二匹あそび<蓋>(作:葦原佳明)
蓋が一つあった。
その蓋を猫が見つめている。
猫「……」
猫が見つめてしばらく経った頃、犬がやって来て猫のとなりに腰かける。
犬「どうした? 蓋など見つめて」
猫は、自らに問う犬の顔も見ずに答えた。
猫「犬どの、暇なのだ」
犬「そうか」
されど、蓋を見つめたとて暇が暇でなくなるわけでもなしに。と犬は思う。
猫「遊べぬものか?」
犬「遊ぶ?」
猫「この蓋を使って」
犬「この蓋を使って?」
蓋は猫には大きく、犬には小さい。
猫はこの蓋を使い、どのように遊ぶというのか?
犬は猫の隣で、蓋をフリスビーのようにキャッチするというのを思い浮かべた。
いや、しかし、この蓋は硬い。
飛来するこの蓋を口でキャッチしては歯が痛いし、もし失敗して頭にでも当たったら大変だ。
それに、自分はそんなことをしたことがない。犬なら当然誰でもできるというわけでない。
もし、求められたならば丁重に断らなくては。もちろん、できないからではなく、危ないからという理由で。
猫「フリス……いや、無理か……」
犬「ふむ……」
一瞬ドキリとした犬だったが、微塵も同様を示さずやり過ごす。
当然だ。あまりに当然の結論だ。と犬は思う。
そもそも誰が蓋を投げるというのか? この蓋は猫には重すぎる。
とても猫が投げられるものではない。
猫は可能性を探るように、爪も出さない柔らかな手でチョンと蓋に触れてその感触を確かめた。蓋は存外重みを有している。
落としたら大きな音が出るかもしれない。何かあってケガでもしたら大変だ。
犬は内心焦りを覚えた。
今は大人しそうに見える猫に尻尾がパタリパタパタと暴れている。
それは今にも爆発しそうな猫の鬱屈した内面を如実に表しているかのようだ。
犬(猫さまは遊びたがっている。それも重度に)
遊びを我慢している時のこの猫はキケンである。と犬は熟知していた。
世界記録を狙う短距離走選手がクラウチングスタートの体勢になったようなものだ。欲望のピストルの音を合図に飛び出し、思いがけない勢いで遊びに没頭するだろう。
その姿は危険を顧みない欲望に飲み込まれた飢えた野獣のそれである。
この蓋も、今は単なるで蓋だが、ただの蓋で無くなる可能性もある。それがどんな蓋なのかはわからないが……。
思慮深い犬は猫と蓋とを交互に見やり、そして静かに自問する。
犬(主がいない現状、なんとか穏便に済ませなくては。猫さまに何かあっては問題になる。この蓋そのものが破損をしても問題になる。この蓋と猫さまの暴走で周囲の物に被害が及んでもまた問題になる……)
すべての問題を解決する最適な手段。それは猫に、安全にこの蓋で遊ばせ、沸き起こる衝動を抑え込む以外にない。
犬(私にうまく出来るだろうか?)
一抹の不安が犬の心に陰を落とす。
臨機応変。千変万化。当意即妙。
瞬間的、刹那的、かつ適切な判断が求められる。
猫「……」
犬「……」
どうでる?
犬は考える。猫の動きを観察する。同時に祈る。「主よ、早く帰って来てくれ」と。
もし主が戻れば、猫は主と遊べばよく、おそらくは平穏無事な日常を取り戻すことも可能だろう。自分の心も救われ、猫の危険も、蓋の危険もない。
しかし、淡く抱いた犬の祈りが天に届くことはなかった。
猫「……!」
犬「……!」
猫が動いた。
犬(どうする気だ、猫さま!)
猫は安定感抜群の蓋の上に飛び乗ると、身体を揺らしつつ、バランスをとる真似をした。
猫「サーフィン!」
犬「ザ、ザッパーン!」
咄嗟に波の音を演出。
猫の視界に広がる青い海、熱い日差し、潮の匂い、揺れる波に円形のサーフボード。
猫は今、ハワイオアフ島、ノースショア「ワイメア」にいた。
猫「犬どの……」
犬「なんだ猫さま」
猫「暇だな……」
犬「そうだな」
主のいない時の猫さまと犬どのの日常・おわり