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おわりよければ


「なるほど」


ローウェル様のお兄様が本宅へ帰った後、私はローウェル様の簡単なご事情を知った。

魔力がほとんどない私には、縁のない話だったのだ。


「それでずっと魔力を提供されているワケですか」

言いながら、茹でたアスパラを口に含む。うん、今日は大成功だ。塩加減もちょうどいい。

「そうなんだ。献血みたいなものだと思ってるけど、採られた後はいつも頭がくらくらして困る……ん、これ美味しいね」

白身魚のスープを飲み込んだローウェル様が口元をほころばせる。

私はにんまりと口角をあげる。シンプルに見えて、結構手が込んでいるのだ。

「お口にあって良かったです……!でも、血も抜かれちゃったのなら、レバーの方が良かったでしょうか」

明日は肉料理にしようと決心する。

と、ローウェル様が言った。

「なんでもいいよ。フラネルの料理は好きだ」

向かいの席でにこりと少年のように微笑まれる。

本当に可愛い男性ひとだ……。


一緒に食事を、と誘われたのはその日が初めてだった。

「兄がごめんね」

ローウェル様の私室で、小さな円卓に食事を並べると、開口一番にローウェル様はそう言った。

そうしてお兄様との関係を教えてくださったのだった。

ご当主であらせられるローウェル様のお兄様は、渋面のまま館を出て行った。艶やかな黒髪と綺麗なお顔立ちに、最初はドッペルゲンガーかと誤認してしまうほどローウェル様と似ている気もしたが、ようく見れば微妙に違っていた。


「兄とは二つ違いで、俺がこうなる前は一緒に遊んだりもしていたんだけど」


病で倒れてからは、ローウェル様はこの旧館に移されたのだと言う。


「でも、医学は日々進歩していますから、きっとローウェル様の瞳も良くなりますよ!」

「そうかな?」

「そうですよ」

自信を込めて言えば、ローウェル様は「そうだと良いな」と瞳を細められた。

「フラネルの顔を、見てみたい」

私は「ええ!」と大きく胸を張った。

「こんな顔で良ければ、いくらでもどうぞ」




日々は穏やかに過ぎていった。

私はローウェル様の身の回りのお世話をさせて頂きながら、古びた屋敷を、少しずつ、少しずつ整えて行った。幸い、時間はたっぷりあった。

埃だらけの図書室を開拓し、ローウェル様のお側で朗読して夜を楽しんだ。

雑草だらけだった庭には草花を植え、ローウェル様の手を引いて散歩をした。

良い匂いがする、とローウェル様は微笑んでくださった。

それだけで、私の労力は報われるような気がした。


相変わらず、借金の取り立ては続いていたし、失敗はあったけれど、十六年の人生の中で、それが私の絶頂期だった。


こんな日々が続けばいいのに。


私は両手を太陽に伸ばして大きく伸びをした。


ローウェル様にとっての最大の幸運が、音を立ててやってきていることも、気付かないまま――。




それは、ローウェル様と暮らし始めて半年が経った頃。


ひと月に一度だけ顔を見せるお兄様が、その日は背後に数名のお供を連れていらっしゃった。お兄様を始め、皆物々しい雰囲気を醸し出している。


「なんだろう」

複数の足音に、ローウェル様も困惑を隠せずにいらっしゃった。

「俺から離れないで」

と、私に耳打ちしてお兄様たちを客間に迎える。

人数分の紅茶が揃う前に、お兄様が話を切り出した。

「朗報だ。お前の目が治るぞ」

ソーサーを持つ手が震えた。

思ってもみなかった展開に、私は思わずお兄様を振り向く。お兄様は、訝し気に私を一瞬見やる。部外者を見る瞳だった。

「治るって?」

ローウェル様が続きを促し、お兄様の視線が私から外される。

お兄様の右隣を陣取っていた頭の寂しい男が言った。

「ええ。治りますとも。画期的な魔術が確立されたのです。大量の魔力を使用するため、治療費が高額にはなりますが」

「弟のためだ。惜しむつもりはない」

お兄様はきっぱりと断言する。

惜しむつもりがないなら、お屋敷だって綺麗にしてあげてたら良かったのに。私は紅茶を配りながら、心の中で不満を燻らせた。

しかし他の人間には、お兄様が弟思いの優しい兄に見えたのだろう。

「いやはや、素晴らしい兄君をお持ちだ」

魔法医学界の権威らしい男性が、ゆっくりと頷く。

「これは一面記事になりますな」

「ええ。楽しみにしておりますよ」

彼らは好き勝手な談笑をすると、手術は一週間後だと告げて、館を後にした。



「良かったですね」

私は七名分の紅茶を下げながら言った。

ローウェル様は客間の椅子に腰かけたまま、戸惑いを隠せないでいらっしゃった。

「うん……嬉しいけど、まだ実感が湧かないよ」

「そうですよねえ。いきなり言われてもですよねえ」

でも、お兄様の仰っていた通り、朗報には違いないのだ。

ローウェル様の瞳が見えるようになれば、素晴らしいことばかりだ。

おひとりでお散歩も出来るし、好きな本も読める。

私がいなくても。

「そうだ。来週からは本邸にお移りになられるんですよね。色々と、準備しないとですね」

だからそれを淋しいと思う私は、歪んでいる。

「本当に、良かったです」

私は、必要とされたかった。



◇◇◇


夜。

誰もが眠りについた頃。

磨き抜かれた鏡には、美しい青年と醜い少女が映り込んでいた。

赤茶色に変色した古傷は、少女の肌によく浸透している。

光を失った青年は、気付けない。


少女は努めて明るく言った。

「いよいよ明日ですね」

明日、青年は光を取り戻す。少女の正体に気づくだろう。

「うん……少し怖いよ」

だから、と青年は少女の手を求めた。

「握っていてくれる?」

「ええ」

勿論です、と少女は微笑んだ。

青年は少女の小さな手を握りしめる。水仕事を終えたばかりの少女の手はひんやりと冷たかった。温めてあげたくて、捕らえた手に力を籠める。

「やっと君の顔が見られる」

聞こえなかったのか、呟きに返答はなかった。

そうではなかった。

少女は泣いていたから、答えることが出来なかった。それだけだった。

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