出立②
上機嫌の依頼人を見送った後、カイはリルデンの街に出た。調査する村へは明日発つ。その前に準備が必要だ。
「あら、カイ。この前はありがとうね。屋根が直って助かったわ」
「カイ、良かったら今度、子供達の面倒見てくれる?」
「うちの店の手伝い、またよろしくな。報酬弾んでやっからよ!」
道行く人々に声をかけられながら、石畳の街路を進む。
やがて街の中心にある広場へと出た。石のブロックを並べて円形に作られた噴水池、行商人の屋台、夕刻まではまだまだ時間があると言って駆け回る子供達。
ふと、広場の角に小さな看板を見つけた。近寄って見ると、こう書かれている。
『アルハンデュラ骨董品店 広場から南へ行き、十字路を西』
カイは思わず吹き出した。あのじいさん、とうとう看板立てたのか。
案内に従って歩を進めると、暗く寂れた住宅街に出た。薄汚れ整備されていない小さな建物が軒を連ねている。リルデンの中ではあまり裕福ではない階層の人々が集まっている地域だ。そこにも店名だけ書かれた看板が立っていた。看板の店は古ぼけた石造りの二階建てで、苔と蔦に覆われている。ガタのきた樫の扉を開けて中に入ると、黴と埃の臭いが鼻を突く。壁にぐるりと棚が設えており、どう見てもガラクタにしか思えない様々な物が、怪しい存在感を漂わせていた。
「いらっしゃい……なんじゃ、カイか。ゆっくりしてけ」
手狭なカウンターにいた枯れ木の様な老人が、欠伸混じりにそう言った。
「じいさん、あの看板、良く目立ってるよ」
「フフッそうだろう。隣のボンクラ画家に書かせたんじゃ。奴もたまに役に立つ」
「言ってくれたら手伝ったのに」
「だめじゃ。お前はタダ働きをするな」
「……」
「独り立ちするなら肝に銘じておけよ。ところで仕事か?」
「ああ」
「じゃあこれを」
一枚の銅貨がカウンターの上に置かれる。流通貨幣ではなく、鳥のモチーフが刻まれている。カイは慣れた仕草でそれを受け取り、奥の扉へと入った。
扉の先にはまた扉があった。何の変哲も無いオークの木の扉だが、その中心からやや上の位置に丸い凹みがある。そこに銅貨をはめると、扉の右側の壁から微かに音がした。その音で解錠を確認すると、壁を押して中に入る。
そこは小さな納戸で、大人の背丈と肩幅ぐらいの書棚が一つ、角に置かれているだけだった。書棚は三段に分かれており、上下の棚には本が一杯に詰められているが、中段の棚だけは一冊抜き取られたのか、隙間が空いている。床には三冊の本が落ちていた。
それぞれのタイトルは、クロード・デュボワ著『蝶の目』、メラニー・リスト著『青い山猫』、ヘンリー・カーチス著『窓辺の鵲』。
——老いた鵲は知恵を貸す——過去に開いたページの一文を思い返しながら、カイは『窓辺の鵲』を拾い上げ中段の隙間に差し込んだ。
床の一部が跳ね上がる様に開き、下へ続く階段が現れる。カイは薄暗い中、立ち止まる事無く地下室へと下りて行った。
天井が高く作られているせいか、その部屋はいつも、上階の店内より広く感じられた。床や壁の幾つものランプが必要以上に明るく室内を照らしている。床の所々に書物が無造作に積まれ、その合間を縫ってカイは、角に置かれた机の前に辿り着いた。机には入道雲の様な白髪と髭の大柄な老人が、どっしりと椅子に身を沈めてパイプを燻らせている。彼は『窓辺の鵲』の著者だ。
「おや、誰かと思えば“逆神隠し”じゃねぇか」
カイは肩を竦めた。初めて会った時にこの老人から貰った渾名だ。当時彼はカイを珍しそうに眺めながら、『神隠しってのは今まで沢山聞いてきたが、その逆は初めてだな』と呟いた後にこの渾名を思いつき、それがツボに入ったらしくいつまでも一人で腹を抱えて笑っていたものだ。
「ヘンリー、ここにずっと居て息苦しくならないか?」
閉め切った地下室で幾つも火を灯している事が心配だと言うと、ヘンリー・カーチスは鼻で笑って煙を吹き出した。
「こうしておけば、いざと言う時この部屋をすぐ始末出来る。紙に火を移しゃアッという間だ。お綺麗な身の上じゃないんでね。それに天井を見ろよ。あの通り空気穴がある」
確かに天井の角に穴が開いていた。それが空気穴として正しいのかは判断がつかないが。
「で、今日は何だ?」
「アルマという村の住人が全て消えた。依頼を受けてそれを調べる。何か耳に入ってないか?」
「ふん、やっぱりな」
老人は椅子にふんぞり返って腕を組んだ。
「軽薄そうな御貴族様がお前の養父の店に入って行ったのは知ってる。貴族とくれば、阿呆共が散々騒いだお前の村の事だ。似た事件が起きたなと思ったら、早速食らいついて来やがったか。流石に十年もたてば皆忘れると思ったがなぁ……。で、あの野郎は貿易商だな? ヘイデンの処で船がどうの、積み荷がどうのと与太話だ。ヘイデンの奴も高い酒が売れたんで、口が羽毛の様に軽かったぜ」
「クリストファー・ハイネマンと名乗っていた。知っているか?」
「カイ」
ヘンリー・カーチスはカイを睨んだ。
「お前あの貴族を探る気か?」
「ああ」
「何を言われた?」
「俺の事を調べている様だ。少なくとも俺が……」
カイは卓上のランプを見つめた。
「十年前の事を諦めていないと知っている」
ヘンリーは溜め息をついて机の引き出しを開けた。
「貴族の事は知らねぇが、こっちは教えてやるよ」
そう言いながら、小さな紙の束を引っ張り出し、机上に放り出す。
「……アルマ村。アゼラの中以北、エルヴィン山脈の一角の小山に出来た小規模の山村。人口は四十人程度。山地に適応した野生の鶏を家畜として繁殖させ、卵を採り、山を下りてすぐの大きな村などに売って生計を立てていた。まぁ、基本の生活は自給自足らしいけどな」
紙の束から折り畳まれた物を取り出し、カイに差し出す。
「これが周辺地図だ。持って行け。……さて続きだ。そこの住人てのは、大体想像が付く。連中の何よりの喜びは変わらない事—即ち安定だ。毎朝雄鶏の鳴き声で同じ時間に起きて同じ仕事をして同じ時間に飯を食い同じ時間に床に着く。年がら年中同じ事の繰り返し……よく頭がおかしくならねぇもんだ」
「いなくなったと分かったのはいつだ?」
「発覚したのはごく最近—七日くらい前ってとこだな。あの一帯の領主がカラック村……例の卵を買っていた大きな村の村長から相談を受けてアルマに出向いた。……お前の村と殆ど同じだったようだぜ、見た目はな」
食べかけの食事、散らかったままの室内。家々の扉が開け放たれたままだったのはカイの村と違っていたが、それ以外はほぼ同じ状態だったようだ。
「すぐさまカラック村総出で山の捜索をしよう、となった。ただあの村の周囲には狼が出ていたらしい。そういや鶏も喰われていたそうだ……で結局、犯人はそいつだろうと言う結論が出て、捜索も周辺の森だけを簡単に済ませただけで終わった」
村人は狼に追われ、集団で逃げ出した。山村の民だから、山の何処かに隠れ家があるのかもしれない。いつか戻って来るだろう。そう判断した領主は、アルマ村をそっとしておく事にした。
「村の内部はそのまんま放ったらかしだそうだ。カラック村とは繋がりがあるが、実はあの村は独立体でな。領主の管轄外だから手を付けるのが面倒になったらしい。まぁ、その方がお前にとっちゃ好都合だわな」
ヘンリー・カーチスはパイプを逆さまにして傍らの小鉢に叩き付けた。丸い形の灰が転がり落ちる。
「せいぜい気を付けて行って来い。あの貴族が何企んでいるか知らねえが、一応正式な仕事の依頼みたいだしな。領主の見立て通りの結果を祈るぜ」
「ありがとうヘンリー」
「ちゃんと前金貰ったか?遠出の仕事なんだからよ」
「ああ、貰った。銀貨三十枚」
「ゲッなんだそりゃあ?貴族のくせにケチくせえ!」