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チェイサー 〜真実を追う者〜  作者: 夛鍵ヨウ
第五章 砂に埋もれた神人の話
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砂の大渦

 岩の扉はあっけなく開いた。


 何しろ、両腕を広げた横幅と背丈を超える高さの、一枚岩の扉である。厚みも相当なものだろう。かなりの重さである事を覚悟して、渾身の力を込めてその扉を押したカイは、見事に予想を裏切られ、勢い余って次なる部屋に転がり込んだ。


 転がり出た先は、灰色の岩で出来た砂まみれの細い通路で、片側には壁が無かった。人が二人横に並んだ程度の距離を転がり、通路から落ちそうになってから、ようやくそこが巨大な吹き抜けの空間であると認識する事が出来た。何とか端にしがみ付き、落下を逃れる事が出来たが、細かい砂で手が滑るため、よじ登るのも一苦労であった。


 カイが通路の上に登りきったと同時に、岩の扉が無慈悲な音を立てて閉まった。


 慌てて駆け寄り、扉を開けようと試みたが、いくら押してもビクともせず、そもそも掴める所が無いので引く事も出来ず、仕掛けらしき物も無い。万策尽きたカイは、骸達で溢れていたあの禍々しい小径に戻る術を失った。

(参ったな……)

 もうあんな恐ろしい思いは嫌だが、地上へ出る階段が先程の小径を戻った所にあるのだ。そこへの道を絶たれたら、一体どうやって地上に戻れば良いのだろうか?

 ここから進んだ先に、同じ様な地上に繋がる階段が、果たしてあるのだろうか……?

 

 仕方なく扉に背を向け、周囲を見回したカイは、今度はこの場所の異様な有様にぎょっとした。

 まず不自然に明るい。まるで地上にいて日の光を浴びているのか、と思えるほどに。しかしこの場所は、長い階段を下りて着いた地下の筈である。さっきの赤い光に満ちていた小径もそうだったが、周囲の何処に目をやっても、松明やランプなど、光源となる物が一つも見当たらない。


 以前ナディラ国で、善神リージェスの信者達が修行に使ったという場所、聖なる洞穴へ赴いた際の出来事を思い出した。地下へと潜る洞穴で、ランタンを灯さねば足元も見えない暗闇だというのに、ある時突然、まるで外に居るかの様な鮮烈な光で照らされたのだった。

 今の状況はそれと同じである。尋常ならざる力が働いている、と言う事なのか。


 この様な明るさなら、蠟燭の火は消しておいた方が良いだろう、と考えてから、カイはその蝋燭を手に持っていないことに気付いた。どうやらあの恐ろしい小径で落としてしまったようだ。今はこの明るさで辺りの景色がはっきり見えているから良いが、この先いつ暗闇になるか分からない。火打石は鞄にあるから、蝋燭の代わりになる物が見つかれば問題は無い。あくまで見つかれば、の話だが。

(全く……ついてないにも程がある)

 短く嘆息し、カイは改めてこの場所をじっくりと観察した。


 この場所は造りもまた不可解であった。


 見渡す限り、かなり大きな吹き抜けの空間だ。まるで褐色の岩の層から、巨大な円柱がそっくり抜き取られた様な形をしている。 

 しかも自然に出来たのではなく、明らかに何者かの手によって作られているのだ。何故なら、岩肌は全て均一に削られており、その滑らかな表面を良く見てみれば、複雑で細かい文様が隙間なく彫られているからだ。緩やかに曲線を描くその岩壁に沿って、灰色の岩盤が連なった状態でぐるりと一周し、通路が形成されている。

 

 これだけ巨大な規模で地中を削り、壁に細かい文様を施し、継ぎ目が分からないほど綺麗に繋がった岩の通路を設えるには、相当な数の人手と年月を費やしてもなお、至難の業であろう。もっとも、光源の分からない光を灯し、死者の亡骸を操る様な力を持った神人にとっては、容易い事なのかもしれない。


 そうやって考え事をしながら、周囲を観察している間中、カイの耳は奇妙な音を捉えていた。硬質で軽い物が擦れ合う様な耳障りな音で、下の方から聞こえて来る。

 通路の淵から下を覗いてみると、音の正体と思しき物が見えた。吹き抜けの底で砂が渦を巻いている。


 今まで読んだ書物のお陰で、竜巻や渦潮についての知識はあるが、砂の渦巻きは存在を知るのも見るのも初めてである。その動きは緩慢だが絶え間無く、ずっと見つめていると吸い込まれそうになる。

 慌てて目を逸らし、今度は灰色の通路に注目した。

 全く同じ形の通路が下に三つあり、一番下の通路に扉らしき物が見える。あれがこの空間からの脱出口なのだろう。


 円環状の通路はそれぞれ一つずつ独立している様で、見たところ上下の繋がりは不明だ。例えば梯子などが掛かっていれば、下との行き来が可能になるのだが、今見渡した限りでは発見できていないのだ。この通路が一番下まで螺旋状に続いていれば非常に楽だったのだが……残念な事に、物事はそう上手くは行かないのである。

 そう考えながら、ついつい砂の渦に目が行ってしまう。何気なく眺めていると、見たくない物を見つけてしまった。


 頭蓋骨がゆっくりと流されているのだ。


 カイは思わず自分の足元を見た。

 仮に飛び降りたとして、決して広くは無い通路の幅だ。うっかり体勢を崩して通路から落ちてしまうかもしれない。そしてあの砂に飲まれてしまったら……一体どう言った経緯であの様になってしまうのか……?

 

 じわじわと蓄積する恐怖を振り払う様に、カイは行動を開始した。

 まずは下の通路に降りる手段を見つける為、今いる場所を探索する事にした。

 入って来た扉から少し歩いて行くと、あるものを発見した。近づいて見ると、壁に木製の杭が打ち込まれ、飛び出た先端に結びつけられた縄が、通路に乱雑に投げ置かれている。

 これにぶら下がって下の階へと飛び降りろ、ということなのか。縄は非常に古く、結び付けられている杭も朽ちかけている。己の体重を預けるにはかなり不安な代物だ。

 しかし恐らく、これ以外に方法が無い。


 縄を何度か引っ張って強度を確かめた後、皮手袋を手に嵌める。砂の渦巻の音を背中に聞きながら、カイは意を決して縄に掴まり、慎重に体重を掛けながらぶら下がった。縄の長さは十分ではなく、かなりの高さから飛び降りねばならない。


 見下ろした先には通路に積もった小さな砂の山がある。足を蹴り上げるようにして体を揺らし、その力で縄を前後に大きく振り動かした。そして体が前に振れた瞬間に縄から手を放し、砂の中に埋まる様に着地する。その瞬間に膝を曲げ、衝撃を和らげる様にして、どうにか無事に降りる事が出来た。着地の勢いで砂が舞い上がり、吹き抜けの底へと落ちて行く。


 その刹那、背後で地響きがして、更に大量の砂が流れる音がした。

 振り返って砂の渦を見下ろすと、渦の中心から、信じられない物が飛び出しているのが見えた。途轍もなく大きな、返しの付いた長い牙の様なもの──それが二対。


(……あれは……) 

 あれは昆虫の顎だ。砂と同じ色をして、返しの他に細い針の様な毛がびっしりと生えた顎。

 幼い頃に見た事がある。乾いた地面の小さな穴に潜み、そこに落ちて上がれなくなった蟻を捕食していた。あの昆虫に酷似している。違うのは潜んでいる場所の形状で、この様な渦を巻いてはいなかったが……そんな事はどうでもいい。


 昆虫の顎はゆっくりと全貌を現し、またゆっくりと向きを変え、最下層の通路をなぞる様に一回転した。

 一周を終えた巨大な顎が、さっきとは打って変わった異様な速さで、渦の中心へと消えて行く。

 本能的に動きを止め、息さえも止めてそれを見守ったカイは、砂の渦に落ちた者がどうやって骨になったのかを理解した。


 そしてその瞬間、恐怖が爆発した。この空間から一刻も早く脱出したい。少しでも早く。


 半ば恐慌状態に陥ったままカイは通路を駆け、先程と同じ様な状態の縄を発見した。今度は素早く下を確認した後、縄を掴んで滑り降りる様に一息にぶら下がり、その勢いのまま小高く積もった砂溜りに飛び降りる。いつもより慎重さに欠いた行動だ。


 飛び降りた衝撃で足元の砂が舞い上がり、砂の渦に落下して行く。

 再び背後で大量の砂が動き、巨大な顎の先端が、足の下で唸りを上げながら通路を一周薙いで行く。

 その音を聞いて体が再び硬直するが、そんな状態でもカイの頭は働いていた。


 間違いなく、この下の通路は奴の狩場だ。砂が渦に落下した時に反応し、その都度現れては通路を薙いで、獲物を渦──奴の巣に落とし捕食する。例え勘違いで何度か空振りしても、待っていればそのうち餌に有り付ける事を分かっている。

 人間がこの空間から脱出する為に、必ず狩場であるその通路に降りて来るからだ。上から飛び降りた勢いで、砂は散らされ下に落ちる。(砂溜りに着地しなければ足を滑らせるか怪我を負って死が少し早まるだけだ) 

 そして砂が落ちたその時は──細い通路以外に足場の無い場所で、あの大顎から上手く逃げ切る術など無いに等しい。


 そこまで考えて、今度は足が竦んで動けなくなった。

 あと一階下へ降りればここから脱出できると言うのに、体が前に進もうとしない。出口へ近づいたと前向きに考えるより、死が待つ砂の渦に近づいてしまった、としか思えなくなった。

 

(どうすれば……)

 折角あの小径を抜けて来たというのに、少しも経たないうちに挫けてしまいそうだ。実際、骸達から受けた言葉の数々は、カイの精神を確実に弱らせていた。

 絶望的な気持ちとなり、負の感情に囚われ、このままここで静かな最期を迎えるか、それともいっそ渦に飛び込んでしまおうか、などと言う、いつもなら決して浮かばない愚かな選択肢が頭を過る。


(いや、駄目だ……考えろ。何か方法は無いか、もっと周りを良く見て考えろ!)

 そんな風にして目を走らせていると、ふとある事に気付いた。扉の真上の位置から通路の端にぶら下がり、飛び降りれば直ぐだ。あの個所に杭は打たれてはおらず、縄が無いのが分かる。高所からの落下による怪我のおそれがある為、まるで考えていなかったが……自分のマントを縄の代わりに使えないだろうか? 

 マントを失う可能性もあるが、上手くやれば危険を回避して早くここから脱出できる。

(それ以外に方法は無い) 

 そう考えて立ち上がった瞬間、凄まじい音と共に、通路が激しく揺れだした。咄嗟に壁に寄り、身を低くして耐えていると、音も揺れも止み、静けさが戻った。しかし目を開けてまた言葉を失った。今居る階の通路が、自分の足場を残して全て崩落していたのだ。不思議な事に、上の通路には何も起きていない。あれだけの揺れだったのに、カイが今立っている下から二番目の通路だけが、足元を残して全て底へと落ちてしまったのだ。

(なんで……)

 とても自然現象とは考えられず、神人の意図的な妨害なのだと悟った。

『後悔するぞ』と言われたが、確かに、あのまま地上へ戻っていればこんな目には合わずに済んだであろう。


 呆然としたまま、下を覗き込む。

 酷い音に驚いたのか、巨大な昆虫は砂に潜ったままだ。

 落下した灰色の岩盤は、バラバラになって砂の渦に流されており、一枚一枚がゆっくりと動きながら少しずつ位置を変えている。不思議な事に、渦の中心へ近づいても吸い込まれる事無く、ぶつかり合いながらいつまでも流砂の上を漂っている。

(まてよ)

 あの上に飛び移って行けば出口まで辿り着けるかもしれない。ただし、確実に奴が来る。少しでも飛び移る動きが遅れたり判断を誤れば、足を踏み外して砂に落ち、そのまま捕まって一巻の終わりだろう。

 出来るのか……今、こんなに挫けそうな自分に?

 そうやって躊躇した瞬間、余りにも弱気な己の考えに苛立ちを覚えた。

  

 人とは不思議なもので、一度どん底まで落ちてしまった後に、自然に這い上がる方へと意識が向かう時がある。

 今のカイもそうだった。

 どのみち此処に留まって餓死するか、砂に落ちて巨大昆虫に喰われるかの違いでしかない。死を覚悟するなら、少しでも生き残る方に賭けてみるべきだ。


 鞄の蓋は閉じているか、剣のホルダーは緩んでないか。それらを手早く確認してから、下の通路を覗く。そこは殆ど砂に埋め尽くされており、どこに降りても小高く積もった砂溜りの上だ。なのでそのまま足場の端に両腕でぶら下がる。その体勢から片手を放し、振り返る様に体を捻りながらもう片方の手を放し、体の向きを変えて落下する。着地した瞬間、砂溜りを蹴る様に跳ねて一つ目の岩盤に飛び乗った。


 その刹那、砂の渦の底から地響きがした。


 しかしカイは、一切の物事を考えず、前に進む事だけに己の全てを費やした。

 バラバラに崩れ落ちた岩盤の上を次々と飛び移っては、脱出口を目掛けて進む。

 地響きは次第に大きくなり、やがて砂の渦の中心が盛り上がる。

 カイが半分ほどを渡り終えた頃、昆虫の巨大な顎の先端が姿を現した。

 あと少し。カイはほぼ無心で灰色の飛び石を渡って行く。


 大顎が徐々に現れるに従って、砂が隆起し、流されていた岩盤の動きに乱れが生じる。飛び乗ろうとした足場が傾き、危うく横倒しになりかけた。咄嗟に手を伸ばしてしがみ付き、死に物狂いで斜め上を向いた岩盤の端によじ登ると、そこからまた近くの足場へ飛び移った。大顎が完全に姿を現し、ゆっくりと向きを変える中、カイは最後の岩盤に足を乗せ、そこから渾身の力で跳躍し、そのまま真正面の扉に向かって、突き破る勢いで体当たりした。


 扉は抵抗なく開き、転がり込んだカイの耳に風切り音を残したまま、静かに閉じた。 

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