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チェイサー 〜真実を追う者〜  作者: 夛鍵ヨウ
第五章 砂に埋もれた神人の話
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千の仔

 乾いた風が砂を巻き上げ、幾度も通り過ぎて行く。

 その度にカイは、顔を背けたり、息を止めたりしてやり過ごした。




 銛角牛に乗って砂漠を進み続けたハーリナの父親とカイは、エンドゥカの住処へ向かう為の目印だという、尖った大岩に辿り着いた。

 どこまでも平坦な砂地が続く中に唐突に現れたその岩は、人家ほどの大きさで、周りの砂と同じ色をしている。矢尻の様な頂上を天に向け、砂の海から突き出している姿が、見る者を圧倒する異様な雰囲気を醸し出していた。


 銛角牛から降りたカイは、大岩を見上げ、その輪郭をゆっくりと目でなぞった。

 鳥の巣はあるか、と探してみたが、何も無い。

(……此処にもいない)

 落胆と共に心の中で呟いた。 

 目の前の何処を見ても、生き物がいないのだ。

 

 此処に至るまでの道中は、やはり生命の気配など一切感じられず、荒涼とした砂ばかりの大地がただ延々と続いているだけだ。今居る場所も同じ。そして遥か遠くに見える地平線のその先も、恐らく同じなのだろう。

 色彩豊かな森の景色が当たり前だったカイにとっては、何も無く殺伐とし過ぎて、かなり気が滅入る光景だった。



「ここから、あちらの方へ真っ直ぐ歩いて下さい」

 ハーリナの父親が指差す方角には、柱の様な細長い形をした二対の岩が一定の間隔で屹立しているのが見えた。

「あの先には何があるのですか?」

「祠のような物があるらしいです」

「それがエンドゥカの住処ですね?」

「私は知らない。ワリディヤ様が言ってるのなら、そうなのでしょう」

「……」

「すみません。子供の頃から関わる事を避けていたので、何も分からないのです」


 知る事は関わると言う事。彼の者に関わるのは死を招く事。だからこの地の者達は皆、それらを避ける事で死を遠ざけて来た……と、ハーリナの父親は申し訳なさそうに説明した。


「そう言う事なら、仕方が無いですよね」

 カイは頷きながら、その言い分を受け入れた。ヘンリーがこのやり取りを見たら、どんな顔をするだろうか。「お前は相変わらず馬鹿みたいにお人好しだな!」と呆れた様子で言い放つに違いない。それに対して「しょうがない」と肩を竦めるのがいつもの事だった。


 人にはそれぞれの事情がある。

 それを知った上で我を通すのは好きではない。多少の諦めや妥協は苦ではないから、人に譲る事が多く、カイは度々損をする。譲られた方は譲られてそのまんま、恩に着る事も無い。カイも見返りを求めたりはしない。それで気にする事はなかった。

 

 だが流石に、生死に関わるとなれば、話は別である。 

 

「では、私は引き返します」

 そう言うとハーリナの父親は、カイの乗っていた銛角牛の首に縄を括り付け、さっさと来た道を帰って行こうとした。

「待って!」 

 カイは慌てて呼び止めた。いきなり置き去りにされるとは思っていなかったのだ。

「銛角牛を連れて帰るのですか!?」

「これは年老いているので、休ませなければいけない」

 その言葉を聞いて、カイは「ここに残して貰いたい」と言えなくなった。やっぱり自分は「馬鹿みたいにお人好し」だ。特に動物には弱い。

 だが大人しく見送ってしまえば、砂しかない場所で独りぼっちだ。碌な準備もしていない状態で、それは命取りに成り兼ねない。


「帰りの道はどうすれば?!」

 必死に食らい付くカイに対し、彼の返事は淡々としたものだった。

「あなたは大丈夫だとワリディヤ様が言ってた」

「大丈夫じゃないです! 迎えに来て貰えますよね!?」

 言葉に力を込め、半ば威圧する形で訴える。

「……後でここに狼煙を置きに来ます。あなたが戻ったら、それで合図を送って下さい」

「ええ、絶対にそうします! その時は必ず飲み水を持って来て下さい!」



 ハーリナの父親が去り、一人残されたカイは改めて彼が指差した方角に目をやった。澄み渡った青空の下に広がる、荒涼とした砂の大地。そこから突き出ている柱の形をした岩石群。

 あれが途切れた先に辿り着いたら、祠の様な物があると彼は言っていたが……果たして何が待ち受けているのだろうか?

 ふと、ロゼリアの手帳にあった謎の歌を思い出す。

 その一節にはこう書かれていた。


 さればエンドゥカ砂に潜みて

 千の仔を成し人に仇なす


 千の仔とは一体何なのか?

 仇なすと言う事は、危害を加えて来るという事だろう。それはどういった形で行われるのか?

 可能ならば回避したいところだが……。

(あれこれ考えてもしょうがないか)

 短い溜息を洩らし、マントのフードを被ると、カイはゆっくりと歩き出した。





  

 太陽が頭の真上に居座っている。その激しい光と熱は、確実に体力を奪って行く様だった。

(砂の上で焼く肉や魚の料理とか、ありそうだな) 

 余りの過酷な状況に、可笑しな事を思い浮かべ、一人で笑う。

 時折立ち止まっては、塩入りの水を少量だけ口に含む。

 さらさらとした細かい砂に足を取られて、思う様に歩みが進まない。 

 『エンドゥカの千の仔』とやらに遭遇する前に倒れてしまいそうだった。

 


 必死の思いで一組目の柱の岩に辿り着いたカイは、そこに出来た小さな日陰に急いで飛び込んだ。

 岩に背を預けて座り込み、目を閉じたまま、額の汗を手で拭う。


(本当に……きちんと準備をしてから来るべきだった……)

 ワリディヤに急かされ、まさかその場に一人残されるとは知らず、ハーリナの父親に付いて来てしまった自分の迂闊さを呪った。


(あとどの位だ……?)

 くらくらする頭を(もた)げ、柱の岩が続く先に目を凝らし、祠の場所を見定めようとした。しかしどう頑張ってもそれらしき物は確認出来ない。

 引き返そうか、とも考えたが、此処までの道のりが長過ぎて、あの尖った大岩まで無事に戻れる自信が無い。そうなるといっそ進んでしまった方が良いのではないかと、危険な方に思考が傾く。

 「進む」も「戻る」も同じなら、先が見えずとも「進む」を選ぶ。

 これは確かに、正常な判断では無い。カイはまた一人で笑い、立ち上がった。


(いいじゃないか? こんなのも)


 自暴自棄になったのでは無く、単純に見てみたいのだ。神人というものを。少なくとも、それが住まうと言われるその場所を。

 実は幼い頃から、そう言った好奇心の片鱗があった。幼い故にその時はまだ形を成していなかったが、ロゼリアとの出会いに刺激を受けて、一時(いっとき)は村の外の世界へ想いを馳せた。

 思い出すと胸が苦しくなるが、確かにそんな時期があったのだ。


 神人を見たいが為に監視の魔術を施したクロードを、今はもう責める気は無い。伝説じみた存在をこの目で確かめる事に、自分も強く惹かれているからだ。

 ナディラ国の聖なる洞窟で七人のマティアスの謎を解き、彼からマトラナについて聞かされた時、それまで自分の中でじっと息を潜めていたものが、明確な形となって姿を現した。


 それは不確かな物や不可解な謎に疑問を抱き、真実を追求する心。


 神人エンドゥカとは一体何者なのか?

 それを知る為ならば、多少の危険とやらにも飛び込むしか無いのだ。


 カイはなるべく柱の陰に居られるように歩みを進め、二対の柱の並びが途切れる場所まで、どうにか辿り着いた。

 その場で目を凝らしても、砂煙の向こうに祠の様な建造物は確認できない。しかし、地面には何かが見えた。

 砂とは確実に違う、同系色の石と思われる物が幾つも並んで……

(何か……囲いの様な……?)

  

 その場所を目指して足早に歩き出した瞬間、体中をある感覚が走り抜けた。悪寒とは違う、例えようも無い体の震え。思わず立ち止まったカイの耳に、奇妙な音が聞こえて来る。


 絶えず何かを細かく掻くような、串か何かで砂を掘り返すような、酷く忙しない耳障りな音が、一つ、二つ、十……それ以上──無数に。


 (おびただ)しい数の小さな音が合わさった、おぞましい騒音が砂の海から浮上して来た!


 カイは危険を察知し、音の正体を見届けずに走り出したが、砂に足を取られ、思う様にならない。

 やがてそれらが追い付き、並走する姿を見て、何が自分を追って来ているのか分かった。


 それは虫だ。

 ムカデ。蜘蛛。コガネムシに似た甲虫。両手に鋏を持ち、針の付いた尻尾を擡げたモノ。

 千の仔とは、虫の事だったのだ。


(だからああ言ったのか?!)

 ワリディヤは『千の毒虫に嚙まれても死ぬ事は無い』と言った。

(そんな訳が無い!) 

死なないと言われて簡単に信じてしまっては、命が幾つあっても足りない。カイは必死の形相で虫の大群を走り抜けようとした。幸いな事にレンジャーブーツは靴底を直したばかりだ。虫達の牙や針を易々と通しはしないだろう。こいつらが体に這い上って来る前に、あの石が並んでいる場所まで行けば……!


 走る事で虫の大群からは距離を空ける事が出来たが、背後から聞こえる音の様子から、まだ数十匹は追いかけて来ているようだ。

 全てを振り切ってしまわなければ、到底安全とは言えない。

 そうして走り続けるカイの頭上から、黒い物が落ちて来た。自分の肩を掠った形で地面に落ちたそれを見てカイはゾッとした。それは握り拳程の、足の長い蜘蛛だった。


 恐ろしい事に、蜘蛛が飛び跳ねて降って来たのだ。カイは走りながらフードを深く被り直し、マントの合わせ目を握り締めた。

 大きく跳ねて斜め前方に着地した蜘蛛が、すぐさまこちらに飛びかかって来た!


(噛まれて(たま)るか!!)


 マントを使って払い除ける。

 再び蜘蛛が飛びかかる。

 払い除ける。

 恐怖心と戦いながら、無我夢中で走る。


 そうしていると、目前に低い石塀の様な物が現れた。何も無い砂の上を真四角に囲む、謎めいた石の並び。内側の砂地が深く窪んで見えるのは、気の所為か?

 あと少し……あともう少し!

 そこに辿り着いたからと言って、何があるのか分からないのに、何故か大丈夫だと思った。

 しかし。

 飛び込もうと思わず伸ばした右腕に、頭上から降って来た蜘蛛がしがみ付き──


 大きな牙で噛みついた。 





「──さて」

 クロードは水晶玉に浮かぶ光景を眺めながら、好奇心に心を躍らせた。

「今までにない局面に立たされた時、彼は一体どの様な反応を見せるのか? 己の中で頑なに信じ──或いは否定して来た物事が、『実はそうでは無かった』のだと思い知らされた時、そこにどんな感情が芽生えるのか?」

 そう言って優雅に足を組むと、傍らの丸テーブルからゴブレットを取り、中に満たされた葡萄酒を口に運んだ。


「彼は常々、自分が『普通の人間』である事を信じて疑わなかった。だからこそ慎重に思考を巡らせ、取るべき言動を選択し、自らを俯瞰し続けながら、今まで生き延びて来たのだろう」


 その語りは独り言では無かった。クロードの背後には召使いが一人控えており、主の言葉に耳を傾けている。明るい金髪の毛先だけを黒く染めるという、変わった髪をしたその従僕は、いくら主がその目を輝かせ、生き生きとした声で語り続けても、人形の様な整った顔に一切の表情を浮かべる事は無かった。


「だが、そんな地道な努力も意味を成さない時が来る。今がそれだね。蜘蛛の毒は大抵の場合、発熱、嘔吐、痙攣の後に全身の硬直及び呼吸困難、もしくは臓物や筋肉の壊死を引き起こす。普通ならばこの後、彼は死ぬだろう。──しかし、しかしだ、マカオン。そうでなかったとしたら──」 


 ゴブレットをテーブルに置いたクロードが、身を乗り出して水晶玉を覗き込む。マカオンと呼ばれた召使いは黙ったままだが、クロードは気にも止めず、興奮を隠さないまま囁く様に呟いた。

「彼は一体、どんな顔をするのだろう? ……ああ、全く……表情が見えないのが、実に残念だ……」

 





「くっ!」

 砂の上に身を投げ出したカイは、右腕を強く掴んで、一度だけ目を閉じた。

 そこはレンガの様な形状の石に囲まれた小さな窪地で、砂以外に目に付く物は無かった。

 この場所が、ハーリナの父親が言っていた『祠の様な物』であり、エンドゥカの住処へと通じる入口でなのか、判断出来る事物も、それを探す心の余裕も今は皆無であった。


 此処に飛び込む直前に蜘蛛が飛び付き、腕を噛んだ。その瞬間、焼け付く様な痛みが走り、カイは夢中で蜘蛛を払い除けた。蜘蛛はそのまま弾き飛ばされて何処かへ行き、他の蟲も追って来る様子は無い。

 石で囲まれた窪地は、ひとまず安全な場所となった。

 しかし──

(毒だ……やはり……クソッ) 

 噛まれた皮膚は赤く爛れ、その周囲は腫れ上がっていた。蜘蛛の毒で倒れた経験はこれまで無かったが、虫の毒による死亡の話は十分に聞かされており、書物で得た知識もある。だから、今の自分の状態が分かる。

 間違いなく、致命的な傷を負ってしまった。そうなれば、もはや安全な場所に居たとしても意味が無い。


 それでもカイは、噛まれた箇所から離れた部分を手で締め付け、毒が回らない様に(うずくま)った。ナイフで切って血もろとも毒を絞り出せば良いのだが、流水で洗い流してこその処置なので諦めた。

 何にしろ、無駄な行為かもしれない。だが例え気休めだったとしても、少しでも最悪な結果を遠ざけたい。その一心でカイは、噛まれた腕を押さえ続けた。

 手に力を込めている事が困難になり、次第に目が霞んでいく。

 駄目だった……此処で終わり……残念な気持ちを胸に、再び目を閉じた。

 体から力が抜けて、意識が遠ざかる……



 ……と、なったのは僅か一瞬の事だった。

 


 最期の時は一向に訪れず、焼ける様な痛みも嘘の様に消えている。


(…………これは……一体……どうなってんだ……?) 

 呼吸を繰り返す度、カイは身体の強張りが徐々に薄れていくのを確かに感じた。驚く事に、真っ赤に腫れた毒蜘蛛の噛み跡も、今やただのアザにしか見えぬ程に小さくなっている。


 楽になった呼吸。軽くなった身体。用心しつつ上体を起こしてみると、まるで普段と変わらない調子で、そのまますんなり立ち上がる事さえ出来た。

(どうして……何が起きたんだ? この身体に……) 

 思わず眉を(しか)める。

 あの状態から、いくら何でも回復が早過ぎるのでは、と、何やら自分の身体が気味悪く感じてしまったのだ。

 自分の腕に恐々(こわごわ)と触れながら、カイは無意識に、一歩だけ後退(あとずさ)った。すると靴底に何か硬い物を踏んだ感触がした。 


 途端に地面が低い音を立てて震え、目の前の砂が大きく盛り上がる。

 舞い上がる砂煙を見て、カイは咄嗟に目を閉じ、顔を背けた。やがてそれが落ち着いた頃に恐る恐る目を開けて見ると、砂地に四角い穴が空いており、下へ降りる階段が現れた。

 


(これが入口?) 

 カイは鞄を開け、蝋燭と火打ち石を取り出すと、自分のシャツの裾を小さく切って火種を作り、それで蝋燭に火を灯した。

(……よし……行こう)

 深呼吸を一つして己に気合を入れた後、カイは地下へと続く階段を、ゆっくりと降りて行った。 

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