カイ・パイロット
「おい君。まだ生きているかね?」
遠くで声がした。
「大丈夫かね、君?」
声が徐々に近づいてくる。薄らと目を開けると、目の前に一人の女が立っていた。
「おおっ! 生きていたか! よかった! よかった!」
女は、長年探し続けていた紛失物をようやく見つけたみたいに歓喜した。
周囲を見る。朝の日差しが、瓦礫であふれた世界を照らしていた。
また、朝が来たのか。
円盤爆撃から四日後の朝である。
四日前、青年と少女の真上にまで接近した円盤は、青光線を発射することなく彼方に飛び去った。青年は生きのび、少女は死んだ。
少女が息を引き取ってからも、青年の頭の中には、彼女の最後の言葉が響いていた。
『お兄ちゃんは、生きて』
青年は声に従うことにした。
まず、廃墟ジャングルを脱げ出そう。
少女の亡骸に別れを告げ、後ろ髪を引かれる思いで、瓦礫の海を歩き出した。目指すは森林地帯。だが、その道中、身体に異変が起こった。突然、強い目眩に見舞われた。挙げ句の果てには昏睡状態に陥り、次に目覚めてみれば、身体の至る所に痺れと痛みをない交ぜにしたような症状が現れていた。身体も鉛のように重い。立ち上がる気力さえなかった。結局、そのまま四日が過ぎた。
「君は円盤が放った毒に侵されているよ。初期症状が出ている」
女は淡々とした口調で言うと、バックパックを地面に下ろした。中をまさぐりはじめる。
円盤が放った毒?
「毒を投下する円盤爆撃は非常に稀だ。だが心配しなくていい。私は解毒剤を持っている。君を助けられるよ」
この女は何者だ?
既に体力は限界だったが、女を観察していく。武装団のボスに仕込まれた習慣は、もはや無意識のうちにおこなう癖がついている。
女は美青年のような容姿をしていた。紫味を帯びた黒髪は極端に短く、顔立ちも凛々しい。年齢は二十代後半ぐらいだろうか。見慣れない戦闘服を着ている。一番気になる点は、女の身だしなみが、異様に清潔なことだった。この荒涼とした戦場からあまりにも浮いている。
「あなたは?」
口を動かした瞬間、乾ききった唇がひび割れ、鋭い痛みがはしった。唇を一舐めする。口の中に血の味が広がった。
「おっと、自己紹介が遅れた。私はリセイという。日本海政府の人間だ。普段は、カイ・パイロット隊の教官をしている。そう警戒しなくてよい」
日本海政府。先輩兵士から聞いた事がある。
無法地帯と化した太平洋側と違い、日本海側には政府が存在し、今なお秩序が保たれているという。
そして、カイ・パイロット。
「ああ、カイ・パイロット隊というのはだね……」
女が補足説明を始める。だが、これも既知だった。
日本海政府が運営する、円盤と戦うための軍隊だ。日本海側では『カイ』という戦闘機を使って、今なお円盤に戦いを挑んでいるらしい。
「カイ・パイロット隊の教官がおれに何の用ですか?」
ごほごほと咳き込んでから、もう一つ質問をする。
「そもそも、教官であるあなたが、なぜこんな場所にいるのです?」
「まあ、私が怪しく見えるのも無理はない。でも、これも任務の一つでね。私は現在、太平洋側の難民の子たちをスカウトして回っているんだ」
この様子では、とリセイという女は瓦礫の海を一瞥してから言った。
「君が所属している武装団は壊滅だろう。ここにいても餓死するだけだ。そこで君に提案だ。私と一緒に日本海側に来て、カイ・パイロットにならないかい?」
このタイミングで生のチャンスが転がり込んできたことに、青年は弱々しく苦笑した。
いや、と擦れた声で提案を一蹴する。
「その必要はないですよ」
少し喋るだけでも、呼吸が乱れた。
はあ、はあ、と喘ぎながら、弱々しく言葉を吐く。
「おれは今ここで死にます」
「ん? き、君、それはどういう……」
もう疲れた。
もしもあの世があるのなら、そこで少女と再会したい。
だから、死のう。
四日前の出来事を後悔しているうちに、そういう境地に達した。
青年はゆっくりと目を閉じた。ずっとポケットに隠しておいた、少女の拳銃を自分の頭に向ける。こうすると、少女の言葉が頭に蘇り、何度も引き金を引くのをためらわせた。
今もそうだ。
だから、本当は餓死する予定だった。
「おい、何をする気だ?」
しかし今、目の前にこの女が現れてしまった。こうなっては仕方がない。女が自分を助ける前に自殺しよう。
青年は引き金を引いた。
それで弾丸が発射され、自分の脳を貫くはずだった。だが、
「……?」
何も起こらない。トリガーを引いたときの、かちゃりという音が、耳元で虚しく響いただけだった。
「おいおいおい!」
一拍遅れて、リセイが声を上げる。
「いきなり何をするんだ君は!」
生きている。
なぜだ?
「はは……これは驚いた。強運の持ち主だな。どうやら、故障のようだね」
四日前は正常に発射されたはずなのに。
青年は銃口をじっとみつめた。まるで、拳銃に少女の魂が宿り、生きよと言っているみたいに思えた。
「ほれ、この錠剤を飲みたまえ」
口の中に錠剤を入れられる。乾いた舌触りとともに、苦みのある味が広がった。差し出された水筒を受け取り、水で胃の中に流し込む。
薬を飲み下した後も、青年は一心に水をのみ続けた。四日ぶりの水だった。口元から水がこぼれ、シャツの首回りが濡れていく。
喉が潤うと、心持ち気分が楽になった。
*
「さて、飲んだところでもう一度考えてみてはくれないかね。日本海側のカイ・パイロット基地に来ないか? どうだろう?」
リセイは水筒をバックパックに仕舞うと、改めて提案してきた。
「日本海側に来れば、うまい飯が腹一杯食えるぞ。ここに比べれば天国のような場所だ。それにカイ・パイロット隊は、ここの武装団みたいに殺伐としていない。皆のびのびとしているよ」
声音を上げ、必死に勧誘してくる。
「もちろん、カイの操縦も丁寧に指導する。一年間かけてゆっくりとね。日本海のどこかの基地で訓練を受けてもらい、来年の夏、カイに乗って宇宙に出撃してもらう」
宇宙。
「君は宇宙空間で、安らかな最後を迎えることができる。なに、痛みは感じない」
宇宙か。
空をぼんやり眺める。
宇宙という言葉が、妙に頭に残った。
「ちなみに、君の毒はまだ完治していない。しばらく解毒剤を服用し続ける必要がある。カイ・パイロットになる決断をしてくれたら、追加分を渡すとしよう」
そしてリセイは、カイ・パイロットの生還率がゼロパーセントであることを最後に付け加えた。
その事は既に知っていた。日本海政府が円盤に対して無謀な攻撃を続けていることを、太平洋側の武装団員たちは馬鹿にしている。
「わかるかね? 君は本来ここで死ぬはずだった。だが、カイ・パイロットになれば、一年間の命を手に入れられるというわけだ」
今死ぬか、一年後に死ぬかの選択か。
青年は思案した。
宇宙で死ぬのは何となく魅力的な事のように思える。一方、今ここで安らかに死ぬという選択も、余計な苦しみを味わわずに済むという点で魅力がある。なにせ、現実は苦悩に満ちている。青年は迷いに迷った。
だが——、
『おにいちゃんは生きてね』
結局、少女の言葉が背中を押した。
……あと、一年だけ生きてみよう。少女の望みを糧に。
青年は首を縦にふった。
「おお! そうか! 来てくれるか! ありがとう! それで? 君の名前はなんていうんだい?」
「名前? おれの名前は……」
名前を言おうとして、寸前で止める。
変えよう。
太平洋側では新しい武装団に移る度に、名前を変える慣習がある。以前の移籍ではそうしなかったが、今回はその慣習に従うことにした。
「決まった名前なんて、ないですよ。そのとき、そのときです」
「ああ、そうか。太平洋側ではそういう子もいるのだったね」
う〜ん、とリセイはしばらく唸ると、
「よろしい。君の名前はシュンだ。シュンと呼ぶことにしよう」
明るい声で命名してきた。
「シュン?」
「ああ、そうだ。良い名だろ。では、さっそく移動しよう。この廃墟街の外に軍用車を止めてあるんだ。立てるかね?」
青年はよろめきながらも、なんとか立ち上がった。
そのまま、リセイの後に続く。毒の痺れが若干残っていた。操り人形のように、たどたどしく歩を進める。
冷たい風が身体を撫でた。荒れ果てた大地に目をやる。
この瓦礫の海のどこかに、武装団の仲間たちの死体が埋まっているのだろう。そして、少女の死体も。