くちはわざわいのもと?
ヒロインがテンション高めです
昔から
どうにも私は人より鈍くさいらしかった。
皿は割る、忘れっぽい、洗ったばかりのシーツは落とす……総じて使えないメイドだったのだ。
それが他人の苛々を増長させ、しまいにはクビになる――の繰り返し。
前のお屋敷も、その前のお屋敷もそれで解雇された。
だから今度の仕事は、長く続けたかった。
たとえそれが、どんなに過酷な仕事であっても。
◇
――どうしよう……。
雇用されて数時間。
早速私は、ローウェル様の部屋の前で窮地に立たされていた。
トリルさんを見送り、雑然としたキッチンをなんとか使えるようにした後、私は簡単な夕食をこしらえた。(材料は週に二、三度、表の使用人の人が運んでくれるらしい。)
今日は時間もなかったので、野菜のスープと肉を焼いたものにした。それに温めたパンと水をトレイに置き、二階のローウェル様の部屋を目指す。
途中で零さなかったことに安堵し、私は入り口の前で立ち止まった。
そうして――困ったのだ。
――しまった、どうやって扉を開けよう?
片手でトレイを持ち直せばいいだけの話だと思う人もいるだろう。けれど、そう言った器用なことが私には出来ない、出来ないのだ。出来ていれば、きっとここにはいない。
ノックをしたいけど両手は塞がっている。
そもそもローウェル様ご自身に出てこいと言うのも失礼すぎる話だ。
最悪床に一度食事を置いてドアを開ければよかったのだろうが、なぜかその時“一刻も早く!食事が冷めないうちに提供しなければ!”という使命感にかられていた私は、気付けば口を開いていた。
「ローウェル様。あの、お食事を作ったんですけど手が塞がってて……ドアを開けて頂けませんか?」
流れる沈黙。
ただ待つ私。
――……察しの良い方なら、お分かりいただけただろうが。
そう。私は、失態を犯したのである。
鈍な私がそれに気づいたのは、数十秒後……中から物のぶつかる音が響いてからだ。
ガッ!ガシャンッ!
なにか重たいものが落ちるような音が響いて、私ははっと声をあげた。
「ローウェル様!?」
そうして思い出した。
「……っ!!!!あああああああ!ごめんなさいごめんなさい!!目見えてらっしゃらないんでしたね……っ!本当ごめんなさい!!!!」
もう料理うんぬんの話じゃない。
私はトレイを床に置いて、急いで部屋に入った。
「……っ大丈夫ですか!?」
「う、うん」
案の定、ローウェル様は部屋の片隅で倒れていた。彼がぶつかったのであろう石膏像がそばで転がっている。誰だこんな所にこんなもの置いたのは!
「本当にごめんなさい!私その……目のこと忘れててっ」
「いいよ、大丈夫だから。慣れてるし」
床や壁を手で探りながら、ローウェル様は私を気遣うように顔をあげた。
えええ何この人、超優しい。前のお屋敷の主人だったら怒鳴られたあげく即刻クビだったんですけど。
「すみません!すみません……!あ、私につかまってください!」
私はぺたぺたとホコリだらけの床や壁を触るローウェル様の腕をとった。ううう、ちゃんと掃除しよう。
「私の肩に手をかけてください、立ちますよ?」
「……ありがとう」
「いえいえいえ!私が無茶なこと言っちゃったからですし!」
私の掛け声にあわせて、ローウェル様が立ち上がる。立ち上がったローウェル様は思いのほか背が高くて、肩に腕をかけてもらう必要はあまりなくなってしまった。
ローウェル様を窓辺の椅子に座らせて、一仕事が終わる。
「あの、怪我とかされてないですか?痛いところとか」
「大丈夫。こう見えても身体は丈夫なんだ」
ローウェル様はそう言って微笑んだ。
髪と同じ色の瞳はぼんやりしていて、焦点があっていない。でも、今まで会ったどんな人より優しい瞳をしていた。
申し訳なくて、私はおろおろとローウェル様に頭を下げ続ける。
「私あの……昔から本当に気がきかなくて、一個に集中したら他のこと忘れちゃって……苛々させちゃったら、すみません。なにかあったら、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「うん……それじゃあ、そろそろ食事を貰えないかな」
困ったように笑ったローウェル様の発言で、私は廊下に忘れ去られていた夕食を思い出したのだった。
「本当にごめんなさい」
「もういいよ。でも、ドアを開けてくれなんて頼まれたのは初めてで新鮮だったな」
「……すみません」
項垂れる私を、ローウェル様は苦笑だけで許してくださった。
居たたまれなさの極致の中、私は夕食をローウェル様の指示したテーブルに置く。窓際の椅子と、そのそばに置かれた小さなテーブルがローウェル様の固定地らしかった。
「あの、お食事のお手伝いを」
「大丈夫だよ、ひとりで出来るから」
そう言ったローウェル様は、本当におひとりで器用に食事をしてのけた。パンは手元で小さく千切って髭だらけの口へ運び、スープは少量ずつ飲み込んだ。お肉は私があらかじめ一口大に切っておいたけれど、それも感覚でフォークで突き刺している。
私はその淀みのない動きをまじまじと見据えながら、心から感嘆していた。
「……すごいですね、本当に見えてらっしゃらないんですか」
私だったら絶対お皿をひっくり返しているところだ。
と、ローウェル様は肉を運んでいた手を空中で止め、私を探すように仰ぎ見た。
「あれ?まだいたの?」
少し驚いたように言うローウェル様に、「ずっといましたよ」と私は返す。するとローウェル様は肉の刺さったままのフォークを皿に戻し、髭だらけの口をもごもごと動かした。
「食事が終わったらベルを鳴らすから、自由にしてていいのに」
「でも火傷でもされたら大変ですし。あ、でも、食事はおひとりの方がいいですか?ご迷惑なら私全然外に出てますけど」
「……俺は、迷惑なんてことはないけど……君は嫌じゃないの?」
「え?嫌って?」
待つのが?
だとしたら、嫌もなにもない。主人の食事が終わるのを待つのは、使用人として当たり前のことだ。グラスが空になれば注がなければならないし、フォークを床に落とされたら俊敏に取り換えねばならない。
訝しがる私に、ローウェル様はぼんやりした瞳を下方へと向けた。長い前髪がひと房滑り落ちて、その表情を隠してしまう。
「いや……その」
言いづらそうに一度言葉を切った後、ローウェル様は穏やかな声をあげた。
「匂いが、きつくないかなと思って」
「え」
今、それ?
「あ、ああ…!においですね」
ええ。
匂いはその、もちろん、気になってはいたけれど。そんなこと言っている場合ではなかったわけで。
私はどう言葉を繋ごうかと語彙を総動員した。
結果が以下だ。
「いや、それはそのー……そうですね。きついかきつくないかと言われましたら、少しー……その、換気が必要かな?とは思いますが、えっと……ええ!それ程でもないですよ!」
どうだろうか。
なるべく怒らせないように、傷つけないようにと、言葉を選びに選び抜いたつもりだけれど。
しかしてローウェル様の反応は。
「無理しなくていいよ」
やはり困ったように、儚げに微笑まれる。
効果は今ひとつのようだった。
もっと本を読めば良かった。
無理なんてしてないと言えば嘘になるけれど、そんなに気にしてませんよと伝えたい。……どうすれば?
試行錯誤を始めた私のそばで
ローウェル様はくん、と自分の袖口を嗅いで顔をしかめていた。
「実は香水を切らしてて、前の子に頼んではいたんだけど、忘れてるみたいだね」
「!そうだったんですか。あの、銘柄がわかれば私買ってきますけど」
「本当?じゃあお願い出来るかな?自分でも嫌でね」
自分でもお嫌だったのか……。そうだよねえ。
私はぐっと両手の拳を握りしめた。
「明日、すぐに買ってきますね!」
「ありがとう。でも、それまでは俺から離れてていいからね」
「……っ!!」
私は感動に言葉をなくした。
この人、どこまで優しいんだろう。
今まで雇用主にこんなに気遣われたことはなかった。
愚図とか、のろまとか、足蹴にされ罵られてきた過去を思うとローウェル様が天使様に見えた。ああ、そうか。彼は天使の生まれ変わりかなにかなんだ。
私は天……ローウェル様のお役に立ちたくて、そうだ!と声をあげる。
「あの、ローウェル様、もしよかったらお身体お拭きしましょうか?」
「え?」
「お湯で拭いたらさっぱりしますよ。あ、入浴の方がいいでしょうか」
「や、でも」
「遠慮なさらないでください!私これでも体力あるんですよ」
「うーん、と……でも君、女の子だし」
もごもごと、どうやら断る言葉を探しているらしいローウェル様に私は待っててください!と立ち上がる。
「気にしないでください、慣れてますから!」
「え?慣れてるの?」
「はい!前のお屋敷でも大型犬をお風呂にいれてましたから!」
「大型犬……」
「はい!洗髪も上手いもんですよ!」
はりきった私は早速お湯を沸かさなくちゃとローウェル様の部屋をあとにした。
失言に気づいたのは、お湯を運んでいる最中だった。