出立①
石畳にブーツの音を高く響かせたかと思うと、その客は“ワイズ武器商”の厳めしい扉を気前良く大きく開き、店内をゆっくりと見渡した。
広々とした店内。質の良い数々の商品。屈強な体つきの用心棒を兼ねた従業員……。
長身で白髪混じり、身なりの良いその痩せた男は満足げな笑みを浮かべ、再びブーツを鳴らしてカウンターにいた店主のアレキサンダー・ワイズに歩み寄る。
「いらっしゃいませ。何をお求めでございましょう?」
店主の挨拶に鷹揚に頷くと一言。
「ここに便利屋がいるそうだね?」
一瞬の間。
「便利屋でございますか……はい、確かにおりますが……」
「呼んでくれ。頼み事をしたい」
戸惑い気味の店主にきっぱりと言い放つとその客は、純白のマントを翻し、そばにあった来客用の豪奢な椅子に腰を下ろした。
「……畏まりました。呼んで参ります。御待ち下さいませ」
*
草むらから鳥が驚いて飛び立つ。力一杯に木の幹を、剣で何度も打ち続けていたからだ。古布を何重にも巻いてはいたのだが、木の幹には既に幾筋もの刃跡が刻まれていた。
リルデン郊外の雑木林でカイ・ヨハネスは、日課の最中だった。独学だが剣の扱いはそれなりに様になっている。
額の汗を拭い、もう一度剣を振り上げたその時、野太い声が自分を呼んだ。
「また稽古かよ」
振り返るとアントニオが呆れ顔でそう言いながら近づいて来る。
恰幅の良い赤毛のアントニオは、カイの養父であるアレキサンダー・ワイズの一人息子だ。
「親父が呼んでるぜ。お前にお客だってよ」
「わかった」
「急げよ。何かイケ好かないおっさんだけどな、金は持ってそうだぜ」
「そうか」
「うまくでかい仕事を手に入れて、親父に認めさせてやれよ!」
「ああ、そうなるといいな」
二人は小走りに店へと急いだ。
カウンターの前には養父が立っていた。息子と同じく恰幅の良い、柔和な人柄の養父は、カイの姿を見ると穏やかな笑みを浮かべ頷く。
「お客様は客間で御待ち頂いているよ。しっかり話を聞いて来なさい」
「はい、お義父さん」
養父に礼儀正しく一礼し、剣を返してから、カイは階段を上り客間のドアをノックした。
客間はこじんまりとしながらも豪華な作りで、大きな暖炉の前には絹張りの美しいソファーが二つ、向かい合わせで置いてある。
客の男はそのどちらにも腰を下ろさず、火のついてない暖炉の前で、ドアに背を向けて立っていた。
「お待たせしました」
カイが口を開くと客人は振り返り、そしてゆっくりと向き直った。
「君がカイ・ヨハネスだね」
男は貴族に見えた。仕立ての良い上質な衣服。優雅な物腰。
「私はクリストファー・ハイネマン」
シミ一つない真っ白な手袋で握手を求められ、カイは思わず手を脇腹に擦り付けてから差し出した。
握手が済むと男は一歩後ろに下がり、カイを観察する様に眺める。
「御用件は何でしょうか?」
カイは無表情で尋ねた。他人から観察されるのには慣れているが、これでは話が進まない。
「私は貿易商をしていてね」
カイの質問は無視された。
「今や世界中を船で回っている」
クリストファー・ハイネマンと名乗る男は後ろ手を組み、暖炉の前を往復し始めた。
「遠い南の島では人魚の一族に会ったよ。夢の様に美しく、危険だった。東の海では海賊達と大砲の打ち合いだ。奴等はしぶとかったな。そうだ、知っているかい? 北の凍える大地、永久凍土に何が眠ると言われているか?」
一つ一つ思い出しては、なかば興奮気味に、男は語る。
「世界中を旅し、様々な人々と交流すると、情報と言う物が私の元にやって来る」
男は両腕を軽く天に広げ微笑んだ。
「驚く程大量にね」
カイはうんざりし始めたが、黙って聞いていた。良くある事だ。
ここに来てしばらくは、養父の上客である貴族達が同じ様にカイに会いに来た。いや、フィリップ王の特別な恩恵を受けた哀れな孤児を見物しに来た。
すぐに飽きられ、後は彼らに自慢話を聞かされた。中には祝福のキスをする酔狂な御夫人もいたけれど。
兎に角黙っている事にしたカイを、男は悪戯っぽく一瞥する。
「それで最近、とても面白い話を聞いたんだ……アルマという村があってね。養鶏を営んでいた様だ。その村からある日突然」
男は急に顔を近づけ、声をひそめた。
「人が全て消えてしまったんだよ!」
無表情だったカイの目が僅かに見開かれた。
その様子を見て会心の笑みを浮かべたクリストファー・ハイネマンは、再び暖炉に向き合い、冷ややかな声でわざと話題を変えた。
「君はここで便利屋という仕事をしているそうだね」
背中を向けたまま含み笑いをする。
「失せ物探しに修理修繕、荷物持ち。猫やら犬やらも探すそうだねぇ」
「……」
「まだ小さい頃はここの家業を手伝っていた……自分から使用人の立場になって。だけどそろそろ独立して出て行くつもりだね? 跡継ぎ息子の邪魔にならない様に」
カイの脳裏にワイズ夫人が浮かぶ。『あの子を認めてはいないわ。でも王様の御言い付けだからしかたないのね……ああ……いつ出て行くのかしら』
「実に立派で殊勝な心がけだ。しかも早く独立する為に手間や元手の掛からない職業を選ぶとは……涙を誘うよ」
傲慢な男の感極まる仕草に一瞬だけ怒りが湧いたが、表情には出さなかった。
十年という時間で身に付けた特技の一つだ。
「だが君が便利屋などというあやふやなものを選んだのにはもう一つ理由がある筈だ!」
突然男が斬り込む様に言葉を投げて来た。詰め寄られ、眼前に人差し指を突き付けられる。
「カイ・ヨハネス。探すつもりだろう? 十年前に消えたものを」
悪魔の様な男の笑顔。
「周りには気付かれたくない。だから冒険者などの分かり易い職業は避けた。何でも引き受けます、依頼ならばどんな遠くにでも向かいます……そうしておけば動き易い。だから君は普段、どんな下らない、小さな頼み事でも喜んで引き受ける。誰を油断させたいかは知らないが、ね」
「……」
動揺を表に出すな。カイは自分にそう言い聞かせた。疑問符が頭の中を飛び回っている。一体この男は何者だ? なぜ自分はここまで調べられている?
「……ここまで揺さぶっても表情が変わらないとは、たいした面の皮の厚さだ」
呆れ顔の男が『お手上げ』の仕草で一歩後ろに下がる。
「まあいい。私も少々感情的になり過ぎたよ。まぁ、貴族は平民をからかうのが大好きな生き物だからね。許してくれたまえ……ああそうだ、肝心な事を忘れるところだった」
こめかみに軽く手を当て頭を振ってから、男は腰ベルトから重そうに弛んだ皮袋を取り外し、そのままカイに差し出した。
「前金で三十枚。銀貨で残念だけどね」
何事も無かったかの様に優雅に微笑んでこう続けた。
「さっき話したろう? アルマ村の住人が全て消えたって。調べてくれ、それを」
「……それが御依頼……ですか」
「そうだ便利屋。勿論引き受けるだろう? 十年前と同じかもしれないぞ? 先祖が遊牧民と言うだけで、有耶無耶にされてしまった謎を解く絶好の機会だ」
その男──クリストファー・ハイネマンは、急に真剣に、しかしどこか探る様な眼差しで、カイを真っ向から見据えてこう言った。
「君はこの事態を、放って置けるのか?」
カイは相手を凝視したまま考えを巡らす。
この男は気に入らない。
危険な事は確かだ。だからこそ、このまま関わりを断つ訳にはいかない。そして確かに、住人が消えた村を捨てては置けない。
「……御引き受け致します」
カイはそう言って皮袋を受け取った。