第一幕 第一場
おれはテレビをつけると、ぼうっとそれを見つめていた。ニュース番組の内容はぜんぜん頭にはいってこない。それはどうしてだろうか、と考えてみる。するとすぐに原因がわかってしまった。いまのいままで先送りにしていたあの問題が、頭をもたげる。
「……お金がない」
おれは暗鬱なため息をつくと、椅子から立ちあがり、ベランダへと向かう。外の空気を吸えば少しは気がまぎれるだろう、と思ったからだ。
マンション四階にある部屋のベランダからは、夕暮れに染まる雑多な町並みが見渡せた。いまは九月の中旬。夏も終わりだいぶ涼しくなってきた。特にこの時間になると、それが顕著に感じられ、心地よい。おかげで暗く沈んだ心が幾分かはやわらいだ。
冷たい風に長髪をなびかせながら、しばらくそうしていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。外の景色から部屋の中へと視線を向けると、そこには昔からの友人である山崎コウジの姿があった。
「何やってるんだよ奥村」山崎はおれの名を呼ぶと、スーツの上着を脱いで椅子の背にかけ、そして腰掛けた。「まさかそこから飛び降り自殺するつもりか?」
「笑えない冗談だな」その当てこすりに思わず苦笑いする。「いまのおれには、きついひと言だぞ」
おれは部屋の中へともどると、山崎とはテーブルを挟んだ反対側の椅子へとすわる。おれは頬杖をつくと、山崎へと目を向けた。
山崎は短髪の髪先をいじりながら、哀れむような表情をこちらに向けていた。だがその見つめる目つきは鋭く、まるでおれの存在がやっかいだと言いたげだ。そのためいつものやさしい顔つきとは、別人のような印象を受けてしまう。そのせいか少しばかりこわい。
わかっているよ山崎、と心の中でつぶやく。いまのこのおれの置かれた状況に同情はしているが、だがこれ以上は迷惑だ。早くなんとかしてくれ、と思っているんだろ。その表情からそうとしか読み取れない。
「……なあ山崎」おれはすまなさそうに言う。「おまえの家に泊めてくれて、ありがとうな。ほんとうに感謝している。でもそれが何日もつづくとやっぱり迷惑かな」
「べつに気にする事じゃないよ」山崎はネクタイを緩めると、とげとげしい口調でしゃべりはじめる。「子供のころからの友達にはやさしくするもんだろ。それについこのあいだまで同棲していた彼女に逃げられて、ちょうど部屋余っていたし。というかそれを知ってて、おれを頼ってきたんじゃないの、奥村は」
「いやいや、全然知らなかった」おれは首を横に振る。「あいつのところ部屋があまっているじゃん、ラッキーだぜ、なんてそんなこと考えてないからね。ただの偶然だから」
「ほんとうに?」山崎は疑うような視線を向ける。
「ほんとうだって」おれは大きく何度もうなずく。
山崎はことばの真偽をたしかめるかのように、こちらの顔をのぞき込む。だからおれはできるだけ、まじめな顔つきで見つめ返した。やがて疑いが晴れたのか、山崎はその表情を崩した。
「まあ、いいさ。奥村がそう言うのなら、そうなんだろう。信じるよ」
「ありがとう山崎、信じてくれて」
「けどさ、どうしてこんなことになったんだ?」
「それはその、お金がなくて……」おれはことばを濁す。
「そんなことは知っている。だからうちに泊まっているんだろ。おれが知りたいのは、なんでお金がないんだって話だ」
「じつは詐欺師にだまされて有り金を全部盗られてしまったんだ」そこで間を置くと、おれは自分の情けなさから、ほおを掻いた。「だから……無一文なんだ」
山崎は嘆かわしげに首を横に振る。「ありえない。そんな馬鹿げた話はやめてくれ」
「……でも事実なんだ」おれは頭を抱えてしまう。「わかっている。自分が馬鹿だったんだよ。よくテレビとかで詐欺に引っかかる人たちのニュースを観て、笑って馬鹿にしてた。こんなのにだまされるとは、なんてまぬけなんだろうってさ。でも実際にその当事者になってみると、だまされているとはまったく思わないんだよ。相手のもうけ話をこれっぽちも疑いもしなかった。たとえおかしなところがあったとしても、それを自分の都合のいいように解釈して、気にも留めさえしなかった」
「もっと冷静に、そして客観的に自分の置かれた状況を判断するべきだったな」山崎はきつい口調になる。「そうすれば、こんなことにならずにすんだのに」
「……そんなこと、いまさら言われなくてもわかっているよ。けどいざそうなったらまわりが見えなくて、自分が何をしているのか全然わかってなかったんだよ」
「自業自得だな」
そのことばに思わずむっとしてしまう。「自業自得とは言うけれど、だますやつがいるのが悪いんだよ。おれは被害者だ、そこまで非難されるいわれはない。山崎も詐欺師にだまされてみるといい。そしたらいまのおれの気持ちが理解できるよ」
「それこそ笑えない冗談だな。なんでおれまでだまされないといけないんだよ。おれはそこまで馬鹿じゃないし、だまされるくらいなら、逆にだましてやるさ。おれはスマートだからな」
「何がスマートだよ。そんなにおまえが賢いのなら、同棲している女にぶざまに逃げられるなんてことなかったのに。口ではなんとでも言えるさ」
そのことばを最後に気まずい沈黙が訪れた。おれはしまった、と後悔する。思わず文句を言ってしまった。これでは八つ当たりではないか。
「あの、その山崎。少し言い過ぎ——」
おれのことばをさえぎるように山崎は立ちあがると、台所へと向かう。その姿を見て、山崎が怒っているのは明らかだ、と悟った。昔なじみの好意でおれを泊めてくれているのに、それなのにおれはひどいことをしてしまった。
そうこう考えていると、山崎がふたつのビール缶とつまみを持ってもどってきた。そしてそれらをテーブルに置くと、やれやれといった様子で椅子に腰掛ける。
「いまの奥村にはは余裕がないんだな。それなのにおまえの気持ちも考えもせずに、ひどいことを言わせてしまった。悪かったよ。こういう場合は酒でも呑んで忘れようぜ」山崎はそこでにっこりと微笑む。「おまえ酒好きだろ」
「すまない山崎……いや、ありがとう」
やはり山崎はいいやつだ。本来ならおれからあやまるべきなのに、それなのに自分からこうやって水に流してくれる。こいつと友達でよかった。
おれたちはビール缶を手にすると、それをあけて呑みはじめる。
「それで奥村、これからどうするんだ」山崎はつまみを口にする。「いま現在、金もなければ仕事もないんだろ、おまえ」
おれはうなずいた。「ああ、恥ずかしながらそうだよ」
「ならまずは金だ。これでも見てとりあえずバイトでも探したらどうだ」
山崎はそう言うと、椅子のそばに置かれていた鞄からいくつかの求人誌を取り出し、それをテーブルに置いた。おれはそのなから一冊を手にすると、それに目を通しはじめる。山崎も手伝うかのように求人誌を手に取り、そのページをめくる。
しばしのあいだ無言で求人誌を読んでいると、不意に山崎が声をあげた。
「これなんかどうだ奥村。一週間だけの留守番で十万ももらえるぞ」
山崎は求人誌をこちらに向ける。そこにはたしかに一週間で十万も稼げる仕事が載っていた。だが内容は留守番ではなく『居留守番』となっている。表記ミスだろうか?
「山崎、これ留守番じゃなくて、居留守番になっている。なんだろ居留守番って?」
「へっ?」山崎は求人誌を目を向ける。「……あっ、たしかに居留守番だ。居留守番ってなんだ。そんなことば聞いたことないぞ」
「たぶん留守番のつもりが、居留守番ってまちがえたんだと思う」
「まあ、そうだろうな」山崎はこちらに求人誌を差し出す。「それよりもさっさと応募しとけよ。こんなおいしい仕事めったにないぞ。ほかのやつらに取られる前に、さっさと応募メールしとけよ。スマホからでもオーケーだってさ」
おれは求人誌を受け取ると、いま一度それを読む。どうやら企業や会社ではなく、個人依頼の仕事らしく、内容は居留守番だけとしか書かれていない。あとは募集要項などが記載されているだけだ。性別不問、二十代限定、喫煙者不可、猫アレルギー持ち不可……ということは、留守のあいだに猫の世話でもするのだろうか?
「どうした奥村。何か募集要項に問題でもあるのか?」
「いや、特に問題はない。基準は満たしている。けれどこれだけの好条件だと、ほかの人たちもおおぜい応募するはずだろうし、受かるのはむずかしいだろうな」
「たしかにそうかもしれない。けど可能性はないわけじゃないだろ。だめもとで応募しとけよ」
「ああ、わかった」
おれはズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、さっさくメールを作成し、必要事項を入力していく。名前——奥村ヒロ、性別——男、年齢——二十五歳……。やがてそれがすべてすむとメールを送信した。
「送った。どうせ落ちると思うけどね」
「そうネガティブになるな奥村。これまでいやな目に遭ったんだ。これからはいいことあるさ。おれが保証するよ」
「そうだといいんだけど」
その後、いつくかのめぼしい仕事を見つけるも、条件がきびしく応募には至らなかった。そのためその日、おれが応募したのは居留守番の仕事だけとなった。