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チェイサー 〜真実を追う者〜  作者: 夛鍵ヨウ
第五章 砂に埋もれた神人の話
93/101

漁港にて

 海を隔てた大陸ランベアールギエナには、エルアガとシュルツゴという国がある。どちらも海に面しているという理由から、古来より漁業中心の生活が営まれていた。

 しかし十年前、ベルリッツと航路で結ばれた事によって、貿易と観光に力を入れ始め、変化を遂げつつあるという。


 エルアガは主に干し魚や塩、香辛料や薬草などを、近くに鉱山があるシュルツゴは海の幸だけでなく、金や鉱石などを産出した。そうしてそれらと引き換えに、見た事の無い野菜やハーブ、羊の毛や固い木材、おまけに異国の文化や技術などを手に入れる事が出来るのだ。


 貿易の中心となっているのは、アゼラ国王公認であるベルリッツの冒険者ギルドと、航路開通の立役者、ハイネマン商会である。現在は訳あって事業主本人ではなく、代理人が取り仕切っている状態ではあるが、経営状態に問題は無いらしい。

 現地では彼らが派遣した立会人の元、公正な取引が行われているそうだ。

 

 二つの国の人々は、生活がより豊かになるならばと、漁師網を干す傍ら、知らない言語を熱心に学び、祭祀の踊りを見せ物として興じて見せた。


 ベルリッツから訪れる商人や旅人は、一部を除けば概ね信用の置ける、実に気の良い連中で、必要とあらば会話の手助けをしたり、使い古した子供用の読み物などを譲って寄越したりと、何かとお節介を焼いてきた。

 その結果、幼い子供達は、海の向こうの言葉を自然と話せる様になったのである。




(……全部ある。良かった)

 エルアガの漁港に設置された篝火(かがりび)の前で、鞄の中身を確認したカイは、安堵の溜息を吐いた。南の島行きの船の中で追っ手から逃げるため、転移扉に頭から飛び込んでしまったので、所持品を落としていないか不安だったのだ。

 懸念も払拭された事だし、早く宿を探して明日からの旅に備えよう、と歩き出したカイの耳に、微かな悲鳴が届いた。甲高い、若い娘の叫びである。


 それを聞いた瞬間、カイはどの方角へ向かうべきか視線を走らせた。ここに辿り着くまでのあれやこれやで疲労を感じていたが、そんなものは今取るべき行動の前では些細な事である。人命に関わる事態かも知れないのだ。一刻も早く向かわねば。


 暗い上に土地勘の無い場所なので、目の前の篝火から火の付いた手頃な薪を一つ失敬し、当たりを付けた方向へと走り出す。


 悲鳴の主はあれ以来沈黙している。様々な状況を想定しつつ、敢えてこちらから呼び掛けた。

「誰かいますか?! 返事をして下さい!!」

 ハイネマンがある程度言葉が通じる、と言っていたのを信じて、カイは声を張り上げる。すると少し間を置いて小さい(いら)えが闇の向こうから返って来た。


 漁港内に何軒か建ち並ぶ、石造りの小屋と小屋の間に声の主はいた。薪の火を(かざ)して見えたのは、雑多な物が散乱した細い通路と、足を押さえてへたり込む、自分と同い年くらいの娘であった。

「大丈夫ですかっ?」

「……あっ……はい、あのっ! ええと……! 何でもありません!」


 褐色の肌に黒い髪、そして印象的な黒い瞳に涙を浮かべた細身の娘は、驚きつつも必死にその場を取り繕おうとしていた。その表情に怯えを見て取ったカイは、距離を保ったままでゆっくりと姿勢を低くして行きながら、彼女を落ち着かせるべく、柔らかな口調で話しかけた。

「足を怪我していますよね? 良ければ見せて下さい」

「違います! 何でもないですから!!」


 あからさまに狼狽え、首を何度も横に振る娘を前に、カイは片膝を地面に付け、穏やかな笑顔と優しく囁く様な声で辛抱強く説得を続けた。

「貴方に危害を加えるような者ではありません。どうか信じて、傷を見せて下さい」

 娘は「ぅぅっ……」と歯を食いしばりながら抵抗を試みるが、カイの「早くしないと傷が腐るかもしれない」と言う恐ろしい言葉を聞いて一気に青褪(あおざ)め、降伏した。


 観念した様に差し出された娘の足の裏には、割れた貝殻の破片が刺さっていた。

「何も無いと思って通ろうとしたら踏んじゃったみたい……痛っ!!」

 カイは娘の足から一息に破片を引き抜き、自分のシャツの裾をナイフで切り裂いて包帯代わりに巻きつけた。


「布を巻いたけど、傷口は洗わないと……家はここからどの位?」

「すぐそこなんで大丈夫です……え?」

 カイは火の着いた薪を地面に置くと、しゃがんだままの体勢で娘に背を向けた。

「送ります。俺の背に負ぶさって」

「ええっ!? そんな、悪いですよ! 少し休んだら自分で帰れますから!!」

「夜道は何かと危険です。家には御家族が?」

「い、居ます」

「良かった」

 そうして笑みを見せた後、カイは何かに気づいた様に「あっ」と小さく叫び、しゃがんだまま顔だけ振り向くと、真面目な表情でこう言った。

「俺はカイ。海の向こう、アゼラと言う国からこちらに着いたばかりの旅人です」



 娘の名はハーリナと言った。道すがら言い訳のように、昼間落とし物をして探しに来た、見つからなくて帰ろうと近道をしたら、鋭い貝殻の破片に気が付かず踏んでしまった、などと早口でしゃべった。

 家に着くと中からふくよかな女性が飛び出して来て、(すが)るようにハーリナを抱きしめ、カイに向かって何度もお礼を言った。


「どうぞ、中へ、旅の方、中へ」    

 と、娘に比べれば幾分辿々(たどたど)しい口調でカイを引き止める。気圧(けお)されつつもなんとか断り、すぐに泊まれそうな宿を教えて欲しいと願い出た。

「では、案内します」   

 今度は父親らしき男性が松明を手に出て来て、漁港の外れにある宿へと案内してくれた。



 大陸語で『青い背鰭(せびれ)亭』と書かれた看板が下げられているその宿の、庶民的だが気配りの行き届いた内装は、旅人が好みそうな暖かい雰囲気を醸し出していた。

 案内された二階の部屋も簡素だが清潔で、広さも丁度良く、遠くの波の音がうるさく無い程度に聞こえて来る。観光などの気軽な旅ならば、何泊もしたくなる程の良い宿だ。


 己がそんな優雅な身分では無い事を残念に思いながら、マントを脱いで鞄を下ろし、剣を腰ベルトごと外して寝台の脇に立て掛ける。

 もう遅い時間なので食事は携帯食料で済ませ、口を(ゆす)ぎ、蝋燭の火を吹き消して床に就く。寝台の質は悪くない……が、なかなか寝つけない。


 カイは闇の中で、自分に与えられた──いや、押し付けられた(・・・・・・・)使命を思い返した。

『持てる力の全てで神人を探し出せ』

 この想像を絶する無理難題を、一体どうしたら遂行出来ると言うのだろうか?

 探したが見つからなかったと言う事にして、適当に時間を潰すのが一番楽なやり方だが、そうも行かない事情があった。



✳︎



 出発前、心残りを作らぬ様にと、カイはクロードにある申し入れを行なった。

 ナディラ国のテュエルモント村で出会った、元盗賊のオルセンを自由にしてやって欲しい、と。

 オルセンは二の腕に魔法陣の形の刺青を入れられ、クロードによって監視されていた。


 カイは始め、オルセンをハイネマン達の手先だと警戒したが、カイの打ち明け話を聞いたり、寺院に侵入する際の助言をしてくれたりと、その人となりを見直す機会を得た後は、彼の身の上に同情の念が沸き、どうにかしてあげたいと思う様になったのだ。


 カイの申し入れを聞いたクロードは、とても愉快そうに笑った後で『他者への思いやりは確かに美徳だが、君はもう少し自身の事を気にかけるべきだね』と言い、そのまま呼び鈴がわりに指を鳴らした。


 やって来た召使いは両手で(うやうや)しく盆を掲げており、その上には幅広の短い帯のような布が載せてあった。透ける様に薄く、光沢のあるその布は、緑色の糸で刺繍がされている。よく見ると、それは中央に蝶をあしらった魔法陣の形をしていた。何処かで見た事がある。それこそオルセンの二の腕に刻まれていた刺青にそっくりだ。


『君が本当に彼の自由を願っているなら、袖を捲って二の腕を出し給え』

 その用意周到さと意地の悪い物言いに、カイは思わず天を仰ぎたくなったが、ここで引き下がる気にはなれず、クロードを睨みつつ袖を捲ってみせた。

 召使いがカイの腕に布を巻きつけると、それはまるで皮膚の一部であるかの様に張り付いた。


『そんなに信用が無いですか?』

 棘を含んだ問い掛けに、クロードは上品な笑みで応える。

『私も神人が見たいだけだよ』

『見つからなかったら?』

『努力の結果ならば致し方無いだろう。ああ、自分の発言を悔やむ必要は無いよ。君が何を言おうが言うまいが、始めからこうするつもりだったからね。寧ろ条件を出された分、私がしてやられた方だ』


 カイはクロードを見据えながら、心からの疑問を口にした。

『貴方の事は信用して良いのでしょうか?』

『そう言う認識のされ方はあまり好みでは無いのでね……勿論、大いに信用してくれて結構だ。約束は守る』 




 そんな経緯で、カイはクロードの監視下にある。そうなってしまったからには、ある程度の行動を示して見せなければ何かとまずいだろう。かと言って、当ても無く探し回る様な事はしたくない。


 手掛かりが全く無いわけではない。バスティアス・トゥルギスが神人に会いに行ったのなら、その足跡を辿ればいい。逸話として書き記される程に特異な行動を取る人物が、この地で何人からも注目されずに旅をしたとは考えられない。必ず何かしらの言い伝えが残っている筈だ。


 何も見つからなかったとしても、それはそれで早く帰る為の言い訳に出来る。

 そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなった。

 どちらにしろ調べなくては先へ進めない。


 冒険者ギルドに協力を仰いだ方が良いのだろうか? 正直なところ、あまり気は進まない。何処にどんな人間が潜り込んでいるか分かったものではないからだ。

 まずは現地の人に聞くのが良いだろう。


 そもそも砂漠へはどの様な準備をして向かえば良いのか、全く予備知識が無い状態である。何かの書物で読んだ事があるだろうか……? 記憶を辿っても、残念ながら何も出てこない。砂だらけの場所というのは一体どう言う所なのか。やはり分かる人に聞いてみるしかあるまい。

「焦らず、じっくり……だ」

 そう呟いて、カイは(ようや)く目を閉じた。



✳︎



 翌朝、カイは地元の案内人を探しに出かけた。

 始めに着いた漁港の他に、貿易船が出入港する大きな港があるらしい。そこにはベルリッツから派遣されたギルドが管理する、様々な施設が軒を連ねているそうだ。そこに行けば案内人は容易く見つかるだろうが、ギルドと一切繋がりが無い、と言う者を雇うのは不可能であろう。


 こういう時、市井の人々と言葉が通じるのは非常に有難い事である。

 ふと、昨日助けた娘の家族にでも聞いてみようかと、カイは漁港の方に向かった。

 明るい日差しの元で眺めると、やはり海は広大だった。抜ける様な空の色とはまた違った、緑色を帯びた青の美しい色彩に目を奪われる。遠くの沖に点々と見える黒い物は船だろうか?

 潮風の中、カイはゆっくりとした足取りで進みながら、海の景色を心ゆくまで楽しんだ。

 


 やがて見覚えのある建物が見えて来た。

 少し離れた家の軒先に人の姿が見える。その人物はカイを見るや否や、大慌てで駆け寄って来た。片足を危なっかしく跳ねさせる様子に、昨日の事を思い出す。


 右の素足に布を巻いたハーリナが、息を弾ませながら目の前で立ち止まり、叫ぶように礼を言った。

「あの、昨日はありがとうございました!」

「いえ、こちらこそ。良い宿を紹介して頂きまして」

 元気そうな様子に安心し、カイは笑顔で応えた。つられてハーリナもはにかんだ笑顔を見せる。

「足は大丈夫ですか?」

「はい、もうほとんど痛くないです」


 ここが海を隔てた異国と忘れてしまう程、自然に受け答えするハーリナは、小さい頃から日常的に話せるそうだ。

「良かった。実はお願いがあって来ました」

「え?」

「昔、バスティアス・トゥルギスと言う人がこの地のどこかを訪れたらしいのですが、そう言う話を知っていそうな方は、どなたかいらっしゃいませんか?」

「バス……ティ?」

「バスティアス・トゥルギス。恐らく男性だと思います。かなり過去の話らしいのですが、物凄く古い時代でもないみたいです」


「……少し、待ってて下さい」

 にわかに顔を強張らせたハーリナが踵を返し、自分の家に向かって走り去る。

 それからやや暫くして、またハーリナが小走りに戻って来た。今度は少し申し訳無さそうに声を落として言った。

「お父さんが、大事なお話があるからカイさんを呼んで来いって……ごめんなさい、一緒に来て下さい」

「わかりました」


 ハーリナの後をついて少し離れた建物に向かう。家の前では宿を紹介してくれた男性が待ち構えており、カイを見るなり、ついて来る様に手招きをした。素直に従うと、ハーリナの父親は足早にどんどんと歩いて行く。


 石造の家々が建ち並ぶ細い路地を縫う様にして抜けて行き、何度角を曲がったか分からなくなった頃、とある建物に辿り着いた。周囲に建ち並ぶ民家と比べると若干小さい造りのそれは、うっかりすると見落としてしまいそうな程に存在感が薄い。


 ハーリナの父親は「中に居るお方がお待ちです」と言って、カイに一人で入る様に促すと、自分は道の(かたわら)へ腰を下ろし、懐から葉を刻んだ様な物を出して噛み始めた。

 カイは中に誰が居るのか尋ねてみたが、彼は座り込んだままこちらを見ずに、中へ入れと手で示すばかりで埒が明かない。どうやら、黙って入るしか道はない様だ。


 木目の粗い扉を開けると、いきなり大きな布に視界を遮られた。薄茶色で織目が細かく、通路の端から端まで塞ぐほどたっぷりとした厚手の布が、天井から垂れ下がっている。それを捲って潜り抜けると、また同じ様な布が同じ様に垂れ下がっていた。賊の侵入などを遅らせる手段か、はたまた部屋に寒気を入れない為のものか……?


 カイは布を捲っては潜り抜ける行為を数回繰り返した。先へ進む程に暗くなって行く。

 最後の布を潜り抜けた先はほぼ暗闇の状態だった。しかし何時の間にか目が慣れていたようで、進路を塞ぐ物が無い事だけは察知する事が出来た。


 ここが終着点ならば、一体何が起こるのか?

 そう考えた瞬間、微かに花の香りがして、人の呼吸の音が聞こえ、カイは身構えた。

 部屋の中央に何者かが座している。

 何か言うべきかと逡巡したが、その場の沈黙はすぐに、とある形で破られた。



(初めまして。ワリディヤと呼ばれています)


(!!)


 声が聞こえた──

 頭の中に。          



(驚かれましたか? 貴方様と念話の出来る者が居る事に)

 長らく忘れていた感覚。もう永遠に行う事の無い、念話でのやり取り。不意打ちの様に聞こえて来たそれに、カイは警戒するよりも先に驚愕し、何も言い返せなかった。 


(この国の者を助けて頂き、感謝いたします)

 恐らくハーリナの事だろう。述べられた丁寧な謝辞の言葉にハッと我に返り、つい幼い頃の様に念話で応える。

(い、いえ、そこまで言って頂くような事をしたつもりはありませんので……!)


 すんなり返事が出来た事に自分で驚き、胸に少しだけ痛みが走る。そんなカイの心中をよそに、ワリディヤは唐突に話を切り出した。

(こうしてお呼び立てしたのは、貴方様だからなのです)

(……え?)

(時間がないので最も大事な事からお伝えします。貴方様には毒が効きません。例え千の毒虫に噛まれようとも、貴方様が死ぬ事は無いでしょう)


 カイは闇の中で目を見開いた。全くの初耳で、そんな自覚など微塵も無かった。勿論、死に至る毒など経験した事は無い。危険と思われるものは慎重に避けて通って来たのだから当然と言えば当然だ。

(それは一体どう言う……)

(あの場所はここの誰もが知っています。此処からそう遠くはないでしょう)

(何だって?)


 ワリディヤは次々と話を切り替える。まるで何かに急ぎ、焦っている様だった。

(エンドゥカ。砂に潜みし者。砂漠に自らの隠れ家を築いた。それをお探しでしょう?)

(……!)

 実に呆気なく、目的を果たせる事になった。クロードはこれを見ているのだろうか? だとすれば、きっとほくそ笑んでいるに違いない。


(ただ……皆、死を畏れ、誰一人其処に赴くことはありません。貴方様だけが……)

 暗闇の中──相手の姿は見えないというのに──ひたと見つめる様な、強い視線を感じた。


 強要か、はたまた懇願か。続く心の声は、やけに低く、ゆっくりと、力を込めて── 

(……貴方様だけが、怒りに囚われた者の心を鎮める事が出来るのです。どうか、お力をお貸し下さい)


 これまた、とんでもない事を頼まれたものだ。


(は?……そ、そんな事、いきなり言われても!)

 大いに慌て狼狽えるカイに、ワリディヤは畳み掛けるようにカイの目的を当てて見せた。

(だが貴方様はその為に来たのでしょう? 神人を見つける為に、賢人の足跡を探して)

(やはりトゥルギスはここに!?)

 

(彼はエンドゥカに会ったと聞いています。上陸してすぐに彼の者の住処を目指し、この地の者達が止めるのも聞かずに砂漠に入って行った。それから幾日もしないうちに生きて戻り、「彼にもう一人の居場所を聞いた」と言い残すと、また何処かへ去って行ったとか)

(……)

 トゥルギスはエンドゥカの住処へ行き、生きて戻った。そして「もう一人の居場所」──もう一人の神人の居場所を教わった……。


 生きて戻れる可能性と、神人についての情報。

 エンドゥカが話しの通じる存在という事は分かった。

 その怒りを鎮めるとやらは恐らく無理だろうが、この旅に必要な情報が手に入るなら、危険を冒す価値はある。

 行くしかない。

 カイはその場でそう決心した。


(目的の場所は外に居る者にお聞き下さい。さあ、早く! ここにあまり長く居てはいけない!)

(……分かりました)  

 ワリディヤの言葉に急き立てられ、カイは後退りする様にこの場から離れた。


 立ち去る瞬間、ワリディヤの祈る様な囁きが聞こえた。


(彼の者は心を試します。どうか……お気をつけて……)




 外に出ると、ハーリナの父親は立ち上がり、カイに着いて来るようにとまた手招きをした。

 再び細い路地を何度も曲がりながらしばらく歩くと、急に開けた場所に出た。

 そこから遥か前方に生成りの様な色をした広大な平地が見える。見渡す限り、木や草が一本も見当たらない。あれが砂漠と言う所なのかと、カイは酷く驚いた。


(あれが全部、砂なのか? 生き物はいるのだろうか?)

 森の様に沢山の木が生えていれば、それを棲家とする生き物達がいるだろうが、ここから眺める限りでは、生命の気配が少しも感じられない。カイは少しだけ背筋が寒くなった。

 死の神の大砂地とはよくぞ言ったものだ。


 ハーリナの父親は違う方角に目をやり、大声で誰かに手を振った。やがて見た事も無い、細くて長い角の生えた四つ足の動物を引き連れた男が遠くから現れて、そのうちの一頭をカイの元に引っ張って来た。

「銛角牛と言います。これは渇きに強い。だから、少しだけ砂漠に入る時に乗ります」

 動物を連れて来た男が言う事には、長い角を魚を突く銛として使うので、その名が付いたらしい。


「今からこれに乗って、大きな尖った岩まで案内します」

 そう言って、ハーリナの父親は遥か遠くを指さした。

「そこから先は貴方一人で歩いて下さい。私がついて行く事は出来ない」

 淡々とした口調で喋る彼の目には、何者かへの恐怖が滲んで見えた。


 カイが銛角牛に跨がろうとしたその時、また遠くから、誰かが走って来るのが見えた。

「カイさん!」

 ハーリナだ。全速力でやって来た彼女は、砂地に両膝をつく様にして止まると、肩で息を弾ませたまま、両手で包むようにある物を差し出した。 

「これをっ持って行って下さいっ!」

 乳白色の小さな結晶石。この地で採れる岩塩だと言う。

 ナイフで少しずつ削って舐めるか、小さく砕いた欠片を水袋へ入れておくと良いらしい。

「太陽が出ている間は、砂漠はとても暑い所です。汗をいっぱい掻くから、ただの水ではいつか動けなくなってしまうの」


 この為に彼女は走って来たのだ……怪我をしたその足で。

「ありがとう、ハーリナさん。大事に使います!」 

 ハーリナの親切に、カイは心からの感謝を述べた。


 鞄の中には、皮手袋と筆記用具と、鞘に収まった細身のナイフ。

 腰のベルトには投げナイフと古ぼけたショートソード。

 出掛けに「遅くなる」と伝えた時に、宿屋から渡された昼食の包みと、部屋から持ってきた蝋燭と火打ち石。

 水を満たした皮袋と、ハーリナがくれた一塊の岩塩。


 それらを確認し終わるとカイは、銛角牛に跨がって、ハーリナの父親の後を追う様に、砂漠へと向かって行くのだった。

最後の方に出た生き物は、実在する動物を参考にして、それっぽく考えた創作です。

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