殺生八分の損、見るは十分の損(作:SIN)
時は春休み。
季節は移り変わるというのに、実際俺に時の流れなんてのは関係がない。その代わり時の流れに気を付けるべき奴が俺の相棒だってんだから、もう……忙しいって言うか、なんと言うか……。
「なになに?今日溜息ばっかやん。なんかあった?」
貴重品店が現れる空き地へと急ぐ俺の隣にいるのは、人の数倍時の流れに気をつけるべき人間であるシュウ。相棒で、運命共同体で、シュウ曰く運命の相手。
けど、呪いの道具に関わる能力者同士のいざこざには巻き込みたくないって、これまた物凄く気を使っているもんだから……。
「また溜息?」
溜息も出るわ。
ナツメの飼い主には俺もシュウも顔を知られているが、今の所は特に何の問題も起きていない。ただ、何も起きていないからなんの問題もないって訳ではない事は分かる。水面下でアレコレと作戦を練られている可能性は低くはないだろう。
あの友達人形がまだナツメの飼い主の下にあるのなら、人形が「破壊するって言うてたで」とか言っただけで終わりだ。
予期せぬタイミングで戦いに巻き込まれた時、シュウが丸腰ってのは良くない。だからって道具を持たせるのもなぁ……。
「次溜息はいたらお前の携帯、ホーム画面俺の顔にするからな」
なんだそれ。
「何かあった時、お前が俺の知り合いとして知られるから、それはアカン」
「ただの冗談やのに、物騒な答え止めてくれへん?」
全く冗談には聞えなかったんだけど、とりあえず溜息は抑えようかな。ホーム画面は冗談だったとしても、他の所でもっと厄介な仕掛けを施される可能性があるし……。
っと、溜息抑えるんだった。
「なぁ、道具反対派と肯定派があるんやんな?」
溜息を抑えようと思った所でこんな質問とは。
深くは教えない方が良いとは思うが、これは基本中の基本だし、寧ろ知っておくべき事だから答えても支障はないか。
「そうやで」
「んで、お前は否定派なんやろ?」
これも答えて良い部分なのだが……出来るだけ表現は統一してもらいたい。
「反対派は何処行ったん?」
それに俺は、反対はしているものの使える道具があれば喜んで使おうと思っているのだから、否定している訳ではない。
「茶化すのなしー!えっと、定例会みたいなんってないの?俺1回も呼ばれてへんねんけど」
まさか俺が内緒で定例会とやらに行っているとでも思っている……んだろうな。あまり重要じゃないっていうか、そんな発想がなかったから説明して来なかったけど、この際だから教える必要がありそうだ。
幸い貴重品店が現れる空き地への道のりはまだ長い。
「そんなんあったら態々“お前は否定派?反対派?”とか聞かんでえぇやん」
「両方一緒やん!」
一緒ではないんだけど……まぁ、良いか。
「茶化すんなしちゃうん?」
膨れっ面で俺を見ていた顔に、ニヤリと笑顔を向けると途端に目を逸らすシュウの横顔は、それでもやっぱり膨れっ面で、
「なぁ……反対とか、賛成とか、そんなん意味あるん?」
と、能力者同士の戦いの意味を説いてきた。
意味はなんであれ、どっちも道具自体を無効化したい思いは一緒。だけど、向こうがしている方法は違う!って両者が思ってるんだから、どうにもならない。俺だって肯定派の方法は間違ってるって認識。
あ……そう言えば俺、シュウにどっちか聞いたっけ?
聞いてない、よな?え?聞きもしないで俺と同じ方に引き込んでたのか?
良い機会だ。ちゃんと説明した後、考えを聞いてみよう。
「……カップ式自動販売機でコーヒーを買うには、物凄く熱い珈琲か、氷がわんさか入った冷たい珈琲のどちらかしか出て来ぇへんやろ?」
「え?なに急に……」
カップ式自動販売機で珈琲やココアを淹れる場合、粉末を溶かしたり抽出したりする必要があるから、どうしてもお湯でなければならない。その為アイスにする場合、氷なしには出来ない。
「例え話。で、冷たい珈琲が飲みたいけど氷は絶対にいらんって人間が2人来ました。1人は氷が全て溶けきるまで待つ方法をとって、もう1人は氷を全て取り出して素早く飲む方法をとりましたとさ」
ちゃんちゃん。
上手く例えられただろうか?そもそも例え話にする必要はあったのだろうか?呪いの事を知らない人間に話すんならまだしも、知ってる相手にならそのまま説明した方が明確で、分かりやすかったような……。
「あ、氷が呪いの道具って事やな?」
氷は呪いそのもので、道具は珈琲なんだけど……地味にでも通じてるんなら良いか。
「……お前はどっちの方法が良いと思う?」
こうやって聞くだけなら、待つ事の方が平和のように感じるかも知れないな。
「もうちょっとヒントちょうだい」
これはなぞなぞでもクイズでもなくてお前の意見を聞こうと……それでももっとしっかりとした情報は必要か。
「氷が溶けるまで待ってる間、他の待つタイプの人間が集まってきて一緒に待つようになる。氷を取るタイプはその場からさっさと移動するから、仲間に遭遇し辛い」
相手は集めた道具を仲間全体で守っている。
「……道具肯定派では定例会が開かれてる?」
まぁ、そういう事。
「道具を集める場所まで決めて、しっかりとしたグループになってる」
1つあるだけでも厄介な呪いの道具を集めてる事が問題なんだが、それをあいつらは分かっていない。
氷が溶けるのを待っている間も、氷の入った珈琲はどんどん作られている。溶けるよりも作られる方が早いのだから、いくら保管場所を確保しても何れパンクするだろう。
集められた呪いが干渉し合って暴走する恐れもあるんだ。
道具反対派か賛成派かを聞いておきながら、俺はシュウにさっさと逃げ出して欲しいと思っている。出来ればこのまま運命共同体も解散して欲しい位だ。怖い世界だから関わりたくない。とか言い出して欲しい。
「……じゃあ、逃げるのに便利な道具を買ったらえぇねんな?」
あ、うん……そうだな。
ん?逃げるのに道具を買うのか?
「逃げるなら道具に関わるな」
「え?」
「ん?」
「ニャハ☆」
出たか、貴重品店!
貴重品店で買い物をしたのが丁度1年前になる。その時にシュウと店主の名前を書いた紙をナイフの柄に入れて、枕を2年分の寿命で買った。だから今、シュウの寿命は1年前の今頃と同じ長さになっている筈。
「走るで!」
まさか丸1年貴重品店に出会わないとは思ってなかった。だから今日、何か道具を買う時は思い切って4年とか6年分の寿命で……思い切るなら10年とかの方が良いか?いや……それだと消耗が激しいか。
空き地に着くと、そこにはドンと貴重品店が姿を現していて、その店先には看板猫の黒猫が優雅に日向ぼっこしていた。
「よぉ」
一応看板猫に声をかけてから中に入ると、店内は可愛らしい雑貨店のような雰囲気になっていた。そのくせ店主はいつも通りの黒いドレスだ。
「お兄さん達に良い商品があるよ!」
お勧め商品がある時以外出て来ないくせによく言う。
「そろそろ頼んでるもん入荷してくれへんかなぁ?」
俺にとっては寿命を見る事が出来るお猪口が唯一欲しい物なんだ。ナツメの飼い主が持っているのは知っているが、言って貸してくれるような相手ではないだろうし、大勢の仲間を呼ばれるとお猪口を掛けての戦いを持ちかける事も、逃げ出す事も困難だろうな。
1番安全にお猪口を手に入れる方法は、同じ物を売ってもらう事だ。
「こちらの商品「グラスヒール」は見ての通り、ガラス製の一足の靴でございます」
聞いちゃいない。
しかし妙だな……確か俺達に良い商品があるって言ってなかったか?それがどうしてグラスヒールになる?
「これ履いたら、めっちゃ早く走れるようになる、とか?」
お前は逃げるんだから道具には関わるなと……。
あぁ。
逃げるって、能力者同士の戦いから逃げる。って意味じゃなくて、戦闘になりそうな時にその場から逃げる。って意味だったのか。だから逃げる時に便利な道具、か。なる程。
「透明度の高いクリスタルガラスを使用し、独占契約をしている熟練の職人の手により加工された靴は圧倒されるほどの完成度。いえ、見た目だけではございません!さあ、遠慮なさらず手にとって」
聞いちゃいない。
しかもいつもより熱烈アピールだ。それだけ自信のある商品なのだろう。
ここの商品は呪いの道具に違いないが、いつも良い品を扱っている。それは認めるよ。前に買った枕なんて本当に寝心地が良かった……連続して使えないのが残念だったけど。
流れるようにグラスヒールをお勧めし続ける店主は、実際に履く事が出来ると言い、一点物である事を強調し、サイズもこれしかないのだと言った。
でも、どう見たって俺やシュウにピッタリな商品ではないだろ。いくら実際に履けるって言われても、物理的に履けないんじゃ意味がない。
「……で、コレの使い方は?」
どうせ、何をどういった所でお勧め商品は買う事になるんだ。ここはもう諦めて説明を聞こうじゃないか。
「こちらの靴は人間工学をもとに設計されているため、快適にご使用いただけます」
つまり履けと?
「店主よ、今回ばかりはちょっと無理があるんちゃう?俺らの足のサイズ見てみ?」
そう言って片足を上げて店主に見せる俺の隣では、靴を脱いだシュウがその靴をグラスヒールの横にソッと置いた。
「お兄ちゃん達の傍に、グラスヒールとの出会いが必要な子がいるんだよ」
俺達の傍に?
ターゲットが俺達じゃないのに、それが何故俺達へのお勧め商品になるんだ?
ターゲットを店に呼べない理由があった?
それとも、ターゲットが店に来れない理由がある?
この店は異次元か何処かにあって、たまに空き地に現れる不思議な店だ。って事は、多少なりとも能力がある者にしか店は見えてないんじゃないか?
「ターゲットは、非能力者って事やな?」
「ニャハ☆」
当たりか。
俺の傍にいてグラスヒールが履けるような人物の心当たりは、2人しかいない。同じ大学に通っているってだけでは傍にいる事にはならないんだろうから、多少なりとも交流のある女性。
お袋か、弟の彼女だ。
「お前は誰か心当たりあるか?」
俺達の傍にいるってのが1人とは限らないし、聞いておかないとな。
「ん~……俺、お前位しか仲えぇ奴おらんしなぁ。めっちゃ前に別れた元彼女?」
昔に別れた彼女が傍にいるって可笑しくないか?別れた後でも友達関係が築け……あ、始めに仲の良い奴が俺しかいないって言ってたわ。
じゃあ俺の心当たりから先に調べてみるか。
「んじゃ買うわ。そやなー……2年、2年の、4年分でどう?」
俺は隣にシュウがいるにも関わらずナイフをカウンターに置いて値段交渉に進み、店主はナイフの柄に入っている2枚の紙を確認して再び柄の中に戻した。
名前の確認をするという事は、交渉は成立したのだろう。
「4年分だね、何処が良い?」
ナイフを俺に向けてくる店主を見ているシュウは、これから何が行われるのかある程度は予想している筈なのに不安そうな表情をしている。
「大丈夫やから」
と、声をかけながらカウンターの上に腕を置いた。
グッサリ。
思ったよりも小さな傷から滴る血を眺めていると、真っ青な顔をしていたシュウの顔色がフワッと赤く染まり……
「なに!?なんなん!?なにやってんの!?」
パニックに陥った。
元気でなにより。
「見ててみ」
そう言って傷を指差してみれば、痛々しそうな目で傷を見つめたシュウの表情が、5分程で目を大きく見開いた驚愕の表情へと変化した。
それもそうだろう、たったの5分で傷が塞がってしまったのだから。
「え……?」
これは俺がナイフを購入した日に、サラリーマン風の男によって物凄く長い寿命を与えられた事による不老不死の呪いだ。
この効果をナイフの特殊効果って事にしようと思って、わざと値段交渉を見せた。
「これ、このナイフの効果。めっちゃショボいから今まで言わんかったんやけどな」
笑いながらそう言って店主からナイフを受け取ると、店主は人差し指を軽く口に当ててからパタパタと店の奥に引っ込んでいった。
何も喋るな。の意味ではなく、黙ってる。との意味なんだろう。
「ナイフの効果?」
「あの店主が俺に攻撃した時にのみ傷がスグに治るって言う、物凄い限定的な効果。やからここでの支払いは血液。けど、それは俺だけの特権やから、お前が血だらけになってここに来ても、駄菓子1つ買えんで?」
ちょっと苦しい上に、なんで特権なんだ?とか突っ込まれたらどうしようか……色んな能力者のデータ収集?それならシュウも対象になるし……ナイフの所有者だからって事で押し切るしかない!
「俺は普通にお金で買うわ……」
あっさり信じるのか。有難いが、それはそれでどうなんだろう。
傷が跡形もなく消えた頃、店の奥からプチプチでガッチガチにコーティングされた丸い物体を持って店主が出てきた。
恐らく……いや、間違いなくその物体の中身はグラスヒールなのだろうが、なんかもっとなかったのか?別に良いけど……。
「この靴は左右ともそばにある時には、ごく普通の靴でございます。靴が離れ離れになる時にはご注意ください。もし、靴が離れ離れになり、それが誰かの手に渡ってしまった場合。もう片方を持っている相手には十分に注意を払って下さい。安易に、もう片方の靴を履かせてもらうようなことはしないでください」
1番重要そうな説明を口頭でするって事は、この物体の中には説明書的なものは入っていないのだろう。
十分注意が必要なものを、非能力者に託して良いのだろうか?
誰にも渡さず、誰の足にも履かさず破棄してしまった方が良いのかも知れない。だが、店主はグラスヒールを勧めてくる時、グラスヒールとの出会いが必要な子がいる。そう断言した。
託した後、注意深く見ていれば大丈夫か?
1日だけ貸してみるってのもアリかも知れないが、問題はどうやって渡すかだ。
恐らくグラスヒールとの出会いが必要なのはお袋ではなく弟の彼女だろう。
ただでさえ俺達兄弟の仲は悪いってのに、弟の彼女に近付いたらどうなるんだ?弟の知らない所で手渡して、それがバレでもしたら……。
弟がいて、且つ彼女も一緒にいる時を狙うしかない。丁度、今日みたいな日に!
今頃家では弟と弟の友達2人、そして弟の彼女の4人による勉強会が開かれている筈だ。こんな日に貴重品店が現れ、グラスヒールだ。もう運命って気がしなくもない。だったら早く帰って渡そう。
「走るで!」
家に着いて見た玄関には、見慣れない靴がたくさん並んでいて、耳を済ませるまでもなく大勢の声が弟の部屋から聞こえてきた。
これは俺の耳が良いからという訳ではなく、シュウの耳にだって届くほどの声音だ。
聞く感じ、良い雰囲気とは言えないが……。
今弟の部屋を訪ねるには結構な勇気がいりそうだし、少し様子を見るか?しかし、そうしている間に勉強会が終わったら元も子もないしなぁ。なら、いつも通り空気なんか全然読めないって風を装って、弟の部屋に差し入れでも持ってくか?
「明日、桜の見えるカフェで女子会やねん。でな、恥ずかしくない格好して行きたいから、これから買い物に付き合って欲しいなぁ~って」
お?
「じゃあ、なんか変わった物がえぇよな!」
これは良い流れだ、良い靴がありますぜお嬢さん。これでいこう!
靴を雑に脱いで階段を駆け上がり、その勢いのまま弟の部屋のドアをノックすると、意外な事にスグにドアが開いた。
「なに?」
と、予想通りの仏頂面だが、ドアを開けてくれたんだからこの際表情など気にしない。
「ちょーっとコレ、履いてみてくれへん?出来れば全員試して欲しいんやけど」
そう言いながらプチプチで固められたグラスヒールが入った紙袋を弟に託した。
弟は不審そうにしながらも素直に受け取ってくれて、特に何も言わずにプチプチを解き始めたのだが……いくらプチプチを剥ぎ取ろうとも、プチプチに包まれた物体はプチプチに包まれた物体でしかなく、2重3重にとプチプチを剥ぎ取る弟の手付きが徐々に荒くなっていった。しかも、
「はぁ……」
誰にも聞えないような僅かな溜息を漏らしている。
「割れもんやから、丁寧にな」
声をかけながら今か今かとグラスヒールが顔を出すのを待っていると、階段から静かな足音が近付いてきて、弟の部屋の中を何気に覗き見た瞬間、素早く俺の部屋の中に入ってしまった。
あいつ、人見知りだったっけ?
そう言えば弟に紹介してなかったか……紹介する必要もないんだけどな。そもそも友達を紹介し合えるほど俺達兄弟は仲良くない。
シュウに気をとられ、我に返ってグラスヒールを見てみれば、弟の彼女が今まさに履こうとしている所で、本当に履いても良いのか?みたいな事を何度も聞かれた。
スルリとグラスヒールに納まった弟の彼女の足。
履き心地を尋ねてみれば、キラキラとした目でグラスヒールを褒め始め、恐る恐るではあるが1歩、また1歩と部屋の中を歩いて見せてくれた。
本当に履けるガラスの靴……チラリと剥ぎ取られたプチプチの残骸を見てみるが、説明書的なものはない。
靴の片方が他者に渡った時に何かが起こる危険な物を非能力者に託すのは余りにもリスクが高い。けど、貴重品店の店主が態々出てきてお勧めしたのだから弟の彼女が必要としている道具ではあるのだろう。
やはりここは女子会に参加している間だけ。との条件で貸し出すのが1番か。
「あー、えっと。チラッと聞こえたんやけど、明日女子会で、奇抜な格好して行きたいんやっけ?」
「はい、そうなんですよ!」
元気良く即答されては、恨めしそうに見てくる弟を一旦無視して靴の注意事項を伝えなければならない。そして、何か起きた時の為、すぐに対処が出来るように準備も必要だ。
「靴は貸すけど、ちょっと条件えぇかな?」
耳元で小さく言うと、コクコクと小さく頷いてくれる。
弟の彼女は、なんて良い子なのだろう!こんな子に将来「お義兄さん」とか呼ばれるのだろうか?
「あの……なんでしょうか?」
おっと、色々とぶっ飛んでた。
「桜の見えるカフェで女子会なんやんな?そのカフェに俺も行くから、靴に何かあったらすぐに知らせてほしい」
「え?」
「同席するって事ちゃうで?靴を貸す手前、何かあったらアカンし」
な?と同意を求めるように笑顔などを向けてみるが、弟の彼女は不審そうに俺の顔を凝視しつつも、ゆっくりと頷いてくれた。
女子会当日。
待ち合わせ時刻よりも少し早めの時間、俺はシュウと共に目的地であるカフェの中にいた。
店の奥には半個室のテーブルがあって、そこで女子会が開かれる事になっている。との事前情報から、俺とシュウがいるのは半個室から1番離れている窓際のテーブルだ。ここからだと待ち合わせ場所も、半個室も、桜まで見えるのだから、後はノンビリと花見を楽しむだけ……と言う訳にはいかないが。
「……ん?」
窓の外をボンヤリ見ていると、良く知っている3人の高校生がカフェに向かって歩いてくるのが見えた。
「え?え?」
隣では少々パニックに陥りかけているシュウが、あろう事かテーブルの下に隠れようとしている。
3人の高校生……弟と、弟の友達2人は真っ直ぐカフェへ向かって歩いてくる。今はまだ俺達には気が付いていないのだろうが、出入り口から近い場所に座っている俺達が見付かるのは時間の問題だろう。
俺は見られた所でなんとも思わないが、シュウはそうではなさそうで、今は両手で顔を覆っている。
何か相当気まずいなにかがあるらしい。そう考えて昨日事を思い出す。弟の部屋を覗き込んだ瞬間、緊急退避するかのように素早く俺の部屋に入って行った事。
良くは分からないが、身を隠したい事は分かった。
「来い」
シュウの手を引いてトイレの中に身を隠すのと、弟達が来店したのは多分同時位だろう。ドアを閉めた直後に聞こえたのは店員の来客を継げる「いらっしゃいませ」だ。
そう狭くはない洗面所の中、弟達が帰るまでここから出られないと腹をくくってみても大してする事もないし、居心地が悪い訳でもないし……しいて言うならばテーブルの上に伝票が残ったまま2人揃って姿を消したせいで食い逃げと勘違いされていないかを心配するだけだ。
それでも店内にいるうちは食い逃げには入らないのだから何の心配もない。
「何であの3人から逃げるん?」
洗面所の壁に凭れ掛かりながら弟達が帰るまでの時間つぶし方法を考え、地味に気になった事を尋ねてみた。
「……俺の元彼女、今はお前の弟の彼女やから、なんか……気まずい」
あぁ、そうなのか……。
え?そうなのか?
「知らんかった……」
けど、これで俺達の傍にいて、非能力者のグラスヒールがピッタリと足に合う人物が弟の彼女であった事に納得がいった。
「とっくに別れてるし、交流もないんやけど……なっ、あるやん?」
そう唐突に同意を求められても困るんだけど!?
言わんとしてる事はなんとなく分かるぞ?あれだろ?自分は良くても相手の気持ちまでは分からない。的な事だろ?でも、とっくに別れてる上に浮気的な事もしてないんなら、気にする必要ってないんじゃないのか?
とは思うものの、色々聞こえ過ぎて恋愛どころじゃなかった俺の感覚はきっとずれているんだろうし、ここは上級者に巻かれておこう。
「そ、そうだな」
会話が途切れて時計を見てみれば後数分で待ち合わせ時刻となっていたので、少し神経を集中してみると、待ち合わせ場所付近から何人かの声が聞こえてきた。
お待たせだの、久しぶりだの、それガラスの靴?だのと聞えてくるんだから、女子会メンバーの声で間違い無い。と、同時に弟達が慌てたように話し始めた。
こっちに来るだの、見付かるだの、ここが女子会場所やったのか!だのと言うのだから、粗方ここが女子会現場だと少しも疑わず、彼女の様子を見る為、待ち合わせ場所が見えるここで見張っていたのだろう。
これは女子会が始まる前に一悶着あるか?
「トイレん中に逃げるで」
あーあ。と、全くの他人事で成り行きを見守るつもりだった俺の耳に、弟の友達の声が届いた。
トイレの中に逃げる?
って、ここだ!
別に弟達に俺がこのカフェにいる事を知られたって痛くも痒くもないが、シュウはそうではない。それに……こんな密室に男2人で入っている事を知られてしまうのはマズイ。なんか色々とマズイ!
「ちょっ、こっち!」
シュウの手を引いて逃げ込んだのは洗面所と違ってかなり狭いトイレの個室。
ガシャリと鍵を閉めた後すぐに慌しく洗面所に駆け込んできたのはやはり弟達で、
「なぁ、素早く出る為にコーヒー代まとめて払っとくけど、後から出してや」
「俺が払っとく。今コーヒー代回収しとくわ」
と、かなり高度な作戦会議をして、チャリチャリと小銭をやり取りする音がして。その後は息を殺したように黙り込んでしまった。
カツン、カツンとグラスヒールの足音が近付いてきてトイレの前を通り過ぎ、半個室の中へ。
ポスンと椅子に腰掛ける音が4人分響いて消え、メニューを広げる音がした所で弟達は急に、
「店出たら右な」
「オーケー」
と、慌しく出て行ってしまった。
とても良いタイミングだった。とても、良いタイミング過ぎる。
偶然か?
洗面台の中から外の様子が見られるような穴が開いている?
3人の中に気配を察知出来るような能力を持った者がいる?
弟には能力があるような素振りもないし、道具についても何も知らなかった。としたら、2人の友達のどちらかが……。
いや、考え過ぎだな。
もしあの3人のうち1人でも能力者がいるのなら、貴重品店の店主は俺達の前には現れなかっただろう。
「えっと……せ、狭いな、ここ……」
ん?
ちょっと下から聞こえてきた声に視線を向けると、つむじが見えた。
弟達が完全にカフェから出て行ってから個室を出た方が安心ではあるが、今は1人が会計をして、弟ともう1人は既に店の外にいるし、洗面所の方へ出ても大丈夫か。
「戸開けるから、ちょっと奥に詰めて」
「これ以上無理。え?待って、押すなってぇえぇ~!」
戸を開けようとして半歩ほど下がって聞こえたのは結構な絶叫で、それと共にガクンと後ろに引っ張られ、ドサリと何か柔らかいものの上に尻餅をついてしまった。
この状況はなんだ?とか思う余裕もなく、俺は押されて扱けそうになったシュウに服を引っ張られて一緒になって倒れた所、先に倒れたシュウの上に着地したと、そういう事だな。うん。
幸い扱けた所は便座の上だから、言ってしまえば結構激しめに座り込んだ上から俺が膝の上に座ってきただけの事。服がベショベショになった訳でもないし、頭をぶつけた訳でもない、よな?
「どっか打った?痛い所ないか?」
慌てて振り返り頭や顔にぶつけた痕がないかチェックしながら、それでも不安で顔を覗き込んでみたのに、シュウは俯いただけで何も答えない。だから頭を掴んで強引にこっちへ向けた顔は……なんと言うか……なんだろう?
「だっ、大丈夫……」
なんだ?この歯切れの悪さは。しかもまた俯いた。
「俺の目ぇ見て答えて。不調な所は何処や?」
再びグイッと頭を掴んで顔を上げさせ真正面から顔を見てみれば、観念したように溜息を吐き、
「顔、近いから……その、目のやり場がないだけ……」
と。
あぁ、確かにこんな密室の中、男2人が至近距離で見つめ合うのは結構異常だ。だからってここで謝ると何か余計に意識してしまいそうな……意識ってなんだよ!
「あー……うん。出よっか。グラスヒールも見なあかんしな」
「うん……」
しおらしいな!ビックリだわ!
盛大に出かかった溜息を咳払いで誤魔化し、トイレの戸を開けて洗面所に出て外に向けて耳を済ませてみると、全てではないが女子会の会話が聞えてきた。
更に集中すれば4人全員分の声が聞こえてきたが……恐らく今回関係しているのは始めに聞こえてきた2人分の声だ。
弟の彼女と、もう1人。
何かあった時の為に常に全部の会話を聴いておく方が良いか?けどそれってただの盗聴だしな……まぁ、グラスヒールに何もなければ良いんだし、何か問題があった時はスグに知らせるように言ってるし、特に集中する必要もないか?
勝手に聞えてくる分以外は、意識しないでおこうかな。
「先に戻っとくわな」
こうして長い長いトイレ休憩を終えてテーブルに戻れば、かなり不審そうな顔で店員が見てくる事に気が付いて、気が付いていない振りをした。
すっかりと冷めてしまった珈琲を飲みながら窓の外に見える桜を眺め、そろそろ2杯目の珈琲を注文しようかと言う所で、ようやくシュウがトイレから出てきた。
その間俺の耳には女子会の会話、2人分の声が届くだけでシュウの声は聞こえてこなかった。だから大した事はないとは思うが……こうも戻ってくるのが遅いと心配にもなる。
「なぁ、ちょっとそれ履かせて」
シュウに声をかけようとした所で、一層大きく聞こえた声に視線が店の奥にある半個室に向いた。
「あ、でもサイズ……」
「無理そうならすぐ返すから」
カツン、カコッ、コンコン。
声に比例せずグラスヒールの音だけが長々と聞こえてくる。それから察すると、皆で履き回しでもしてるのか?
ちゃんと2足履いてくれていれば良いが、1足ずつだと、ちょっとマズイな。
店主は確か、靴が離れ離れになる時には注意してくれって言ってたよな。誰かの手に渡ってしまった場合。もう片方を持っている相手には十分に注意を払ってくれとも、安易にもう片方の靴を履かせてもらうようなことはしないでくださいとも。
同じ半個室内なのだから、1人1足ずつ履いた所で離れ離れという事にはならないとは思うが、誰かの手に渡った事にはなるだろうから……やっぱりマズイか?
「これホンマに丈夫!飛んでも大丈夫かな?」
カツン、カツン、コンコン、カコン、カコン。
音の感じからして既に軽く飛び跳ねてそうだな。よく割れ物素材の靴を履いて飛跳ねてみようとかいう発想になるものだ。割れた時の事を考えないってのは、若さか?
「え!?流石にそれは止めて。借り物やから」
カーン、カーン、カキッ、コーン、コーン。
響いていた音が、なんだか不吉な音がした後鈍くなった。これは確実にヒビが入った音だ。
人の靴、しかも持ち主が止めろと言っているにも拘らず止めないんだ、盛大に足裏を怪我した所で同情の余地はない。
まぁ、少しばかり痛い目を見た方が今後の為にもなるんだろうし?
待てよ?そういうタイプに限って自分の行動を棚に上げて他者を攻めるんじゃないか?
コーン、コーン、ガキッ、パキン。
あー、遂にやったか。
「あ……」
弟の彼女の、なんとも言えない声に混じって聞こえてきたのは、恐らくは割った当人である人間の鼻で笑うような音。
なんだろうな、微かにザマアミロ。とか聞えた気がする。
何がザマアミロなんだか。そのグラスヒールは俺の寿命4年分で購入したんだぞ?損害賠償でも求めてやろうか?
「なぁ、何かあったん?」
すぐ傍で聞こえてくる声に視線を向け、なんでもないと一旦大きく伸びをした。
そうだった、俺はここに女子会の様子を見張る為に来たんじゃなくて、グラスヒールに何かあった時の為ここにいるんだ。回収しに行くのではなく、持ってくるまで待たなければならない。
「珈琲。ホットにするか、アイスにするか悩んでた」
ははは。なんてわざとらしく笑ってみても怪しいだけだろうが、この言い訳も少しばかり白々しいな。
「アイスコーヒーの氷、全部取って飲むんやんな?氷は何処に捨てるん?」
……はい?
え?まさかあの例え話を全文本気に捉えたのか!?いやいや、氷が呪いの道具って事だな?とか言ってたじゃないか!まぁ、氷は呪いで珈琲が道具で……。って、もう1度例え話してどうする!
そうだ、これは軽く流していい会話だ。
「お兄さんっ……そうだ、お兄さんだ!靴脱いで!」
シュウの耳にも届くような声で弟の彼女の声がして、それから数秒後に半個室から物凄い勢いで走ってくるお嬢さんが見えた。
ガチャリ。
その途中には、ついさっきまで俺達が入っていたトイレがある。俺達が出た後は特に誰も入っていない筈のそのトイレから1人の少女が出てきて、弟の彼女の足を止めさせた。
「お姉ぇさん。その靴を私に見せてくれない?」
黒いドレス姿の少女は、何処からどう見ても貴重品店の店主であり、その絶対的な存在感に理屈も何も抜きにして人は従ってしまうのだろう、弟の彼女は極々自然な流れで店主の手に割れたグラスヒールを置いたのだ。
割れた、片方だけのグラスヒール……って、片方だけ?グラスヒールは離れ離れになったら駄目で、他の者の手に渡っても駄目なんじゃなかったのか?俺にそう説明した本人が何故……売った当人だから他人のうちには入らない?そもそも普通の人間じゃないんだから“者”でもないのか?
それにしたって、貴重品店が異次元にあるとは分かっていたが……
「なんでトイレからなん?」
せめて出入り口から入って来いよ。
「茶化すのはなしだよ、お兄ぃさん☆」
フフンと得意げに笑っている店主は再びトイレの中へ消えて、数秒後にまた出てきた。その手には、なにもない。
「え?ちょっと、どうしたん?」
「大丈夫?」
なんだ?
半個室内の様子が可笑しい……まさか、残ったもう片方を履いてる人間がいるのか!?高確率で割った当人だろうが、呪いの道具で何か可笑しな事になっているなら確認しなければならない。
トイレの前にいる店主と弟の彼女の横を通り過ぎ半個室の中に入ると、1人の女が顔色悪くソファーの上に倒れ込んでいた。
靴を脱がそうとしても、足に貼り付いているかのように脱げる気配がない。
どうなってんだ!?
割って脱がすしかないか?
もう片方を履かせる?
にしたって店主が回収した後だ。
「お姉ぇちゃんは、この人間を許す?許さない?」
この、やけに物騒な物言いに悪い予感しかしない。
許さない。と答えた時、グラスヒールを意図的に割った。だけでは到底ありえないような罰を下すんじゃないか?
「え……?どう言う……」
「そのままの意味だよ。許せる?それとも、許せない?」
不気味なほど優雅に笑う店主の、その人形みたいな容姿に圧倒されたのか、倒れている女と弟の彼女以外の2人はすっかりと毒気を抜かれ、ただ静かに隅の方に立っている。
いかにも、自分は関係ない。とでも言いたげな態度の2人に、弟の彼女は訪ねた。
「……1こ聞きたい事があるんやけど……中2の時、体育のプール授業の後、私の制服と体操服プールん中に沈めたん誰?」
と。
グラスヒール全く関係ないのか!しかも中2の頃?まぁ、やられた事は結構えげつないな……制服も体操服のプールの中って事は、その後の授業や下校は水着のままだったのか?それとも濡れた制服を着たとでも?学校から体操服の貸し出しってあったけ?別クラスの友達に借りるって手もあるか……。
って、今そんな体操服に思いを馳せている場合じゃない。
聞いた印象だけで判断するなら、弟の彼女はこの3人と友達という雰囲気ではない。それ所か中学生の頃に嫌がらせを受けていた感じがする。
「そ、それは……」
言い辛そうにしてるって事は、自分達も全くの部外者ではないって告白してるようなものだ。
「そん時の事、今でも夢に見たりすんねん。悔しくて、腹が立って、今でも忘れられへんねん。それを忘れて笑い話にするために今日ここに来たのに、なんなん?」
そんな暗い理由があったとは。それなのに女子会メンバー達は中学生の頃のまま何も代わっていなかった……借り物だから止めて欲しい。そうハッキリと言ったにも拘らずグラスヒールを履いて飛び続けるほどには嫌な人間のまま。
これ、別に許さなくても良いんじゃないか?と思うんだけど、思うんだけどなぁ……店主が胡散臭いから安易に“許さない”とは言って欲しくない。
どうするかな?
俺がしゃしゃり出て良いものか……弟の彼女はこの女子会で何かを吹っ切ろうとしているんだ。それを邪魔してしまう訳にもいかないから、もう少し様子を見た方が?けど、何か……とんでもなく取り返しの付かない事になりそうな気もする。
あれ?
別にグラスヒールがなくても話し合いなんかいくらでも出来るんじゃないか?
「なぁ、グラスヒールの持ち主は俺。やから、返してくれへんかな?」
弟の彼女にグラスヒールをプレゼントしていたのなら俺に出来る事は何もなかったのだろうが、幸いな事に貸し出しただけ。良かったよ、所有権を手放さなくて。
「もちろんだよ。だけど、お姉ぇちゃんの答えを聞くのが先」
話が終わらない事には次に進まないらしい。だったらノンビリと待てば良いのだろうが、そう単純な話でもないらしい。
さっきから女が履いているグラスヒールから……正確にはグラスヒールを履いている足からギチギチと嫌な音がしてくる。
足に引っ付いたように脱がす事が出来なかった理由がそこだ。
グラスヒールが足を締め付けて徐々にサイズダウンしている。
あまりノンビリしていたら足が潰されてしまうのだろう。
普通に靴として履くぶんにはなんでもない高性能なグラスヒールだが、ひとたびルールに反した使い方をすると意識を失い、その間に足が潰される、か。その後意識が戻るのかどうかも怪しい。
結局今回の道具もかなり恐ろしい道具だったようだ。
さてと、どうするかな……あぁ、待つしかないのか。
「どうでもえぇ時は許すって事になる?」
隅にいる2人から店主に視線を戻した弟の彼女は、何処となくスッキリとした表情にも見える。にしても、どうでも良いってどういう事だ?
思えば、店主がこうして出てくるのも珍しいような……。
ガチャリ。
答えを聞いた店主はトイレの中に入りグラスヒールを持って出て来ると、無言のまま俺に手渡し、そしてまた無言のままトイレの中に入り、そのまま出て来る事はなかった。
許すか、許さないか。そう問われた答えが、どうでも良い。恨みの対象ではなかったから何もせずに帰ったのか?
ギリギリ。
おっと。
俺にグラスヒールが戻った所で、締め付けは続行中か。
「この靴は俺の所持品。今日は弟の彼女に貸し出しただけやから」
一応そう宣言し、割れているグラスヒールを倒れている女の足に履かせた。その瞬間締めつけている不快な音は消え、見て分かるほどフワッと緩んだ。
ありえない位に締め付けられていた女の足の色は悪いが、締め付けがなくなってしまえば色は戻りつつあるし、ギシギシと鳴ってはいたが骨にも異常は無さそうだ。これなら意識が戻れば自分で歩いて帰れるだろう。
まぁ、潰れる前になんとかなって良かったな。
「あの、お兄さん……借りた靴、壊してごめんなさい」
俺の手に戻ったグラスヒールを、どこで破壊してやろうか。とか考えていると、弟の彼女だけがそう言って頭を下げてきた。
倒れている女はまだ意識が戻っていないから良いとして、隅にいる2人は気まずそうに俯いたままだ。
壊した側の2人が無言で、必死に止めていた人物に頭を下げられるのは良い気分ではないな……けど、この2人に謝って欲しい訳でもない。
どの道壊そうとしていた道具なのだから、壊された事に対してはなんとも思っていないんだ。ただ、人の物を壊しておきながら謝りもしないって人間性が理解出来ないだけで。
まぁ、なんだって良いか。
「えーっと、靴割れてもたから、買いに行こっか」
「えっ!?いや、良いですよ?そんなの!靴下も履いてますし、帰れます!」
そんな慌てなくても……。
後、靴を買いに行こうというのは1つの口実だ。
「ここ、雰囲気悪いやん?やからこの後は俺らと一緒に2次会せぇへん?」
怖がらせないよう、そして不審がられないようニッコリと微笑みながら手を差し伸べると、弟の彼女は俺の手を取らずに立ち上がり微笑み返してくれて、シュウは俺の足を思い切り踏ん付けた。
確かに元彼女との2次会は気まずいとは思うが、踏む事はないだろ?後で覚えとけよ!
じゃあ靴屋まで移動だ。弟の彼女は靴を履いていないから担いで連れて行くしか……待て待て、荷物じゃないんだから担ぐのは駄目だな。だったら横抱きか?それだと店の出入り口に比べて幅があるから出入りがし辛い。って事はおんぶだな。
弟の彼女の前にしゃがみ、背中を向け、
「はい、乗って」
と言ってみたが、なんの音沙汰もない。
聞えてなかったのだろうか?と振り返れば赤い顔をした弟の彼女と、盛大に膨れっ面を浮かべているシュウが俺を見下ろしていた。
なんだ?
「……これ!履いて。返さんでえぇし、捨ててくれてもえぇから、これ履いて!」
シュウは脱ぎたてホヤホヤの自分の靴を弟の彼女に差し出した。
いやいや、それは流石にないだろ。
「あ、ありがと……って、おったんやね」
アリなのか!そして今シュウに気付いたのか!?
「おったし……。弟の方はお前のかも知れんけど、こっちは俺のやから!」
えっと、シュウさん?何を大声で言ってるのかなぁ?俺のってなんだよ俺のって!その色々と誤解を生むような表現方法を如何にかしろ!
これ、慌てて否定しても余計怪しく聞えるっていう、1番駄目な奴じゃないか……。
「靴ありがと。“私の”に、終わったら連絡くれって言われてるから、2次会はご遠慮します」
私のって……えっと、なんか色々考えるのが面倒になってきたわ。
「弟によろしく言……わんでえぇわ。寧ろ俺と会った事も内緒にしてくれると嬉しい」
ゆっくりと頭を下げた弟の彼女はカフェから出た所で携帯を取り出し、恐らくは弟に連絡を入れた。
これで10分、遅くても20分後には弟が迎えに来るんだろうな。ならそれまでに俺達は帰りたいんだが……一応道具によって気を失っている人間がいるんだから、目が覚めて様子を聞かない訳にもいかないか。
よいしょと気を失っている女の横にしゃがみ込んで呼吸を確認すれば、実に穏やかな寝息を立てている。
締め付けられていた足を見ても既に赤みは引いていて腫れてもいない。何処かを殴打したという雰囲気もないし、今の段階では特になんの異常も見当たらない。
これなら問題無さそうだな。
肩を叩きながら耳元で声かけする事数回、女は鬱陶しそうに寝返りを打つではないか。
これはもしかしてただ寝ているだけか?
「いい加減に起きな遅刻するで」
「えぇ!?」
あ、起きた。物凄い勢いで起きた。何も聞く事がないほど元気良く起きた。
「……なぁ、アンタどっか可笑しい所とか、痛い所とか、なんかある?」
そして俺が言いたい事を余す事無くシュウが声に出した。
女は少しの間自分の体を眺め、何処か可笑しい所を探すような素振りをしていたが、特に何もなかったのだろう、首を傾げながら隅で立ったままの2人を見て、再び首を傾げた。
どうやら質問に答えるという概念がないようだ。
まぁ、何もないってんだから大丈夫なんだろうし、もう良いか。
「さーて、珈琲飲も」
今にも、返事をしろ。とか言いながら噛み付きそうな勢いのシュウの手を取り、強引に自分達のテーブルに戻って、思いっきり仕切り直すように声をかけた。
今日は弟の彼女の女子会を見ていただけだと言うのに、なんだかドッと疲れた……厳密にはまだ終わってないんだから気を張っておく必要は……ないか。
呪いの道具であるグラスヒールは俺の手に戻ってるし、グラスヒールに足を入れた者にも特に影響はない。後は……
「おつかれー……1人?そんで靴はどーしたん?」
片手を挙げながらやってきた弟が彼女を連れてカフェ前から退場すれば終わりだ。
「解散した後やし、1人やで。靴は……皆で履いてたらヒールの所が割れて……」
どうやら本当に俺達の事は黙ってくれてるみたいで安心した。
「え!?怪我せんかった?大丈夫?」
「無傷やったで」
これは、割れるような危険な靴を貸すなんて!と、弟の中での俺の株は駄々下がり間違いなしだな。
「フーン……楽しかった?」
弟は、楽しくなかったんだろ?と言わんばかりの態度でそう尋ねている。
同じ空間で女子会の様子を見ていた限り、決して楽しい会とは言い難い。女子会だったのかさえ怪しい。それなのに弟の彼女は満面の笑顔で言うんだ、
「うん!友達2人出来たで!」
って。
良い子過ぎて逆に心配だ……しかも友達になった2人って、あの終始無言で立っていただけの2人か?
「この靴もな、その友達がくれてん」
んん!?
……友達って、俺達の事か!