嵐
少女は羊の群れを追う兄について歩きながら、鼻歌を歌っていた。
ナディラ国アダルニア地方テュエルモント村での日課、羊の放牧。
今日は早めに帰って来る様に、と両親に言われて家を出た。
今の所天気は落ち着いているし、穏やかな日差しの中でも時折強い風が吹き付けて来るのは、いつもの事だった。だから少女は強風など全く平気な様子で、のんびりと前を行く羊の速度に合わせ、自身ものんびりと歩みを進めていた。
少女の兄は時々後ろを振り返り、妹の様子を確かめる。
少女はそんな優しい兄が大好きだった。
羊の群れと兄妹は丘を目指し、途中にある谷底の道に差し掛かった。
道のずっと先にある丘の上には、草が豊富に生えている。そこでの放牧が兄妹の仕事だ。
両方を崖に挟まれた細い道を、羊達は塊から列へと形を変え進んで行く。
少女が鼻歌を歌えていたのはこの辺りまでだった。
突然の轟音と地響き。悲鳴。
目の前が真っ暗になり、意識を失った。
うなされる程の夢を繰り返し見た後、叩き起こされた様に覚醒する。
見渡すとそこは見知らぬ場所だった。そして少し離れた所に見知らぬ人々がいた。
兄がいない。羊達も。
不安の表情を浮かべる少女に、見知らぬ人々はゆっくりと近づいて来る。
少女は思わず身を硬くした。
彼等の手にナイフが握られていたからだ。
*
朝の日差しの中、カイは貸し馬の店に向かっていた。
昨日酒場で一緒に悪ガキ共を懲らしめた者達から、良い馬のいる店の場所を教えてもらったのだ。
貸し馬屋につくと店の主人が笑顔で出迎えて言った。
「いらっしゃい。あんた、昨日酒場でガキ共をのした連中の一人だろ?」
ピッテルムはあまり大きくない町だからか、話がすぐに伝わるらしい。
「フフ……あいつらもこれで大人しくなるといいんだがな。今貸せる馬はこの三頭だ。気が合うのを選べばいい」
見るとそこには青毛と芦毛と栗毛の三頭の馬が大人しく繋がれていた。
カイは三頭に近づいた。三頭は一斉に耳を立て、カイに視線を注ぐ。
芦毛の馬が首を延ばし、鼻先でカイをつついた。
「リラがあんたの気を引こうとしている。そいつにしなよ」
「ええ。そうします。料金は?」
「銀貨二十枚。返しに来たら五枚戻るよ」
「わかりました」
「嵐が来たら無理しないようにな」
ピッテルムの町で馬を借りる事が出来たカイは、順調に道を進んでいた。
リラと名付けられた芦毛の馬は気性も穏やかで良く走る。
天候は問題無く、晴れた空がどこまでも続いていた。
北上するにつれ道は段々と狭い上り坂が多くなっていく。しかし馬はそんな事をものともせずに、平坦な道では軽快な速度で、起伏のある道ではしっかりと踏み締める様な確かな足取りで、まるでそれらを楽しむかの様に進んで行く。
このまま何事も無く寺院へと辿り着けそうだ。そんな気持ちになっていた所に、突然風が止み、妙な静けさが訪れた。
その無風状態がしばらく続いた後、周辺の空気は、時折生温い突風が吹き付けるという状態に変化していった。
カイは空を見上げた。
アダルニアへと近づくにつれ、空の様子が明らかに怪しくなっている。
先程までの暖かさは何処かに消え去り、風が徐々に強さを増す冷たく湿った大気にいつの間にか取り囲まれていた。
カイは馬を走らせ続けた。地図では確かこの先に村がある筈だ。
天気が酷くなる前にそこに辿り着かなければ。
馬もカイの思惑を理解した様に、走る速度を上げて行く。空に稲光が走り雷鳴が轟いても、決して驚いたりせず、従順にカイの手綱に従い続ける。
良い馬だ。カイはこの一時だけの相棒にこの上ない頼もしさを感じた。
一際大きな雷鳴を合図に土砂降りの雨が空から降り注ぐ。
一人と一頭はずぶ濡れになりながら一心同体となって走り続け、ようやくある村に辿り着いた。
村の入り口近くの家から何事か、と人が顔を出す。
カイは家の横に馬小屋があるのを確認し、馬を降りて片手を上げ「お願いです、馬小屋に入れて貰えませんか!」と大きな声で話しかけた。
顔を出した人物は雨具を被り走り寄って来ると、幾分険しい表情でしばらくカイを見つめた後、「こっちへ」と馬小屋へ誘導してくれた。
カイは感謝を口にし馬を連れて歩きながら、雨具の人物にこう尋ねた。
「ここはテュエルモントの村で間違いないでしょうか?」
御挨拶を忘れてましたっ(汗)
明けましておめでとうございます。




