出撃まで、あと二週間
『出撃間近のカイ・パイロットが女子高校生を誘拐!』
海道なぎさは、過去の新聞記事の見出しを思い出していた。
あれはいつだっただろう。三年前だったか、四年前だったか。とにかく自分がまだ、中学生だった頃に起きた事件だ。
中学校の休み時間。
友達が自分の机にかけよってくると、ばさりと新聞を広げて言ってきた。
『みてみて、なぎちゃんっ! この誘拐された女子高生、なぎちゃんに、すっごく似てるよ〜!』
新聞記事に目をやる。キュートな衣装に身を包み、ダンスを踊っている女子高生の写真が載っていた。
奇麗な子だった。小柄で色白。ぱっちりとした大きな瞳。流れるような平行眉。黒髪のショートカットがよく似合っていて、おとなしそうな印象だ。
新聞記事には、マイナーなアイドルグループの一員とある。
『わぁっ〜。ホントだ。何から何まで、なぎさにそっくりじゃんっ!』
『この子、なぎちゃんの分身なんだよ〜』
いつのまにか他のクラスメイトも集まってきて、皆口をそろえて似ていると言ってくれた。
『そ、そうかな〜?』
マイナーとはいえ、現役アイドルの子に似ていると言われ、耳の先まで熱くなったのを今でも覚えている。
『なぎちゃんも、誘拐されないように気をつけなよぉ〜』
『うん。わかってる。わかってる。……えへへ』
「んんんんっ!」
たすけて、と叫ぶ。声は猿ぐつわに吸収された。
こんなふう、なんだ。
誘拐されるってこんなふう、なんだ。
きつく縛られている。身動きができない。動けば動くほど、体に紐が食い込んでくる。紐はステンレス製のワイヤーのようなものだった。これでもかとぐるぐる巻きにされ、芋虫のような状態だ。
ここはどこだろう?
物置小屋のような場所だった。古びた板張りの壁は所々が朽ち、外光がちらちらと漏れている。空気中に浮遊している埃がきらきらと輝いており、思わず息を止めたくなった。
そして、物置小屋の中央を見ると、
あれは……小舟?
町で盛んな稚魚漁に使う舟があった。隅にはオレンジ色のフロートと地引き網が丸めて置いてある。壁の向こうからは、蝉の鳴き声と岸辺に打ち寄せる波の音が聞こえていた。海に近い。それでなんとなくわかった。カイ・パイロット基地の敷地内にある、あの舟小屋なのではないか?
場所の目処が立ったとき、がちゃっとドアが開いた。
一人のカイ・パイロットが入ってくる。なぎさを誘拐したカイ・パイロットである。名前は花島ジン。ぷっくりとした丸顔に、糸のように細い目。丸みのある大きな身体。なぎさは、彼のことを心の中で魔人と呼んでいた。過去に読んだファンタジー小説に登場したそれにそっくりだったのだ。
「なぎさちゃん……」
まるで、余命宣告を受けた病人のような、深く沈んだ声が小屋に響いた。
「君は僕の天使なんだよ」
はあ、はあ、という荒い鼻息が近づいてくる。
「なんで僕と結婚してくれないのぉ! 僕は二週間後に死ぬのにぃ!」
つばの粒が頬にかかる。突然の大声に、なぎさは身をすくませた。うっすらと目を開けると、
「……!」
魔人の満月のような顔が眼前にあった。その頬に微かに残るニキビ跡までくっきりと見える距離である。
猿ぐつわがはずされる。
「キスしよう、なぎさちゃん」
生暖かい息が顔にかかる。歯磨き粉とチーズが混ざったような口臭が鼻をついた。
「や、やめてくださいっ」
身体を揺らして抵抗したが、両肩を掴まれ、壁に押し付けられる。
「こ、こないで」
じたばしたが、びくともしない。
ジュ。
変な微音が目の前で鳴った。何の音かと思えば、魔人が唇をタコ型にした音だった。唾液の糸が上唇と下唇を結んでいる。
大きな丸顔がゆっくりと近づいてくる。
「……っ」
どっと恐怖が押寄せた。悲鳴を上げることさえできない。魔人の唇が迫る。顔を目一杯背けたが、がしりと顔を固定され、いよいよ逃げられなくなった。
いや……。
まなじりから涙の粒が零れ落ちる。
まだ、誰ともキスしたことないのに。
初恋の相手の、精悍な顔が脳裏を過った。
……助けて、シュン。
*
カイ・パイロット基地北陸第三支部。車両倉庫。
シュンはデッキブラシで駐車場を磨き終えると、一息ついて夏空を見上げた。
濃い青空を背景に、むくむくと太った入道雲が輝いている。
あれからもう、一年か。
額の汗を拭い、目の前の景色をぼんやりと眺める。カイ・パイロット基地は高台にあるので、港町の風景を一望することができた。
駐車場の崖下には二つの農園が広がっている。
一つはさとうきび畑。
ここから見ると、さながら緑の海のようだ。夏風がふくたびに、緑色の波が発生し、広大な領域一面に伝搬する様は、なんとも爽快だった。
そしてもう一つは落涙花農園。太平洋側にはない園芸作物『落涙花』を育てる為の農園である。その風景はなんとも特徴的だった。
異星を思わせる赤褐色の大地。その上にぽつりぽつりと黄緑色の点が見える。成長途中の落涙花だろう。緑点の狭間には、労働に勤しむ落涙花農園の作業員達の姿があった。農園の周りには高さ五メートルほどの壁。まるで牢獄のような雰囲気をたたえた肉厚なコンクリート壁である。いつ見ても、なぜ農園に? と違和感を覚えてしまう。
二つの農園の狭間には、アスファルトの一本道が通っていた。カイ・パイロット基地と五キロほど離れた港町を繋ぐ道である。灰色の曲線の先には、この一年間を過ごした港町の一端が見えた。
『さあ、シュンくん、着いたぞ。君は最後の一年をこの町で過ごしてもらう』
リセイに連れられ、初めてあの港街を歩いた時のことをしみじみと思い出す。廃墟や瓦礫の山などは一切なく、すべてが整然としていた。平らに塗装された街の道路を踏みしめたとき、自分は別世界に来たのだと実感した。
「おいおい、シュン。なに、ぼーっとしているんだよ。さっさと掃除やっちまおうぜ。暑くてかなわんわ」
はっと、我に返る。振り向くと、パイロット仲間のヒロが怠そうな目を向けていた。
そういえば基地内の全体掃除の途中だった。自分とヒロの担当は基地のトラック倉庫だ。基地が所有する農業用トラックや除雪車などの車両を動かし、広い倉庫内を隅々まで磨き上げることになっている。
「すまん。すまん」
「なに考えていたんだよ?」
「いや……日本海側に来てから、もう一年が経ったんだなと思ってさ」
デッキブラシを水切りに持ち替え、汚れで濁った水を溝に掻き出しはじめる。
「たしかにな。今思えばあっという間だったぜ」
「おれはかなり長く感じたよ。ここに来たのがずいぶん昔の出来事みたいだ」
「まあ、シュンは太平洋側から来たんだもんな。どうだったこの場所は?」
「う〜ん」
適当な言葉を探してから口を開く。
「奇妙……、だったかな」
ヒロが水切りを動かす手を止め、意外そうな顔をこちらに向けてきた。
シュンは慌てて付け足す。
「もちろんここでの生活は楽しかったよ。街は整っていて、奇麗だし。モノもたくさんあって賑やかだ。ただ、カイ・パイロット隊に関しては、あまりにもイメージと違っていて、少し驚いただけさ」
「はは。カルチャーショックってやつだな。何が驚いた?」
シュンは真っ先に思い浮かんだことを口にした。
「まずは、この基地かな。円盤と戦うっていうぐらいだから、もっと威厳のある建物かと思ったよ」
基地はかつて旅館だった古い建物を改装・増築したもので、とても軍隊の基地には見えない。これなら、一年前まで自分がいた武装団のアジトのほうがマシだ。
「まあ、たしかにボロいよな」
「あと、訓練だ。実物のカイに乗るのは本番だけというのも、大丈夫なのかと思ってしまう。それに、訓練時間も短すぎだ。なぜ、あんなに街での奉仕作業ばかりなのだろう……」
「はは。たしかに兵士らしくないよな。俺たち」
基地での訓練はヴァーチャル映像を用いた操縦訓練のみだった。そして、カイ・パイロットとしての活動時間の大半は、街での奉仕作業に割り当てられている。奉仕作業では、街に出張り、市井の人々の仕事の手伝いを行う。シュンの奉仕作業先は漁港だった。そこで街の人々と交流を深めることが、『落涙花』を咲かせる為に重要であるという。
「そして、落涙花だ」
「ああ、落涙花ね。たしか、太平洋側に落涙花はないんだよな?」
落涙花。人の涙で咲くという不思議な花。
落涙花は出撃一日前に執り行われる『落涙の儀』という儀式において重要な役割を果たす。この儀式は、その名の通り、街の人がカイ・パイロットのことを想って涙を流す為の催しだ。当日は大量の涙が流され、広大な敷地に植えられた落涙花が一斉に咲き乱れるという。人々の想いが結晶化された風景を目にしたカイ・パイロットたちは、士気を高め、宇宙へと飛び立っていく。街の人々を守るために。
あと、と言いかけて、シュンは口を閉じた。
やめよう。ヒロに言ってもしようがない。
「シュン? どうかしたか?」
「いや、なんでもない。それよりさっさと掃除を終わらせよう」
「そうだな。腹も減ってきた」
再び黙々と手を動かす。倉庫の地面には、紫色の結晶がこびりついていた。機械を動かす為の固体燃料『紫油』の残滓だ。車両からカイの燃料にまで幅広く使用できる万能動力源である。これは太平洋側でもおなじみのものだった。
シュンはノミを取り出すと、紫色の結晶を地道に削り取っていった。
ようやく倉庫の掃除が完了した頃には正午を過ぎていた。
「よぉ〜し。やっと終わったなシュン」
ヒロが大きく伸びをする。その達成感に満ちた顔に向かって、一つ提案した。
「なあ、ヒロ。帰りに出撃場に寄っていかないか? そろそろ実物のカイが運び込まれた頃だろう」
「おお、そうだったな。たしかに気になる。ちょっと見ていくか」
二人は掃除用具を片付けると、出撃場へ向かって歩きはじめた。