祈り
(忘れろ……忘れろ……もう思い出すな……)
寺院へと向かうカイを見送った後、自宅に戻ったオルセンは、己の心に焼き付いた忌まわしい記憶を打ち消そうと必死になっていた。
明るい部屋。少女。ナイフを持った僧侶達。
鍵穴から覗き見た少女の横顔は、安らかで、穏やかで、神々しいばかりの慈愛に満ち溢れていた。
その口元に薄らと笑みをたたえ、凶器を手にした僧侶達に向かって躊躇無く手足を差し出すその姿に、オルセンは激しい違和感と恐怖を抱いたのだ。
(何で!? 何であんな状態で笑っていられるんだ!? 傷付けられようと……いや、殺されようとしているんだぞ!!)
少女は僧侶達に精神を操られていたのかもしれない。例えそうだったとしても、我が身を差し出す少女の神々しい姿は、自分から見ておぞましいとしか言い様がなかった。その影響なのか時間が経った今ですら、ブレガモットと聞いただけで思い出し、狼狽えてしまう。
寺院から逃げ帰った後オルセンは、己が抱いた恐怖と嫌悪感を吐き出す為、仲間達に見た事を話した。
あの光景がどれだけ異常に思えたか、その気持ちを仲間に共感して貰いたい。「お前の気持ちがわかるぜ。そりゃあ気持ち悪いな!」と、仲間からそう言って貰いたい。そんな期待を込めながら震える声で懸命に話した。
返って来た反応は冷ややかなものだったが、何度も聞けば理解出来る筈だと、同じ話を繰り返した。
しかしその行為は、オルセンから自由を奪ってしまう結果となった。自分の話が噂となって広まり、突然現れた謎の者達に捕らえられ、二の腕のちっぽけな入れ墨に支配されてしまう事になったのだ。命令に反する行動——言いつけを守らずに逃げ出すなど——を取ると途端にじりじり熱くなる、その不思議な入れ墨は、自分にある役目を負わせる為に入れられた。
寺院を目指してやって来るという、ある若者に助言する。そのたった一つの為だけに。
(カイ……あんたはきっと、あれを見ても平気なんだよな?)
オルセンはカイの穏やかな顔を思い浮かべる。あの若者なら、恐怖で逃げたりせずに立ち向かう。そう考えると少しだけ気分が落ち着いた。
カイ・ヨハネス。アゼラ国からやって来た、自らを便利屋と称する若者。
あいつの所為で自由を奪われた、とカイを恨む事も出来たが、オルセンはそうはしなかった。あの若者は今まで見て来た人間達とは何か違う、と思えたからだ。
始めは大人しくてやや頼りない、平凡な印象を持った。事前に聞かされていた、自分の住んでいた村から人が全て消えた、という異常な過去を持つ様には見えない、何処にでもいそうな若者だ。何の因果でこんな所にやって来たのか。いや、きっとこいつも俺と同じく、入れ墨があるのだろう……と、こっそりそんな目で見るオルセンに、カイは温厚で礼儀正しく、思いつきで頼んだ屋根の修理も真面目にこなしてみせた。都会から来たにしては珍しく、善い奴ぶった上辺の演技ではなく本心からそうしている。頭も悪くなさそうだ。
そうなると今度は、こんなやわな兄ちゃんに、あの寺院で一体何が出来るのか? と疑問を抱いた。御偉いさんのお使いで書状か何かを届けに行くから、その道案内をしろってんなら分かるが、『あの人達』にオルセンが言いつけられたのは、『寺院に潜入する』為の助言である。助言をしてこれも与えておけと、僧侶の服まで渡された。こんな真っ当じゃないやり方をごく普通の素人に教えろだなんて、大丈夫だろうかとたちまち不安になった。
謎の者達の無茶な言いつけに不安を抱きつつ、オルセンはカイを自宅に招き入れた。屋根の修理の礼にと飲み物を与え、打ち解けた雰囲気を作った。変化が起きたのはその後だった。
その日偶然にも村の子供が行方不明になり、その事を話した瞬間、大人し気だったカイの雰囲気が変わった。自分と全く無関係な子供の事なのに、本気で焦っている。成る程、こいつは所謂、『正義感に溢れたお人好し』って奴だ。腰に下げた一振りのショートソードで、怪し気な奴等から子供を救い出せると信じ込んでる。実戦経験の乏しい、おとぎ話を夢見る奴だ。剣を置いて行けと言ったらやる気を無くすに違いない。オルセンは勝手にそう思い込んだ。
しかしその思い込みは間違いだった。
潜入用の服を渡されたカイは、マントとショートソードを外すと、荷物から六組の投げナイフが収められた皮ベルトを取り出し、慣れた手付きでシャツの上から斜めに巻き付けた。それから床に片膝をつき、足の脛に細身のナイフを鞘ごと紐で括り付け、二、三回揺すって紐の強度を確かめ、それからようやく僧侶の服に腕を通した。僧侶の服は裾が足首まであるから、脛に取り付けたナイフもしっかりと見えなくなる。
カイはオルセンが助言しなくても、始めから変装して潜入するつもりでいたらしく、かさばるショートソードの代わりになる武器を用意していたのだ。投げナイフは隠し易く、ある程度の大きさと強度があれば投擲以外に接近戦でも使える。そして黒鋼のそれは十分条件を満たしていた。
置いて行けと言われたショートソードも、寺院の近くに隠しておかなくては、とマントに包んで手に持った。寺院の外で戦闘する際、必要になるからだ。
カイの剣をただの見せ掛けで、本人にも本気で戦う気など無いだろう、と見くびっていたオルセンは、彼が確実に戦う意思と力を持っていると、十二分に理解した。
仮にオルセンが服を渡していなければ、変装の為に僧侶を一人襲って着衣を奪い、必要ならばきっと彼等の命も奪う事だって出来るだろう。
しかもカイには入れ墨が無い。強制ではなく、自らの意思なのである。
見ず知らずの者を救う為に、そこまで出来るとは……。
状況こそ違えど似た様な過去を持ち、同じ境遇——謎の連中に使われている——で、真に分かり合える仲間が出来そうだ、と思っていたのに……。
オルセンが出会った、自分と同じ天涯孤独の若者は、少女を見捨てて逃げた自分とはまるで真逆の人間だった。
しかしこの出会いは自分にとって、決して残念な出来事ではない。
カイの手助けをした事で、何だか己の心まで救われた様な気がしたからだ。
(カイ、無事に帰って来いよ……! あんたみたいな奴はきっとこれからも、この世に必要な存在なんだ……)
ふと一瞬、役目を終えた自分はどうなるのか? と考えつつも、オルセンはカイの無事を祈る為に、しばらく空を見上げ続けた。
今回はちょっと難儀しました……。書いて直してを何度も繰り返し、その度『なんか違うなぁ……』と思ってしまい……時間かけ過ぎました。




