降霊
子供たちの間だけでまことしやかに伝えられている、怪談。
大きくなると、みんな忘れてしまうか信じられなくなって口にしなくなるか…でも、子供の時分には必ず耳にし、また誰かに語らずにはいられなかった、怖いお話。
あなたもなにか、憶えていらっしゃいませんか?
とある地方都市にも、そういうお話があります。
「観覧車の中で、数人で手を繋ぎ、ある呪文を唱えると、霊を呼ぶことができる」
地元に遊園地ができて間もなく、そんな噂が周辺の市町村の小中学校に広まったようです。
試してみようという子供たち、多かったでしょうね。
彼女たちも、そうでした。
いずれも小学校6年生の女の子たち。彼女たちは夕暮れ時、遊園地『裏野ドリームランド』の観覧車に
乗り込みました。
ドアが閉められ、景色が高くなってゆきます。落ちてゆく日の光が窓から差し込んできます。
「さあ、やろう」
言いだしたのはナツ。やや気の強そうな子です。
その声に、みんなが手をつなぎ、一つの輪を作りました。
「呪文、覚えてきた?」
聞いたのはハル。頭の回転が速そうな子です。
みんな、頷きました。
ナツが言います。
「じゃあ唱えるよ、せーの…」
それを合図に、呪文を唱えました。
「こどもがすきな、ゆうれいさん。こどもはここです、きてください。こなくばほねを、くだきます。たましいもいっしょに、くだきます」
唱え終わると、みんなで黙り込みました。何かが起きるのを待ったのです。
すると、ナツが急に、
「頭が痛い」
と、繋いだ手を放して頭を抱え、苦しみだしました。「痛い、痛いよ!」
みんなが慌てましたがここは観覧車の中。助けは呼べません。
「もしかして霊の仕業…?」
物静かな雰囲気のアキが言いました。それを聞いたナツが顔を上げました。目の前にはハルがいました。ナツの両手が素早くハルの首を掴み、躊躇なく締め上げました。
「待ってナツ! だめ!」
アキが叫び、ナツの手を引きました。
手がハルの首から離れ、ナツとアキが倒れ込みました。ハルも苦しそうにシートに横たわりました。
「ハル、大丈夫?」
何も言わずにいたフユがようやく震えた声をあげました。体の細い気の弱そうな子です。
アキが起き上がり、続いてナツが体を起こしました。ナツは茫然とした表情で、床に腰を下ろしたまま、自分の手と、荒く息を吐くハルとを見比べました。
「私…体が勝手に」
言うと、途端に涙が溢れました。
「ごめん、ハル、ごめんね…!」
「大丈夫だよ、ナツ」
ハルが体を起こし、言いました。フユがそのそばに座り、体を支えました。
「きっと霊がやったんだ」
アキが呟くように言いました。「私達、本当に霊を呼べたんだ。でもこんなことになるなんて」
「もうやめよう」
フユの言葉に、ナツは泣いたまま、ハルとアキは黙って頷きました。
観覧車を降りるとき、ナツは泣き止んで、でも目は赤いままです。それでも正気に返っていて、別れるまでずっと、ハルに、ごめんねと言い続けていました。
霊はもういなくなったと、みんな思っていました。
それが夏休みの、始めごろのことでした。
翌日、ナツは遅くに起床し、ご飯も食べずに一日をぼんやりとして過ごしました。
食卓まで行っても、ご飯を見ると吐き気がしたのです。何もやる気が起きず、ただ、昨日自分がしたことが、いつまでもいつまでも思い出されました。そのたびにナツは泣きました。それが、ハルに対する申し訳なさなのか、霊に対する恐怖なのか、疲れから来るのか、全く考えることもできませんでした。
次の日は会話もできなくなっていました。部屋で、ひとり泣いてばかりいました。
また次の日は、起きることもできませんでした。
家族が異変を感じて病院に連れて行きましたが、原因の分からない体の衰弱と診断され、しかも命の危険があるとのことで、即入院となりました。
数日後、あの観覧車での出来事から、ちょうど1週間後のことです。
フユが、ひとりでナツのお見舞いに訪れました。
そのときのナツは、意識はほぼなく、酸素ボンベと点滴を付けられてベッドに横たわっていました。
付き添っていたお母さんが、いくら調べても原因が分からないのだ、と泣き出しそうな声で言いました。
観覧車でのことは、きっとお母さんも、家族の誰もが知らないのだろう、とフユは考えました。そしてフユがそれを言ったところで、誰も霊のせいでこうなったとは思わないのだろうな、とも。
ナツの顔は青く、死人のようでした。
もうだめかもしれない、と、フユは思いました。
ハルが夏風邪をひいたのは、観覧車の件からちょうど1週間後のことでした。
昼間のスイミングで、いつもにない疲れを感じていました。コーチに言うかどうか悩んでいるうち、コーチの方から声を掛けられました。
「ハルちゃん、調子悪いの? 上がって休みなさい」
大好きな、男性のコーチでした。いつもならすぐに彼の言うことをきくハルでしたが、なぜかその日は言われて不愉快になりました。それで、返事もせずにレッスンを続けました。
その後、別のコーチにも休むように言われました。
それも無視していると、そのスクールで一番怖いおばあちゃん先生が来ました。
「ハル! プールから上がれ!」
鋭い声で言われました。周囲が振り向くのが分かりました。ハルはしぶしぶプールから出ました。
プールサイドに腰を下ろして間もなく、体がとてもだるくなってきました。早く休めばよかったと思ううち、レッスンが終わりました。
大好きなコーチがやって来て、訊きました。
「ハルちゃんは自転車で来ているんだったよな。調子悪いんだろ? 家の人呼ぼうか?」
「だ、大丈夫です」
「そう? 携帯持ってる? なら、何かあったらすぐ来てもらいなさい。繋がらなかったらスクールに掛けなさい」
気を付けて帰れよ、と、コーチはハルの頭をなで、行ってしまいました。
いつもならとても嬉しく思うことでした。
でもあまり喜べません。
帰宅して、髪を乾かさずに昼寝をしてしまったのはいつものことでしたが、その日は起きると咳が止まらなくなっていました。夜に塾がありましたが、休むほかありませんでした。
次の日、具合は全くよくなりません。
そのまた次の日は塾の模試がありました。まじめなハルは、休みたくなくて、咳止めを飲んでマスクをして出かけました。しかし、試験の途中、ハルは倒れてしまいました。
救急車に乗せられ、着いた病院でそのまま入院となりました。
ナツと同じく、原因不明の衰弱による入院でした。
フユは、ひとりでハルのお見舞いに来ました。ナツとは別の病院です。
ハルも意識はほとんどなく、フユが来たのにも気づきませんでした。ただ、時折咳込んで、それで意識が戻るようでした。
「…これも霊のせいなのかな…」
誰に聞かせるでもなく、うわごとのようにハルは言っていました。
ハルももうだめだ、と、フユは思いました。
観覧車での出来事から、ちょうど2週間後のことです。
アキは家の玄関で転んで、両足を痛めてしまいました。怪我は全くないのですが、足全体がとても痛むのです。
仕方なく、一日、ベッドやソファの上で過ごしました。
そのうちふと急に、ナツ、ハル、フユのことを思い出しました。
「あの子たち、どうしているだろう」
みんな、学校の友人ではありませんでした。SNSで知り合った子たちです。観覧車にまつわる怪談を、実際に試そうと集まったメンバー。しかしあの日以降、誰もコメントをを上げていません。アキ自身も、なんとなくそんな気になりませんでした。
でも。みんなに何かあったのでは…と、ふと考えたのです。
そんなとき、部屋にいたアキの所に、母親がやって来ました。
「フユちゃんって子が、お見舞いに来たよ」
「どうしてうちがわかったの?」
部屋に通されたフユに、ベッドの上からアキが訊ねました。
フユはそれに答えず、言いました。
「あなたは弱くならないでね」
「ナツやハルのところにも行ったの?」
「あの子たちはだめだった。あなたが一番いいみたい」
フユは右手を伸ばし、アキの胸の間に触れました。アキは身動きが取れず、それを拒むことができません。
「あなたは強すぎるから…私では無理かと思ったんだけれど、こうなったらしょうがない」
フユはアキの体に爪を立てました。が、すぐに呻いて手を放しました。
「私、思い出したよ」
動けない体で、アキが、静かな声で言いました。「あのとき、観覧車の中でみんなで手を繋いだ時…私の右手にはナツの手、左手にはハルの手を繋いだ。なのに呪文を唱えた後、右手にはあなた…フユの手があった」
フユはそれを聞きながら、またアキの体に爪を立てました。今度は皮膚が裂けました。その傷口から、そっと手を差し入れるフユ。
「あなたなんだね、私たちが…私とナツとハルが呼んだ…霊は」
「そうだよ。あなたたちが呼んだの、私を」
次の瞬間、ふたりは、『裏野ドリームランド』の観覧車の中にいました。
「ほんのちょっと前なのに、なんだか懐かしいな」
フユは言いながらアキの顔を見ました。「せっかくこの世に戻って来たんだ、体を乗っ取ってもう少し長居したいと思ったんだけれど、ナツとハルは入ろうとしただけですぐ弱ってしまった。見たでしょ、ナツなんて勝手に凶暴化しちゃったじゃない? 私、意外と強い霊らしくて」
フユが自慢げに笑っていました。
「でもあなたは霊を弾く力が強すぎるから、手を出したくなかったんだよね。でもあの儀式、体を差し出した誰かにしか取り憑けないから、残っているのがあなたしかいないの」
「あれに…そんな意味が…」
「知らなかった? でももう成立しちゃっているから。あなたに取り憑けなきゃ、私は消滅してしまう。だから悪く思わないでね、呼んだのはそっちだよ」
言うと、フユは更に手を、その先の体も、アキの体に差し入れてゆきます。
アキはわずかに動いた体を引き、叫びました。
「やめて!」
でもフユはやめませんでした。
「あなたの魂は邪魔だから、ここに置いて行くよ」
その年の夏休み、小学校6年生の女の子2人の葬儀がありました。死因はいずれも不明です。
別のひとりの女の子は、周りから、人が変わったようだと言われるようになりました。そのきっかけも誰にもわかりません。ただ、その子の胸には傷があったとか。
そして夜の遊園地では、廃園になった後も、観覧車の中から、
「出して…」
という声がするらしいのです。
これが、子供たちに伝わっている怪談の全容です。
だいたい合っていますが、アキは、思ったほど霊を弾く力が強くはなかったです。
だから、うまく取り憑くことができました。
その体ももう歳老いて、そろそろ限界のようです。
でも楽しかった。呼んでくれた彼女たちには感謝です。
終