三日前
三日前——西暦二九二七年九月一日。廃墟ジャングル。
円盤爆撃が起きる二時間前。
とある廃墟の中。
「……作戦内容は以上だ。お前らの武運を祈る」
分隊長が粛とした言葉で作戦ミーティングを締めくくった。途端、場の空気が弛緩し、武装団員達が談笑をはじめる。
青年は会話に巻き込まれないように、すみやかに分隊メンバーの輪から離れた。薄暗い廃墟を抜け出し大通りに出る。
穏やかな秋空とは裏腹に、大通りは慌ただしかった。
物資を積載した輸送車や、紫弾装甲車(紫油ロケット弾発射機を装備したピックアップトラックの通称)などが、朦々と土煙をあげながら盛んに往来している。
通りの両側には、五百年前の先代文明により遺棄された巨大建造物が道の先まで連なっていた。建物の足元では、数多の武装団員や貧民たちの影が蠢いている。
……いよいよ、明日か。
明日、この廃墟ジャングルの一帯で、関東圏の二大武装勢力同士の紛争が起きる。青年は、一方の武装勢力の傘下にある中堅武装団の一員であり、戦闘員としてこの戦場に送り込まれていた。
青年の配属先はゲリラ部隊。廃墟ジャングルを根城にする貧民になりすまし、友軍が誘き寄せた敵部隊を奇襲する役割である。
青年は大通りを横切り、廃墟街の奥へと進んだ。
途中、何度か後方を振り返り、仲間が後をつけてきていないか確認する。
これから少女と会う予定だった。二人きりで過ごしたい。
やがて、中層廃墟が立ち並ぶ一帯にたどり着いた。
最後にもう一度、後方を確認したところで、廃墟と廃墟の狭間に身を滑り込ませる。地面に散らばる破片をバキバキと踏みしめ、通路を進んで行く。幅五十センチほどの通路は地下のように薄暗かった。頭上に張り巡らされたパイプから、時折、ぽたりぽたり、と汚水の雫が垂れてくる。空気は淀んでおり、動物の死骸のにおいが鼻をついた。
青年は手で口元を覆い、隘路の先に見える光へと足を速めた。
もう少しだ。
五十メートルの距離を歩き切り、ようやく廃墟街の裏路地に達した。その瞬間、
「おに〜ちゃんっ!」
甲高い声を上げながら、少女が横から抱きついてきた。
どうやら自分を驚かせようと、出口で待ち構えていたらしい。その顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「えへへ。おにいちゃん、びっくりしてやんの〜」
少女は都市迷彩柄の戦闘服姿だった。明らかにオーバーサイズで、その小柄な体格がより小さくみえる。
くすくすと微笑む少女に、青年は苦笑いで応えた。
「誰だって驚くだろ」
「そうかな〜。一年前のおにいちゃんだったら、きっと、無反応だったと思うよ? ロボット人間みたいにね」
少女は嬉しそうに口にすると、路傍に乗り捨てられている自動車のボンネットに飛びのった。野良猫のような軽快な動きである。ふわりとしたブラウン色の髪がゆらゆらと揺れた。
「やっぱり、おにいちゃん変わったね!」
最近、他の仲間にも言われることだった。青年は傍に転がっている瓦礫に腰掛け、少女を見上げた。
「そんなに変わったと思うか?」
「うん! 声が明るくなったし、口数も多くなったよ!」
少女の顔に再び笑みが咲く。ボンネットから飛び降りると、くるりとこちらに向き直り、三たび、はにかんだ。道端に咲く野花のような小さな笑み。少女はよくこんな風に笑う。
その笑みにつられて微笑み返すと、
「それからね! よく笑うようになった!」
少女はボスから臨時の休息日を貰ったときみたいな明るい声を上げ、素早い動作で傍に腰掛けてきた。
青年は自分の顔に触れた。
……たしかにな。
一年前までは、自分が笑うことなど想像もできなかった。
「……」
ありがとな。おれを笑えるようにしてくれて。
少女に笑いかけられている内に、いつのまにか自然に笑えるようになっていた。普通の人間のように。
青年は感謝の言葉を口に出す代わりに、無言で少女の手に掌を重ねた。
少女は唇をきゅっと結ぶと、高鳴る鼓動を落ち着かせるように、ふぅ、と小さな吐息を漏らした。ゆったりとした動作で青年の肩に寄りかかり、顎を撫でられた猫のように目を細める。
しばらく寄り添いながら穏やかな時を過ごす。
静かだ。
ここが廃墟ジャングルだとは思えない。
裏路地に立ち並ぶ廃墟の外壁には、突然変異した耐陰性蔦植物が群生していた。人間の掌のような異形の樹葉が、まるで動物の毛皮のように廃墟全体を覆っている。見慣れた廃墟が、巨大な新植物のように見え、森の奥深くにいるような気分になった。一ヶ月前に武装団の任務で訪れた、あの富士の樹海の雰囲気とどことなく似ているような気もする。
「おにーちゃん」
寂しさが滲んだ甘い声で少女が言った。
「明日……絶対に、生き残ろうね」
「ああ、絶対に」
青年は溢れんばかりの決意を短い言葉に込めた。
「おにーちゃん。ぎゅーってして」
腰をひねり正対する。目を見つめると、少女は、照れ笑いを浮かべながら俯き、頬を朱色に染めた。少女の背中に手を回す。まるで互いの身体の芯に見えない引力が発生したみたいに、ぴたり、と少女が懐におさまった。
温かい。
凍りついた頭の芯が溶かされていくようだ。
嬉しい、という感情を感じ、青年はまた微笑んだ。
『お前、変わったよな』
『そうそう、なんか人間味がでてきたっていうかさ』
仲間からかけられた言葉が、脳裏を過る。
紛争前の不安のせいか、昨日、今日と、気がつけば過去を思い返している自分がいた。
『あ、それ、あたしも思った。初めて見たときはロボットみたいな奴だなって思ったもん』
全員、家族のような大切な仲間だ。一年前、彼ら彼女らと出会えたことが、自分の人生を大きく変えた。