表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【短編】不思議少女ミウ

マリモに乗って

作者: れみ

 ある朝、アパートの前に大きなマリモが転がっていた。見たこともないほど大きい。ミウは急いで着替え、髪を結った。トーストを食べて歯を磨き、ドアを開けて廊下へ出た。


 外の階段を降りると、案の定マリモが道を塞いでいる。押してもつねっても、マリモはびくともしない。寄りかかるとふかふかして気持ちがいい。つい二度寝しそうになったが、どうにか思いとどまった。早く出かけなければ、バイトに遅れてしまう。


「おーい」


 ふいに誰かの声がして、ミウは辺りを見回した。


「こっちだよ、マリモの上」

「上?」

「アパートの屋上から飛び移れるよ」


 なるほど、と思い、ミウは階段を上った。息を弾ませて走り、ようやく屋上にたどり着く。


 屋上の周りは銀色の柵に囲まれているが、低いので簡単に越えられる。マリモのてっぺんがすぐそこにあり、女性が二人腰掛けていた。


「ミウ、こっちこっち」


 手を振っているのはバイト先の先輩、むぅにぃだ。ミウは手を振り返し、何してるんですか、と言った。


「友達がマリモを買ったから乗せてもらったの。ミウもおいでよ」

「こんにちは。あたし、中谷美枝子」


 むぅにぃの隣で、もう一人の女性が朗らかに笑った。こんにちは、とミウも言った。


「水野未生です。むぅにぃ先輩と一緒に宇宙ドーナツを売ってます」

「乗って乗って。こっちで話そうよ」


 ミウは屋上の縁から勢いをつけて飛んだ。むぅにぃと中谷の間に着地すると、深緑の毛に体が埋もれる。少しも痛くなかった。


「バイト先まで乗っていけるよ」


 むぅにぃが言った。中谷は慣れた手つきで毛を引っ張ったりつついたりしていたが、しばらくして首をかしげる。


「おかしいわね。動かなくなっちゃった」

「えっ。ちょっと貸して」

「だめよ。むぅにぃは免許持ってないでしょ」


 ミウも覗き込んだ。中谷は毛をレバーのように引っ張り、周りの部分をボタンのように押している。


「それで動くんですか?」

「いつもはね。今日はどうしちゃったのかしら」


 いくら引っ張ってもマリモは動かなかった。むぅにぃは携帯電話を出し、桑田に聞いてみるよ、と言った。


「バイクのことなら何でも知ってるし、最新型のマリモにも詳しいよ」

「そうかしらねえ」


 むぅにぃが電話をかけると、男の声が聞こえた。


「もしもし。おれ、デミグラ・ハンバーグ定食」


 違うってば、とむぅにぃが言う。


「ご飯じゃなくて、ちょっと困ってるの」

「ああもう、あたしに貸して」


 むぅにぃと中谷が電話を取り合っている横で、ミウは足元の毛をそっとかき分けてみた。そして手当たり次第に揉みほぐした。


 ぐらり、とマリモが揺れる。中谷が悲鳴を上げ、むぅにぃは携帯電話を取り落とした。


「ミウちゃん! 何やってるの」

「すみません。動かせるかもしれないと思って」

「わ、わ、つかまって」


 マリモはさらに揺れた。前進しているというよりは、その場で波打っているようだ。ミウは毛にしがみついた。転がった携帯電話から、まだ昼飯には早いんじゃねえか、と叫ぶ声がする。


 ミウが動こうとした瞬間、誰かが足首をつかんだ。見つけたぞ、と声がして、ざわざわと揺れる毛の中から黒髪の頭が現れる。


「こんなところにいたのか。帰ろう。今すぐ帰ろう」


 顔を出したのは若い男だった。くっきりとした目鼻立ちに、黒々とした髪と眉が印象的だ。赤いジャージを着ているが、腕にも背中にもマリモの毛が絡みついている。


「ご家族?」


 中谷が怪訝そうに言った。ミウは首を振る。


「私、兄がいるけどこういう顔じゃなかったと思います。多分」

「じゃあこの人は誰なの?」


 むぅにぃと中谷は赤いジャージの男をじろりと見た。男は一瞬怯んだが、今度はミウの腕をつかんで引き寄せた。


「帰るぞ。晩御飯はマグロだ」

「嫌。デミグラ・ハンバーグ定食がいい」


 ミウが言った途端、マリモがぼよんと跳ねた。男の手がミウから離れ、あっという間に体ごと弾き飛ばされた。


「今よ!」


 中谷が毛を引っ張ると、マリモはそのままぽんぽんと跳ねて前進した。男は転げ落ち、マリモの下敷きになってしまった。


 むぅにぃは後ろを見て、もう追ってこないね、と言った。


「ミウちゃん、大丈夫?」

「あ、はい。知ってる人かもしれないけど、多分知らないので大丈夫です」


 マリモは軽快に跳ね、道を渡って公園を横切り、家を飛び越え電柱の上まで飛び、電線で弾みをつけて空まで飛んだ。


「やっぱり最新型は違うわね」

「ちょっと繊細すぎない? 異物が入り込んだだけで動かなくなるなんてさ」

「あのまま動いてたら大変じゃない。あんなもの乗せて飛べないわよ」


 むぅにぃと中谷が話している横で、ミウは携帯を拾い上げた。落ちたと思ったが、途中の毛に引っかかっていたのだ。電話はまだ繋がっている。


「おい、むぅにぃ。事故ったのか?」

「もしもし。桑田さん、ですか」


 ミウは耳に携帯を当てた。


「桑田さんってデミグラ・ハンバーグ定食なんですか。食べたい」

「何だよ、むぅにぃじゃねえのか。どこにいるんだよ」


 空です、と答えながらミウは行く手を見つめた。白い虹がかかり、遠くの景色がぼやけて見えた。宇宙ドーナツの店はまだまだ先だ。


 マリモは雲から雲へと跳ねていく。柔らかい毛に包まれて、このままずっと揺られていたくなる。だけど今日もバイト先ではたくさんの客とドーナツが待っている。星の粉で揚げたドーナツは少し酸っぱくて、食べると目の中がチカチカする。


「私はデミグラ・ハンバーグ定食のほうが好きだけどなあ」


 ミウはつぶやき、マリモを撫でた。マリモは喜んで、ミウたちを乗せたまま三回転半をして飛行機雲をまたいだ。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] マリモ、運転するのに免許が必要なんですね。桑田がデミグラ・ハンバーグ定食には大笑いしました(@^o^@) ミウが後輩だなんて、きっと楽しい職場に違いありません。本当にそうだったら、どんなにか…
[一言] マリモに乗って出勤とは斬新ですね。 バイクと同じ扱いなのか…。 なんだか私ももふもふしたくなりました。 しかし赤ジャージの扱い、いいですね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ