第四幕 第三場
友人の山崎コウジに松下アヤカについて調べてもらうよう頼んでから、数時間が経過した。いまおれは自分が使用している二階の個室にもどり、落ち着かない様子で部屋の中を行きつもどりつしている。
調べるのに時間がかかるのもわかっているし、いまは夕方で夜になるまでまだ時間があるのも理解している。けどその連絡がくるのが待ちきれない。どういうわけだか、胸騒ぎがしてじっとしていられず、こうして部屋の中をうろついてしまう。
だがやがて自分がしている行為が、まるで夢で見た女といっしょで、情緒不安定なことに気がつく。そのため顔をしかめて、ベッドに腰掛ける。
「……落ち着けよおれ。これじゃあ夢に出てきた女と同じじゃないか」
気分を落ち着かせようと、何度か深呼吸する。おかげで少しは気分がやわらいだ。ここで自分があせっても仕方がない。いまの自分にできることはないのだから、ここは大人しく山崎からの連絡を待つしか……いや、まだやり残していることがある。
「そうだ、ほかにも鍵のかかった部屋があったじゃないか」
昨夜の調べで、この家には鍵のかかった部屋が三つあることがわかっている。例の助けてと落書きされた部屋、もうひとつののぞき窓がついた個室、それに二階奥ののぞき窓がついていな部屋。
二階奥の部屋は調べることは無理だが、もうひとつののぞき窓の部屋なら中の様子を見ることができる。きのうは夜のせいで暗くて何も見えなかったが、いまならまだ間に合う。日が落ちる前に、もうひとつの部屋の中を確認しよう。もしかすると松下アカネについての手がかりがあるかもしれない。
そう決めると、おれはすぐさまその部屋へと向かう。そしてドアの前に立つと、緊張した面持になってしまう。ここにはいったい何があるのだろうか?
おれはのぞき窓に目をあてる。その瞬間、信じられないものを目にした。人だ!
思わず声をあげて後ずさる。「……人?」
いや、そんなのありえるはずない。この家にはおれひとりだけしかいないはずだ。だからこそ依頼人である佐久間ヨウヘイは、おれに居留守番を頼んだ。
……だけどこの部屋の中にはあきらかな人影があった。驚いてすぐに目を離してしまって、その姿はよく確認できなかった。だがあれは人としか思えない。
おれはおそるおそる、もう一度のぞき窓に目をあてる。たしかにそこに人がいる、しかもその姿はきのうの訪問者にそっくりだ。丈の長い黒のレインコートを着て、ただじっと部屋の中央で立ち尽くしている。
「嘘だろ……」おれは小さくつぶやいた。
レインコートの人物だ。いつのまにこの家に侵入したんだ。それにどうやってこの部屋にはいった。鍵がかかっているはずなのに。
おれは身をこわばらせながら、相手を観察しつづける。するとその顔に目や鼻、口など何もついていないのっぺらぼうだと気づいて思わずぞっとするも、よく見るとその正体がマネキンだとわかり安堵する。緊張が解け、全身から力が抜け落ちいく。
「なんだよマネキンかよ、驚かせやがって」おれは大きく息をつく。「なんでこんなもんがこの部屋にあるんだよ。しかも——」
おれのことばをさえぎるようにして、玄関のチャイムが鳴る。
「……だれだ?」
おれは足音を立てぬよう、静かに玄関へと向かう。その道中、スマートフォンがマナーモードになっているのを確認する。きのうのようなミスはごめんだ。
玄関にたどり着くとインターフォンの画面をたしかめる。するとそこにはきのうの訪問者と同一人物と思われる、黒いレインコートを着た人物の姿があった。フードを目深にかぶりマスクをしているので、やはり顔はわからない。
先ほどのどき窓から見た部屋のマネキンと、いま目の前に映っている訪問者の姿がそっくりだ、とおれは思った。これは奇妙な偶然の一致だろうか、それとも……。
不安な気持ちで画面を見つめていると、訪問者が一歩前へ進み、ドアをノックしだした。だが居留守番のためおれはそれを無視すると、しだいにその激しさは増し、いまやドアを打ち付けている。
おれは頭を抱えながら、どうすればいいか考えていた。居留守番の仕事で、このような状況は想定していなかった。訪問者は是が非でも、この家の住人に用があるようだ。
そうこうしていると、こんどはドアノブをがちゃがちゃとひねりだしてきた。無理矢理にでもこの家に侵入しようとしてくる。
そのためパニックの波に襲われてしまう。どう対処すればいいのかわからず、あたふたしていると、ズボンのポケットにしまってあったスマートフォンが振動する。こんなときにだれだ、と思いながら手に取ると、相手は佐久間だった。助け舟だと思い、すぐに電話に出る。
「もしもし佐久間さん」おれは小声になり、早口で話す。「ちょうどよかった助けてください」
「いったいどうしたんですか、奥村さん」佐久間は心配するような口調だ。「慌てているようですが、何か問題でもあったんですか?」
「じつはいま、不審な訪問者が玄関からこの家に侵入しようと、ドアをこじ開けようとしているんです」
「不審者?」佐久間はひと呼吸間を置いた。「それはどんな人物ですか?」
「黒いレインコートを羽織った人物で、フードをかぶってマスクをつけているので顔はわかりません。その不審者がいま、この家に侵入しようとしているんですよ。現在進行形の話ですよ。ドアをあけて追い払いましょうか——」
「その必要はありません」佐久間はきっぱりと言い切った。
「えっ!」おれはそのことばに目を丸くする。「ど……どうしてですか?」
「安心してください奥村さん。この家のドアは通常のものとはちがい頑丈で、破壊されたりして侵入される心配はありません。ほかの出口や窓も同様ですので心配ないです」
「でもそんなこと言ったって、相手はやめてくれませんよ。やはりドアをあけて追い払ったほうがいいですよ」
「それは無理だ。この家の出入り口のドアは外側からも内側からも鍵を使わないと解錠できないタイプのドアでして、だから奥村さんが家の外にでることは不可能なんですよ」
一瞬、そのことばの意味がわからなかった。けれどもその意味が頭にしみ込み、状況を理解した瞬間、思わず叫んでしまう。「閉じ込めたんですか、おれをこの家に!」
おれの叫びが響くのと同時に、ドアをこじ開けようとする訪問者の動きが止まった。なのですぐさまインターフォンに目を向けると、レインコートの訪問者の姿は消えていた。いまの叫びで家にだれかがいることがわかり、逃げていったのだろうか?
「奥村さん、人聞きの悪いことを言わないでください」佐久間は語気を強める。「べつにあなたを閉じ込めるつもりはありません。誤解しないでもらいたい」
「……でも実際には閉じ込めているじゃないですか」
「結果的に見れば、たしかにそうかもしれません。けれども、もともと外出はしない約束ですので、なんら問題ないでしょう」
「たしかにそうかもしれませんけど」おれは不満から声を尖らせた。「ここまでやる必要があるのですか?」
「依頼人として、居留守番中のあなたの安全を守るのは、わたしの義務でしてね。だから鍵をかけたのです。そうすれば、あなたが外敵から襲われる心配もない」
「外敵から襲われる?」それを聞いて、おれは信じられない思いだった。「この家にいれば、そんなことが起きると、想定していたんですか。それをわかってて、おれに居留守番させたんですか、あなたは!」
「落ち着いてください、奥村さん。これはたとえ話ですよ。こんな人里離れた場所にある建物です。空き巣などのやからが、目をつけないとはかぎらないでしょう、という話ですよ。勘ちがいしないでください。そしてそのもしものために、わたしは鍵をかけた。これはあなたの安全のためなんですよ。あなたがいまいる家は、重機でも使用されて破壊されないかぎり、だれも侵入できませんし、外へ出ることもできません。もともとそういう造りになっていますので」
「もともとそういう造りになっている?」おれは眉をひそめる。「それはどういう意味なんですか?」
「べつにあなたがそれを知る必要はありません。あなたはその家で居留守番をしてくれれば、それだけでいいんですから。ないとは思いますが、万が一なんらかの方法で家の外に出た場合は、契約違反となり、報酬は支払われません。それは強く頭に留めておいてくださいね」
おれは佐久間への不信から、返事ができずにいた。
「もしもし、聞こえていますか?」佐久間が言った。「いろいろと困惑なさっているのかもしれない。けどあなたはわたしを信頼して、居留守番をつづけてくれればいい。わたしもあなたを信頼して、その家の留守を任せますので。お互いに信頼しましょう。そうすればわたしを安心を、そしてあなたは報酬を得ることができる。そうでしょう?」
報酬ということばを持ち出されては、反論はできない。いろいろ不可解なことがあるが、この仕事が終われば金が手に入るのだから、それでよしとするべきだろう。
「……わかりました」おれは不承不承ながらそう言った。
「では奥村さん、居留守番を頼みますよ」そう言って佐久間は電話を切った。
通話を終え、おれは複雑な思いから目頭を揉みほぐす。最初は楽な仕事だと思っていた居留守番。それはもしかすると思いちがいかもしれない……。




