誕生
これは地球と同じく七つの大陸があり、されど異なる歴史を辿った、ある異世界の物語。
古には西洋文明が発祥し、栄枯盛衰を繰り返してきた旧大陸に、数百の都市と数十の国家を征服し、一大帝国を築いたクローナ第三帝国。
かつて都市国家クローナから勃興した〝古代クローナ帝国〟と、東西に分裂した〝中世クローナ帝国〟の正統後継者として、第三のクローナ帝国を自称した超大国である。
その起源は、東西に分裂した中世クローナ時代。
度重なる異民族の侵入と異教徒の襲来によって、国力を衰退させた西方クローナ帝国は、時の皇帝暗殺事件を境に、中央政権の権威は大いに失墜し、事実上の終焉を迎えた。
その波紋は瞬く間に広がり、求心力の低下に歯止めが効かなくなった帝国領内では、これまで面従腹背の姿勢で隙を伺っていた諸豪族が、相次いで独立。
かくして、熾烈な次世代の覇権争いが勃発し、旧大陸全土に覇を唱えたクローナ帝国の治世は終わりを告げ、群雄たちが犇き合うヨートピア戦国時代が到来したのである。
それから、内乱から時が移り変わる事、百年余り。
終わりなき戦乱の世にも、ある転機が訪れる。
近隣の部族を糾合し一大勢力を築いた異民族の覇者が、旧帝国勢力圏の豪族に対する圧力を強めて、服従を迫ったのだ。
隔絶した武力を背景にした最後通告に、かつてない危機感を覚えた地方の有力者達。
――いつまでも身内同士で争っていては、疲弊する一方で異民族の脅威に対抗できない。
存亡の危機を目前にして初めて、その結論に至った国境の諸豪族は、安全保障を求めて身を寄せ合い、利権の調停機関である国家という組織ネットワークを復活させた。
これが第三帝国勢力圏の枠組みであり、現帝国の本国に相当する〝ヴァルツ王国〟誕生の歴史である。
尤も、旧大陸においてクローナ帝国崩壊から、安全保障を求めた諸豪族間の国家連合の成立という経緯は、古今東西珍しい例ではない。
そんな誕生時点では、数多ある国家の一つに過ぎなかった新興国が、のちのちに権勢を増していき、近隣の異民族や独立都市、諸外国の王家を従属させて、最盛期には大陸のほぼ半分に及んだ広大な支配領域を有するまでに至ったのだが、その仔細はまた別の機会に語るとしよう。
さて、話を戻すが、王国という組織を語る上で、代表者の存在は欠かせない。
代表者――つまりヴァルツ国王にして、後にクローナ第三帝国皇帝と尊称される存在だ。
豪族の中でも、特に絶大な勢力を誇った豪族たちは、集まって話し合い、一人の国王を選定した。
――これが今日では血統ではなく〝選挙王政〟を採用しているヴァルツ王国――後の帝国――最初の選挙原理による国王選出に他ならない。
紆余曲折の末に初代の王が誕生すると、豪族らは王に忠誠を誓う代わりに、自治権や軍事権が付属された高位官職(公爵位や辺境伯位など)が授けられる。
異民族の脅威が念頭にあり、即応性が求められたのは無論のこと、国王から委託された上級官史という名目で、元々の支配地域一円を管轄として統治させ、内外の豪族や領民たちに、正統なる統治者としてお墨付きを与えた形だ。
しかしながら、所詮は絶対君主の王でない以上、強固な支配体制を敷くことは難しく、本質的には利害と打算を第一とした元豪族たちの連合体でしかない。
故に当然の如く、外敵の脅威が去り、統治権の一族独占が重ねられるうちに、国家の役職という爵位本来の意味合いは薄れ、王権を蔑ろにするようになっていく。
すなわち、野良の豪族から、国の権威を持つ〝諸侯〟と呼ばれる立場に変貌しても、独立独歩の気風は何一つ変わらず、自らが臣下という意識は希薄であったのだ。
かくして。
王権離れに歯止めが掛からなくなり、領土欲から同じ帝国諸侯とも戦闘を繰り返すようになった諸侯だが、中でも最初に王を選定した諸侯の子孫は、後世でも絶大な勢力を築いて、帝国の人々に憧憬と畏怖から、こう呼ばれるようになる。
皇帝を選定する諸侯――選帝侯、と。
旧帝暦 一六六六年 二月五日 ブラウンベルグ選帝侯国
クローナ第三帝国の構成国であり、七選帝侯国の一国――ブラウンベルグ選帝侯国。
その首都ヴェルグストの中心区画にある宮殿――白壁に四階建ての三つの城館で構成されたヴェルグスト宮の絢爛豪華さは、帝国有数の大諸侯に相応しい権威を誇示している。
そんな優美な外装とは対照的な古めかしい質実剛健な一室。
城館の最奥に位置するその部屋には、赤ん坊の泣き声が木霊していた。
他に居合わせているのは、赤子の親類縁者や選帝侯国の重臣たち。
国家の命運を左右する重大なイベントに、列席者として立ち会うことを許された者たちだ。
だが、彼らの表情に先程までの厳粛で緊迫した雰囲気は既にない。
一同の視線が集中する先には、色濃い疲労を残しながらも、安堵と慈愛に満ちた女性が赤子を抱きしめているからだ。
「――おお、おおお! 我が子だッ……この子こそが、ホーエンベルク家が待ち望んできた嫡子たる赤子だ!」
彼女の傍らには、二十代後半くらいの偉丈夫。
燃えるような赤髪と琥珀色の双眸。幻想的な青の装束と端的な容貌も相まって、どこか他者の視線を捉えて離さない超然とした雰囲気を纏っている。
「両殿下、誠におめでとうございます!」
「一年前に終結した、あの大戦の傷跡から癒え切っていない領民たちにとっても、誠にめでたい慶事となる事でしょう!」
「四回目となるご出産で、遂にホーエンベルク家にも継嗣がご誕生なられた!? 神はブラウンベルグをお見捨てにはならなかったのだ!」
代る代るで、思い思いの言葉を口にする宮中の重臣たち。
「ヴェーン宮の皇帝レオポルド三世を筆頭に、二〇年戦争の終結間もないなかで後継者不足に頭を悩ませている王や諸侯たちも少なくないのだ! 本当に大手柄だ! カロリーネよ、よくぞやってくれたッ!」
重臣たちの発言に、選帝侯国の統治者、ホーエンベルク家の嗣子にして、赤子の父親たるアドルフ・ヴェルヘイムは、大きく頷いてそう言った。
「ありがとうございます。アドルフ様のように聡明で人々を導く、誇り高きお方に育ってくれるのを願うばかりです」
赤ん坊の頬を撫でながら、カロリーネは慈しむように呟く。
「だが、顔立ちは余より、カロリーネに似ているようだな……それに、髪の色は余ともカロリーネとも異なる、銀髪か……祖で銀髪であった誰かの血を色濃く受け継いだのだろう」
稀に見られる、両親とは異なる形質を発現した先祖かえりの赤子。
「――銀髪といえば、先々代のブラウンベルグ公が、光り輝くような銀の髪でしたな」
ふと、ひとりの親族は、かつての記憶を掘り起こすように、話題を口にする。
「おおっ、ホーエンベルク家が誇る大選帝侯ユーリヒト・ヴェルヘイム様と同様の……あの方の血を色濃く受け継ぐ証ですな」
「言われてみれば、この利発そうなお顔立ちにも、どこか亡き候の面影が感じられるぞ」
それを皮切りに、老臣たちは表情を輝かせて、赤子の将来に思いを馳せた。
「ふむ、そうだな……では、こうしよう。祖父の名にあやかって、この子の名はユーリヒトと命名しよう。この子は今より、ユーリヒト・ヴェルヘイム・フォン・ホーエンベルクだ!」
「――ユーリヒト、ですか。先々代様のご加護を感じられる素晴らしいお名前かと」
アドルフの言葉に、カロリーネは穏やかな口調で賛同する。
やがて、追従するように他の重臣たちも、世辞を述べ始めた、ちょうどそのとき。
ふいに、軍服を纏った若い青年が、ある事に気づいて、呆然と呟いた。
「……あれは、もしや……」
「どうしたのだ? アレンス伯」
その呟きを、耳ざとく聞きつけたアドルフが疑問を呈す。
「ユーリヒト様の額中央をよく注視していただきたい。このお方にはどうやら、召喚魔導師としての才覚があるようです」
「――なに?」
指示通り、アドルフは赤子の真正面から、まじまじと見つめる。すると、ぼんやりと輝く複雑奇怪な紋章が、小さな額に描かれていた。
「間違いない、召喚紋だ……」
召喚紋とは、この世界唯一の魔法使い、召喚魔導師であることの証明。
本来ならば、召喚紋は歳を重ねるほど顕著になり、魔力を消費しなければ知覚できないものである。しかし、ごくまれに最上級クラスの魔力を有して生まれた赤ん坊には、無意識のうちに魔力を消費し、他者に知覚させる程の召喚紋を浮かび上がらせる事例があった。
「魔力量は現段階で佐官クラスはあるでしょう。これ程の才は、諸外国の王族や大諸侯の血族といえども数少ない。これから鍛えていけば、召喚魔導師としても大成するやもしれません」
「……」
だが、その例に該当する現象を見ても、アドルフは微かに表情を歪ませるだけである。
「……だとしても、余の子には関係がない。ユーリヒトは余の後を継ぎブラウンベルグの君主となる立場だ。人形遣いの才覚の有無など、どうでもよいことよ」
そう言うと、人の輪から抜け出し、一度足を止めて振り返った。
「もうすぐ祝砲が上げられよう。それに伴い、余は当初の予定を変更し、ユーリヒトのお披露目をすることにした。あの大戦乱後の数少ない慶事だ。新たな時代の象徴であるユーリヒトの顔を見せてやり、臣民たちに僅かなりとも、安らぎと希望を与えてやりたい」
言うだけ言いい、その場を後にしたアドルフに、立ち尽くしていた重臣たちは慌ててその背を追いかける。
これは、後に激動の時代を駆け抜け、乱世に覇を唱えることになるブラウンベルグ選帝侯――否、人形王ユーリヒト一世が近世ヨーロッパ風の異世界に誕生した、プロローグの一幕である。