窮状
お世継ぎの命が失われる。
唐突なその言葉に、カイは目を剥いた。
「……カイ……」
今まで隣の席に座ったまま、一言も喋らなかった老人が、小声でそっと耳打ちをしてくる。
「彼らは一体、何の話をしとるんじゃ? さっきから聞いてても、さっぱり分からんのじゃ」
「うん……」
この流れに関しては全く同感だ。
セレノア村の住人失踪の謎解きから、とんでもない話が飛び出して来たものだ。
クロードの過去視によって、村人達は何者かに連れ去られ、その際に国王の紋章が利用された事が分かった。しかしその事とお世継ぎの危機に、一体どう言う繋がりがあると言うのか?
カイは物言いたげな目をヘンリーに向けた。
「へへっそうだよなぁ! やっぱりそう言う顔になっちまうよなぁ!?」
ヘンリーはカイの顔を見て人差し指を突きつけ、愉快そうに笑いだした。
「ほんと、王侯貴族ってやつぁ、どいつもこいつも面倒臭くて敵わねぇ!!」
クロードが険しい顔で大きく咳払いをする。自分の失言に気付いたヘンリーは、「……おおっと、こりゃあ失敬」と、気まずい表情で肩をすくめた。
「リルデンでは」
ハイネマンがカイに向かって口を開く。
「王位継承者に関しての噂を、何か聞いた事はあるか?」
少しだけ考えてから、カイは首を振って答えた。
「いいえ。特にありません」
「そりゃあそうだろう。儂でさえ知らなかったからな!」
「君は少し口を閉じてい給え、ヘンリー」
ハイネマンはテーブルの上に両手を乗せて組み、改まった態度で再び語り出した。
「現在、アゼラ国の王位継承者は国王陛下の第三子であらせられるパトリック王子と、陛下の弟君のブランドン公のみだ」
「確か陛下には、王子の上に二人の御子息がいらっしゃった筈ですね?」
兄二人を飛ばして、第三王子のみが継承者になるとは如何なる事か。クロードが首を傾げて問いかける。
「ああ。しかし第一王子、第二王子ともに、年若くしてお亡くなりになられた。第一王子は十一年前。第二王子は……今から丁度、十年前の事だ」
一瞬ちらりとカイを見ながら、ハイネマンが答える。それを聞いた途端、ヘンリーの顔が訳知り顔になって、大袈裟な渋面とヒソヒソ声を披露した。
「あーあ! あれか。表向きは事故死や病死って話でしたねぇ」
「……表向き?」
話について行けず、大人しく会話を聞いていたカイは、ヘンリーの意味ありげな言葉に引っかかった。その様子にハイネマンが頷き、再びとんでもない事を口にする。
「継承権を巡り暗殺された可能性があるのだ。今回パトリック王子の身に起きた異常事態で、よりその確信が高まった」
王位継承者の暗殺となると、首謀者は当然、その事で得をする者であろう。
当てはまる人物は大公ブランドン・ドルネティア・フランネル。現時点で第二位の継承権を持つ、国王とは十歳ほど年の離れた弟だ。一見すると兄弟仲は良好だと言う。
性格は控えめで寡黙、あまり表に出る事を好まないらしいと言うから、暗殺など大それた事が出来るのか疑わしい。
しかし一方で、城仕えの侍女に手を出しては難癖を付けて追放したり、気に入らない事があれば立場の弱い者に当たり散らすなど、悪い噂も聞こえてくる。噂通りの人物ならば怪しいのでは、と言えるのだが、国王自身が弟の無実を信じているそうで、そこが問題を非常に難しくしている点である。
ここまで話してハイネマンは深く溜息をついた。
「どうして今になってまた?」
王族の内情をよく知らないカイは、素朴な疑問を口にした。
「パトリック王子が今までご無事だったのは、上の御二人がお亡くなりになった当時はまだ御生まれになっておらず、御生誕後しばらくは王妃殿下の目の届く所におられたから、と思う」
「ところがどっこい、すくすく育ってくりゃあ、どうしたっておっかさんの手を離れちまうもんだ。……それでですかい……?」
「ああ、そこを狙われた。王子は今、謎の病により床に伏せておられる。神聖魔法や医療術など、あらゆる手を尽くしているが、一時的に回復すれど、その度にまた状態が悪くなり、一向に完治しないそうだ」
その病の症状が、第二王子の時とそっくりなのだという。
「王子の現状が外部に漏れていないのは、恐らく王妃殿下が防いでおられるのでしょうね。しかしいつまで持つか分からない」
「その通りだ。情報の漏洩を食い止めるにしても、命を繋ぐにしても……。それに万が一、第一位の継承権が大公に移れば、恐らく陛下の身にも魔の手が及ぶ。王妃殿下はその事も懸念しておられる」
いつまでもこのままではいられまい。伴侶である王が完全な味方とは言えない状況で、原因を解明し、犯人を捕まえねばと苦心する王妃。その心中は察するに余り有る。
そんな時ロゼリアならどうするか。ハイネマンは決意を込めた眼差しでカイ達を見回した。
「そこで王妃殿下は、過去の試みをもう一度確かめたい、と御望みになられた」
いつもの口調に戻り、ハイネマンはカイに命令を下す。
「これから話す事は、他言は無用と肝に銘じろ。……いや、お前にとってはそれどころでは無くなるだろうな」
気になる物言いを放置したまま、ハイネマンは話を先に進める。
「第二王子が病に倒れた当時の事だ。王妃殿下はロゼリアにある特命を課せられた。それは王族の長子のみに伝えられていると言う、ある伝説の歌にまつわる調査だ」
そう言って立ち上がり、ハイネマンは手帳を持ってカイの前に移動した。
つられて立ち上がるカイに向かってそれを見せる。先程ハイネマンが王立図書館から見つけて来た、ロゼリアの手帳だ。
「ここを見ろ」
ハイネマンは手帳をめくり、ある頁に書かれた手記を指し示した。
カイはその手記を見て、目を見開いた。そこに記された記号のような文字の並び。その形には見覚えがある。
「次の頁に訳が書かれている……どうした?」
訝しむハイネマンには何も答えず、カイはベルトの裏を指で探り、折り畳まれた紙切れを取り出して広げた。
目の荒い紙の上に、単純な線で形作られた、様々な図形が並んでいる。
ナディラ国の聖なる洞穴、あの狂気に満ちたマティアス・クルーゾーが、岩壁に残した謎の文字だった。ロゼリアの手帳に記された始めの一行が全く同じである。
「これは……」
傍にやって来たクロードが思わずそう呟き、ハイネマンと顔を見合わせ、二人同時にカイを見る。
隠しておく事も出来た。が、それはあまり良い選択では無いと、自分の勘が働いた。
暗殺や陰謀、それに絡んだ失踪。不穏な話の最中に現れた謎の文章の一致。何か途轍も無く嫌な予感がするのだ。そして例え不本意でも、ある程度の権力者にその身柄を保護して貰わなくてはならない、気がかりな存在を思い出してしまった。
「この文字は、王族と高位聖職者だけに許されていた、リージェス神教由来の古代神聖文字です。覚書の文章は手記の一行目と完全に一致しますね」
カイの思惑をよそに、クロードが淡々と解説をする。ハイネマンは紙片を一瞥し、一度だけ眉根を寄せると、
「どうしてこれを持っていたかは後で聞く。兎に角、この訳を読んでみろ」
そう言ってカイに手帳を差し出した。




