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ちはみずよりもこいというけれど

ローウェル視点です


彼女はいつまでここにいてくれるのだろう。


あまり期待をしすぎないようにしながら、俺は今日も天使の声を待っていた。


一週間前に現れた、優しく、おっちょこちょいな、可愛らしい天使を。



「……あああああっ!?」


また、叫んでる。

階下だろうか。

まだベッドの中にいた俺は、天使の奇声で目を覚ました。覚ました、とは言っても、視界は暗闇のままなのだが。

広いベッドの上に半身を起こして、天使が今度はどんな失敗をおかしたのかと想像する。

塩と砂糖を間違えたのか。

階段からこけたのか。

また違う銘柄の香水を買ってきてしまったのか。

どれも取るに足らないことだと言うのに、天使はいつだってひどく落ち込む。

こんなんだから、クビになるんですよね、と。


聞いた話では、彼女はそのおっちょこちょい故に、色々な職場を転々としてきたらしい。

こんなに一生懸命な良い子をクビにした人間がいるだなんて、俺には理解出来なかった。

多少の失敗など、誰にでもあるものではないだろうか。

そう天使に言ってみると、彼女は「神様……!」とかなんとか涙ぐんでいた。相当辛い目にあってきたに違いない。

俺の世話などをさせて申し訳ないと思うと同時に、こんなところで良ければ、いつまでもいて欲しかった。


「でも、高望みはしちゃいけないよな」

天使が洗ってくれた真新しいシーツの肌触りに口元がほころぶ。

清潔な香りのする部屋が、嬉しかった。


どうせ見えやしないんだから。


誰もかれもが俺をないがしろにする中、天使だけは甲斐甲斐しくあちこちを綺麗に整えてくれた。

昨夜、彼女が開けてくれた窓からは小鳥のさえずりが聞こえ、舞い込んだ熱風が季節は夏なのだと教えてくれた。


まるで俺を、人のように扱ってくれる。


それがどれ程嬉しかったか、天使には分からないだろう。

髪を切ってもらっただけで、頭は嘘のように軽くなった。寝返りを打って、髪を踏んでしまうこともなくなったし、鬱陶しくふりかかってくることもなくなった。痒みすら感じていた髭も、天使が小さな手で自ら剃ってくれたおかげで、食事の時に汚してしまう心配もなくなった。


それに天使は、俺の顔を好きだと言ってくれる。ちょっと、大げさすぎるほどのリアクションで。

嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。

こんな顔で良ければ、いくらでも見ていて欲しい。


たぶん、無理だろうけれど。



光を失ってから十五年。

俺は無気力に生きていた。


恐怖なんてものはとっくの昔に克服していたし、屋敷の中なら壁伝いになんとなく歩けた。(メイド達がしまい忘れたバケツや勝手に配置移動された家具にぶつかってしまうことはあったけれど)


世話係のメイドは、頻繁に変わっていた。

俺が成人してからは殊更早く。

無理もない。引きこもりの大の男の世話など、誰もしたがらないだろう。俺だって嫌だ。

「新しいメイドです」

そう言って本邸仕えのトリルが連れてくるメイド達は、誰一人俺に近寄ろうとしなかった。恐恐と遠巻きに食事を差し出され、会話は必要最低限、話さない日も珍しくはない。

長くて半年、彼女たちは遠からず退職を申し出て、トリルは面倒そうに新しいメイドを雇って来るのだった。


正直、天使がやってきた日も、特になにも感じていなかった。蒸れた髭が不快だったのと、もう何日も風呂に入っていない自分の匂いが気になって仕方がなかった。


俺に、生きている意味なんてあるのだろうか。

いや、そもそも生きている意味がある人間などいるのだろうか。

なんて感傷と哲学的な思想に酔いながら、惰眠を貪り、堕落する毎日。


月に一度の“役目”がなければ、当の昔に精神は壊れていただろう。


兄が与えてくれた、唯一の役目。


そう。魔力の搾取を。




「ドッペルゲンガーかと思いました」


天使はまた突拍子もないことを言った。

吹き出しそうになる俺と対照的に、兄は怪訝な声を捻くりだす。

「それは……異国の化け物だろう」

「はい。精神が分裂しちゃう現象です。自分の分身を見ると死んでしまうって話なんですよ!だからもう焦っちゃって!ローウェル様本体にあわせちゃいけないって!

でも良かった!お兄様だったんですね。いやー恥ずかしいです。早とちりしちゃいました。

ローウェル様は二階でお休みになってるお時間なのに、ご自分で着替えられて歩いていらっしゃるから……もうこれはドッペルゲンガーだなと」

「そうか……期待させてすまなかったな」

兄がひどく困惑しているのが分かって、にやけるのを隠せない。

先ほどフラネルが叫んでいたのは、兄が理由らしかった。庭に突然現れた兄を、俺のドッペルゲンガーと思ったらしい。発想が可愛らしすぎる。


俺はなんとか笑いをこらえて、天使がいると思わしき場所へ顔を向けた。

「フラネル、兄さんと俺はそんなに似ているの?」

「え。えーっと……うーん……いや。冷静になりますと、若干、違いますね」

「だろうな。間違われたのは初めてだ」

兄も賛同する。

天使はまた項垂れたようだった。

「すみません……失礼致しました」

「いや。別にそれはいい――ところで、こいつの髪を切ったのはお前か?」

「え?あ、はい」

「余計なことはしなくていい」

兄の冷たい声に、天使フラネルがきょとんとするのが分かった。

兄は構わずに続ける。

「どうせこいつは何も見えてやしない。正確にはお前の雇用主は私だ。こいつに媚びても給金は上りも下がりもしないぞ」

「え?え、あの、私そんなつもりじゃ」

「それと、お前は使用人にしては喋りすぎだ。気を付けろ」

「っす、すみません」

フラネルが委縮しているのが分かって、苦しかった。

「兄さん、フラネルにそんなつもりはないよ。彼女は善意で」

「は?善意?」

兄が小ばかにしたように繰り返す。

「絆されたのか。女のずる賢さも知らんくせに」

吐き捨てるように言った兄に、返す言葉を見つけられなかった。世俗を何も知らないのは、真実だったから。

けれど、フラネルを貶されたことは悔しくて腹が立った。フラネルの善行を否定する権利など、誰にもありはしないのに。

ぐっと拳を握りしめ、怒りを押し殺す。

「フラネル、ちょっと出ていてくれる?兄さんと話があるから」

「え……ええ、はい」

大人しくフラネルが出て行く。

これで彼女が辞めると言い出したらどうしよう。

慣れていたはずなのに。

心臓は、握りつぶされるように痛んでいた。



月に一度、兄は俺の元へ訪れて、魔力を搾取する。

それが、俺が唯一与えられた役割だった。

「……さっさとやって帰ってくれないか」

「言われなくとも」

兄が俺の右腕に太い注射針を刺す。

皮膚と血管を傷つけられ、その鈍痛に身体は一瞬だけ痙攣した。血液と共に、魔力が抜かれていく。眩暈がする。


視力を失った対価だろう。俺は体内に溢れんばかりの魔力を有していた。だが皮肉なことに、視力のない俺にそれを使用する術はなかった。

勿体ないと言い出したのは今は亡き実父で、以来俺は、月に一度、こうして魔力を搾り取られるようになった。


奪われた魔力は、売り渡されたり、税の一種として国へ提供されていた。

魔力は農作物の育成にも、医療にも使用できる。延いてはいつか、俺の瞳も回復するかもしれない。

そう信じて俺は、魔力を提供し続けてきた。


光を、取り戻したかったのだ。

この家から、自由になるために。

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