第一幕 第四場
料金の支払いを済ませてタクシーをおりた自分の目の前には、目的地である建物が見えていた。だがそれは自分が想像していた家とはちがっていた。それは家と呼ぶには大きく、その西洋風の造りの外見から、館と形容したほうがいいと思えてしまう。
「……まるで洋館みたいだ」
しばしのあいだ、その家に見入ってしまう。その横幅はバスケットコートほどあり、そして高さは電柱と同じくらいだ。ところどころの窓からレース越しに淡い間接照明の光が漏れだし、ほのかに家を照らしている。外灯は玄関前にしか設置されていない。そのため全体的に見て家はぼんやりと暗く、どこかもの悲しげな雰囲気だ。
呆然と立ち尽くしていると、タクシーが発車する音でわれに返った。立ち去るその姿を自然と目で追う。やがてその姿が消えてしまうと、ふたたび家に視線をもどし、そしてそれからあたりを見まわした。
家のまわりには塀や生垣などはなく、代わりに森の木々に囲まれている。さらには主要な道から少しそれた場所にあるため、そこから見える範囲に建物はなく、そのため森の隠れ家的な趣がある。
さっさくおれは玄関へと向かうと、インターホーンのチャイムを鳴らした。だがなかなか反応が返ってこない。そのためもう一度ボタンを押そうとしたとき、インターホーンから反応が返ってきた。だが相手は何もしゃべってこない。まるでこちらを観察しているかのようだ。
じれったいと思い、自分から口を開く。「あのすみません。居留守……留守番の仕事を引き受けた奥村ヒロというものですが」
反応はない。代わりに足音が玄関へと近づいてくる。そして鍵を解錠する音が響くと、そのドアが開いた。中からでてきたのは四十代ぐらいの男だった。その顔つきは柔和そうで、眼鏡をかけている。服装はデニムのズボンにポロシャツというラフな格好で、それが短く切りそろえた髪型によく似合っていた。
「お待ちしておりました、奥村さん」その低く落ち着いた声音からは、教養のよさが感じられる。「どうぞ中にはいってください」
「はい、失礼します」
おれは軽く頭をさげると、家の中へと足を踏み入れた。中は外観と同じで洋風になっており、玄関に土間や靴箱は存在しない。男の足下を見るとスリッパを履いていた。ここはやはり靴を脱ぐべきだろうか?
「靴のままでどうぞ」こちらのとまどいを察してか、男が言う。
「わかりました」
「ではついてきてください」
男のあとにつづいて家の奥へと進む。家の中は間接照明だけが点灯されており、オレンジ色に染まっている。まるで道路のトンネルの中を歩いているような気分だ。
やがて居間へと案内された。そこには暗い色合いの家具調度品があり、シナモン色のカーペットが敷かれている。派手さはないが、落ち着いた印象を受ける。
「どうぞ腰掛けてください」男はソファを手で指し示した。
おれは指示されたとおり、ソファへと腰をおろした。依頼人の男とはテーブルを挟んで向かい合っている。
「こんな時間に呼び出して申し訳ない」男は言った。「ほんとうなら明るい時間に来てもらいたかったんですが、いろいろと都合がつかなくてね」
「いえ、気にしないでください」
「そういえば自己紹介がまだでしたね」男は眼鏡のつるをくいっと持ちあげる。「わたしは佐久間ヨウヘイと言います。さっそくですが仕事の話にはいりましょうか。時間もあまりありませんのでね」
「ええ、そうですね」
「わたしはこれから一週間ほど仕事で家をあけることになります。それで奥村さん、あなたにはわたしの代わりに、これから一週間この家に滞在してもらいます。その間、猫の世話をお願いしたいんですよ」
「猫の世話をすればいいんですね?」
「はい、そうです」佐久間はうなずくと、あたりを見まわす。「紹介したいのですが、わたしの猫は人見知りでして、いまはどこかに隠れているみたいです。ですので家を案内がてら探してみましょうか」
佐久間が立ちあがると、それにならっておれも立ちあがった。佐久間の案内のもと、まずは家の一階を見てまわる。その際に明かりのついていない場所にくると、なぜか佐久間は蛍光灯ではなく間接照明をつける。それが不思議でたまらない。
「あの、佐久間さん。猫を探しているんですよね。ならどうして蛍光灯をつけないんですか。間接照明より、よっぽど明るいと思いますけど」
「猫という生き物はじつは蛍光灯の光が苦手でして、うちの猫はそれが顕著なんですよ。だからこうしてわざわざ間接照明をつけているんですよ。奥村さんも滞在中は気をつけてくださいね」
「なるほど、そうでしたか」
一階には居間のほかに、いくつかの部屋とキッチンや風呂場などがあったが、どこも飾り気がなくシンプルな内装で、全体的に暗い色調で統一されている。そのため家の中はどこか重苦しい雰囲気があり、さらには生活感があまり感じられないため、少しばかり不気味に思えてしまう。
「どうやら一階にはいないようですね。もしかしてここかな」
佐久間はそう言って、廊下の突き当たりにあるドアをあけと、明かりをつけた。するとそこには下へとくだる階段の姿が。
「地下室ですか?」おれは質問する。
「お察しのとおりです。猫がここに来ることはめったにありませんが、一応念のため確認しておきましょう」
佐久間とともに階段をおり、地下室のドアをあけて中へはいる。窓がなく月明かりさえも差さない地下室は真っ暗で何も見えない。その暗さに目を凝らしていると、やにわに明かりがついた。それは蛍光灯の光で、間接照明の薄暗さに慣れていた目には強烈だ。思わず目を閉じる。
「どうやらここにも」佐久間はそこでしばし間を置いた。「いないようですね」
「そうなんですか」
おれは目を細めながら、あたりを見まわす。そこは学校の教室ほどのスペースがあり、掃除用具や工具などが置かれている。そのほかには予備のカーテンがあるだけだ。地下ということもありひんやりしており、においもどこかカビ臭く感じる。
「もどりましょうか、奥村さん」
地下からもどると、今度は二階へと向かった。
「二階には来客用の客室をはじめとする、個室ががいくつもありますから、滞在しているあいだは、あいている部屋を好きに使ってください」佐久間はそこまで言うと足を止め、こちらに向き直る。「ただし鍵のかかった部屋には、くれぐれもはいらないでくださいね。わたしの大事な仕事道具がありますから」
「はい、わかりました」おれはうなずく。「ちなみに佐久間さんは、どんなお仕事をなさっているんですか」
「オカルトライターをしております」佐久間はにっこりと笑う。「それで今回オカルトスポットの取材で出かけることになりましてね、だからその留守をあなたにまかせるというわけですよ」
「なるほどオカルトライターでしたか。めずらしい職業ですね」
佐久間はくすっと笑い声を漏らす。「よく言われますよ」
「それにしてもオカルトライターって、そんなに儲かるんですか」おれはあたりを見まわしながら言う。「こんな大きな家を持てるなんてうらやましい」
佐久間の顔から笑みが消える。「……じつはこの家、いわくつきの物件でして、それでお手頃な価格で購入できたんですよ」
「……えっ?」
「これもオカルトライターとしてコネがあったからこそ、できたことなんですよ」佐久間は無表情で話をつづける。「わたしはラッキーだったと思いませんか」
どう反応していいのかわからず、歯切れ悪くなってしまう。「……ええ、そうですね」
「オカルトライターとして、こんな場所に住めるなんて、それはとてもとてもすばらしいことなんですよ。わかります奥村さん?」
「そんな場所に……ひとりで住んでいるんですか?」
「ひとりじゃありません」佐久間は意味深に言う。「彼女もいますから」
「彼女?」
「ほらあなたの後ろにいるじゃないですか」
そう言われ振り向こうとしたその瞬間、何かがおれの足に触れ、思わず叫び声をあげてしまう。すぐさま目を向けると、そこには一匹の猫がおり、おれの足に顔をこすりつけていた。
その様子を見ていた佐久間が笑い声をあげた。「冗談ですよ奥村さん。オカルトライターとして、人を驚かせることが好きでついからかってしまいました。この家はいわくつきではありませんから、安心してください」そう言うと、猫を手で指し示す。「それにしても人見知りのこの子が、初対面の人になつくとは驚いた。これならうまくやっていけそうですね。ちなみにこの子の名前はサクラと言います」
「もうびっくりするじゃないですか」おれはほっと胸をなでおろした。
佐久間は謝罪すると、猫のサクラについての説明をはじめた。エサやりや猫用トイレなどの注意事項を聞いたあと、出かける佐久間を見送るため玄関へと向かう。
「では奥村さん、あとのことは任せましたよ。居留守番のほうよろしくお願いします」
そのことばに思わず眉を寄せる。「……居留守番ですか、留守番ではなく?」
「そうです。居留守番です。メールでもちゃんとお伝えしたではないですか」
「いや、その……あれは表記ミスか何かと思っていまして」おれは笑ってごまかす。「ちなみに留守番と居留守番のちがいってなんですか?」
「簡単なことです。だれが訪ねてきても応答しない、家の電話が鳴っても取らない。ただ居留守をしていればいいだけのことです。それが居留守番です」
おれは疑うような口調になる。「つまり居留守をすれば……いいんですよね?」
「ええ、そうです。留守番より簡単でしょう」
「たしかにそうなんですけど、それでいいんですか?」おれは困り顔になる。「留守中の対応ぐらいは、自分はできますよ」
「気になさらないでください」佐久間は首を横に振る。「わたしの知人や友人がここを訪ねてくることは、まずありえません。もしだれかやってくる人がいるとしたら、前の住人の知り合いか何かでしょう。そのたびに対応し、説明していたら面倒だし、しかも本来の住人ではないあなたが、わたしの代わりに説明しても、よけいややこしくなるだけでしょう。下手すればトラブルを招くかもしれない。だから居留守でいいんですよ。あなたもそんなことはごめんでしょう?」
「たしかにそれならそうですね」おれは肯定のうなずきを返した。「わかりました」
「あと居留守番の期間中は、外にはでないでくださいね」
「……えっ? 家から出てはいけないんですか」
「当然です」佐久間はおれの両肩に手を置いた。「もし前の住人の関係者かだれかが、あなたが家から出てくるところを目撃でもされたら、面倒でしょう」そこでことばを切ると、肩をぎゅっとつかむ。「そのトラブルだけは、ぜったいに避けたいのです。わかってくれますよね、奥村さん」
有無を言わせない雰囲気に、おれはたじろいでしまう。「……ええ、まあ」
「案内したときに説明したとおり、キッチンには一週間分以上のじゅうぶんな食料もありますし、外へ出る必要なんてありませんよ。あなたはここにいてサクラの面倒を見てくれれば、それでいいんですよ。何もむずかしいことはないでしょう」
「そうですね……」おれは表情を曇らせながらそう言った。
こちらの気持ちを察したのか、佐久間はにこっと笑う。「なあに、そう不安にならないでください。自宅にいるつもりで気軽に居留守番をしてくれればいいんですよ。まだ先は長いんだ、リラックスしてください。あっそうだ、キッチンにあるお酒は好きに呑んでくださってけっこう。それで気分を変えて居留守番を楽しんでください」
そのことばを聞いたとたん、酒好きのおれはすぐさま笑みを繕う。「わかりました」
「では居留守番よろしくお願いしますね」
佐久間はそう言うと、玄関のドアを開いて出て行く。するとすぐさま外からドアを施錠する音が響き、居留守番のはじまりを告げた。