過去視
夕暮れ時の村をカイは走る。
(どこ?!)
どの家の扉も、しっかりと閉まっている。でも中には誰もいない。
(ねぇみんなどこなの?! 返事してよ!!)
扉を閉ざした家々を走り抜けながら、そこから居なくなった人々を呼び続けた。
「カイのバカ! 大っ嫌い!」
そう叫んで走り去って行くエミリーを睨んだまま、カイはその場に立ち竦んでいた。
「なんだよ、エミリーの奴!」
鼻息荒く乱暴な言葉を吐き捨てるが、まだムカッ腹が治らない。地面を踏みつける様な足取りで森の中を進み、目の前にあった大きな木に飛びつくと、怒りに任せてぐいぐいと登って行く。そして天辺近くの手頃な枝に跨ると幹に寄りかかり、膨れっ面でずっと空を眺めていた。
しばらく経って、いい加減日が傾いてきたのを目処に、木から降りて帰る事にした。
ただ、隣同士で家が近いエミリーと、あんな喧嘩をした後で出くわすのは少々気まずい。
(フン! 会ったって、口なんか絶対聞いてやるもんか!)
それでも子供らしい頑固さで、カイは意地を張り続け、再びドスン、ドスン、と踏み鳴らす様に歩き始めた。
しかしその勢いは家に近づくにつれ、次第に弱くなっていく。夕食時までにやっておいて、と母から頼まれた手伝いを見事にすっぽかしたからだ。
「ただいま……」
きっと叱られる。カイは身構えながら家の扉を開けた。
「母さん?」
呼んでも返事は無い。いつもならこの時間、二人とも家の中にいる筈なのだが、大して広くもない家の中は空っぽだった。
「どこ行ってるんだろ……」
カイは踵を返し、隣の家に歩いて行った。エミリーの家である。この際、喧嘩した事は一旦お預けだ。
「こんばんは!」
呼び掛けに対する返事は無かった。カイは家の扉を開けずに、自分の意識を家の中に向けた。
セレノア村の住人同士ならば、精神感応で互いの存在を感知する事が出来る。やはりいつもこの時間には家にいる筈の、エミリー達の存在が感じ取れない。カイは少し離れた別の家へと足早に向かった。
そこの住人も、家にいなかった。
村長の家へと走る。
途中、目に入る家々に片っ端から心の声で呼びかける。しかし返事は無い。
一つ一つ扉を開けて確かめなくても、意識を向けると、人がそこにいない事がはっきり分かる。
カイは追われる兎の様に疾走しながら、皆の存在を見つけようと必死で探った。
見つからなかった。
混乱と絶望と激しい恐怖。それらを抱えて家に戻り、寝台の横でへたり込む。
呆然とした状態で呟きを幾つか口にして、静寂に耐えきれず叫び声を上げた時、不意にロゼリアの声が聞こえた。
(カイ!)
(追いかけて!)
(森よ。)
(早く!)
カイは反射的に駆け出して、森へと向かった。
「一つ確認したい」
セレノア村の集団失踪について、カイが当時の記憶を頼りに話していると、ハイネマンが真剣な表情で口を開いた。
「それはロゼリアの言葉で間違いなかったのだな?」
「はい」
「だとすれば、念話能力の無い彼女が、心の声でお前に話しかけた事になる。本当にロゼリアだったのか?」
「心の会話は、本人の声で聞こえてきます。確かにあの人……ロゼリア様の声でした」
「しかし何故そんな事が出来たのだ?」
「追いかけて森に入った時、産婆の存在を感じ取りました。多分、産婆が一緒にいて、協力したのだと思います」
「おお、なるほど」
クロードが合点がいった様子で頷き、微笑んだ。
「老女殿の能力があれば、側にいる者の考えを他者へと伝える事が出来る……そうでしたね」
「ロゼリアは老女殿と共にいた、という事か」
「はい……恐らく」
「……分かった。それからどうした?」
森に駆け込んだカイは、ロゼリアから『老女殿』と呼ばれていた産婆の存在を感知し、そのまま追いかけ続けた。他の人々は居場所を感知出来なかったが、追いかけた先にきっと居るのだろう、と楽観的な考えで自分を励まし続け、普段なら日が沈む時間には入らない、ヴェルテリーデの森を進んで行ったのだ。
ヴェルテリーデは村ができる以前の更に数百年前からあると言われる広大な森だ。空を覆うように鬱蒼と茂る広葉樹と、天を突く様にそびえ立つ針葉樹などが、国境の崖側まで続いている。
森の中を幾つかの道が走り、人々はそこを通って森を抜けて行くのだが、昔は魔物や獣の巣が数多くあったらしく、それらを避けるように道が作られていた為、崖側まで出るのに些か遠回りをしたり、蛇行したりする作りになっている。
そんな状態で、子供が良く追いかけられたものだ、と首を捻りたくなる話だが、カイは小動物や狐などが通る獣道を利用して距離を稼いでいた。その所為で身体中擦り傷だらけになったが、力尽きる前に森を抜ける事が出来たのだ。
兎に角カイは、森の中を夢中で走った。
その途中から記憶が曖昧になり、森を抜けた後に至っては殆ど覚えていない。
「そこが肝心なのだが……思い出せないか?」
「……いえ」
「森を抜けて保護された時の記憶はあるかね?」
「……」
カイは黙って首を横に振った。
「確か君はこう口走ったと聞くよ。『追いかけなくては』」
ハイネマンが頷きながらクロードの言葉を継いだ。
「そして指さした。バルデラの城を」
アゼラとバルデラの国境である断崖から、バルデラ城が視認出来る。寧ろバルデラ城は大陸の何処からでも見えてしまうのではないか、と思えるくらいに巨大で、時のバルデラ王が己の力を示す為に建てたのだと言われている。
「あの城を指さしたんなら、それが答えって事なんじゃないですかい?」
ヘンリーが頬杖をつき、もう片方の手で自分が持ってきた本の頁を捲りながら、どうでも良さげに言い放つ。
「それが、どうも違うらしい」
今度はハイネマンが、相変わらずの真面目な顔で首を横に振った。
王妃は密偵に城を探らせたが、村人達もロゼリアもそこには居ない様だった。念の為、二度目の内偵も試みたのだが、やはり見つからなかったと言う。
警戒心の強い大国を相手に長期潜入は難しい為、見落としの可能性は否定出来ないが、密偵も十分な能力の者が任務に就いている。ロゼリア達はバルデラ城にはいない、と言う結論に至り、内偵は切り上げられた。
「それでも殿下は、バルデラが拉致に関わっていると考えておられる」
「しかしロゼリア様達が何処に拉致されたかは、依然として不明のままなのですね」
「ああ。出来る限りの人員で情報収集に当たったが、収穫は無かったそうだ」
特に大人数の人間を移送した痕跡が全く見つからなかったと言う。
「バルデラ城が違うってんなら、何でこいつはそこを指差したんでしょうねぇ? お前、ちいっとでも覚えてないのかよ?」
ヘンリーが頬杖のまま、カイに視線を寄越す。
「……何も」
カイがそう答えると、ヘンリーはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「では、私の出番だね」
クロードがおもむろに立ち上がり、椅子を一脚持ち上げ、壁へと移動させた。背もたれを壁に向けた状態で椅子を置くと、クロードは飛び切りの笑顔で振り返り、「来たまえ」と優雅な手つきでカイを誘った。カイが椅子に腰掛けると、クロードはその場に居る者達を見回し、悠然と言い放つのだった。
「今から過去視を始めます」
「……おい、勿体ぶってねぇで始めからそうすりゃ良かっただろ」
「ヘンリー、物事には順序があるのだよ?」
「はーっ! 始まりやがったっ! この……」
クロードは人差し指を口に当て、シッ!と言う音を立ててヘンリーの悪態を阻止すると、椅子に座るカイの額に手をかざした。その手には手甲が嵌められており、中心に蝶が描かれた魔法陣が緑色に輝いている。もう片方の手は、いつの間に用意されたのか、小さなテーブルに置かれた大きな水晶玉に添えられていた。
「椅子にもっと深く腰掛けて……目を閉じ、体から力を抜いて」
カイがその通りにすると、クロードによる呪文の詠唱が始まった。
その声音は低く落ち着いていて、まるで詩の朗読かと思わせる程、軽やかな抑揚で紡がれた。
訪れては去り 常に此処に有り
見えずとも変化を絶やさぬ 大いなる時の奔流よ
我が水晶に この者に眠る記憶 過去の水面に映る真実を現したまえ
詠唱が終わった途端、テーブル上の水晶に幻影が映し出された。薄暗い森を走り抜ける、背の低い者の視点から見たものが、実に臨場感のある音と動きで止まる事なく変化し続けていた。
クロードの過去視の魔術は他に類を見ないものである、と、魔術師ギルドや本人自身が認識している。通常ならば術者の脳裏でしか見る事が出来なかったり、水鏡や水晶に映し出せても音までは再現出来なかったりするのだが、彼の術は、まるで過去の時間を切り取って持って来た様な、驚くべき精度と質で見聞きする事が可能なのだ。
そこに記憶の持ち主がいれば尚の事である。クロードは、カイの身体と精神を魔術の媒体として、水晶に彼の記憶を映し出したのだ。
正しく、幼きカイが見ていた当時の光景が、そっくりそのまま此処にある。ハイネマンとヘンリーは思わず、固唾を飲んでその幻に見入った。
もっとも、見えている景色は薄暗い森の中とあって、非常に不鮮明である。そのうちこの少年自身の視界も霞んで行って、ますます見えなくなるのだが、その見えない部分を補うが如く、音がはっきりと伝わって来た。
地面を蹴りつける音、藪をかき分ける音、息遣い、様々な音がすぐ耳元で聞こえているかの様に、その場で起こっていた出来事を示し続けたのである。
一方、カイの脳裏には当時の曖昧だった記憶が蘇った。それは明確な感覚を伴い、奔流と言う言葉の通り、怒涛の如く押し寄せて来たのである。
あの時カイは、体力を限界まで使い果たし森を抜けた。身体中が痛みの為に悲鳴を上げ、視界は朦朧としていた。ただカイに呼びかけるロゼリアの声を頼りに動いているだけだった。
その極限状態の中、カイは意図せず精神感応を通して、ロゼリアの思考までも受け取っていた様だ。ロゼリアの感情と言葉が、カイの空っぽになった頭の中にはっきりと伝わってきた。
怒り。
憤り。
僅かな不安と、それを押さえ込む使命感。
(彼らと彼女を守らねば)
考察と計算。
(どうすれば最適か?)
(どういう態度でいれば、何を言えば王との謁見が可能になるか?)
不安と祈り。
(後は……カイ)
(カイ、お願い。私の声と存在を追いかけて、無事に森を抜けて。国境を見張る兵士達の元へ……言伝を……届……け…………)
ロゼリアの声が聞こえなくなり、突然視界が明るくなった。森を抜けたのだ。
明るさは感じ取れたが、意識が朦朧となったその目には、何もかもが霞んで見える。その状態になってもカイは足を止めようとせず、闇雲に走り続けていた。その先には断崖絶壁がある。
その場所を知る者ならば、誰しもがこう思うだろう。そのまま走り続ければ崖から落ちてしまう、と。
余りにも当たり前の事であるが、目の前の景色が殆ど見えていなかったカイは、自分を止める事が出来ず、確実に死へと近付いて行った。
その時である。
誰かの足音が猛烈な勢いで近づいて来た。
体が強引に引き止められる感覚。同時に『危ないっ止まれっ』と言う、切羽詰まった若い男の声がした。
直後に別の足音と声が聞こえ、カイを捕まえている者に話しかける。
『何だこいつ!?』
『分からん。気がついたらそこに居て、崖に向かって行こうとしてた』
『……まさか、森を抜けて来たってのか?』
一瞬、その二人の人物が息を呑んだ様な間があった。
『おい、大丈夫か坊主? お前一体何処から来た?』
硬い装甲を着けた腕に抱きかかえられる感触がして、疲れ切った体から力が抜けて行く。
ほんの少しだけ喋る気力が湧いて、カイは口を開いた。
『セレ……ノア村』
『本当か!?』
『ああ、何てこった!』
『……な……』
『ん? 何だ? 何が言いたい?』
『追いかけなくちゃ……伝言……』
喉が引き攣ってきちんと声が出ない。それでも、さっき受け取ったロゼリアの言葉をそのまま絞り出した。
『伝言?』
『誰に頼まれた!?』
『あ……あの人。……見張りの人に……って』
『あの人って? 誰だ。一体誰の事だ?』
最早考える力は残っていない。なので質問に正しく答える事は出来ない。カイは目を閉じたまま、同じ言葉を繰り返した。
『……あの……人……』
『どうした、はっきり言え!!』
『しっ! あまり大きい声を出すなっ』
カイに怒鳴りつける声と、それを抑えようとする囁き声。
途端に数人で駆けて来る足音が聞こえた。
『何か聞こえたがどうした!? その子は?』
『あ、いえ、それが……』
『突然森から飛び出してきて、崖から落ちそうになったので、保護しました』
『追いかけ……なく……ちゃ』
腕に激しい痛みが走る。感覚のない手を上げ、ガクガクと震えながら、人差し指が何かを指す。カイは自分で何を指さしたか分からない。手放しそうな意識の先に、一瞬だけロゼリアの姿が浮かんで消える。彼女はカイが指さす彼方を睨んでいた。
『二人共、その子を連れて来い。話を聞く。誰か交代してやれ!』
格上の者らしき声がその場を取り仕切った。
『……チッ』
小さな舌打ちの音が耳元で聞こえたのを最後に、カイの意識は失われた。
「……これは……」
水晶を食い入るように見つめ、最後の会話らしきものに耳を澄ましていたハイネマンは、我に返った。顔を上げて見ると、椅子に深く座っていたカイが、飛び起きる様にして目を覚ましたところだった。
カイが呼吸を整え、落ち着いたのを確認すると、ハイネマンは気になった事を真っ先に質問した。
「途中でロゼリアの声が途切れたが、伝言の内容は最後まで聞けなかったのか?」
「……はい」
「そうか」
「お役に立てず、申し訳ありません……」
少し悔しそうな表情を見せて俯くカイに、ハイネマンはややうんざりした気持ちで首を横に振った。
「誤解するな。咎めるつもりで聞いた訳では無い。それに今ので十分な収穫はあった」
「ええ、とても興味深い結果となりました」
「どういう事ですか?」
「見張りの兵士達からは、子供が『追いかけなくては』と口走り、城を指さした、としか報告が上がっていないらしいのだ」
「え!?」
カイが途端に顔色を変えた。今の説明ですぐに分かった様だ。クロードが満足げな表情でカイに微笑み、その青年の顔色を変えさせた、ある一つの疑問を口にした。
「君を最初に助けた二人の兵士は何故、伝言の事を言わなかったのか? その場で君が気絶してしまっても、回復した後で伝言の内容を聞き出す事は出来る筈だ」
「まさか……!」
その兵士達が失踪事件に絡んでいる?
「当時の担当者を調べた方がいいな。伝えておこう。それとクロード、一つ聞きたい。ロゼリアの思考が読み取れた個所だが、これは彼女の言葉をそのまま再現しているのか?」
「左様でございます。なので……」
「うむ。やはり、バルデラ王は無関係では無いと言う事か」
「はい」
「どうしてそう言い切れるんですかい?」
調べていた本をぱたりと閉じたヘンリーが、抜け目なく問いかける。
「ロゼリアの言葉の選び方だ。謁見を望む相手を『陛下』ではなく『王』と言っている」
「なーるほど!」
ヘンリーはニヤリと笑い、拍手代わりに手元の本の表紙を軽く叩いた。




