終幕
わたしが気がついたときには、そこは精神科の家の地下室ではなく、病院のベッドの上だった。まどろむ意識のなか、わたしはどうしてここにいるのか考えてみるも、何も覚えていない。ただわかっているのは、自分は助かったということだけだ。
わたしが意識を取りもどしたことに気がついたのか、近くにいた看護士がこちらに歩み寄ると、その顔をのぞきこんでくる。
「気がつきましたか松下さん?」看護士が言った。「意識はちゃんとありますか?」
わたしは小さくうなずいた。「……はい」
「それはよかったです」看護士が笑みになる。「あなたはもう三日も眠っていたんですから。目覚めてくれてよかったですよ」
「……三日もですか?」
「ええ、そうよ。それにしてもあなたは運がよかったわ」
わたしは眉根を寄せる。「それはどういう意味ですか?」
「焼け跡の残骸から、猫が必死に鳴いて居場所を教えてくれたのよ。そのおかげであなたは見つかったの。発見がもう少し遅かったら、危ないところだったんだから」
「……そうでしたか、わたしは」そこまで言いかけて、わたしははっとする。「そうだ。もうひとりのほうは、どうなりましたか?」
「もうひとり?」看護士は怪訝な顔つきになる。「なんのことを言っているの」
「地下室にはもうひとり男性がいたはずです。その人はどうなったんですか、生きているんですか?」最悪の展開がわたしの脳裏をよぎる。「もしかして手遅れで……死んでしまったのでしょうか?」
看護士は肩をすくめる。「地下室で発見されたのは、あなたひとりだけよ。ほかにはだれも見つかっていないわ」
それを聞いて、わたしは目を丸くする。「わたしひとりだけ?」
「そう、あなたひとりだけ」
舌なしこと奥村ヒロが消えた、地下室から? でもどうやって……。
「だいじょうぶですか、松下さん?」看護士が言った。「どうやら少し混乱しているみたいわね。先生を呼んできますね」
奥村はたしかに、わたしといっしょに地下室にいたはずだ。もしや先に脱出したのか、警察に捕まるのをおそれて?
……だがあの傷では自力で脱出したとしても、そう遠くへ行けるはずもない。あそこの森のどこかで野たれ死んでいるのではないか、心配になってしまう。
そんなことを考えていると、看護士が医者をつれてやってきた。そしてことの事情を説明する。精神科の家の焼け跡から、わたしが発見されたくわしい経緯と、その後の手当てと治療について。その説明がすむと、後ほど警察の事情聴取があることを伝えられた。
そのことばどおりわたしは後日、警察から事情を訊かれた。警察の話によると精神科の家から見つかったふたりの死体、それは佐久間ヨウヘイと山崎ケンのものだと確認された。そのふたりとの関係について、そしてあそこで何があったのか問いただされた。
わたしは少し迷ったが、ありのままの事実を伝えることにした。その際に幽霊やら、それに取り憑かれた、とわたしの口からそのことばが出るたび、警察の人はしぶい顔をしていたのをよく覚えている。それもしかたのないことだ、とわたしは思った。だれもわたしの話を信じてくれなかった。信じてくれたと思っていた山崎ケンも、わたしの話を信じたふりだった。ゆいつわたしの話を信じてくれたのは、奥村ヒロただひとりだけだ。
警察はわたしの話に対して、奥村ヒロとして取り扱われていた遺体が、その後のくわしい検査の結果、歯形から山崎コウジだと確認されたと教えてくれた。それと同時に、奥村ヒロ本人を殺人容疑で指名手配するそうだ。
わたしも共犯を疑われたが、過去の経歴と無認可だったとはいえ精神科の家と呼ばれた、あの家に通っていた事実からシロと判断された。
どうやら佐久間と山崎ケンは長年のコンビの詐欺師だったようで、山崎ケンはターゲットとなる精神を病んだ人物を見つけると、近づいて親しくなるふりをし、そして佐久間が精神科医と偽り開業しているあの精神科の家への通院を進めるのだ。そして患者をだまして金をだましとる。そのようなことを繰り返していたらしい。
その事実はわたしが山崎コウジに取り憑かれた際に、わたしが居留守番の仕事を辞めたいと訴えたときに佐久間が話してくれた、話とだいたい一致する。そのためやはりそうだったのか、とわたしは納得する。
警察の事情聴取を終え、その後、何日か病院で過ごしたのち、わたしは退院することになった。その間、わたしは幽霊になった山崎コウジが語ったあのことばばかり思い返していた。
「前向きになるしかない」わたしはそのことばを口にする。「どんなひどい状況だとしても、せめて希望を信じて前向きに生きろ……か。たしかにそのとおりね」
それは奥村から山崎コウジに送られたことばだったが、いまのわたしにも共感できるものだった。たしかにわたしの置かれた状況はひどいものだ。だがだからといって、いつまでも悲観的になるべきではない。そう考えると、気持ちが楽になり、前向きに生きたい、と思うようになっていた。
「幽霊に苦しめられてきたはずなのに、幽霊のことばに救われるなんて皮肉ね」
あの事件を通して自分は変わったな、と自分でも感じるようになっていた。少しずつ、笑えるようになったような気がする。
そして退院の日、その日は雨だった。わたしは傘をさしながら病院をあとにした。交差点の信号待ちのとき、通りの向こうに黒いレインコート着た人物を目にし、思わずはっとするも、車が通り過ぎるとその姿は消えていた。ただの見まちがいだろうか。
警察の話では、未だに奥村は見つかっていないそうだ。
信号が青になり、わたしは前に歩き出した。これかさ先、自分がいったいどうなるかは、だれにもわからない。だからこそ希望を信じて前向きに生きようと思う。これまで不幸つづきだったわたしが、これからは幸せになれると信じて。




