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落涙花〜生還率0%からの起死回生  作者: 末富遊(ゆう)
第二章:三五
8/52

出撃まで、あと二週間

『出撃間近のカイ・パイロットが女子高校生を誘拐!』

 

 海道なぎさは、過去の新聞記事の見出しを思い出していた。


 あれはいつだっただろう。三年前だったか、四年前だったか。とにかく自分がまだ、中学生だった頃に起きた事件だ。 

 中学校の休み時間。

 友達が自分の机にかけよってくると、ばさりと新聞を広げて言ってきた。


『みてみて、なぎちゃんっ! この誘拐された女子高生、なぎちゃんに、すっごく似てるよ〜!』 


 新聞記事に目をやる。キュートな衣装に身を包み、ダンスを踊っている女子高生の写真が載っていた。


 奇麗な子だった。小柄で色白。ぱっちりとした大きな瞳。流れるような平行眉。黒髪のショートカットがよく似合っていて、おとなしそうな印象だ。

 新聞記事には、マイナーなアイドルグループの一員とある。


『わぁっ〜。ホントだ。何から何まで、なぎさにそっくりじゃんっ!』

『この子、なぎちゃんの分身なんだよ〜』


 いつのまにか他のクラスメイトも集まってきて、皆口をそろえて似ていると言ってくれた。


『そ、そうかな〜?』

 マイナーとはいえ、現役アイドルの子に似ていると言われ、耳の先まで熱くなったのを今でも覚えている。

『なぎちゃんも、誘拐されないように気をつけなよぉ〜』

『うん。わかってる。わかってる。……えへへ』


「んんんんっ!」 

 たすけて、と叫ぶ。声は猿ぐつわに吸収された。


 こんなふう、なんだ。 

 誘拐されるってこんなふう、なんだ。


 きつく縛られている。身動きができない。動けば動くほど、体に紐が食い込んでくる。紐はステンレス製のワイヤーのようなものだった。これでもかとぐるぐる巻きにされ、芋虫のような状態だ。 


 ここはどこだろう?


 物置小屋のような場所だった。古びた板張りの壁は所々が朽ち、外光がちらちらと漏れている。空気中に浮遊している埃がきらきらと輝いており、思わず息を止めたくなった。


 そして、物置小屋の中央を見ると、 

 あれは……小舟?


 町で盛んな稚魚漁に使う舟があった。隅にはオレンジ色のフロートと地引き網が丸めて置いてある。壁の向こうからは、蝉の鳴き声と岸辺に打ち寄せる波の音が聞こえていた。海に近い。それでなんとなくわかった。カイ・パイロット基地の敷地内にある、あの舟小屋なのではないか?


 場所の目処が立ったとき、がちゃっとドアが開いた。

 一人のカイ・パイロットが入ってくる。なぎさを誘拐したカイ・パイロットである。名前は花島ジン。ぷっくりとした丸顔に、糸のように細い目。丸みのある大きな身体。なぎさは、彼のことを心の中で魔人と呼んでいた。過去に読んだファンタジー小説に登場したそれにそっくりだったのだ。


「なぎさちゃん……」


 まるで、余命宣告を受けた病人のような、深く沈んだ声が小屋に響いた。


「君は僕の天使なんだよ」 


 はあ、はあ、という荒い鼻息が近づいてくる。

「なんで僕と結婚してくれないのぉ! 僕は二週間後に死ぬのにぃ!」

 つばの粒が頬にかかる。突然の大声に、なぎさは身をすくませた。うっすらと目を開けると、

「……!」

 魔人の満月のような顔が眼前にあった。その頬に微かに残るニキビ跡までくっきりと見える距離である。


 猿ぐつわがはずされる。


「キスしよう、なぎさちゃん」


 生暖かい息が顔にかかる。歯磨き粉とチーズが混ざったような口臭が鼻をついた。


「や、やめてくださいっ」


 身体を揺らして抵抗したが、両肩を掴まれ、壁に押し付けられる。

「こ、こないで」

 じたばしたが、びくともしない。

 ジュ。

 変な微音が目の前で鳴った。何の音かと思えば、魔人が唇をタコ型にした音だった。唾液の糸が上唇と下唇を結んでいる。

 大きな丸顔がゆっくりと近づいてくる。

「……っ」

 どっと恐怖が押寄せた。悲鳴を上げることさえできない。魔人の唇が迫る。顔を目一杯背けたが、がしりと顔を固定され、いよいよ逃げられなくなった。


 いや……。

 まなじりから涙の粒が零れ落ちる。 

 まだ、誰ともキスしたことないのに。

 初恋の相手の、精悍な顔が脳裏を過った。


 ……助けて、シュン。


   *


 カイ・パイロット基地北陸第三支部。車両倉庫。

 

 シュンはデッキブラシで駐車場を磨き終えると、一息ついて夏空を見上げた。

 濃い青空を背景に、むくむくと太った入道雲が輝いている。


 あれからもう、一年か。


 額の汗を拭い、目の前の景色をぼんやりと眺める。カイ・パイロット基地は高台にあるので、港町の風景を一望することができた。

 

 駐車場の崖下には二つの農園が広がっている。


 一つはさとうきび畑。

 ここから見ると、さながら緑の海のようだ。夏風がふくたびに、緑色の波が発生し、広大な領域一面に伝搬する様は、なんとも爽快だった。


 そしてもう一つは落涙花農園。太平洋側にはない園芸作物『落涙花』を育てる為の農園である。その風景はなんとも特徴的だった。

 異星を思わせる赤褐色の大地。その上にぽつりぽつりと黄緑色の点が見える。成長途中の落涙花だろう。緑点の狭間には、労働に勤しむ落涙花農園の作業員達の姿があった。農園の周りには高さ五メートルほどの壁。まるで牢獄のような雰囲気をたたえた肉厚なコンクリート壁である。いつ見ても、なぜ農園に? と違和感を覚えてしまう。


 二つの農園の狭間には、アスファルトの一本道が通っていた。カイ・パイロット基地と五キロほど離れた港町を繋ぐ道である。灰色の曲線の先には、この一年間を過ごした港町の一端が見えた。


『さあ、シュンくん、着いたぞ。君は最後の一年をこの町で過ごしてもらう』


 リセイに連れられ、初めてあの港街を歩いた時のことをしみじみと思い出す。廃墟や瓦礫の山などは一切なく、すべてが整然としていた。平らに塗装された街の道路を踏みしめたとき、自分は別世界に来たのだと実感した。


「おいおい、シュン。なに、ぼーっとしているんだよ。さっさと掃除やっちまおうぜ。暑くてかなわんわ」

 

 はっと、我に返る。振り向くと、パイロット仲間のヒロが怠そうな目を向けていた。

 そういえば基地内の全体掃除の途中だった。自分とヒロの担当は基地のトラック倉庫だ。基地が所有する農業用トラックや除雪車などの車両を動かし、広い倉庫内を隅々まで磨き上げることになっている。


「すまん。すまん」

「なに考えていたんだよ?」

「いや……日本海側に来てから、もう一年が経ったんだなと思ってさ」 


 デッキブラシを水切りに持ち替え、汚れで濁った水を溝に掻き出しはじめる。


「たしかにな。今思えばあっという間だったぜ」

「おれはかなり長く感じたよ。ここに来たのがずいぶん昔の出来事みたいだ」

「まあ、シュンは太平洋側から来たんだもんな。どうだったこの場所は?」 

「う〜ん」 


 適当な言葉を探してから口を開く。


「奇妙……、だったかな」 


 ヒロが水切りを動かす手を止め、意外そうな顔をこちらに向けてきた。   

 シュンは慌てて付け足す。


「もちろんここでの生活は楽しかったよ。街は整っていて、奇麗だし。モノもたくさんあって賑やかだ。ただ、カイ・パイロット隊に関しては、あまりにもイメージと違っていて、少し驚いただけさ」

「はは。カルチャーショックってやつだな。何が驚いた?」


 シュンは真っ先に思い浮かんだことを口にした。


「まずは、この基地かな。円盤と戦うっていうぐらいだから、もっと威厳のある建物かと思ったよ」 


 基地はかつて旅館だった古い建物を改装・増築したもので、とても軍隊の基地には見えない。これなら、一年前まで自分がいた武装団のアジトのほうがマシだ。


「まあ、たしかにボロいよな」 

「あと、訓練だ。実物のカイに乗るのは本番だけというのも、大丈夫なのかと思ってしまう。それに、訓練時間も短すぎだ。なぜ、あんなに街での奉仕作業ばかりなのだろう……」

「はは。たしかに兵士らしくないよな。俺たち」 


 基地での訓練はヴァーチャル映像を用いた操縦訓練のみだった。そして、カイ・パイロットとしての活動時間の大半は、街での奉仕作業に割り当てられている。奉仕作業では、街に出張り、市井の人々の仕事の手伝いを行う。シュンの奉仕作業先は漁港だった。そこで街の人々と交流を深めることが、『落涙花』を咲かせる為に重要であるという。


「そして、落涙花だ」

「ああ、落涙花ね。たしか、太平洋側に落涙花はないんだよな?」

 

 落涙花。人の涙で咲くという不思議な花。


 落涙花は出撃一日前に執り行われる『落涙の儀』という儀式において重要な役割を果たす。この儀式は、その名の通り、街の人がカイ・パイロットのことを想って涙を流す為の催しだ。当日は大量の涙が流され、広大な敷地に植えられた落涙花が一斉に咲き乱れるという。人々の想いが結晶化された風景を目にしたカイ・パイロットたちは、士気を高め、宇宙へと飛び立っていく。街の人々を守るために。


 あと、と言いかけて、シュンは口を閉じた。

 やめよう。ヒロに言ってもしようがない。


「シュン? どうかしたか?」 

「いや、なんでもない。それよりさっさと掃除を終わらせよう」

「そうだな。腹も減ってきた」


 再び黙々と手を動かす。倉庫の地面には、紫色の結晶がこびりついていた。機械を動かす為の固体燃料『紫油』の残滓だ。車両からカイの燃料にまで幅広く使用できる万能動力源である。これは太平洋側でもおなじみのものだった。

 シュンはノミを取り出すと、紫色の結晶を地道に削り取っていった。


 ようやく倉庫の掃除が完了した頃には正午を過ぎていた。


「よぉ〜し。やっと終わったなシュン」


 ヒロが大きく伸びをする。その達成感に満ちた顔に向かって、一つ提案した。


「なあ、ヒロ。帰りに出撃場に寄っていかないか? そろそろ実物のカイが運び込まれた頃だろう」

「おお、そうだったな。たしかに気になる。ちょっと見ていくか」


 二人は掃除用具を片付けると、出撃場へ向かって歩きはじめた。


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