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居留守番  作者: 又吉大吉
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第六幕 第四場

 松下アヤカなる人物が留守電に残したことば、山崎。それがずっと頭に引っかかっている。ただの偶然だと思いたい。そんなことはあるはずない、とわかっている。女が呼びかけた山崎が、おれの友人である山崎コウジではあるはずがないと。しかしいま思い返してみると、夢のなかでも松下は山崎の名を口にしていた。これがどういうことなのか、考えれば考えるほど混乱し、ますますわからなくなってしまう。


 そんなことを居間で思い悩んでいると、いつのまにか日は落ちはじめていた。いまだに雨は降りつづけている。その雨音がおれの心をかき乱す。ぞわぞわして落ち着かない。


 ここで悩んでもしょうがない。たしかめればすぐにすむ話だ。ついにおれは山崎に電話することを決めた。スマートフォンを手にすると、電話をかけはじめる。


「もしもし奥村か」山崎が電話に出た。「おまえから電話をくれるとはめずらしいな」


「……ああ、ちょっと話があってな」おれはつとめて冷静さを装う。「確認したことがあるんだけどいいかな?」


「なんだよ。確認したいことって」


「山崎……おまえさ、同棲していた彼女に逃げられた、って言っていたよな」


「なんだよ急に。話題が突然すぎるぞ」


「もしかしてその彼女の名前ってさ、松下アヤカだったりしない……よな?」


 山崎からの返答はない。代わりにため息だけが聞こえてきた。


「すまん山崎、変なことを訊いて」おれはすまなさそうに言う。「悪かったよ。気にしないでくれ」


「そのとおりだよ」


「へっ!」おれは素っ頓狂な声をあげる。「……いま、おまえなんて言ったんだ?」


「だからそのとおりだよ。正解だ、彼女の名前は松下アヤカで合っている」


「……あのさ、山崎おまえひょうとして、おれをからかっているのか?」おれは疑うような口調になった。「おれが松下アヤカについて調べてくれと頼んだから、そうやって話を合わせて、からかっているんだろ。悪いがいまは冗談を聞かされる気分じゃないんだ」


「同感だね」山崎の声がけわしくなる。「おれも冗談を言うつもりは、さらさらない」


 どういうことだ、とおれは思った。その口調から冗談を言っているようにも思えない。


「……説明してくれないか山崎。おまえの彼女の名前は松下アヤカで、そしておれが調べを頼んだ女の名前も松下アヤカだ。これはたまたま同姓同名だということなのか?」


「同姓同名なんかじゃない。同一人物だよ」


「……それじゃあ山崎、おれが松下アヤカについて調べてくれるよう頼んだとき、すでに彼女を知っていたってことだよな。知ってて知らないふりをしてたのか?」


「ああ、そうだよ。彼女のことはよく知っている。一応恋人なんだし、おまえがいまいる精神科の家に通院を勧めたのもこのおれなんだからな」


 そのことばにおれは驚きを禁じえなかった。「どうしておれの居場所を知っている?」


「おいおい、おれが居留守番の仕事を見つけて、おまえに勧めたんだぞ。こうなることはわかっていた。おまえならこの仕事を引き受けてくれるとね」


「意味がわからない。いったいなんのつもりだ山崎。おれに嘘をついてだまして、いったい何がしたいんだ」


「たしかにおれはおまえをだました。松下アヤカについて、その真実にいくつかの嘘を織り交ぜて、おまえに説明した。おれが彼女の恋人だとばれないようにな。それもこれも、彼女を取りもどすため仕方がなかったんだよ」


 おれは眉根にしわを寄せる。「彼女を取りもどすだと?」


「そうだ。おれがわざわざこんなことをしたのは、いなくなってしまった彼女を取りもどすためだよ。おまえのせいでいなくなった彼女をな」


「おれのせい?」


「ああ、そうだよ。おまえのせいで松下アヤカはいなくなったんだよ」


「ちょっと待ってくれ山崎。松下アヤカが失踪し、行方不明なのがおれのせいだと言いたいのか。そんなことあるはずない。おれはこの家に来るまで、彼女のことを知らなかったんだぞ。そんなことありえない」


 露骨なため息が聞こえてくる。「まったくおまえの嘘にはあきれるよ。相変わらず、自分に都合のいいように、現実をゆがめているらしいな。自分にとって不都合な真実は目にははいらない。そして自分自身すらだましている。おまえは以前から松下アヤカのことを知っているんだよ。だっておまえはかつて、その精神科の家にいたんだからな」


「……なんだって」おれは愕然とする。「おれがこの家にいただと?」


「ああ、そうさ。おまえは患者としてその家にいたんだよ。そのことをおまえは忘れているらしい。それもまあ仕方ないさ。おまえは頭のおかしい人間だからな」


「ふざけた冗談はよせ。そんなの信じないぞ」


「ならなぜ、その家にいる人見知りである猫のサクラがおまえになついているんだ。かつては精神科の家でアニマルセラピーとして利用されていたその猫がさ」


 そのことばでおれははっとし、ここに来た初日のことを思い出した。あの日、依頼人である佐久間ヨウヘイがはたしかこう言った——『それにしても人見知りのこの子が、初対面の人になつくとは驚いた』


「……そんなことあるはずない」おれは顔を青ざめさせる。「なあ山崎、冗談きついぞ。いくら昔からの友人だからって、これはさすがにやりすぎだ」


「いつからおまえとおれが友人になった。おれはそんな覚えはないぞ」


「何を言っている。おまえはおれの友人の山崎コウジだろ」


「たしかにおれの名前は山崎だ。だけど下の名前はケン、おれの名前は山崎ケンだ」


「ふざけないでくれ」おれはこみあげる恐怖から声を震わせる。「嘘だと言ってくれよ」


「自覚のない嘘をついているのはおまえだ」山崎は冷たく言う。「これが嘘だ言うなら、思い出せるか。いつからおまえはおれのマンションにいた。どうやってそこまで来た。それ以前は何をしていた」


 そう言われ、思い返してみるも、まったく思い出せない。自分の記憶に空白の部分があるとわかり、おれは頭を抱えてしまう。何がどうなっているんだ。


「思い出せないだろ」山崎が言った。「なら思い出せるよう努力するんだな。その家にはおまえがいた痕跡があるはずだ。それを探して思い出せ。ほんとうの自分を」


 電話が切られると、おれは呆然と宙を見据えた。いったい何が起きているんだ?

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