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冬の日と妹

「お姉ちゃん、起きて……っ!!」

 どうやらアサガオが帰ってきたらしい。珍しく妹の声かけだけで目を覚ましたサクラは、どうやらコタツで眠ってしまっていったらしいことに気付く。

「そんなところで寝てたら風邪ひくよ、っていつも言ってるでしょ……っ!」

「ふぁあぁーぁあ。いろいろあったんだよぉ」

 うたた寝から覚めたばかりの、緩慢な動きでコタツから出て来た姉の服装が、いつものスウェットではないことに、妹は気付いた。

「って、お姉ちゃん、なんでわたしのエプロンしてるの……?」

「えっへぇー」

 照れ笑いを隠す素振りもなく、頬を緩ませる姉の様子に、いつもと違う表情を読み取った妹。そしてアサガオは、既にして、コンロに鍋が鎮座していることに気付く。

「カレー……っ!?まさか……!お姉ちゃんが作ったの……!?」

「えへぇーんん!」

 腕組みしてえばる仕草と、ゆるゆるの顔面が不釣り合いな姉の姿に、妹はただならぬ事態を見て取った。

「本当だ……。ちゃんとできてる……」

 鍋の蓋を開けて確認すると、見た目も普通のカレーが。

「ど、どうしたのっ!!何があったのお姉ちゃん!!熱でもあるのっ!?病気??それとも異常気象!?地球温暖化の影響ぅーっ!?」

 姉の肩をガシッとつかみ、前後に勢いよく揺さぶる。サクラの首がガクガク音を立てて揺れる。

「うげぇー!?うげぇー??健康だよぉー!至って健常だよぉー!」

「嘘っ!明日は大雪だよ!猛吹雪に違いないよっ!!」

「えへぇー。それほどでもないよぉー。カレーくらいわたしだって作れるよぉー」

 姉が一人でカレーを作ったのは、どうやら事実らしい。どういう経緯でそうなったのかは知らないが、とにかくそういうことだと理解して。抜かりのないアサガオのこと、すぐに、明日は大雪でも、吹雪でもないことを確信した。


「それはわかったけど……。で。お姉ちゃん……。ご飯は……??」

「…………っ!!」

 スライムのように緩みきっていたサクラの表情が、一瞬で凍り付いた。

「ご……っ!!ご飯炊くの忘れてたぁああああああああー!!」


 夢物語から現実に引き戻されるように絶叫する。

「ぷっ!アハハっ!やっぱりいつものお姉ちゃんだね!逆に安心したよ!」

 そんな姉の姿についつい吹き出してしまう妹。

「うううぅ……っ」

「だいじょうぶだよ!お急ぎで炊けばすぐだし!」

 急にしょんぼりしだす姉に、アサガオは見守るような声を掛けるのだった。


 結局、炊飯はアサガオが準備した。テキパキと動く妹の傍らで、サクラは小さくなりながらも、興味津々で眺めていた。

「二人だから三合で十分かな。無洗米だから軽くとげば大丈夫。お水はこの線に合わせて。後は炊飯器をお急ぎモードにして、スタート!」

 無駄のない動きをしながら、独り言にも、姉に説明する為とも聞こえるように、手順を口に出していく。そんな妹に姉が訊いた。

「どれ位かかる?」

「三十分くらいかな?」

 時計を見ると、すでに六時半を回っている。炊きあがるのは七時を過ぎてしまうようだ。

「ごめんね……。わたしのせいで……。すぐに夜ご飯食べたかったよね……」

 妹をがっかりさせてしまったような気がして、サクラからは自然と謝りの言葉が出た。そんな姉に。

「まあ、お腹は空いてるけど。もっとお腹が空けば、もっとカレーがおいしくなるよ。お姉ちゃんが作ったカレーだしね!」

 大袈裟に掌を上げて、妹が挑発するように言った。

「ええっ!?なにそれ!元が美味しくないって言ってるようにも聞こえるけどっ!?」

「アハハっ!そんなこと言ってないよー!」

「ええぇー」


 ご飯が炊けるまでに、二人ともスウェットに着替えを済ませ、お風呂を沸かし、洗濯機を回した。乾燥機能付きだから、アサガオのウインドブレーカーも、部活に間に合うだろう。

 そして、カレーを温めなおす。カレーは一晩おいた方が美味しい、と言うけれど。

「一度冷やした方が、味がまとまって美味しいんだよ」

「へぇえー」

 妹のうんちくに素直な反応をする姉。

「お母さんの受け売りだけどねー」

 鍋の中が大分温まってきた頃、土壇場で、自分の料理が妹の口に入ることが心配になってきた。

「ちょ、ちょっと……、最終確認……」

 サクラはちょっとだけカレーをすくい、もう一度味見をしようとした。

「わたしはまだ味見しないでおくよー」

 楽しみは先に取って置こうとばかりに、アサガオは余裕の表情だ。

「うん……。大丈夫、だと思う……っ!」

 自分が作ったカレーは、いつものに比べて致命的にマズイ、なんてことは無いはず。


 ピロローン。

 炊飯器が、安っぽい電子音で、やたらとテンション高めなメロディを奏でた。

「炊けたー!!」

 姉妹揃って声を上げながら、炊飯器へと駆ける。

「わたしもうお腹ペコペコだよぉー」

 サクラにしては活動的な一日だったので、彼女のお腹は随分前から悲鳴を上げていたのだった。

「同じくだけど、ちょっと待てねー」

 お皿を両手で抱え、物欲しそうに迫る姉をアサガオが、交通整理とばかりに、しゃもじを振り上げて制止する。 

 ちょっとだけ蒸らしたあと、二つの皿にご飯を盛って、カレーをかけた。

 ご飯と共に在ってこそ、カレー本来の姿。鍋に入っている時よりも、黄金に輝いているように見える。

「おおおおー!!」

 二人そろって大袈裟に感嘆したあと、それぞれの分をリビングのテーブルへ運ぶ。

 そしてついにこの時が、来た。

「頂きまーす!!」

 二人そろってスプーンに手を伸ばし、姉妹の食欲を散々そそり続けて来たソイツを口に運ぶ。まだ熱々の湯気が立っているソイツの味は、サクラだけでなく、アサガオの期待も裏切らなかった。

「どう……、ですかな……??」

 自分では、思ったよりちゃんと出来ていると内心ガッツポーズしていたサクラだが、恐る恐る妹に感想を尋ねた。

 アサガオは改まり、一度スプーンを置き、両手をテーブルに置いて、真っ直ぐ姉に向き合って。そして言った。

「うんっ!カレーだねっ!!」

「ぶふっっ!!」

 自分と全く同じ感想を口にした妹に、サクラは思わず吹き出してしまった。味見をしたとき、カレーの味がする、以外の感想は無かったのだ。

「んふふふふーっ!カレーだよねーっ!?」

「アハハハハハハハ!カレーだね!」

 謎のやり取りを続けながら、食を進める姉妹。確かに、いつものカレーよりも具材のカットは雑だけれど、ソイツは紛れもなく、カレーだった。

「それにしてもお姉ちゃん。どんだけ煮込んだのコレ??」

「えぇ?」

「タマネギはほとんど形が無いし、ジャガイモもすっごい溶けてるし」

 ジャガイモは新じゃがだし、タマネギは焦げるまで炒めたから、そんなに煮込まなくても溶けてしまったのだろう。しかしそんなこと、サクラには解らない。

「そんなに煮込んだっけなぁ……??そんな記憶はないよぉー?」

「嘘ぉー?でもすっごいコクが出てて美味しいね!お姉ちゃんの料理第一号は大成功だ!」

「えへへぇー」

 妹に褒められて、満面の笑み。そして、彼女の素直な笑顔は、活発であることにすらストレスを感じ始めていた反抗期のアサガオの心を、そっと癒すのだった。




 食事を終えた姉妹は、後片付けを終えた後、テレビの前でリラックスしていた。ゴロンと全身を投げ出しているサクラと、体育座りでテレビを凝視しているアサガオ。

「お姉ちゃん。ドラマ始まる。チャンネル変えて」

「ういー」

 どうせチャンネルの決定権はアサガオにあるのだが、リモコンはサクラの手元にあるのがいつものこと。ドラマが始まると無言で没入するアサガオだから、その前にサクラは今日のことを尋ねた。

「アサガオは、今日どこ行ってたのぉー?」

 んー、とテレビ半分の返事をしながら、妹がサクラの方に首をやった。

「秘密。まだ、秘密」

「むー」

「あ、雪チョコちょうだい」

「ういー」

 手を伸ばし合って、チョコをやり取りする。

 自分も一粒頬張りながら、テレビに視線を戻すと、連続ドラマが始まろうとしていた。中高生にも人気がある、恋愛もののドラマだ。

 優等生で人気のある彼氏と、地味で落ちこぼれの彼女の恋愛を描いたストーリー。彼氏に釣り合っていないのではないかと悩む彼女だが、彼氏にしてみれば彼女の明るさと真っ直ぐな性格にこそ恋をしているのであり、優等生にありがちな複雑な悩みを、一生懸命に解決しようとしてくれる彼女に対し、彼氏は色々な方法で気持ちを伝えようとする、というのが毎週のパターン。

 サクラは別に、テレビドラマに興味があるわけでは無い。実写よりも、漫画やアニメの方が好きだ。特に、恋愛もの、となればなおさらだ。

 サクラも高校生だし、クラスの中で色々な恋愛事情があることは知っている。しかし、プライベートの人付き合いが少ないサクラにとって、恋愛とは未だに他人事でしかなかった。

 どうしたら、今見ているドラマの主人公である彼女のように、特定の他人から好かれることが出来るのか。そもそも他人に好きという気持ちを伝えたり、伝えられたりするというのは、どういうものなのか、サクラにはまだ解らない。

 だから、ドラマを見ても、遠い他人の出来事、という感覚しか沸いてこない。

 特に感情移入も無く見ていた今週のドラマは、八方美人な人付き合いに疲れ果てた彼氏が、半ば自暴自棄になり、彼女に対しても怒鳴り散らしたり、ついには手を上げてしまうのだが、それでも不安定な彼に寄り添い、支え続けてくれた彼女に対し、涙し、謝罪し、最後には指輪の贈り物をして感謝の気持ちを示す、という展開で終わった。

 贈り物。プレゼント。サクラは、両親以外の人から、そんなものを受け取ったことは一度もない。そんな関係の友人がいないのだから、仕方がないのだが。人からプレゼントを貰うとか、渡すというのはどういう感覚なのだろうか。

 

 そんなことを考えていると、急なこと、アサガオがおもむろに立ち上がり、黙ってリビングから出ていってしまった。

 少しだけ呆気にとられたサクラだったが、それ程時間を置かずにまた妹が戻ってきた。どうやら、何かを自室から持ってきたらしい。そして。

「はい。お姉ちゃん。あげる」

「へっ?」

「今日写真送ってくれた時、お姉ちゃん素手だったから。そういえばお姉ちゃん、手袋持ってなかったんじゃないかと思って、買ってきた」

「ふぇ……?」

「はい」

「あ……、ありがとぉ……!ありがとぉお!」

「いいよ別に。安いやつだし」

 確かに、安売りで知られているお店の袋。ラッピングも特にされていない、ビニール袋のまま。でも、そんなことは関係ない。取り出してみれば、値札もつけっぱなしの、モコモコ手袋は、サクラにとって、世界で一番かわいくて、温かい手袋に違いなかった。

「うぅ……っ、ひっく……っ、ひっく……っ、うぇぇーっ」

「えぇ!お姉ちゃん、泣いてるのっ!?なんでっ!?どうしたのっ!?」

「うぅ……っ!うれじぐでぇ……っ、うぇぇーっん!!」

 プレゼント。贈り物。貰った。それが嬉しかった。でも、涙が出て来たのは、また別に理由がある。

 同じだ、と思ったのだ。女の子であれ、男の子であれ、クラスメイトとの付き合いも、恋人との付き合いも、妹との付き合いと、一緒なんじゃないかと。

 多分、指輪も手袋も、カレーも同じなのだ。大切な人がいて、贈り物をした。大切な人から、プレゼントを貰った。喜んでくれた、嬉しかった。これが、気持ちのやり取り。

 そう思ったら、人付き合いも、恋愛だって、遠い他人の出来事なんかじゃない、理解できない他人の心なんかではないと思えたのだ。

 急に、自分とは遠いところにある思っていた他人の心が、グッと身近に感じられるようになった。

「ねぇ……っ、アサガオ……?」

「んん?」

「アサガオは……、恋してる?」

「うん?……してるよ?」 

「好きな男の子がいるの?」

「……いるよ?どうしたの、急に」

「ううん。わたしもできるのかな……、恋?」

 少しだけ俯き加減で尋ねる姉。妹はしばらく黙って見つめたあと、口元を綻ばせながら返事をした。

「できるよ!お姉ちゃんなんか、好きな男の子できたら、毎日好き好きーって、うるさいよきっと!」

「えへぇー?そんなんなのかなぁー?わたしってぇー??」

「そうだよ!」

 姉妹の会話はいったん途切れたが、心地の良い静寂だった。

「ねえー、アサガオぉー?」

 再び口火を切ったのは、サクラ。アサガオも姉の方を向いて返事をした。

「んん?なに?」

「ありがとぉーっ」

 妹に感謝の言葉を言いながら、サクラはもう一度、新品のモコモコ手袋を、胸元で抱きしめた。

 アサガオの方も、口には出さなかったが。

(好きな男の子ができても、わたしにかまってね)

 そう、心の中で、つぶやいていた。


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