プロローグ
【サモンズ・レギオン】
歴史SLG制作に定評がある某老舗企業が、これまでと一線を画す〝魔術〟というファンタジーな概念を含んだ戦争をコンセプトにしたことで、マニアたちの間でひそかに注目されていた、本日発売の期待作。
世界観としては、近世と近代のちょうど中間に相当し、中世的なロマンと近代的な合理性が混在する、近世辺りの戦乱の時代。
プレイヤーは、西洋風の文明が築かれた旧大陸に割拠する総数五〇〇を超える国家、諸邦の中から一つを選択し、内政で自国を富ませながら、軍事力なり外交なりでAIが担当する他勢力を下し、最終的に大陸統一を目標とする。
地方都市にある簡素な住宅街のアパートで一人暮らしの一条優理は、件のゲームがダウンロードされたデスクトップPCを起動して、タイトル画面からチュートリアルを開始しようとしていた。
沸き上がる歓喜を抑えきれないのか、マウスを持つ手は微かに震えている。
同企業の作品群を数多プレイしてきた無類の戦略SLGマニアを自負する優理にとって、今日という日は、指折り数えて待ち望んでいた日であったのだ。
チュートリアルを終えた後、自勢力の選択画面に移行した。【サモンズ・レギオン】の舞台である旧大陸の地図がデスクトップ一杯に表示され、どこか既視感を覚えた大陸と数多の国家が見下ろせる。
ヘルプと説明書を流し読みながら、優理はどの勢力を選択するか熟考する。
戦略SLGはそのゲーム性から、選択した勢力の国力に伴い作中の難易度は大きく左右されるという特徴があった。
国家の国力に応じて、それぞれの勢力を分類すると主に三つのカテゴリーに分別されるだろう。
一つ目は列強・超大国といった覇権国。
戦略SLGに不慣れな初心者が多少のミスをしようとクリアすることは難しくない勢力である。
例を挙げるならば、東方のクローナ第三帝国、西方のフランセル王国、北方のブリステン連合王国などが該当しよう。
これらの国家は、それぞれの各種分野――国際影響力、陸軍力、海軍力――で他国とは隔絶した力を有している。
二つ目は超大国には一歩劣るものの、新興国や旧大国といった準列強を筆頭に、各地域で存在感を見せる中堅国。
これらは戦略SLGを過去に幾つかプレイした経験があり、要領が解っているプレイヤーにオススメな勢力だ。
代表例は、ルシア皇国、ポーレフランド共和国、スヴェーリング王国辺りであろうか。
説明文曰く、ルシアは国内政治の不安定さから、その広大な国土と莫大な人口を活かし切れていない状態であり、ポーレフランドも中央権力の脆弱さと時世の変化から他国の干渉を許すようになった斜陽の国という有様で、スヴェーリングに至ってはシナリオ開始の約二十年前に勃発した大戦で勝ちきれずに勢力を衰退させ、大国の地位から陥落したとのことだ。
だがしかし、それはあくまで現段階の話である。中堅国は、かつて大国であった歴史や資源に恵まれた国が多く、拡張の幅は少なくない。問題もあるがやり様によっては、十二分に大国とも渡り合える潜在能力を秘めている。
そして、最後は四〇〇を超える弱小国や諸邦、自由都市などの群小国家。
戦略SLGだけでなく、このゲーム自体をかなりやり込んだプレイヤーでもクリアは困難であると予想される勢力だ。
中堅国以上の国家を作中の主役と評すなら、これらの諸勢力は、ゲームを彩る端役や背景といった表現が適切か。
無論、プレイヤーが操作すれば多少は強化されるだろう。
しかし、超大国との間に国力差がおよそ数十から数百倍の開きがある弱小勢力では、プレイヤースキルでは埋めきれない格差がある。現段階では大陸統一など夢のまた夢でしかない。
それでもなお、ゲームクリアを目指すのならば、卓越したプレイヤースキル以外にも奇跡と根気――並外れた幸運、或いはリセットとリトライのループという苦行を自らに強いる必要があるであろう。
「……最初は大国を選択して、チュートリアルでは説明し切れなかった操作に慣れるとこから始めるのが定石だろうが……」
気が乗らないと言いたげに、優理は眉を顰める。
戦略SLG系のジャンルは、大国であればあるほど操作が単純作業化する、ゲーム特有の悩みがあった。
戦力差が開き過ぎると、少々の操作ミスや油断があったところで、大勢に影響がないのだ。それでは、戦略SLGの醍醐味である試行錯誤や緊張感が介入する余地がない。
「戦略SLGで無双ゲーほど詰まらないモノもない。やるからには、最初は中堅以下の勢力だろうな」
何時の世も、小が大を食らう物語は痛快極まりない。
けれど、現実の多くのケースは、強者が弱者を吞み込んでしまうものである。だからこそ、ゲームというフィクションぐらいは、弱小勢力からの成り上がりを追体験したかった。
「それに何も一回で成功させなければいけない理由なんてないんだ。操作ならリセットとリトライを繰り返しながら慣れればいい」
たった一度しかない初プレイだ。後にも先にも未体験なのは今回限りであるならば、SLGの醍醐味が最大限発揮される諸勢力で始めよう。
「とはいえ、ゲーム操作に慣れる間もなく、初めの数ターンで潰されそうな勢力もやめておこう。プレイヤースキルもない初プレイでそれは只の無謀であり苦行というものだ」
群小国家でも最下層の勢力は、未熟なプレイングも相まって序盤の壁を越えられず、数の理不尽に押しつぶされるのは想像に難くない。
「だとすれば、弱小国以上中堅国以下というところがベストだろうか」
様々な条件を吟味しながら、目線を彷徨わせている、と。
「――これは」
興味深げに、優理は目を瞬かせた。
目を留めたのは、ブラウンベルグ選帝侯国という諸邦勢力。
地形的には大陸のほぼ中央に位置し、近隣に割拠する弱小諸侯と異なり、国土面積で言えば中堅国家クラスの領地を抱えている。
「……選帝侯国というだけあって、体裁上の君主はクローナ第三帝国なのか。まあ、徴税権に軍事権、果てには外交権まであって、臣下というのも変な話であるが」
詳細な情報を閲覧すれば、形式上はクローナ第三帝国皇帝を頭上に戴いているようであるが、実情は独立した主権国家に等しいようだ。尤も、ブラウンベルグ選帝侯国が特別なのではなく、クローナ第三帝国の勢力圏には、そうした半独立勢力の諸邦が数多存在している。
ブラウンベルグの主要な隣国は、東にポーレフランド共和国、北にスヴェーリング王国、南にクローナ第三帝国とカイゼルン選帝侯国、更には西にハレーフェルト選帝侯国。
どの近隣諸国もシナリオ開始時点では、ブラウンベルグを超える人口と国力を誇っている。
「地政学的に不利すぎるか? まして東にそれなりに大きな飛び地も有しているし」
政治、経済、軍事的観点から見ても、国家として一体感がないのは明確な欠点である。
とはいえ、救いが全くないわけではなかった。国境を接する唯一の大国であるクローナ第三帝国との関係性は悪くない。ポーレフランド共和国とカイゼルン選帝侯国、ハレーフェルト選帝侯国とも普通以上に優良な外交関係だ。それだけに、シナリオ開始直後から宣戦布告され、四面楚歌という有様になることはないだろう。
ただし、スヴェーリング王国だけは関係性が悪いので注意が必要だろうが。
「しかし、ブラウンベルグは帝国諸侯には珍しく【大戦の敗者】のデバフ持ちではないのだな」
大戦の敗者とは、人口や経済に大幅な下方修正が加わるというデバフスキルである。ある程度のターンの経過で自然消滅するが、大きなデメリットなのは言うまでもない。
スタート時点でそれがないだけでも、ブラウンベルグは優遇されているのだろう。
「それに現君主のブラウンベルグ選帝侯は、【内政家】という有利な補正効果のある特性も持っている」
各国の君主は、特性と呼ばれる国家に補正のかかるスキルを持っていた。
その一例である【内政家】は国家の経済や人口、インフラにボーナスが乗るようだ。
周辺諸国――特に選帝侯国を筆頭にした帝国諸侯の大半は、【大戦の敗者】の効果で下方修正されているだけに、内政に特化したこのスキルと相まってブラウンベルグ選帝侯国と他国の国力差は近く埋まり、遠くない未来に凌ぐであろう。
「常備軍も元から国家規模の割に多いし、勢力を加速度的に発展させる【内政家】の特性は旨味が大きい。周辺国は【大戦の敗者】という響きからして、戦後の復興に足を取られているのか。何をやるにも他国より先んじられるのは間違いなさそうだ」
近代的な官僚制と徴兵制の基盤が既にあり、国家を富ませるにしても領土を拡張するにしても、ブラウンベルグ選帝侯国は優位な立場にある。
全ての情報を分析した結果、現段階では弱小国以上中堅国未満。しかし、潜在能力もあり将来性は群小国家でも屈指という評価に落ち着いた。
「……強すぎず、弱すぎず。これはなかなか遣り甲斐のありそうな勢力だ」
優理は、思わず笑みを深める。
戦略SLGとして序盤、中盤、終盤と長期にわたって楽しめそうな理想的な国家。
「なら、悩む必要はないな」
優理はマウスを動かし、地図上のブラウンベルグ選帝侯国にカーソルを合わせる。
「――ゲームスタート、だ!」
直後、デスクトップが強烈な光を放ち、優理の意識を呑み込んでいった。