カラック村③
「お兄さん、アルマ村行って来たって?」
男は日に焼けて逞しい腕をカウンターに乗せて寄り掛かり、カイの顔を覗き込む様に話しかけて来た。酔いがまわっているのか、上機嫌な顔は茹でた様に赤い。
「ええ。知り合いに頼まれて」
「『ええ』ってか!『ええ』だとよ! ハハッお上品だねぇ!」
酔っぱらいの絡みにカイはおおらかな笑顔で答える。こう言う場では態度ひとつで厄介な状況になりかねない。
「お上品ったらヘルマンじゃねぇか?」
テーブルからもう一人男が話に加わった。
「あ~あのヒョロヒョロの都会っ子か! いたなぁそんな奴」
「お兄ちゃんひょっとしてヘルマンの知り合いに頼まれたのかい?」
「……ええ」
カイはこの状況を利用する事にした。
「ほーら当たった! 俺の見立て通りだ!」
テーブルの男はそれだけで得意気になり、周りの連中に自分の勘の良さを自慢し始めた。それを見て隣の酔っぱらい男は鼻を鳴らし、再びカイに話しかける。
「ヘルマンの知り合いってなぁどんな奴なんだい?」
「先生をしていた時の教え子だそうです」
嘘も方便で利用する。
「ほっほぉ~あの野郎、先生やってたのかい! どうりで生っ白くてヒョロついてて頼りねぇくせ、喋り方がどこか気取ってやがったもんだ!」
「……」
「でもよ……」
酔っぱらいは億劫そうに椅子に腰掛け、やるせない表情で深い溜め息をついた。
「だとしたら哀れな奴だなぁ。慣れねぇとこ来て、いきなり狼騒ぎ。今どこでどうしているのやら……どんくさそうな奴だったから、ひょっとしてもう喰われちまったのかもしれんなぁ……嫁さんいたけどそれも無事かねぇ?」
「狼……この村は大丈夫だったんですか?」
「狼? おお、何ともなかったよ? 騒ぎになった時は俺らも大変だぁって交代で見張り立てたけどな。そもそもそんな話自体何十年も聞いた事がねぇからよ、とにかく驚いちまって」
「狼が出たというのはいつ頃でしたか?」
「なんだい」
酔っぱらいはカイをまじまじと見つめると、やがて唇の端を片方上げ、ニヤリと笑った。
「お兄さん、あんた面白いねぇ……よっしゃ、いいぜ、相手になってやる」
「是非。ところでエールのお代わりは?」
「アッハッハッハ! そいつぁいいね! 貰おうか!」
「女将さん、エールを一杯!」
カイが普段出さない大声で注文を伝えると、女将は丁度湯気の立つ料理の皿を何枚も持ってやって来た。
「はいよ! おや、なんだい? あたしのいない間に仲良くなっちまって。仲間はずれはおよしよっ」
「へへっエマ! このお兄さん、なかなか面白いぜ! 学者さまみたいな事聞いて来やがる。狼が出たって俺らが聞いたのはいつ頃だったっけなぁ?」
「学者さまって! あっはっは! そりゃあ大げさじゃあないかいボブ? でも解るよ。なんか受け答えがお上品だもんねぇ。それになかなかいい男だし。ね~ぇ」
「顔は関係ねぇだろ! ったく女はすーぐ顔見てあーだこーだ騒ぎやがる。いいから狼が出たのはいつだったか思い出せよ!」
「そんな事あたしに聞かれてもすぐにゃあ出てこないよ? えーと……いつだったかねぇ……」
「青葉月の三日だ」
女将の背後で濁声がそう言った。カイが視線を移すと、真っ黒い顎髭を短く切り揃えた、大柄で頑固そうな男がエールのジョッキを片手に持ち、厨房からゆっくりと出て来た。
そのまま男はジョッキをボブの前に置き、カイに向き直る。
「うちはアルマ村から卵を買い付けている。だからあの村の連中とはしょっちゅう話をしてる。このおしゃべり女とかがな」
そう言って女将をあごで差す。
「四日の昼前、いつも取引してるコッカーズの奴が済まなそうに俺んとこ来て、こう言った」
『昨日の晩、鶏が喰われてしまった。うちの卵はしばらく出せない』
「その後、村長の息子が自分んとこの卵持って来た。あいつらの飼育場は塀が高いから無事だったらしい。でも俺は村長の奴があんまり好きじゃねぇ。あいつんとこの卵もコッカーズのに比べたら、あんまり良くはねぇから」
「そういやあんた、断ったんだっけ」
「そうしたらあの息子、さんざん悪態ついて帰りやがった」
「ピーターはねぇ、可哀想な子なんだよ」
「悪態つく奴を可哀想とは思わねぇ。大体、村長の奴がろくでもねぇから息子がああなるんだ」
「オヤジさん、じゃあ狼が出たのは三日の晩だったってことかい」
「そう言う事になる。大きな騒ぎになったのはその後だが、あん時はまだ連中もおおっぴらにゃしたくなかったんだろ」
「あ! そうそう思い出した! その後だよな! コーヴのおっさんが『狼だ!』って騒ぎだしたのは!」
「ありゃあ何か変だったよねぇ……いつも落ち着いてるコーヴさんがあんな……」
「村を塀でぜーんぶ囲っちまってなぁ!」
「え?」
カイはこの事に引っかかった。
「あの囲いはもともとあった物じゃないんですか?」
「それが違うんだよ! 狼が出るからって、大急ぎで山から木を切り出したり集めたりしてねぇ」
「俺も他のやつらもみんな呼ばれて手伝いに行ってな。立ち木に横板打つだけだから大した苦労もねぇし、大勢でやったから早く終わったけどよ……終わった途端にすぐ帰れって追い返されたのがなぁ」
「だからあいつはろくでもねぇんだ」
「ちょいとおよしよ! コーヴさんも怖かったんだろうよ」
「ローランドさんがいたのになぁ。あの人だったらもっと上手く色々やってくれてたんじゃねぇのかなぁ」
「ケビンはもともとあんまり口出ししねぇ奴だからな」
「でもよオヤジさん、口出ししねぇからこんな事になっちまったんじゃねぇのか」
「あいつは悪くねぇ。いつも村の為に森を何日も見て回ったりしてるんだ。そんな暇もねぇだろ。悪いのは何でも一人で決めちまうコーヴの野郎だ」
「……塀囲いを付けた後、被害は無くなったんですか?」
カイが質問を挟むと三人が三人とも首を横に振った。
「いやぁ続いてたみたいだぜ? しまいにゃ人が襲われるかもしれねぇから、山にも入って来んなって。なぁ?」
「ほんとあん時はあたしも恐ろしくてねぇ……ボブ達が毎晩交代で見張り番してくれたんだけど、眠れやしなかったよ!」
「俺はあの騒ぎを本気では信じてなかった。ここは昔から精霊の加護が強い土地だ。俺のじいさんのそのまたじいさんの代からずっと守られ続けている。ゴブリンだって一匹も出ねぇ。ましてや獣が悪さしたって話は一度もねぇ」
「オヤジさん、分かるけどよ、時代が変わったんじゃねぇか?」
「おや? なんだいボブ、急に賢そうな事言って。いっつも頭にカボチャ詰まらせてるみたいなあんたが」
「うるせぇな! うちのカボチャは領主様もうめぇって言って下さってんだぞ!」
「お~いボブよう、さっきから何むずかしそうな事しゃべってんだよう」
大テーブルの方から、だるそうな声が酔っぱらいのボブを囃し立てる。ボブは急に面倒くさくなったらしく、カイの肩を力一杯叩いて立ち上がった。
「そんじゃなお兄さん、面白かったぜぇ。エールごちそうさん!」
「ええ。楽しい夜を」
「へっへへへっ『ええ』。あんたもな!」
酔っぱらいのボブが大テーブルに戻ると、仲間達は酒盛りに専念し始め、誰もカイの方には興味を示さなくなった。
女将はまだ喋り足りない雰囲気だったが、新たな客が店に入って来たので注文を取りにカウンターを離れた。
カイは一人、食事に取り掛かる事にした。出された食物はどれも新鮮で、しばらく硬いビスケットばかり食べていた舌にはとても甘く、味付けも美味だった。
料理を堪能していると、一度厨房に引っ込んだ濁声の親父がカップを持ってカイの前にやって来た。カウンターに木のカップが静かに置かれる。
「おごりだ。良かったら飲んでくれ」
思わず親父を見上げる。
「いいんですか? でも何故?」
親父はカイに顔を近づけ、濁声で囁いた。
「あんた、あの村の様子見に来たんだろ」
「ええ、そうです」
「明日は帰るのか」
「いえ……もう一度見に行く予定です」
「じゃあ、もし何かわかったら後で俺に教えてくれ。俺が行きたいけど、事情があって動けねぇんだ」
恐らく、領主がそっとしておくと決めた事に逆らえないのだろう。カイは店主に頷いた。
「……わかりました。これ、頂きます」
「ああ。ゆっくりしていってくれ」
そう言うと親父はまた厨房に戻って行った。
カップの中身は絞りたてのベリーの果汁だった。
新鮮な果汁が体の疲れを癒していく。カイはじっくりとそれを味わった。