第一幕 第三場
約束の日、おれは指定された場所へとタクシーで向かっていた。進むにつれ人里からどんどん離れていき、いまや山の麓に差しかかったところだ。夜のためあたりは暗く、周囲には建物がほとんどない。さらには街灯もまばらなため視界は悪かった。
そんな人気のない風景をぼんやりと見つめていると、不意に運転手が話しかけてきた。
「お客さん、こんな場所にいったいなんの用事ですか?」
「えーと、それは……」守秘義務のことを思い出し、ことばを詰まらせる。「ちょっとした用事があるんですよ」
「……そうですか」運転手がルームミラー越しにこちらを一瞥する。「べつに詮索するつもりはありませんよ。ただこのあたりは人気がないせいか、ときどき柄の悪い連中がたむろしてたりしますからね」
運転手のそのことばで、仕事の依頼人が居留守番もとい留守番を頼んだのは、そういった輩から、家を守るためでないかと思い至った。家を留守にしているあいだに、泥棒にはいられないよう、そう考えたのだろう。
「だからお客さん、何をするのか知りませんが、気をつけてくださいよ」
「そうですか。でも、たぶんだいじょうぶでしょう」留守番するだけだから。
運転手がルームミラー越しに見つめてくる。その目つきは険しく、まるで値踏みされているかのような気分に陥ってしまう。
「お客さん、ひょっとして護身術や格闘技でも習っているんですか」
「えっ?」唐突な質問に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。「……自分そんなふうに見えますかね」
「いえ、まったく」運転手はきっぱりと言い切った。「なのにだいじょうぶなんて言うから、ひょっとしたら護身術か格闘技でもやっているのかな、と思いましてね。それで訊いてみたんですよ」
質問の意図がよくわからず、おれは首をかしげてしまう。「はあ、そうですか。たしかに護身術も格闘技もしてませんけど」
「それならなおさらに、悪い奴らに襲われないよう気をつけないと」
「……ええ、そうですね。肝に銘じておきます」
納得がいかない、とおれは思った。タクシーの運転手にそこまで心配されるほど、自分はひ弱に見られていたのだろうか。それともここいらにいるという柄の悪い連中が、おそろしいほどまでに凶暴なのだろうか。どちらなのかは決めかね、運転手の親切心からでたことばとして、素直に受け止めることにした。
ふたたび窓の外へと顔を向けると、友人である山崎コウジのことが頭に思い浮かんだ。今回のこの仕事は守秘義務があるため、嘘をついて山崎のマンションから出て行った。いつまでも居候みたいにいるのは悪いから、別の友人に家に行くと言ったが、はたしてそのことばを信じたかどうかは、わからない。自分以外にそんなお人好しいるわけないだろ、と言っていたので、怪しまれているのはまちがいないだろう。
そうこう思い返していると、やがてタクシーは目的地へとたどり着いた。