宝物庫
カイが駆け込んだ途端、扉は音を立てて閉じた。
その音を聞いて我に返り、耳を澄まし周囲を見渡す。手も触れずに閉じた大きな扉の外側や、たった今入ったばかりのこの部屋の些細な音と気配を探ってみたが、扉越しに川と滝の音がするだけで、他は何も感じられない。此処は今のところ安全なようだ。
……と言うよりも────
(眩しい!)
この部屋は今まで見た事も無いくらい、鮮やかな光に満ちていた。
部屋の所々に設置された、樹木の様に枝がある金の燭台。そこに立つ幾つもの蝋燭の炎で照らされた室内は、至る所が黄金色に輝き、色とりどりの宝石らしき物が更にその光を反射してキラキラと煌めいている。
壁や床や天井は砂と同じ色の岩石だが、それ以外の物──ざっと眺めて目に付く首飾りや腕輪や冠、鎧と盾と短剣、様々な大きさの金貨、水差しか花瓶の類、酒杯や皿などの食器類、小さな彫像、果てはそれらの物を乗せているテーブルまで、全て黄金で出来ており、それらの殆どが宝石で装飾されている。
(まるで竜の巣だ)
幼い頃に読んだ英雄譚によると、竜という山の様に巨大な魔物の巣は、ありとあらゆる宝物で埋め尽くされているらしい。
しかしこの部屋は、そのような生き物が住むにはかなり狭いので、巣である可能性は低いと思える。
部屋の広さは裕福な商人の家の一部屋分程度だ。壁も天井も石を切り出しただけの造りで、不自然な高さでも無ければ圧迫感も無い。大量の黄金が積まれた質素な部屋──恐らく宝物庫なのだろう。しかし此処の管理者は随分とズボラな性格をしているようだ。整理整頓がまるでされていない。
鎧などの大きな物から小さな宝石までもが、箱や棚などという物に納められる事無く、壁際に沿って設置された細長いテーブルの上にただ無造作に積まれているだけである。乗り切らなかった物が大量に床に零れ落ち、所々で小さな山を作っている始末だ。持ち主はあの念話の主なのだろうか。
(財産としてちゃんと管理出来ているのかな?)
余計なお世話と言われそうな事を考えつつ、部屋を一通り見終わったカイは、特に滞在する理由も無いのでここから出る事にした。壁際にある一際大きな燭台の陰に小さな扉を見つけ、開けようとしたが、押しても引いてもびくともしない。
(またか……)
カイは落胆して長い溜息をついた。今まで通って来た部屋は、どれもこれもすんなりと先へ進ませてはくれない所ばかりだった。ここは危険な物も無く、扉もごく普通な(しかもきちんと取っ手が付いている)だけに期待したのだが、またしても足止めを食らう事となった。入って来た方の扉は自分から開いた癖に、先へ進む方の扉は鍵穴すら無い状態で閉ざされている。
(まぁ……危険が無いだけましか……)
ぼやいていても始まらない。気を取り直す様に短く息を吐きだしてから、仕組みを見極める為に、扉全体を細かく調べてみる事にした。
扉は周りの石壁とほぼ同じ色で、取っ手が付いていなければ危うく見逃していただろう。石と同色だと言うのに、触れてみると頑丈な金属製で、蹴破ったり体当たりで壊す事はどう考えても不可能だ。外枠部分に若干の隙間はあるが、ナイフが入る程の幅では無く、抉じ開けるという事も出来ない。
挫けそうになるのを堪え、何か無いかと隅々まで見て行くと、扉の四隅と上端の真ん中に、とても小さな窪みがあるのに気付いた。
窪みは全て違う形──丸、広葉樹の葉に似た物、落ちる雫、揺らめく蝋燭の火の様な歪んだ雫、大小幾つもの丸が歪に結合した物──をしており、それぞれの縁の数か所に極々小さな爪が付いている。爪は恐らく、その形に嵌る何かを固定しておく為の物だろう。
更に良く見ると、窪みの中心に丸い形の僅かな突起がある事に気付く。周囲の音に注意しながら、慎重に、指先で触れてみる。
──今のところは何も起きない。僅かに力を入れてみる。やはり何も無い……罠ではないようだ。
押している指先に軽い抵抗を感じたので、更に力を入れて押し込んでみる。すると何かが動くような、はっきりとした金属音が戸板の中から聞こえた。
(これが鍵か?)
しかし指を放すと、再び戸板の中でさっきと同じ音が響いて消える。別の個所で試してみても、同じ現象が起こる。五ケ所全ての突起を同時に押し続ければ扉が開く仕組みなのだろうか……だとしたら一人では到底無理な話だ。窪みに合う形の物を嵌めるしか無かろう。
この部屋でそれらを五つ探さねばならない。
(……この中から探すのか……)
そう思っただけで、うんざりした。何せこの部屋は至る所が目に悪そうな光で埋め尽くされている。何度も瞬きをして、何度も目を擦りながら小さい物を探さなくてはならないのだ。せめて金以外の素材であってくれ、と願いながら、まずは近くの床で目に付いた、宝石の山を探ってみた。
それは装飾に使われていない単体の宝石が、寄せ集められて小さな山を成している物なのだが、黄金製品よりも明らかに数が少ない。
単純に、金色に輝く山を探すよりも幾分か楽で、何より大きさが扉の窪みと同じ位だと思ったからだ。
宝石はどれも素晴らしい色と輝きで、そこいらの商人からでは到底手に入らない様な物ばかりだった。貴族……いや、王族が所持している品等の代物だろう。
何十にも及ぶ細かい面取りを施されている為、非常に複雑な光を放っており、一つ手に取ってみるだけで、その美しさに目を奪われ、意識が取り込まれそうになる。この一つだけで恐らく、一般的な商人の全財産と同等かそれ以上の価値があるに違いない。
カイ一人の生活水準なら、一生働かずに暮らしてもまだ余るだろう。汗水たらして労働せずに、思うまま、やりたい事が出来る……そんな人生が容易に手に入るのだ。この美しい石たった一つだけで。
それ程の物がすぐ目の前──手の届く所で、見た事も無いほど大量に転がっている……
(……)
カイはその場で佇み、しばらくの間、手にした宝石を見つめ続けた。手に取ったそれは深い色をした大粒の蒼玉で、養父のアレクサンダー・ワイズが貴族に売りつける装飾用の剣に、良く似た物が付いていたのを思い出す。大きさや施された技巧などは比べ物にならないが、石の質自体は近いのかもしれない。養父の目利きが確かなもので、品質を胡麻化さず、真っ当な商売をしていた事が良く分かる。
思えば養父は、商売の在り方だけでなく、誰にでも礼儀正しく誠実だった。
一方、客の貴族達は誰も彼もあまり性根の良くない者達で、入店した瞬間から不機嫌な顔で横柄な態度を取り続け、少しでも代金を負けさせようと、あらゆる事に言い掛かりを付ける始末だった。美しい宝石を手に出来ても、所持する者の中身がそれに釣り合うとは限らない。
(そんなものだよな)
少し覚めた気分で蒼玉を近くのテーブルに置き、カイはまた一つ別の石を手に取った。無数の宝石の中から無造作に拾い上げたのに、これもやはり非常に高品質な物だった。目の覚める様な、鮮やかな赤い石。紅玉と言う物だったか。くらくらするほどの妖艶な色彩に、心臓が僅かに速くなる。熟した木苺を潰した様な……屠った獣から滴る血の様な…………。
再びその場に立ち尽くし、カイは食い入るように紅玉を見つめ続けた。これを人々に見せたら、皆が奪い合い、やがて争いが起きるだろう。この情熱的な美しい石一つで、一国の王女の心ですら手に入るかもしれない。つまり権力を持った気位の高い美女を己の恣に出来る……。
(!!)
唐突に篝火を思い出し、カイは我に返った。
先程の川沿いで見た物ではなく、エルアガの港に灯っていた大きな篝火だ。闇夜の中で真っ赤に燃えていた炎は、怪我をしたハーリナの怯えた顔と、やがて見せてくれた笑顔、そして息を切らして持って来てくれた岩塩を思い出させた。
霧が晴れたような頭と目で、カイは紅玉を近くの燭台の炎にかざし、見つめる。
(まるで炎の様だ……じゃあさっきの蒼玉は水かな)
そう考えてから、あの五つの形を見つけ出す方法を思いついた。
(水の雫の青と蝋燭の火の赤、葉っぱの緑と……)
探すべき物が、至る所に散らばる黄金じゃなくて良かった、と思うのだが……宝石も様々な色が結構な量で混ざり合っている。そんな状態の中から見つけ出さなくてはならないのだから、なかなか根気の要る作業だ。
まずはざっと色分けをしよう、と床に胡坐をかいてから宝石の山を崩し、無造作に掴み取った一握りをさっさと選り分けては、自分の周りに置いていった。
やがてそれぞれの色毎に小さな山が出来上がる。探すべき物の色は青、赤、緑……残りの二色はまだ分からないが、始めの頃よりは少し前進した気分だ。
それからしばらくの時間、宝石を見つめる行為は、魅入られて物思いに耽る事から、ただの選別作業へと変わった。手に取る宝石の全てが見た事も無い程に素晴らしい物だと言うのに、カイの手付きは河原の石でも扱っているかのようだ。
「あった!」
思わず叫んだカイのその手には、揺れる灯の様な紅玉が煌めいていた。そのまま立ち上がり、扉の右上の角にある窪みに紅玉を嵌める。先程聞いたのと同じ音がして、戸板の中で仕掛けが動いた。
(やはりこれが鍵だ! よし、あと四つ!)
俄然やる気の起きたカイは次の宝石に取り掛かる。青い宝石の山から早々と綺麗な雫の形を見つけると、傍にあった黄金の杯を引き寄せてそこに放り込んだ。休む間もなく、今度は緑色の宝石に手を伸ばす。翆玉と言うこれもまた非常に美しい石だ。しかしそんな事など関係無いかの様に、ひたすら形だけを見て、該当しない物は床に捨てる作業を繰り返す。
しかし、また不意に……
一瞬、どこかで見た様な気がして手が止まる。この色……二対の瞳……闇の中だったか、あるいは眩い光の中か──力強くて射る様な、そんな印象的な目が何故か記憶にあるのだ。
(……何だったっけ?)
それでもカイの手が止まったのは、ほんの一瞬の事だった。思い出せない事に時間を取られる暇は無い。二、三回瞬きをして、再び鍵を探す作業に戻った。
翆玉の中から漸く広葉樹の葉に似た形の石を見つけ、また黄金の杯に放り込む。後は円の結合体とただの丸い形。
(水と火……葉が樹木の意味なら、ひょっとして四大元素……だったりしないかな?)
かつて読んだ書物の中に、そういった記述があった筈だ。自然界に存在し、魔法の根源となるもの。
鍵となる宝石の数が五つなので正解なのか自信が無いが、これらを見て思いつくのは四大元素である。水と火はそのまま、緑の葉は、樹木が地面から生えているので、土と言えるのではないか。もしそれで合っているなら、後は風だ。
(だとしたら、この形は……)
カイは大小の円が重なりくっつき合った奇妙な形から、あるものを連想した。
(雲だったりしないか?)
空に浮かぶ雲なら、風の意匠と呼べるのではないか。ならば色は白だろうか。だが宝石の中で白い物は見当たらない。
選別して出来た色毎の集まりは、青、赤、緑、黄色、紫色、色の無い透明、黒など、大雑把に分けて七種類程である。
「……あ」
そう言えば、四大元素の記述があった頁に四色の色があった。赤青緑、もう一つは確か……
(黄色!)
カイは黄色い宝石に飛びついた。その見た目の通り、黄玉と呼ばれるものだ。驚異的な集中力と手捌きで選り分け続けたカイは、果たして、その中から空に浮かぶ雲の様な形を見つけた。これで残るは丸い宝石である。調べていない宝石の山は三つなので、何も考えずに捜索に取り掛かる。
各色毎に纏まった山を床に広げ、一遍に見渡せるようにしてから、床を這いつくばる様に探した。
やがて無色透明で丸い石を見つけると、カイは全ての宝石を手に素早く立ち上がり、扉の前に立った。
一つ一つ、適合する石を押し込む様に嵌めて行く。次々と仕掛けの作動音が響いたのち、扉が僅かに外側へ開いた。
カイは無言で扉を押し開け、振り返らずに部屋を出て行こうとした。
その瞬間、誰かに呼ばれた気がして、足を止めて振り返る。
部屋に満ち溢れた無数の宝物が、誘うかの如く、光り輝いた様に見えた。此処から出る際に、ほんの一つ二つ、苦労した分の報いとして、ポケットに入れて行ってはいかが? とでも言う様に。
しかし道が開けたカイにとって、最早どうでも良い事であった。いくら財宝を手にしたところで、此処から無事に出られる保証も無い。宝物が此処に住むエンドゥカの持ち物なら、盗みを働いたと言う事になる。
(それに……)
念話の主の言葉を思い出す。欲に負けた者は、あの動く骸達の仲間入りをしてしまうのではなかったか。そう考えると、とても手を出す気になどなれやしない。
「その代わり、これを借りて行く」
宝物には目もくれず、カイは燭台から蝋燭を取った。今は辺りを照らす灯りが最も重要でなのある。
そうして──
先へ進む為、十分に用心しながら、カイは宝物庫を後にした。
カイが立ち去った後の部屋で、不意に奇妙な音が鳴りだした。それは小さな小さな音が集まったもので、床に散らばり放置された無数の宝石から聞こえて来る。耳が良い生き物がいたら、こう聞き取れたであろう。
──やっと喋れる 何で人が来ると声が出なくなるんだ? 助けが呼べなくなるなんて酷い 今の見たか!?有り得ない! 何故だ!これを見て懐に入れないなんて! だからあの青年はこうならずに済んだ 何で……何で俺達は我慢できなかったんだ…… はぁ!?我慢も何も!宝物を見て取らない奴がおかしいだろ! そうだ!一つくらい良いと誰もが思う筈だ! 何でこれだけの事でこんな目に遭わなきゃならないの? 欲に駆られた結果こうなった ねぇ置いてかないで! 助けてくれ! そうよ何であたしがこんな目に! 戻って来て! そうだ戻って来い 一つだけでいいから、懐に入れろ! 誰も見ていないから金貨でも宝石でも持って行けよ! そして仲間になれ ああ……何時までこうしていなけりゃならないんだ 我が隊が何故このような場所で終わってしまったのか 全くだ……幾人もの犠牲者を出してこのザマだ 不老不死の血肉どころか、元の姿にも戻れない…… 生ける骸と成るよりどちらがましか ううっ…… なぁ……俺達はこのままいつまで…… まさか……まさかずっとこのまま? ずっと!? そんな……いやだ!いやだぁぁ! どのくらい時が経ったかももう分からない 知らなかっただけよ!出来心なの! そうだよ!許して!元に戻してよ!ねぇ! 悔恨を抱くとも無駄な事 助けて 助けて たすけて 助けて 助けて 助けて 助けて お願い 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて 助けて
助けて 助けて 助けて