冬の日とカレー1~お遣い~
サクラが自宅の前まで戻ってきた。
「ぜえぇ……っ!はあぁ……っ!ぜえぇ……っ!はあぁ……っ!」
復路は、県道前の長い坂を自転車に乗ったまま上ることは出来なかったので、その辺は自転車を押して歩いた。
それでも、サクラの息は完全に上がっている。自転車止めて、降りる。ガレージを開けて、自転車を駐輪すると、玄関の鍵を開けて家の中へ入った。
「はああああぁああああぁああーーーっ!!帰ってきたぁあああぁーー!!」
家に戻ったので、心の声を好きなだけ実際に発することが出来る。
「ぶぁあああああぁーっ!」
まずはキッチンに向かう。フラフラフラフラ、ゾンビみたいに冷蔵庫を求める。またデジャヴった。
戸を開けて麦茶を取り出すと、その辺のカップに注いで、グッと一気に飲み干した。
「ぷはぁああああぁああーーーっ!!」
軽く運動したにも関わらず、一時間半ほど水分にありつけていなかった。まさか真冬にこんなに旨い麦茶が飲めるなんて、思いもしていなかった。
とりあえず喉を潤したサクラは、次に着替えることにする。そう言えば、家の中は別に暖房をつけていないはずなのに、寒くない。外から帰ってきたばかりだと、こんなにも家の中は温かく感じるのか。別に、汗をかくほどに運動したわけではないのだけれど。
再び身体が冷える前に着替えてしまおうと、駆け足で自室へ向かい、クローゼットからスウェットを引っ張り出した。
ウインドブレーカーのチャックを外し、袖を抜く。ジャージの上着のチャックも開けて、脱ぐ。ティーシャツと下着姿に靴下、という恰好になった段階で、サクラは思いついた。
「そうだっ!下着も全部替えようっ!」
別に汗をかいたわけではないけれど、せっかくだから。ティーシャツを頭から脱いで、ブラを外した。そしてパンツを脱ぐ。
全裸に靴下、という恰好になって、サクラは謎の感動に心を躍らせていた。
「ハダカになっても寒くない……!」
エアコンもつけずに、全裸になっても凍えないなんて……、という感動だった。思わずバンザイするように両手を上げ、天井を仰ぐ。
五秒ほどそのまま停止した後、クローゼットから新しい下着を引っ張り出し、パンツから履いた。ブラを付けて、新しいティーシャツを頭から被るようにして着る。
この段階で靴下がそのままだということに気付き、立ったまま靴下を脱いで、新しいものを履く。
「そうだっ!せっかくだから、外に出られる服にしよぅー!!」
スウェットに着替えるつもりだったが、やっぱり外出もできる私服に着替えることにした。ジーンズとパーカーを引っ張りだして装備する。
「うぇっっ!!」
一度は引っ張り出したスウェットをクローゼットに戻した段階で、部屋のカーテンを開けっぱなしだったことに気付いた。気分が舞い上がっていて、すっかり忘れていた。
窓の方に首を曲げたまま、しばらく沈黙するサクラ。
「…………っ!」
そして赤面した。こういう時に限って、全裸でバンザイなどしてしまう自分に何ともいえない羞恥心を感じたのだった。
しかしそれ程引きずるようなサクラでもない。気を取り直して、脱いだ洋服を抱えて洗面所へ駆ける。洗濯機に洋服を放り込んだ。アサガオのウインドブレーカーを借りている以上、洗ってしまわなくては、と思ったのだが、考えてみれば、後で妹も帰ってくるのだし、その時に一緒に回せばいいや、と思い至る。
という訳で、やることがなくなった。いつもならば、ここでエアコンとコタツの電源を入れて、ゴロゴロし始めるはずなのだが、今日のサクラは一味違った。そして、本人にも、その自覚があった。
「まだ二時だし……、もう一回くらい外にでたいなぁ……」
そのためにわざわざジーンズとパーカーに着替えたのだ。ここでゴロ寝してしまっては、仕方がないというもの。
「そうだーぁ!」
サクラはスマートフォンをとりだし、妹にラインを送る。
「帰ってきたよー!ピースサインの絵文字。今日の夕飯どうする?献立言ってくれれば、買い物行ってくるよ!ハートの絵文字……っと!」
もちろんサクラは料理が出来ないけれど、妹が作る料理の買い出しくらいは出来ると考ええたのだ。
また速攻で返事が来た。
「じゃあ、カレーにしようか!音符の絵文字……。カレーかあー」
姉の申し出を無下にするでもなく、サクラにも解りやすいようにと、初心者向けのメニューを選ぶ当たり、アサガオという少女の底力を感じさせる。
「カレーって、なに使うんだろ……っ?」
サクラは、カレーの具材と聞いても、具体的には解らなかったのだが、そこは現代っ子である。スマートフォンでカレーのレシピを検索すると、簡単に答えが分かった。
スマートフォン片手に、冷蔵庫へ向かう。そして、レシピと睨めっこしながら、中を確認する。と、思ったが。そもそも冷蔵庫の中身はほとんど空だった。
今日あたり、買い出しに行くつもりだったのだろうか、アサガオは?それとも出前?もしかして、今日友達と出かけているし、外食してくるつもりだった?だとしたら、逆に気を遣わせちゃって、悪いことしちゃったかな?
そんなこと考えている内に、ある考えがサクラに浮かんだ。
「だったら、わたしがつくろうっ!アサガオは遅くなるかもしれないし、せっかく二人きりの夜だしねーっ!」
本当は、アサガオに教えてもらいながら、二人で作るのがベストだったのだろうけれど、でもまあ、カレーくらいなら一人で出来るだろう、それくらいの気持ちだった。
そうと決まれば、さっさとスーパーに向かおう。とりあえず、冷蔵庫にはニンニクとショウガくらいしか無さそうだから、食材を一通り買ってくることにした。
一度自室へ駆け戻り、モコモコのアウターを羽織って玄関へ走る。両親に貰った生活費は持っている。勢いよく戸を開けて外に出ると、鍵を閉めて歩き出した。
スーパーは、サクラの家の付近にもいくつかあるけれど、両親がいつも使っているお店にすることにした。自宅から、鉄道の駅に向かっていく途中にあり、徒歩で十五分もあれば到着するだろう。
道すがら、サクラは懲りもせず、また自転車のことを考えていた。まだ先ほどの疲労が抜けていないけれど、徒歩で動いている今の方が、自転車と比べてだいぶ楽だ。例えスーパーまでの所要時間が半分に短縮されるとしても、ストレスを感じずに済むならば、歩いた方がましだ。とは言え、十分未満のサイクリングならば、それほど疲労も感じないものなのだろうか。
それから、海外旅行のことを考えた。インドア派のサクラにとっては、海外と言えば漫画やアニメの舞台、というくらいの認識でしかなかった。別の言い方をすれば、ファンタジーの世界と同じくらい、外国とは遠い場所だったのである。
ところが、さっき寝転がりながら空を眺めた時、飛行機が真っ直ぐに進むのを見て思った。なんだ、あの空をもうちょっと向こうまで進んでいけば、外国にだって行けるんだ、と。外国での出来事も、サクラと同じ世界の出来事なんだと思えるようになった。
具体的に行きたい国があるか、と聞かれると思いつかないけれど、ヨーロッパの、かわいいお城がある場所に行ってみたいなあ、という思いはある。
(よーろっぱのお城って、イギリス?フランス?ドイツ?)
他にもたくさん国はあるんだろうけれど、ヨーロッパの中の国の違いは、実際よく分からなかった。
(どうやったら行けるんだろお?海外旅行って?)
もちろんまずはお金。それから。
(英語ー?)
そうそう英語も必要。
(英語勉強しなきゃなぁー。バイトもしようかなぁー)
今、サクラは初めて自主的に、勉強しなきゃ、なんてことを思った。両親やアサガオが聞いていたら泣いて喜んだことだろう。
それから、アサガオのことを考えた。今、どこで何してるんだろうか。買い物に行く、と言っていたけれど、サクラには、友達を買い物に行くという遊び方が、具体的にはどのようなものなのか、あまりイメージ出来ていないのだった。
(なに買ってるんだろ……?やっぱりお洋服とか?お菓子とか買って食べてるのかなぁ?)
毎晩ちゃんと家でご飯を食べているアサガオのこと、買い食いのし過ぎでお腹がいっぱいになって帰ってくる、なんてことは無いと思うけれど。
(喜んでくれるといいなぁ……。カレー……)
ちょっと心配になってきたサクラであった。
そんなことを考えながら歩いているうちに、スーパーへと到着した。今まで何度も両親と一緒に来たことがあるスーパーだ。しかし、一人で歩いてきたのは初めてのこと。今日なら、何でも自分が好きなものを買えると思うと、気分が高揚して来た。
(ちょっとくらい、お菓子を買ってもいいよねーっ!)
入口の自動扉が開いて、建物の中に入る。
まずは買い物かごを手にする。それだけで、だいぶ大人になったような気分。スマートフォンを片手で確認しながら、とりあえず今晩のカレーに必要な食材を探す。
店内に入ると、すぐに野菜などが売られているコーナーだから、この辺に目当てのものはあるはず。しかし、サクラの目に入ってくるのは、鮮やかな緑や赤の野菜たち。多分、カレーに使う食材は、もっと泥っぽい。
そのまま店内を真っ直ぐ進むと、あった。泥っぽい野菜のコーナー。目当ての食材は一通り揃っている。まずは、ニンジン。
(三本で一袋……。百七十八円……。三本も使うかな……?)
周りを見回しても、バラ売りはしていないようだ。余っても困るものではないだろうし、気にせず一袋を買い物かごに放り込んだ。次はじゃがいも。
(新じゃがいも、一袋百九十八円……。隣のは?メークイン、一袋百九十八円……。ナニコレ……?違うの……?)
じゃがいもに種類があるなんて予想外だった。どちらも一袋に四~五個入っていて、量的にも差は無いようだ。どっちを選べばいいのか……?と、悩んだのは一瞬。サクラは、名前の響きがかわいい、という理由だけで、既に新じゃがいもを買うことに決めていた。
とは言えそこは現代っ子である。ここで文明の利器を使わない手は無い。スマートフォンでメークインのことを調べてみる。
(メークインは溶けにくいので、カレーやシチューなど、煮込む料理に使う……。カレーに使うの、メークインじゃんっー!!)
どうやら買うべきはメークインであることがわかっても、不必要な点において頑固なサクラは、ネットのアドバイスを無視して、やっぱり新じゃがいもを一袋、買い物かごに放り込んだ。
次は玉ねぎ。こちらも一袋四~五個入りで百九十八円。一つ手に取り、カゴに入れる。
野菜はこれで揃ったから、次のコーナーに移動する。店内の順路に沿って進むと肉のコーナーに辿り着いた。
(うわぁあーっ!!いっぱい種類があるーっ!!)
肉のコーナーだけで随分と広い。ひたすらに陳列されているパックが、赤と白のグラデーションを描いていた。
一通り眺めながら歩いてみる。大きく分けて、牛肉、豚肉、鶏肉。カレーならばどれを選んでも大丈夫。そこは好み。
(鶏肉だとちょっと味気ないかな……。牛肉だと重すぎ……?)
なんとなくそんなイメージだったので、豚肉を選ぶことにする。ところが、豚肉にもたくさん種類があった。
(カナダ産……、国産……、芋豚……、あぐー豚……?ナニソレ?違うの……?)
ほかにも色々あるようだ。
(ロース……、バラ……)
言葉としては聞いたことがあるけれど、実際何が違うのか、どう選べばいいのか、さっぱり解らない。
よくあることだが、専門用語の氾濫に溺れかけた時、救世主のごとく現れるヤツがいる。そうそう、それ!君はわたしの為に用意されたようなものだね!と、思えるような。
(カレー用……、国産豚……)
詳しい説明なんか無くても、何々用と書かれているだけで、ドンピシャの大当たりを引いたような気がしてくる。
(そうそう!コレだよコレっ!二百七グラム、二百八十五円……。大きさもちょうどいいっぽいしっー!)
運命の出会い、あるいは運命の導き。そんな言葉にふさわしい瞬間があるとするなら、サクラにとっては、まさに、今だった。出会いは立て続けに起こる。
パックをかごに入れて、踵を返した瞬間、陳列棚の案内表示が目に飛び込んできた。
(カレー・シチュー……、絶対狙ってるでしょ、この配置……)
初心者は概してカレーを作る。そして不慣れな者たちが、店内で迷わないように、との心遣いなのか。何にしても、サクラは餌につられて誘導される虫になったような気分で、カレールウのコーナーへと足を運んだのだった。
想像してはいたが、カレーもいくつかのメーカーから、たくさんの種類が発売されている。様々なパッケージが陳列され、棚を色鮮やかに飾っている。こういう時、サクラは大体においてネーミングで決める。
(黄金カレー……!これにしようっ!)
悩む間もなく、一つの銘柄に決めた。しかしそれでもいくつか種類があるようだ。
(辛口……、中辛、甘口……?)
知識としては、そんなものがあることは知っていたけれど、実際にどう違うのか、という経験としての知識は無い。いつもはどれを使っているのだろうか?
(いつも辛くはないよねぇ……?甘くもなかったと思うけど……。てか、甘いカレーって、なに……?甘いの?)
想像上の辛口カレーも甘口カレーも、なんか違うような気がして、結局真ん中の中辛を選ぶことにした。パッケージを一つ、かごに放る。
そのまま店内通路を直進すると、お酒のコーナーに辿り着いた。両親と買い物に来ると、お父さんが必ずここで駄々をこねる。『お母さーん!ビールにして!第三のビールじゃヤダよー!』みたいな感じで。
(ビールと第三のビールって……、違うの……?)
その辺はまだサクラには早かった。
(お母さんもいないし、お酒を飲んでみたら、どうなるのかな……?酔ったアサガオってどんなかんじなんだろ?『お姉ちゃんーっ!大好きーっ!』とか言っちゃうのかなあー?素直になるとか、言うしねぇー!!)
そんな想像をしていたら。
「ぐへへへぇえ……っ、うへへへぇえ……っ」
心の声が、つい外に出てしまっていた。
酔っぱらいみたいに独り言ちてしまったことに恥じらいを感じ、そそくさとお酒コーナーから退散する。
買わなければならないものは、もう一通りカゴに入っている。あとはご褒美というか、食後の楽しみというか、お菓子を一個買うことにする。
テレビでも見ながらアサガオと一緒に食べようという魂胆である。
お菓子コーナーに辿り着いた。やたらと広い陳列棚に所狭しと並べられた、色とりどりのお菓子たち。たくさんの種類があって、色々と目移りしてしまうが、今回ばかりは選択肢の多さにワクワクする。お菓子に関しては、悩むこともあた、心地よいのだった。
食後に食べるつもりなので、カレーのデザートにふさわしいものにしようと思う。しかしそう考えると、突然訳が分からなくなった。カレーに合うお菓子って、なんだ?
(うーん……っ。チョコ……?)
そう決めてチョコレートのコーナーを物色する。『一瞬で感じる、雪のようなくちどけ』というキャッチコピーが書かれた商品に目が留まった。
(これにしよう……!)
今は真冬だが、そういえば今年はまだ雪が降っていない。雪が降るなり、冬らしい楽しみが無いと、この季節はただただ寒いばかりだ。せめてお菓子で冬らしさを楽しませてもらうことにする。
味にいくつか種類があるようなので、焦がしバターキャラメル味を選んだ。新商品だったから。一つ買い物かごに入れる。
後ろ髪を引かれる思いもあったが、買い出しはこれで十分だろう。後はレジで会計を済ませるだけだ。
なんだかんだ言って、お遣いも一人で出来てしまった。まあ、小学生でも出来る類のお遣いだから、当たり前ではあるが、いかんせんサクラにとっては初めてのこと。
(今度は、カレー以外の料理にも、挑戦してみようかな……っ!!)
料理も済んでいない段階で、そんな先走ったことまで考えてみる。
いつもは人任せにしていることでも、自分でやってみれば、案外できる。そんなちょっとした充実感が、サクラを前向きにさせるのだった。




