苦笑いしながら告げる。


「この場合は、ユーリヒト様の自室がどこにあるのか、そして、具体的にどう向かえば良いのか、不明であったので実行できなかったのでしょう。召喚兵士は術者と知識を共有しますが、記憶を共有しているわけではないですから」

「抽象的な命令のみでなく、具体的な手順を示してやらねばならなかったのか」


 一例をあげるなら、土地勘のない者に、目的地までの道のりを説明しなければ、そこまで辿り着けないのと同じなのだろう。


「それでも、人間換算すれば一二歳前後の知能は有しており、記憶もまた蓄積されるようなので、一度、ユーリヒト様が自室まで案内してやれば、それ以降は同様の命令でも難なく遂行できましょう」

「……高度な命令ほど、経験や鍛錬が必要になるのは人間と変わらないということか」


 納得したように頷いたユーリヒトを見て、アレンスは改めて言葉を紡ぐ。


「あとは術者から離れ過ぎると、召喚兵士は自動的に消滅してしまうという制約もありますね」

「具体的にはどれほどなのだ?」

「そうですね――大体、直線距離で三五〇エレン(約二八〇メートル)ほどでしょうか」

「約三五〇エレンか……確かに、それは戦場において大きな制約と言えよう」


 エレンとは、一エレンが約〇・八メートルに相当し、主に帝国勢力圏で使用されている距離の単位である。


「それと合わせて、当然ながら術者が消えると召喚兵士も消滅してしまうという重大な欠点も見逃せません」


 召喚兵士を前線で運用する場合、長距離の単独行動が不可能な制約から術者も前線に出なければならず、下級召喚魔導師ならともかく、高位の召喚魔導師が流れ弾などで戦死すると、戦線に大きな穴が開くリスクが発生する。


「これらの様々な事情から、召喚兵士が戦場で主力として運用されていないのが現実です。強いて言えば、兵站の運搬や工作兵の数合わせという労働力として利用される事が多々ある程度か……稀に両軍で召喚兵士を戦わせ、相手に武器や弾薬の損耗を強いたり、開戦前の口上と同じく戦の機運を占う目的で、物好きな両軍の指揮官が麾下の召喚魔導師に命じて、前哨戦として戦わせることがあるぐらいです」

「……単純な重労働や捨て駒程度の役割しか、召喚兵士には与えられてないのだな」


 せっかくのファンタジー要素でありながら、不遇な役割しか与えられていない召喚魔導師を想い、ユーリヒトはどこか寂しげに呟く。


「――あ、いえ、そういえば……ユーリヒト様、訂正させていただきます。本当につい最近のことで忘れておりましたが、召喚魔導師が戦場で欠かせなくなるかもしれない分野がありました」

「ほう、そうなのか?」


 一転して、目を輝かせるユーリヒトに、アレンスはそう提案してきた。



「ええ、いい機会ですから、これから城下町に行ってみませんか?」




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