第三幕 第一場
スマートフォンの着信音がおれを目覚めさせた。もうろうとした意識のなか、ゆっくりと頭をあげると、そこは家の居間で、自分はそこにあるソファーで突っ伏していた。あたりには日の光が差し込んでいる。もう朝のようだ。
眠たい目をこすりながら、状況を整理する。どうやら自分は酔いつぶれてしまい、きのうはそのままここで眠ってしまったようだ。
なにか不思議な夢を見たような気がする。だが思い出せない。集中して思い出そうとするも、スマートフォンの着信音がそれを邪魔する。
「……いったいだれだよ?」
仕方なしに、おれは体を起こすとテーブルに置いてあったスマートフォンに視線を向ける。画面には知らない番号が表示されていた。不思議に思いつつも電話に出る。
「もしもし、どちらさまですか?」
「おはようございます奥村さん。佐久間です」電話の主は依頼人である佐久間ヨウヘイだった。「お仕事のほうは順調でしょうか?」
そのことばで一気に眠気が覚めた。「佐久間さんでしたか」すぐに居住まいを正すと、軽くお辞儀をしてしまう。「おはようございます。もちろんこちらは順調です。何も問題なく居留守番をしております」
「そうですか。それはよかった。もしかして奥村さんがうっかり電話に出たり、訪問者に対してインターフォンで対応したりしていないか心配だったんで、それで電話をしたんですよ」佐久間はそこでひと呼吸間を置いた。「まさかそんなミスをしていませんよね、そうですよね奥村さん?」
脳裏にきのうの訪問者に対しての、インターフォンでのミスがよぎる。だがあれは問題なかったはずだ。何事もなく相手は勝手に立ち去ったのだから。だがミスはミスにはちがいない。しかし正直に話せば、契約違反で仕事を辞めさせられるかもしれない……。
「ええ、もちろんですよ佐久間さん」おれは嘘をついた。
「ほんとうにですか?」佐久間はまるでこちらのミスを知っているかのように、疑うような口調になる。「あなたを信じていいんですよね?」
「それはもちろん。あっ、そうだ、昨夜電話があったんですよ」
おれは話題を切り替えようと試みると、すぐに家の固定電話へと向かうため、居間をあとにする。
「電話?」佐久間が言った。「それがどうかしたんですか?」
「だれだかわかりませんが、メッセージを残していたんですよ。留守電に残すくらいなんだから、きっと大事な用件だと思うんですよね。ですから留守電を再生させて、その内容をあなたに伝えたほうがいいと思うんです」
おれは固定電話にたどり着くなり、留守電を再生する。だが電話からは何も聞こえてこない。
「奥村さん」佐久間が言った。「その必要はありません」
「えっ、どうしてですか?」
「ほんとうに大事な用件なら、こちらのスマホに電話がくるはずです。そちらのほうは、おそらくいたずらか、何かでしょう。消去しておいてください」
「はあ、そうですか。そう言うんでしたら、そうしておきます」
「それでは奥村さん、引きつづき居留守番のほうをお願いしますよ」
スマートフォンの通話が切れると同時に、固定電話から声が聞こえはじめた。自然とおれの視線はそちらに向く。
「先生聞こえますか?」それは女のかすれた声だった。「わたしを助けてください。わたしはここにいるんです。だからわたしをここから助けてください」
「何だこれ……」おれは思わずつぶやいた。いたずらなのだろうか?
「先生は信じてくれましたよね、わたしの話を」女は話つづける。「二年前にわたしたち家族が乗っていた車が事故に遭い、わたしの両親は亡くなった。わたしも頭に怪我を負って死にかけた。そしてその日以来、わたしには見えるはずのないものが……見えてしまう。死んだ人間が見えるんです。この話をほかの人たちは信じてくれなかった。でも先生は信じてくれましたよね」
話の内容におれは顔をしかめる。この女はいったい何を語っているんだ。死んだ人間が見えるだと。そんなのありえるはずない。
「先生、やつらは自分勝手で、わたしの都合なんておかまいなしに現れます。しかもやつらは、わたしが見えていることに気づくと、わたしのことをじっと見つめてくるんです。何も言わずただじっと。でもときには、わけのわからないことをぶつぶつとつぶやいたり、叫んだりもするんです。わたしはそれがこわくてたまりません。頭がおかしくなりそうでした。いや、すでにわたしの頭はおかしんだと思います……」
鼻をすする音が聞こえると、電話の女は涙ぐんだ口調になる。
「やつらはきっと、わたしを死へといざなおとしているんです。あの事故で死ぬはずだったわたしが生き残ってしまったから、だからやつらはこんなことをするんだと思います。死者は生者をねたみ、憎んでいるから……」
いつのまにか聞き入っている自分に、おれは気づいた。話の雰囲気から、この女が嘘をついているようにも思えないし、いたずらとも思えない。そもそもなぜこの家の電話に、このような助けを求める電話をかけてきたんだ。
「先生、お願いです。わたしを助けてください。わたしはいまこの家にいます。でもどこにいるのか自分でもわかりません。けどこの家にいると感じるんです。先生がいるこの家に。だから先生、わたしを見つけて助けてください。そしてここから出してください」
おれは思わずあたりを見まわす。この家にいる? いや、そんなことはありえるはずない。やはりこの女は頭がおかしいんだ。そうにちがいない。
「先生、お願い電話に出てください。もうわたしが、わたしでなくなってしまうんです。だからお願い……」つぎの瞬間、女が泣き叫ぶ。「助けてよ! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助け——」
その悲痛な叫びに驚いておれは飛び退る。電話からは、女の助けを求める声が連呼しつづけている。それを聞いてぞっとする思いだった。
おれはすぐさま留守電を止めると、そのメッセージを消去した。




